どれ程時間が経ったのだろう。窓の外に残る明かりは、街灯だけとなった。他の家の明かりはもう、外に漏れていない。
 ルエラは膝を抱え込み、元々のメアリーの部屋の前に座り込んでいた。
 レポスへ来るのは、十年ぶりだ。十年前、国王である父親マティアスと共にレポス城を訪れたのが、ルエラの最初のレポス訪問だった。
 十年前、ルエラの母親ヴィルマは、大量虐殺を犯し逃走した。隣国であり、同盟も結んでいるレポスに、マティアスは彼女の指名手配の協力を頼みに来たのだ。ルエラは、マティアスに同行したのである。
 当時、ルエラは傍目にも分かる程に塞ぎ込んでいた。ヴィルマを信じていたのだ。
 ヴィルマはルエラにとって、大好きな母親だった。ルエラは、彼女が魔女だと知っていた。ヴィルマ自身が明かし、そしてルエラに魔女である事を隠すよう教えたのだ。魔法の使い方、逆に抑える方法、誤魔化し方、全てを母から教えてもらった。国王である父は忙しい。ヴィルマも王妃としての責務がある事には変わりないが、それでも時間を作って幼いルエラと共にいてくれた。
 まさか彼女が罪無き人々を殺めていたなどと、どうして考えようか。
 ヴィルマの罪が露見してから、ルエラはずっと塞ぎ込んでいた。王家の立場も、危ういものとなっていた。それは、王女であるルエラへの視線も同様である。マティアスも、ヴィルマを信じていた。噂はもみ消し、ずっと擁護してきたのだ。けれどもヴィルマは魔女で、連続殺人犯だった。ヴィルマを擁護していた王家を、人々は非難した。レポスへの指名手配協力願いにルエラを連れて行ったのも、そう言った輩から一時でもルエラを離す為だったのかも知れない。
 レポス国王の元を訪れてもルエラは会釈を交わす事さえ出来ず、暗い顔をしていた。国王同士が挨拶を交わす間も、ずっと虚ろな瞳で俯いていた。見かねたレポス国王が、ルエラに言った。
「どうでしょう、ルエラ王女。我が城を散策してみては? 中庭の薔薇庭園が、ちょうど咲き誇っている時期なんですよ」
「それは、それは。きっと見事な事でしょうな。是非ともお言葉に甘えさせて頂きましょう」
「では……」
 レポス国王は、側近に言ってルエラを案内させた。途中、レポスの王子もやって来た。同世代の子供がいた方が落ち着くだろうという事で、レポス国王が呼んだようだった。
 薔薇庭園は、見事に咲き誇っていた。赤や白だけでなく、ピンク、青、中には緑色なんて物もある。それらが一斉に花開き、前日の雨露を日に反射させ輝いていた。
 けれどもルエラの目には、モノクロの世界しか映らなかった。失礼になってはいけないと説明に応答はするが、心から楽しむ事は出来ない。やがて、王子は従者達を下がらせた。薔薇庭園があるのは、城の中庭だ。城への出入り口を固めている限り、何ら危険は無い。
「綺麗でしょう。ルエラ王女は、何かお好きな種類はありますか?」
「申し訳ありません。どうにも、そう言った物には疎いものでして……。でも、この藤色のバラとか美しいですね」
 口に出して言ってから、気がついた。
 ヴィルマの瞳は、この色だった。この花よりも鮮やかで、強い意志を秘めた紫色の瞳。
 ヴィルマの事を思うと、やはり塞ぎ込んでしまう。
 と、不意に後頭部を軽く叩かれた。ルエラは驚いて振り返る。レポス王子が呆れた表情で立っていた。
「お前、それでも俺と同い年の王女かよ。まさか、公の場でもそうやって塞ぎ込んでばかりなんじゃねーだろうなぁ?」
「な……な……っ」
 思いがけない状況に、ルエラは口をパクパクさせるばかりだ。
 他国の王女の頭を叩き、更には特に親しいと言う訳でもないのにタメ口を利く。普通ならば、考えられない状況だった。
 けれども、王子は気にする事無く続ける。
「民は、結構見てるもんだぜ。王家ってのは、皆を引っ張る立場なんだからそんな私情挟んでちゃ駄目だろーが。そんなんじゃ、民も愛想を尽かす。マティアス王もお可哀想に。後継の王女がこんなんじゃ、リムの行く末は分かったもんじゃないな」
 流石にここまで扱き下ろされては、ルエラも黙っていなかった。
