「どうして、女の子のふりなんて……」
 ユマは恐る恐る尋ねる。何か、深刻な理由でもあるのだろうか――そう思ったのだが。
「だってほら、女の子の方が皆優しくしてくれるし、何かとお得でしょ?」
 きゃっと両頬に手を当てて、アリーは言う。ユマは、ポカンとアリーを見つめていた。
「そんな理由で……?」
「結構大事な事だよーっ。お店にとって、どれだけお客さんが来るかは死活問題だからね」
「アリー、起きてるのか?」
「汗掻いたからシャワー浴びてたのー」
 廊下の方から聞こえて来た声に、アリーが返す。
 床に置かれた上着を被ると、アリーは脱衣所を出て行く。ユマもその後を追った。
「住み込みなの?」
「うん、まあ、そんな所かなー。だから、本当、内緒にしてね? 騙してるってバレて追い出されたら、住む場所もなくなっちゃうから」
「そもそも、嘘ついたりしなければいいのに……」
「そうかもねー」
 アリーは軽い調子で相槌を打ち、笑っていた。

 ユマの通う学校は、辺りでも有名な名門校だ。生徒の多くは役人や軍人の子供で、卒業後は文官または武官へと道が分かれて行く。故に生徒間の競争も激しく、望む道、望まれる道に進もうと、常にしのぎを削っていた。
「あらぁ……ユマさん、順位落ちてしまいましたのね」
 廊下の掲示板に貼り出されたテストの成績順位表を見て、クラスメイトの一人、アリエルが残念そうに言った。
 隣に立つ短い黒髪の女子生徒も、うんうんとうなずく。彼女は、リゼット。ユマやアリエルとは違って、卒業後は士官学校へ進み、軍人を目指すらしい。見た目もそれらしく、身長もユマより十センチも高かった。
「ここのところ、ずっと一位だったのに」
「たまたまだよ……私、元々そんなに優秀じゃないもの」
「またまた、謙遜しちゃってぇ。その頭、私にも少し分けてくれーっ。私なんて、赤点ギリギリよ、赤点ギリギリ!」
 リゼットの言葉に、ユマは苦笑する。
 リゼットの場合は、どうしてそんなに低い点が取れるのか疑問なくらいだ。三人だけならそう軽口も叩けるが、他の生徒達もいるこの場でそれをユマが言うのは、嫌味に取られかねない。
「あ、シャーウッドさん、落ちたんだ」
「さすがに毎回一位とはいかなかったかー」
 他の生徒の話す声が聞こえて来る。アリエルとリゼットが、気遣うようにユマを見た。
「ユマさん……」
「だから、ほんと、偶然だから。気にしてないわ。これくらいが普通だもの」
 ユマは言って、踵を返す。
「じゃあ、また明日ね」
 早口に言うと、ユマは逃げるように足早にその場を立ち去った。
 気にしていない。それは、事実だ。良い成績を取ろうと勉強していたら、学年一位を取るようになってしまった。一度「優等生」の肩書きを与えられると、社会はそこからの転落を許さない。「優等生」らしい振る舞いが求められ、少し踏み外せば、何かあったのかと心配される。順位には拘って当然のものだとして扱われる。まるで監視されているかのようで、息苦しかった。
「えへへー、ありがとうーっ」
 きゃぴきゃぴとした明るい声が聞こえて、ユマは通りの向こうへと目を向ける。
 買い物の帰りなのだろうか。大きな紙袋を抱えたアリーが、年上と思しき少年達に囲まれていた。
「え!? 嘘、じゃあ、年下? しっかりしてるね」
「ねぇ、今、時間ある? 俺達、暇しててさ。ちょっとその辺入って、話さない?」
「えー。でも僕、お使いの途中で……」
「そこのケーキ屋が、新作発売したんだってさ。そう言うの好きじゃない? もちろん、おごるし」
「えっ、ケーキ?」
「アリー!」
 ユマは、アリー達の方へと駆け寄っていた。
「何してるのよ! 仕事中なんじゃないの?」
「あ! ユマ!」
「お友達? 可愛いね。良かったら、君も……」
「結構です! ほら、行くよ!」
 ユマはきっぱり言い放つと、アリーの手を引き、逃げるようにしてその場を駆け去った。
「もう、何してるのよ! あれ、どう見たってナンパじゃない」
「えー。ケーキ食べに行くぐらい、平気だよー」
「のこのこついて行って、本当にケーキ屋かどうかだって分からないでしょ! だいたい、男なのにそんなかっこうしているから……」
「あっ、ユマ、もしかして学校帰り? 家こっちの方なのー?」
「え? まあ、そうだけど……」
「わあっ、見たい、見たい! どこ?」
 ユマの話を聞いているのかいないのか、アリーは目を輝かせてせがむ。
「ねえ、アリー。私の話――」
「ユマの家見たーい! ね、ね、案内してよ!」
 ユマは、大きく溜息をつくと、歩き出した。
「こっちよ。来て」

