日は昇り、店もとうに開いている。細い路地を、二人の少年少女が駆けていた。一人は、紺色のコートを着込み、腰に剣を提げた艶やかな金髪の少年。もう一人は、赤いワンピースに長い髪の少女だ。二人の数メートル後ろからは、黒い服に身を包んだ男達が追い駆けて来ていた。
 背後にちらりと視線をやり、少年は舌打ちする。
「ったく……見つかるの早ぇよ!」
 隣を駆ける少女の腕を引き、角を曲がる。袋小路に入れば、地の利は向こうにある。けれども、大通りを走っていても車で直ぐに追いつかれてしまうだけだ。それならば、人気の無い所で剣を抜ける方がずっと良い。
 夜が明け、店が開き始めると、彼は雑貨屋へと赴いた。予想通り、大通りでは昨夜の者達が点在し見張っていた。メアリーと一緒では無かったので襲撃に遭う事は無かったが、後はつけられた。それを巻いた後に、二人と合流。
 けれど、ずっと隠れ続ける事は出来なかった。彼を目撃した事で、向こうも人員をこの辺りに集め出したらしい。間も無く、彼らは見つかり逃走を開始した。
 通りに銃声が響く。激痛が走り、少年は脚をついた。
「ディン!」
 少年の名を叫び、少女は振り返る。彼の足からは、赤い鮮血が筋になって流れていた。
 ディンは舌打ちする。どうにも、立てそうに無かった。悠長に手当てをしている場合ではないのに。
 そうしている内に、背後の男達は追いついた。
「ここまでだ。まったく、逃げ足の速い小娘だ……。護衛まで雇うとは、計算外だった。さあ、我々と来て貰おうか」
 男の一人が、少女の肩に手を掛けた。
 次の瞬間、男は背後に吹っ飛ぶ。少女は振り上げた脚を下ろしながら、言う。
「断る。それに女性を誘うには、このやり方は随分と乱暴ではないか?」
「な……お前……!」
 少女は頭に手を掛ける。そして、ぐいっと髪を取り払った。長い茶髪の下から出てきたのは、所々撥ねた短い銀髪だった。
「不毛な駆けっこ、ご苦労だったな。だが、悪いが鬼はお前達ではなくこちらの方だ」
 そう言って、ルエラは口の端を上げて笑う。
 男達は呆気に取られていたようだが、直ぐに気を取り直して言った。
「……フン、周りを良く見るんだな。お前達は袋の鼠だ。四方を囲まれ、連れは脚を撃たれ、一体どうやってここから逃げ出すつもりだ? さあ、あの小娘の居場所を言え」
 そう言って、男は銃をピタリとルエラに向ける。
 ルエラは黒光りするそれを、冷めた目で見つめていた。
「軍人でもないのに銃を持っているとは……随分、資金があるようだな。まあ、クロス家はこの辺りでは名家らしいからな。それぐらいは容易に出せると言う事か」
「な……お前、何を言ってるんだ!?」
「隠す事もあるまい。お前達の目当ては……これだろう?」
 そう言ってルエラは、小さなロケットを取り出した。中には、メアリーの家族の写真が入っている。
 男は黙り込んだ。ふと、包囲する者達の輪の外がざわめいた。道を開け、一人の青年が前に出てくる。ディンが目を見開いた。
「お前は……! やっぱり、俺達が目星付けた通りかよ……っ」
 ディンは、ロケットの中の写真を見ている。彼は、メアリーの兄その人だった。
 青年はにっこりと微笑む。
「ご名答。身辺警護だけじゃなく、頭も切れるなんてね。まったくあいつは、逃げ足の速さだけじゃなく、運も良い奴だ」
「あいつの運が良いだぁ? 何処がだよ。こんな兄を持ってるなんて、最低最悪としか良いようがねーな」
 ディンは脚の痛みを堪えながらも、彼を睨みつける。
「クロス家は代々、頭首の証となる物を引き継いでいるらしいな。それが、このロケットだったって訳だ。あいつ、親父から貰ったっつってたし、着の身着のままで逃げたらしいからな。持ってる物と言えば、このロケットぐらいだ。
養子として取られた癖に跡継ぎは妹ってんで、無理矢理でも乗っ取ろうと思った……そんな所か?」
「人事はお前が担当したと聞いた。恐らく、自分の息の掛かった者を多く潜り込ませたのだろう。ロケットが無ければ指図出来ない長年仕える使用人は、休暇と偽って何処かに閉じ込めたりでもしたのか?」
 青年は、悠長な態度でぱちぱちと拍手をする。
「凄い、凄い。よく分かったな」
「お前、馬鹿じゃねーの」