 怒りを抑えながらも、冷ややかな口調で言う。
「貴方に何が分かると言うのです。それは、レポスは平和で良いですよね。素晴らしい王妃様ですもの。魔女に騙されるという事もありません」
「何だよ、そんな事で塞ぎ込んでたのかぁ?」
「そんな事とはなんですか」
 ムッとして言い、そしてルエラは目を伏せた。落ち込んだ口調でぽつりぽつりと話す。
「……曲がりなりにも、ヴィルマは私の母でした。私達は、彼女に騙されていたのです。悲しくない筈がありません……」
 ルエラは王子の傍を離れ、藤色の薔薇の傍まで行きそれをじっと見つめる。
「私は、彼女を信用しきっていました……。良い母だったのです。民の噂は聞いていましたが、信じられませんでした。父もそうだったのだと思います。私達親子は、魔女に騙されていた……」
 しかし、王子はやはり冷たく言った。
「馬鹿か、お前」
 ルエラはキッと王子を振り返る。彼は続けて言った。
「被害者面してんじゃねーぞ。お前らは、ヴィルマの被害者なんかじゃねぇ。
本当の被害者は、民の方だろ」
 ルエラは言い返さなかった。ただ、じっと彼を見つめていた。
「お前ら王家の感情なんざ、知ったこっちゃねぇ。民はな、殺されてるんだよ。何人の民が殺された? その殺された人数の分だけ、悲しんだ周りの者達がいる。ヴィルマに殺されたり、噂で処刑された所為で、一体何人の子供が路頭に迷った?
いいか、ヴィルマが魔女だと気付けなかったのは、お前ら王家の非だ。民の方が、ずっと辛い。それを忘れるんじゃねぇぞ。――お前は王女なんだ。その自覚を持て」
「……」
「……ま、それでも人間だからな。耐え切れない事もあるだろ。いつ、レポスに来たっていいぜ。愚痴や泣き言ぐらいは聞いてやるよ。被害者面は簡便だけどな」
 一筋の雫が、ルエラの頬を伝って落ちた。
 震える声で、ルエラは話す。
「悔しいんだ……ヴィルマに騙されていたという事が……気付けなかった事が……亡くなった民は、もう帰って来る事は無い……悲鳴を聞いたんだ。泣き叫ぶ声を聞いたんだ。路頭に迷い、死に逝く子供達を目にしたんだ。私達は、何も出来なかった……それどころか、魔女を擁護するような事を……!」
 先程殴られた部分に、今度は優しく手が乗せられた。白いハンカチが前に差し出される。
 ……それが、ルエラが最後に見せた涙だった。

 結局、それ以来ルエラがレポス城へと脚を運ぶ事は無かった。王家は、民を引っ張る立場でなくてはいけない。彼のその言葉を胸に、王女としての立場を全うしてきた。十二歳で学業を修めてからと言うもの、流浪の旅ばかりしているが、最低限必要な仕事はこなしている。尤も、書類を旅先まで運んで来るブルザには、迷惑を掛けてばかりだが。
 今頃、彼はどうしているだろうか。ディン・レポス、それがレポス国王子の名前だった。十年前に一度会ったきりなので、顔を鮮明に思い出す事は出来ない。尤も、覚えていたところで十年もすれば記憶と変わっている事だろう。
「本当に見張りやってんのか。真面目な奴だなぁ」
 ディンが、二つのマグカップを手に暗闇から現れた。かがみ込み、片方のマグカップを差し出す。
「こんな所ずっと座り込んでたら、冷えるだろ。下で貰ってきた」
「ありがとう」
 言って、ルエラは白いマグカップを受け取る。中に入っているのは、ココアのようだ。じんわりとした温かさがカップから伝わり、指先を暖める。
 ディンはルエラの横で壁にもたれ、自分のココアに口をつける。ルエラは、横目で彼を見上げていた。
「そう言えば、お前もディンだったな」
「あ?」
 ディンは気の抜けた返事を返す。
「王子様と同じ名前だな」
「ん、ああ……。俺の名前の由来、それだしな。王子や王女の名前って、結構流行るだろ」
「そうだな……」
 ルエラは相槌を打ち、一口ココアを飲んだ。
 ディンが、ぼそりと低い声で尋ねた。
「……お前も気付いてるんだろ、あいつの事」
「メアリーの事か」