「うわあー、おっきいねぇ!」
 閑静な住宅街に建つユマの家を見上げ、アリーは叫んだ。
「きれいーっ。ユマって、お嬢様?」
「別に、そんなんじゃないわよ。クラスメイトだって、だいたいこんな感じの家だし……。もっと格の違う、貴族みたいな人達だっているしね。ほら、途中であったでしょ? 大きなお屋敷ばかりの一帯」
「うん。そっちの方行くから、ユマもああ言うお屋敷に住んでるのかと思った」
「まさか」
 ユマは軽く笑い、門に手を掛ける。
「そうだ。今夜も、部屋用意してもらえる?」
「えっ。今日も来るの?」
「うん。空いてるでしょ?」
 門を開け、中へと入る。アリーは、門の外に立ったままだった。
 鍵を出そうと鞄の中を探るユマの背中に、ぽつりと声が掛けられた。
「――あのさ、ユマ。今日は、家にいた方がいいよ」
「え?」
 ユマは、きょとんとアリーを振り返る。アリーは、いつもの笑顔はどこへやら、真剣な瞳でユマを見つめていた。
「お金の事だったら、大丈夫よ。食事代として貰ってるのが十分にあるし――」
「そうじゃない。……もう、うちの宿には来ない方がいい」
 ユマは、ぽかんとアリーを見つめ返す。
「え……? 何? どうして?」
 アリーは、ふいと目をそらす。その動作は、ユマの不安を掻き立てた。
「……あなたの秘密を、知ったから? それとも、ナンパされて喜んでるのを、説教したから? 私がいたら、厄介だって事?」
「ユマ。僕は、別に……」
「じゃあ、どうしてそんな事を言うの? 理由を教えてくれないの?」
「ユマこそ、なんでそんなに宿に来たがるの? お金の少ない旅人向けの、何にも無い宿だよ。食堂だって近所の人達で騒がしくて、ゆっくり食べる事なんて出来ない。君みたいな子が一人で来るような所じゃないよ。僕とユマとじゃ、住む世界が違うんだ」
「な……」
『シャーウッドさん、一位だって』
『さすが、優等生。俺達とは、住む世界が違うよな』
 ――やめて。
 勝手に、理想像を作り上げて。勝手に、型にはめて。そこから外れた事をすれば、何かあったのかと心配される。期待外れだと嘆かれる。
 監視されているようで、息苦しい世界。
「ユマは、うちの宿に来るべきじゃない。あんな場末の宿に来るよりも、家でお母さんの手料理を食べなよ」
 ぷつりと、ユマの中で何かが切れた。
 ぎゅっとユマは拳を握る。
「……お母さんなんて、いないわよ」
 ぽつりと呟く。
 手料理を作ってくれる母親なんて、いない。六年前に、死んでしまった。
 一人の家で留守番をしていた、あの夜に。
「お母さんなんていない! だって、六年前、魔女に殺されたんだもの!」
 アリーの目が見開かれる。
「六年前って……まさか……」
「そうよ。ヴィルマに殺されたの。お父さんの出張で一緒に首都へ行って、そこで……。私は一人この家で留守番をしていて、知らされたのはもうお墓に入れられた後だった……お母さんの死に目に会う事も、遺体を見る事さえ出来なかった……! せめて、お墓に入る前に会えていれば……お別れだって、言えなかった……」
「……亡くなった後に会ったって、死者は何も言わないよ。別れの言葉に返事なんてない」
「そんなの分かってるわよ! そう言う問題じゃないでしょう。せめて亡くなった後でも、最後に一目会いたい。そう思うのが普通でしょう?」
「……ヴィルマに殺された親の死体を見たかったって事? 本当に?」
 アリーの暗い瞳が、ユマを射抜く。ユマは、カーッと頭に血が上るのを感じた。
 その物言いは、あんまりではないか。言葉じりを捉えるかのように、ひねた言い方。ユマは、そんな話をしている訳ではないのに。
「アリーに、私の気持ちなんて分からないわ! 優しい人達に囲まれて、ちやほやされてるようなあなたには!」
 そう言い捨てると、門の前に立つアリーを押し退け、駆け出した。


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2015.11.05

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