 ディンは脚の痛みに堪えながらも、メアリーの兄を見上げる。
「こんなの、誰にだって分からぁ。人事握ってりゃあもっと楽な方法は幾らでもあっただろーに、馬鹿な奴だぜ。メアリーだって、薄々気付いてたんじゃねーの。ただ、兄貴疑いたくなかったから、眼を背けていただけで」
「無駄な会話はここまでだ。さあ、そのロケットを渡してもらおうか」
 そう言って、彼は手を差し出す。彼の部下達は引き金に指を掛け、ルエラ達に照準を定める。
 ルエラはロケットを握ったままフッと鼻で笑った。
「ディンの言う通り、とことん馬鹿らしいな。何の策も無く、こんな所にお前達を引っ張り込むとでも思っているのか?」
 しかし、彼は変わらず余裕綽々の笑みだった。
「策とは……彼らの事か?」
 彼は背後へと手招きする。再びルエラ達を輪の一部が割れ、その間から二人の憲兵が姿を現した。
「な……っ」
「軍をも取り込んでやがったか……!」
 そう言ってディンは歯噛みする。失血は酷い。徐々に、視界がぼんやりとして来た。
「正確には、軍内部に私の味方をしてくれる者がいると言うだけだがね。現在この辺りにいる軍人は、この二人だけだ」
 ルエラは憲兵二人を凝視する。彼らの顔には見覚えがあった――メアリーと出会ったきっかけの、あの引ったくりを連行して行った者達だ。あの時、やけに憲兵隊の到着が早かった。たまたま巡回などで近くにいたのかと思っていたが、違ったらしい。引ったくり自体、彼らによって仕込まれた事だったのだ。若しあの場でルエラらが現れなければ、メアリーは彼の手配した者を信用し、再び捕らえられていたのだろう。
「まったく、根本の作戦は破綻している癖に、変な所で頭の回る奴だな……」
 ルエラは驚き半分、呆れ半分で呟く。
「ここは、一端逃げた方が得策のようだな」
「この期に及んで、まだ逃げられると思っているのかい? ――人質で脅すのは、あまり好きじゃないんだけどね」
 輪の中から、羽交い絞めにされた状態の少女が現れた。ルエラとディンの目が見開かれる。
「メアリー……!」
 少女の名を、ルエラが呼ぶ。
 紛れも無く、離れた所で隠れている筈のメアリーに間違い無かった。
「リン……っ」
 メアリーは潤んだ瞳でルエラに助けを訴える。
 ディンは痛みを堪え、前に身を乗り出し叫んだ。
「っこの馬鹿女!! 隠れてろっつっただろ!?」
「ごめんなさい……っ。だって……だって、私……っ」
「ほらほら、私の妹にそんな怒鳴りたてないで欲しいなぁ。泣いているじゃないか」
「何が『私の妹』だ。お前が兄貴名乗れた義理か、よ……くっ」
 ディンは倒れかけ、腕で支える。ルエラは動きかけたが、周囲が拳銃を構えなおしたのを見て止むを得ずその場に立ち尽くす。
 ディンの脚も、その下の地面も、血に染まっていた。あまり長引くと、危ない。
「お兄様! お願いです。彼らの命だけは! 彼らは無関係じゃありませんか! 私はどうなっても構いません、だから彼らだけは……っ」
 メアリーは必死にルエラとディンの命を請う。
 彼は、メアリーを羽交い絞めにしている者を振り返った。
「五月蝿いな。連れて行け」
「お願いです! お兄様! どうか、どうか……!!」
 メアリーの声は不意に掻き消された。気絶か、猿轡か、あるいは……。
 ルエラはキッとメアリーの兄を睨みつける。彼は手を差し出していた。
「さあ、坊や。そのロケットを渡すんだ。そうすれば、メアリーも傷つけはしない」
「……」
 ルエラはロケットを握る手に力を入れる。そして、彼の方へと投げ渡した。
「……こいつら、始末しておけ」
 一言、傍にいた部下の者に指示を出すと、彼は部下二人だけを残し去って行った。部下の一人が、ディンの腰にある剣を奪って去って行く。ディンは、動かなかった。
 ディンは気絶している。ルエラはじりじりとディンの傍まで下がり、拳銃を向ける者達を睨めつける。
 小さな通りに、一発の銃声が鳴り響いた。


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2009.9.12

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