「ああ。あいつ、絶対何か裏がある。いくら世間知らずのお嬢様でも、そうほいほい赤の他人に金預けて護衛頼んだりするか? その上、お前の旅に同行する事に了承しやがった。服装からしても、元々旅するつもりだったようには到底見えねぇし……。あの女、一体何を隠してやがんだ?」
「なんだ、そこまで気付いていたのか。だったら、あんなに引っかかる事も無いだろうに」
「あの高慢ちきな言い方が、気に食わねーんだよ。もっと謙って頼むならまだしも……お前の事だって、服装で判断してただろ」
「私は別に構わない」
「別にお前の為に怒るとかじゃねーけど、ああ言う性格が嫌なんだよ」
 ルエラは何も言わず、軽く肩を竦めただけだった。
 そんなルエラを、ディンはじっと見つめる。しかし、何も言わない。視線を感じ、ルエラは横目で彼を見る。
「何だ?」
「……俺には、お前も何だか訳アリに思えてならねぇ。服装や宿には金をかけないようにしているようだが、身なりは清潔だしな。少なくとも、浮浪児って訳じゃないらしい。そんな年齢で、一体何の為に旅をしているんだ? ナイフ持った引ったくりにも、随分手馴れた様子だったしよ」
 ルエラは内ポケットから何やら取り出した。そして、ディンへと投げて遣す。
 ディンはキャッチし、僅かな蝋燭の明かりに照らして見る。銀色の五角形に、薔薇を象ったマーク。その下には紅色の一本の太い線が引かれ、線上に三つの丸が並んでいる。それは大尉である事を表す、リム国私軍の階級バッジだった。
「これ、リム国の尉官だろ……お前みたいな子供が?」
「これでも十六だ。レポスじゃ、十六で佐官の少年もいるだろう」
「そりゃあ、そうだが……。でも、なんだって軍人が旅なんかしてんだ? 城で姫様守らなくていいのかよ」
「姫様の命令だ」
 それ以上、ルエラは語らなかった。
 ルエラが差し出した手に、ディンはバッジを返す。返されたバッジを再び内ポケットへとしまい、ルエラは言った。
「お前は、どうなんだ?」
「へ?」
「お前はどうして護衛を引き受けた? 家へは帰らなくて良いのか?」
「まあ……俺も、旅の途中だからな。この剣も、その為だしな」
 そう言って、ディンは腰に下げた剣を軽く叩く。
「何故旅をしているのか、尋ね返しても良いか?」
 そう言って、ルエラはディンを見上げる。ディンは壁にもたれたまま、じっと正面を見つめていた。
「……俺は、国ってのが嫌いなんだ」
「それは、どう言う――」
 ルエラの言葉を遮り、窓ガラスの砕ける音が響いた。ルエラは立ち上がり、ディンは壁から背を離す。音がしたのは、ルエラの背後にある扉の中からだ。ディンは柄に手を掛け、真っ先に部屋の中へと入って行った。
 ディンは放って置き、ルエラは隣の部屋へと急ぐ。元々はルエラの部屋だった、今はメアリーが眠っている部屋だ。
 メアリーは、窓ガラスの割れる音で目を覚ましていた。ルエラはまとめたままの荷物を担ぎ、メアリーの手を引く。
「敵襲だ」
 囁くように言って、メアリーの手を引き駆け出す。廊下に出ると、メアリーの部屋から金属音や物の壊れる音が聞こえて来た。構う事無く廊下を駆け抜け、階段を駆け下りる。宿を飛び出した所で、窓から飛び降りて来た影があった。
 ディンだ。立ち上がり駆けて、ルエラとメアリーに追いつく。横に並んで走りながら、ディンは叫んだ。
「この野郎、リン!! ってめぇ、俺を囮にしやがったな!?」
「力量を考えての判断だ」
 ルエラはさらりと言う。引ったくりを捕らえた時の動きを見て、ディンなら足止めが出来るだろうという確信がルエラにはあった。
 暗い夜道を駆け抜け、ジグザグと角を曲がる。背後から、車のエンジン音が聞こえて来た。部屋を襲った者達が、車で追いかけてきたらしい。
 ディンは舌打ちする。
「どうする? 車から逃げ切るなんて――」
 ルエラは、走りながら振り返る。そして、メアリーの手を引いていない、もう片方の手を背後へと突き出した。車の止まる音が聞こえ、騒ぎ声がする。
「何だ? どうした?」
「タイヤがパンクしたようだな」
 目をパチクリさせるディンに、ルエラは涼しい顔で言った。

