ユマとは違う世界に生きる、同い年の子供。ユマを見てくれた、気遣ってくれた子。それは、客に対してのものだったかも知れないけれど、ユマにとっては心安らぐひと時だった。
 男なのに女のかっこうをしていたり、あまつさえナンパされて喜んでいたりと妙な子だが、それでも、悪い子ではないのは確かだった。
(友達になれるかも知れないって思ったのに……)
 走りつかれたユマは、公園のベンチに腰を下ろした。外周を木々に囲まれた公園。六つの街頭が、広場をぼんやりと照らす。
 砂利を踏む複数の足音が聞こえて、ユマは顔を上げた。
 木々の間から現れたのは、二人組の男。彼らは、ユマの目の前で立ち止まった。
「え……」
 男は、ニタリと笑みを浮かべた。
「いけないなあ、お嬢ちゃん。子供が、こんな時間に一人で出歩いちゃあ」
「おいで。おじさん達が送ってあげよう」
 大きな手が差し出される。ユマは立ち上がり、後ずさった。
「だ、大丈夫です。すぐ、そこなので」
 背を向け走り出そうとしたユマの腕を、男の腕が掴んだ。そのまま、後ろから羽交い絞めにするようにして持ち上げられる。
「逃がすか!」
「よし、急げ! 人に見つかったら厄介だ」
「いやっ! 放して!」
「こら! 暴れるな!」
「いやあっ、助け……んんーっ!」
 口を布でふさがれ、叫び声はくぐもった響きへと変わる。男達はユマを抱えて、木々の間を走る。木々の向こう、公園の前の通りに車が停められていた。男達はユマを後部座席へと放り込み、手足を縛り上げる。
「よし、出せ!」
「まさか、こうも上手くいくとはな。宿へ向かう途中のどこかで捕まえねぇととは思っていたが、自分から人気のない所に留まってくれるとは……」
「子供が急にあんな金を支払えるぐらいだ。身代金はたんまり出るぜ」
 自分が誘拐にあったのだと理解するのは、容易だった。彼らは、昨日、あの宿にいたのだ。ユマが急に宿泊を決めるのを見て、お金のある家だと判断したのだ。
(どうしよう……お父さん……!)
 胸中で叫んだところで、助けは来ない。ユマの誘拐が知られるのは、彼らが身代金の要求を行った時。
「おい、ちょっと待て!」
「うわっ!?」
 キィィィと激しいブレーキ音を響かせ、車は停止した。軽い衝撃があり、ユマは後部座席から床に転げ落ちる。
「おい、嘘だろ!? 轢いたか!?」
 男達が車を降りていく。開け放された扉から、彼らの狼狽する声が聞こえた。
「お、おい、嬢ちゃん、大丈夫か?」
「おい待て、こいつ、あの宿の……」
 ユマはハッと目を見開く。
(まさか……アリー?)
 駆け出したユマの後を追って来たのだろう。まさか、こんな事に巻き込んでしまうだなんて。
「店で大勢に話されたら厄介だ。一緒に連れて行くぞ」
「お、おう」
 駆けて行く足音。ドッと重いものが倒れるような二つの音。
 それから軽い足音が駆けて来て、後部座席の扉が開かれた。
「ユマ! 大丈夫?」
 アリーが、街頭の明かりを浴びて立っていた。
「もう大丈夫だよ。二人とも、そこで伸びてる」
 彼はユマの口の布を外し、手足の縄を解く。
「アリー……!」
 じわりとユマの目に涙が浮かぶ。手足が自由になったユマは、アリーに抱き着いた。
「怖かった……怖かったよぉ……!」
 アリーは何も言わず、ただユマの背を優しく撫でていた。

