開かれた玄関扉から、朝日が差し込む。眩しい光に目を瞬きながら、ユマは両親を見上げていた。
「行ってきます」
「すぐ帰って来るからね。いい子にしているのよ」
 扉が閉まる。光は閉ざされ、ユマは薄暗闇の中に取り残された。
 ――それが、ユマが己の母親を見た最後だった。





 リム国西部ペブル。大河のそばに位置する街の、大きな屋敷が連なる通りから一本外れた場所に、シャーウッド家はあった。
 町の役人である父親はそこそこ稼ぎもあるが、屋敷を構えて手伝いの者を雇うほどの富豪ではない。
 広い家に明かりは少ない。父は今日も夜勤だ。母はいない。六年前、夫の出張に付き添って首都へ行った際に、魔女に殺されてしまった。
 玄関の灯りだけはそのままに、ユマはふらりと夜の町へと出て行った。
 どこか外で食事を取ろう。一人の家にいるのは、嫌だった。六年前のあの日を思い出してしまう。母の訃報を知らされた、あの日の事を。
 夜道を当てもなく歩いていたユマが辿り着いたのは、白い壁に赤い三角屋根が特徴的な宿屋だった。
「いらっしゃいませーっ」
 カランと鳴る軽いベルの音に重なるようにして、明るい声が呼び掛ける。店の奥から出て来たのは、ふわふわとウェーブのかかった金髪を高い位置で二つに結んだ女の子だった。
 ユマを壁沿いの二人席へと通した少女は、他の客に呼ばれて注文を取りに去って行った。
「アリーちゃん、注文追加!」
「わーっ。いい食べっぷりですねぇ! 僕、たくさん食べる人好きだなあ」
「アリーちゃん、次、こっちもおかわり!」
「はーい!」
(上手いなあ、あの子……)
 少女に乗せられて次々と料理を注文する客達に、ユマは苦笑する。どうやら、少女はアリーと言う名前らしい。年はユマと同じか、少し年下かと言った所だから、十歳前後だろう。この年になると、子供扱いを嫌い、背伸びして大人びた振る舞いをしたくなるものだが、アリーはむしろ子供特有の可愛さを自覚し、自ら武器にしているようだった。
「あの、注文お願いします」
「はーいっ」
 アリーは元気良く答えると、メモを手にユマの席へと飛んで来た。
「ご注文をどーぞっ」
「えっと……じゃあ、クリームシチューとサラダを……」
 店の奥のカウンターに貼られた『本日のスープ』の紙を見ながら、ユマは頼む。
「はあい、シチューとサラダですね! 少々おまちください!」
 アリーは店の奥へ行くと、カウンターの中へと呼び掛ける。
「おじさん、シチューとサラダ一つずつ!」
 店はどうやら、夫婦とアリーの三人で切り盛りしているらしい。夫婦を「おじさん」「おばさん」と呼んでいる辺り、アリーは夫婦の子ではないのだろうか。
 宿屋の飲食店と言うと宿を目当てに来た外の客が多い印象だが、この店は常連も多いらしい。明るく人当たりの良いアリーは、大人達の人気者だった。
 ユマはフッと小さく溜息を吐く。思わず挙げた手の人差し指の関節が、鼻筋に当たった。
 ともすれば、媚びているとも言えなくもないアリーの言動。彼女は、学校に通っていないのかもしれない。大人達の中にいるからこそ、許される振る舞い。たくさんの人々に囲まれ愛されるその姿は、ユマとは程遠い世界だった。
「はい、どうぞ。ハーブティーですっ」
 突然目の前に置かれたカップに、ユマは顔を上げる。盆を胸の前で抱えたアリーが、ニコニコとユマの席の横に立っていた。
「えっ、あの、私、頼んでない……」
「僕からのサービスです。勉強疲れによく効くんだよ」
「え……どうして、勉強疲れって……」
 ユマは目をパチクリさせる。アリーは困ったような顔でぽりぽりと頬を掻いた。
「動きを見てて、そうなのかなって……」
 ざっくばらんとした説明に、ユマは首を捻るばかりだ。
「えっとね。まず疲れてるのは、顔色とか表情で分かるでしょ。で、さっき眼鏡押し上げるような仕草してたから、いつも眼鏡掛けてるのかなって。でも、目を細めたりとかしてないし、カウンターの所にある貼り紙も見えてた。遠くは見えてるんだから、眼鏡を掛けてるのは、近くを見る時。子供が近くを見るために、癖になっちゃうほど長い時間眼鏡を掛けるって言ったら、勉強かなって思ったんだ」
「すごい……! よく見てるのね」
「えへへ……子供一人で来るなんて、珍しいから気になってたんだ。たぶん、僕と同じくらいだよね?」
「十一歳よ。ユマ・シャーウッドって言うの」
「僕は、アリー・ラランド。十一なら、同い年だね。ほら、温かい内にどうぞ。ハーブ苦手だったりしない?」
「ううん、平気。いただくわ。ありがとう。ねえ、ここって宿なのよね? お部屋の空きはある?」
「うん、あると思うよ」
「じゃあ、泊まろっかな」
「え? でも、お代……」
 ユマは鞄の中から封筒を出すと、アリーに手渡した。
「足りる?」
 アリーは封筒から紙幣を出すと、目を瞬く。
「たぶん……」
「良かった」
 ユマは満足気にうなずくと、カップに口をつける。アリーは、疑わし気にユマを見つめていた。
「……まさかとは思うけど、家出とかじゃないよね?」
「まさか。今日ね、お父さんが夜勤でいないの。……一人の家には、帰りたくないから」

 店の奥の階段を上がった先は一本の真っ直ぐな廊下になっていて、その片側に宿泊用の部屋の扉が並んでいた。
「一人部屋は、奥から三つだよ。一番奥の、突き当たりの部屋でいいかな。他の二つより少し広いし、窓も二つあるから」
「他にお客さんはいないの?」
「宿泊は少ないんだ。一階の様子見て、満室だと思われちゃうみたいで」
「近所の人が多いんだ」
「うん。シャーウッドさんも、良ければどうぞごひいきに」
 アリーはおどけるように言って、胸に手を当て一礼する。ユマは小さく笑った。
「ユマでいいわ。同い年なんだから」
 愛らしい顔立ち、明るく溌剌とした話し方、それでいて気の利く性格。アリーが店の客達に人気な理由が、ユマにも分かった気がした。





 翌朝、ユマはいつもより早く目を覚ました。カーテンの隙間から差し込む光は弱く、陽が昇ってまだ間もない時間だと分かる。
 ユマは、服を着替え、部屋を出る。まだ登校時間には早いが、荷物を取りに一度家に帰らねばならない。このまま起きていた方が良いだろう。
 階段を降りていると、階下から物音が聞こえた。もう、誰か起きているようだ。
 一階へと降り、物音のする方へと向かっていると、廊下の先にある扉が開いた。
 出て来たのは、アリーだった。濡れそぼった髪は下ろされ、肩にタオルを掛けている。ズボンこそ履いているものの、タオルの下には服がなく、白い肌が露わになっていた。
「え……」
 アリーはギョッと目を見開く。
 かと思うと、ユマの口を片手でふさぎ、その顔からは思いも寄らぬ強い力で出て来た部屋へと引っ張り込んだ。
「叫ばないでね。おじさんもおばさんも、僕が男だって事、知らないから」
 ユマはコクコクとうなずく。アリーはようやく、ユマを解放した。
 そこは、脱衣所だった。奥には、浴室が見える。どうやら、シャワーを浴びた後だったらしい。
「……アリー、あなた……男の子だったの……!?」


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2015.11.05

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