 ルエラ達は、声の聞こえない所まで来ても暫く走り続けた。やがてメアリーの脚がもつれてきて、人気の無い路地裏で立ち止まる。メアリーは肩で息をしながら、その場に座り込んだ。
 疲れ切った様子のメアリーに、ディンが問う。
「おい、高慢女。ここまで巻き込まれたからには、きちんと説明してもらうぜ。あいつらは一体、何なんだ? どうしてお前は狙われてる?」
 メアリーは呼吸を落ち着かせながら、答えた。
「私も……よく……分からなくて……」
 メアリーは不安げな表情だった。
 ルエラはメアリーの正面にしゃがみ込み、彼女の頭に優しく手を乗せる。
「大丈夫だ、私達が付いている。必ずお前を守る」
「あ、ありがと……」
 そう言ってメアリーは俯く。そして、何があったのかを話し出した。
 メアリーの家――クロス家は、この辺りでは名のある名家だった。頭首の印となる物が代々受け継がれている程の旧家だ。しかし、つい先日、メアリーの両親が亡くなってしまった。出かけ先での事故だと、兄から連絡があった。家督はメアリーが継ぐ事となり、財産の相続やら仕事の引継ぎやらとメアリーは忙しい日々を送っていた。兄の補佐が無ければ、メアリー一人では太刀打ち出来なかっただろう。
 事が起こったのは、そんな日々の中だった。
 突然、先程襲って来た者達が、家に押し入ってきたのだ。異常に気付いたメアリーは、守衛に伝え追い払わせようとした。しかし、伝言を任せようとした使用人さえもメアリーに襲い掛かって来たのだ。何が何だか分からない。メアリーは彼から逃げ、信用の置ける長年仕えている者を探した。しかし、その多くは休暇を取っている。残っている筈の者達も、誰一人家の中に見当たらない。そうしている間にも、彼らは家の奥へと押し入って来た。見つかれば、どうなる事か分かったものではない。隠れながら様子を伺うと、彼らがメアリーを捜しているのが分かった。
 メアリーだけでなく、他にも探し物があるらしい。金庫を荒らし、「ここにも無い」と言うと、その部屋を出て行った。メアリーは手持ちの鞄にその金を詰め、窓から逃げ出した。
 家の敷地内を出ても、彼らは追って来た。一度は、捕まってしまった。けれども隙を突き、何とか逃げ出したのだ。とは言え、もう一度捕まれば今度は助からないだろう。疲労も頂点に達していた。このままでは、時間の問題だ。そう思っていたところで引ったくりに遭い、そしてルエラとディンに出会ったのだ。
「家から持ち出せたのは、その現金とあとは着ていた服や飾りだけよ」
 そう言って、メアリーは話を終える。
 ディンが呆れたように言う。
「何だよ、お前自身も何が起こっているのか何も分かってないんじゃねーか」
「だからそう言ったじゃない!」
 ルエラは考え込むようにしていたが、やがて呟くように問うた。
「両親が亡くなったと言ったな……埋葬はどうした?」
「私は関わっていないわ……。悲しかったけれど、それどころじゃなかったのよ。次から次へと仕事が出来て……お兄様が全てやってくれたそうよ」
「葬儀は?」
「同じよ。お兄様が手配してくれて――」
「お前が家督を継いだのにか?」
「ええ。次から次へと事務処理が回って来て、私一人ではどうしようも無かったのよ」
「おい、まさかリン……」
 ディンは、ハッとした顔でルエラを見る。
 ルエラはゆっくりと頷いた。
「確証は無いが……可能性は高い」
「何? 何なのよ?」
 メアリー一人が分からず、戸惑うような表情でルエラとディンを交互に見る。
 ディンが、重々しく口を開いた。
「……犯人、炙り出すか?」
「そうだな……。
 メアリー、お前はどうしたい。家に帰りたいか、それとも、このまま逃げ続けたいか」
「そ、そんなの……帰りたいに決まってるじゃない……。でも、家には彼らが……」
 ルエラは立ち上がり、ディンを振り返る。
「ディン、お前に護衛役を任せて良いか?」


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2009.9.5

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