 ひとしきり泣いて、ユマはアリーに手を引かれ、車を降りた。車が停まっている前方、少し先には、誘拐犯の男達が仰向けに転がっていた。
 ユマは目を瞬き、隣に立つアリーを振り返る。
「……アリーがやっつけたの?」
「まあねー。へっへー、凄いでしょっ」
 いつもと変わらぬ調子で、アリーは得意げにVサインする。
「こう見えて、結構強いんだから!」
 ユマは、唖然としてアリーを見つめる。アリーは、星空を振り仰いだ。
「……僕ね、お城の軍人さんになりたいんだ」
「お城のって……私軍って事?」
 この国の軍部は、国王の下、執政や大臣を通して管理される国軍と、王族私有であり城内や王族の護衛を主とする私軍の二つに分かれている。
 アリーはうなずいた。
「私軍に入って、王子様を守るんだ! そのためには、強くなくちゃいけないからね」
「えっと……あの、私軍はさすがに、無理だと思う……」
「分かってるよ。凄く難しいって事ぐらい。でも、今から鍛えれば――」
「あのね、そうじゃないの。アリー、学校に通ってないでしょ?」
 国内全土に渡って存在する国軍に対して、私軍は非常に狭き門だ。士官学校で優秀な成績を収めた者、あるいは国軍で経験を積み、その功績が認められた者が召し上げられるのみ。
 それを説明すると、アリーはガックリと肩を落とした。
「そっかあ……。じゃあ、先にヴィルマを探す!」
「……え」
 ユマは目を見開く。
 どうして、その名前がここで出て来るのか。
 アリーはユマに目を向け、ふっと寂しげに微笑んだ。
「僕のお父さんとお母さん、ヴィルマに殺されたんだ」
 ユマは息をのむ。
「首都で、大きな暴動があったでしょ? その首謀者達が処刑された日の事だった。その日は、いつものお店のおじさんも、広場に行っちゃってて、ちょっと遠いお店にお遣いに行ってたんだよね。そしたら、その間に。……家に帰った僕を待ってたのは、血溜まりと、二人の死体だった」
 ――ヴィルマに殺された親の死体を見たかったって事?
 冷たく吐かれた言葉。そう尋ねたアリーは、いつもと違う暗い瞳をしていた。
 アリーは見たのだ。ヴィルマによって屠られた両親の、無残な姿を。
「ごめんなさい。私――」
「なんでユマが謝るの? 悪いのは、ヴィルマだよ?
 僕が女装してるのもね、それが関係してるんだ。僕、ヴィルマと会ったんだ。『この家の息子は知らないか』って聞かれた。――ヴィルマは、僕も殺すつもりだったんだ。ラランド家の息子、アリーも」
 アリーはふいと背を向け、夜空を見上げながら明るい声で言った。
「いやあ、参った参った! 魔女に命を狙われてる子なんて、だーれも引き取ろうとしないんだもん。女の子のかっこうさせて、名前だけ同じの別人って事にして、やーっと引き取り先が決まったんだよね。おじさんもおばさんも僕の性別は知らないから、ヴィルマに狙われてるって事も知ってるか怪しいけど」
 アリーは背中で手を組み、くるりと振り返る。その顔は、笑顔だった。
「だから、ヴィルマを探す! お父さんとお母さんをどうして殺したのか、問い質すんだ。そして、できれば捕まえる。そしたら、手柄を認められて私軍にも入れて、一石二鳥!」
「女の子の方が、皆が優しくしてくれてお得だからって言うのは……」
「もちろん、嘘! まあ、事実ではあるけどね。あんまり人に話すような事じゃないと思ったから。下手に話して、心配かけたり巻き込んだりしても嫌だし」
 アリーは、地面に転がった男達を見下ろす。
「こいつらの事も、同じ。昨日、店にいたんだよ。気付いてた?」
 ユマは首を振る。さっき二人の会話を聞いていて、初めて知ったのだ。
「子供一人で不用意にあんな大金見せちゃって。昨日、常連以外で店に来ていたのは、君とこいつらだけだった。君がお金を出した時、こいつら目の色変えて、ヒソヒソやり出したからまずいなと思って」
「だから、宿にはもう来るなって……?」
「うん。ごめんね、ちゃんと説明すれば良かった。でも、ハッキリとした証拠はなかったし、心配させたくなかったから。とりあえず夜に一人で外を出歩かせないようにして、様子を見てみようと思ってたんだ」
 家を見たいと言い出したのも、もしかすると、あれはユマを送り届けるためだったのだろうか。ユマを一人にしないため。そして、宿までの道で危険な場所を割り出すために。
 ドキン、と胸の鼓動が鳴る。鼓動は高鳴り、顔が火照っていくのを感じる。
 男なのに女の子のふりをして、ナンパにも喜んでしまう妙な子。一目見て、男だと分かる者はいないだろう。女のユマから見ても、その辺の女の子よりもずっと可愛い。
 でも、彼は男の子なのだ。強くて、優しい――
「ユマ? どうしたの?」
 黙り込んだユマに、アリーは小首を傾げる。
「な、何でもないっ。あ、あの……さっきは、ごめんなさい。それから……助けてくれて、ありがとう」
「うんっ」
 アリーは、ニッコリと笑う。
 暗い夜闇の中、それは陽だまりのような、温かな笑顔だった。


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2015.11.05

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