日は沈みかけ、空は闇に包まれようとしていた。通りの街灯がぽっと燈る。
 宿は古びた安い所を選んだ。朽ちかけた木製の壁、薄暗い室内、汚れた机、ひびの入った窓。それらを見回し、メアリーが口を尖らせる。
「何よ、ここ。大通りに行けば、もっと良い宿があるじゃない。どうしてこんな所に泊まらなきゃいけないの? こんなんじゃ、寝られるようなベッドも置いて無さそうね。服も汚い物に着替えさせられるし、散々だわ」
「文句を言うなら、護衛なんて頼むんじゃねーよ」
 答えたのはディンだ。ルエラは何も答えず、部屋を三つ頼む。
 ディンとメアリーの口論は続いていた。どうにも、この二人はそりが合わないらしい。
 ルエラは溜息を吐き、振り返る。
「静かにしろ。他の客に迷惑だ」
「だってこの女、ふざけた事ぬかしやがって……」
「何もふざけてなんかいないわ。貴方達は、私の護衛を引き受けたの。当然の仕事でしょう」
「一体、今度は何だ?」
「貴方とディン、交互に私の部屋の前で見張るのよ」
 そう言って、メアリーは踏ん反り返る。
「寝ぼけた事、言ってんじゃねぇよ。何で俺達がお前の部屋の前なんかに、ずっといなくちゃなんねーんだ」
「貴方達は、私の護衛なの。お金だって渡したじゃない。それ相応の仕事は当然よ」
「金はお前が無理矢理押し付けただけだろ。大体、そんな護衛が欲しいなら、俺達みたいなたまたま町で出会った子供じゃなくて、ちゃんとしたプロを雇えよ」
「それが出来たら苦労しないのよ」
「……私が部屋の前で見張っていよう。ディン、お前は部屋で寝ていると良い」
 ルエラは言って、奥にある階段へと向かう。二人もそれに続く。
 ディンが、呆れたように言った。
「リン、お前とことんお人好しだなぁ……。言っとくが、俺は絶対に夜中の見張りなんて手伝わねーぞ」
「構わない」
 ルエラは素っ気無く返す。
 メアリーはご満悦な様子だった。それがディンには、尚更気に食わなかったらしい。舌打ちをし、彼女から顔を背けた。

 それぞれの部屋に入り、荷物を落ち着かせる。コートを脱ぎ、荷物の上に掛けると、ルエラは部屋の外へと再び出た。
 古びた宿に明かりは少なく、夜が訪れると殆ど真っ暗になる。部屋にも廊下にも、明かりはたった一つずつ。ランプから離れた、例えば部屋の隅や廊下の奥は、暗闇に包まれている。
 時折、大通りを通る車の音が幽かに聞えて来る。それ以外には、何の音も無い静寂の暗闇。
 こんこん、と内側から部屋の戸を叩く音がした。そして、か細い声が問いかける。
「……リン? いる?」
「ああ、いる」
 床に座り、部屋の扉に持たれかけてルエラは返事をする。
 途端に、メアリーの声は先程までと同じ高慢な調子になった。
「そう。約束は守っているみたいね。それじゃ、今晩は頼んだわよ。居眠りしたり、勝手に部屋に戻ったりしないのよ。良いわね?」
「その事なのだが」
 ルエラは肩越しに部屋の扉を振り返り、切り出す。
「メアリー、部屋を出てきてくれ」
「……え?
……何言ってるのよ。私はこれから寝るのよ」
「良いから、出て来い。君が部屋に入った時、部屋のカーテンは開いていただろう?」
「ええ……」
「小さく狭い宿だから、中に隠れる事は出来ない。カーテンが開いていた限り、外から君の泊まる部屋を確認する事は可能だった」
「……」
「身を守って欲しいのだろう」
 カチャリと鍵の開く音がした。そして、キィと小さく音を立てて扉が開く。
 部屋の中から、メアリーがおずおずと出てくる。
「貴方……」
 何か言いかけたが、メアリーは口を噤んだ。そして、手をルエラに伸ばす。
「鍵を渡しなさい」
「鍵を渡してしまったら、何かあった時部屋に入れないが」
 メアリーは口を真一文字に結び、ルエラを見据えていた。
 ルエラは、ぽんとメアリーの頭に手を置く。
「会ったばかりで難しいかも知れないが、私を信用しろ。君自身が護衛に雇ったんだ。信用されなければ、君を守るのも難しくなる」
「……その口ぶりが、信用出来ないのよ」
 言って、メアリーはルエラの手をやんわりと払った。
「私と貴方は、会ったばかりだわ。私は何の説明もせずに、貴方達に護衛を頼んだ。なのに、その何でも知っているかのような口ぶりは何? 貴方は何者なの?」
「君の事情など、私は知らない」
 ルエラは腕を組み、壁にもたれかかる。
「だが、君がただ我侭で護衛ごっこをしている訳ではない事は分かった。私は、旅の付き添いなら良いと言っただろう。普通、帰る家のある者は突然旅に出るなど出来ない。けれど君は、了解した」
 ルエラは横目でメアリーを見る。
 メアリーはやはり、緊張した面持ちでルエラを見つめていた。ルエラは笑みを零す。
「まだ説明したくないならば、説明しなくても良い。けれど引き受けたからには、君を守りたいからな」
 メアリーは顔を背ける。
 そして、小さく呟いた。
「……馬鹿みたい」
 ルエラの前を通り過ぎ、ルエラの部屋の扉を開ける。
「貴方、本当にただのお人好しなのね。初対面の、訳も話さない高慢な女を、『守りたい』なんて。お人好しも良いところだわ」
「そうだろうか」
 ルエラは肩を竦めて笑う。
 メアリーはふんと鼻を鳴らすと、部屋へ入り扉を閉めた。


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2009.8.29

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