「ルメット准将は、姫様がおっしゃった通り『魔女に操られていた』と主張しております。姫様が魔女だと口走った事についても、操られていた事による戯言に過ぎない、と。……姫様、大丈夫ですか?」
 ブルザは、気遣うように問う。
 ルエラは執務室の席に座り、机の上で手を組みうつむいていた。その肩には、痛々しく包帯が巻かれている。
 ルメットが操られていた。
 操っていたのはやはり、ヴィルマらラウの者達なのだろうか? ラウとの内通者は、ルメットだったのだろうか? いつから? ララ達の逃亡に手を貸した時点では、既に操られていたのだろうか……。
 バタンと激しく開けられた扉の音が、ルエラの思考を遮った。
「ルエラっ!!」
 アリー、ディン、フレディ、アーノルドの四人が駆け込んで来る。アリーは真っ直ぐに奥まで駆け寄り、机に手をつき身を乗り出す。
「撃たれたって聞いて……起きてて大丈夫なの!?」
「ああ。急所は外した」
「……ルメット准将と二人で会ってたんだってな」
 ディンが言った。感情を押し殺したような、静かな声色だった。
「どうして俺達に何も言わずに、一人で行った?」
「……すまない」
 ルエラは目を伏せる。
 ブルザにも、真っ先に叱られた。しかし、話せようはずもなかった。ララ達の生存を知る中に、裏切り者がいる。もしルメットが白だと確信出来たなら、彼にも相談しようと思っていたのだから。一人ずつ、確かめるしかないのだ。
「ルエラさん!」
 再び扉が勢いよく開き、レーナが部屋へと駆け込んで来た。ノエルも一緒だ。
「良かった……! いったい、何がありましたの!? 侵入者を許すなんて、守衛は何をしていましたの!?」
「私を撃ったのは、客人として城内に招き入れていた、ソルド国の兵士だ」
「な……それってまさか、ルメット准将!?」
 叫ぶアリーに、ルエラはうなずく。
「彼は、魔女に操られていた。いったい、いつからだったのかは分からぬが……。今朝は、明らかに様子がおかしかった。しかし、私が呼び出しを受けたのは昨日の会談の時だ。会談中は、彼は何ら違和感なく動き、話していた。もしその時既に暗示にかかっていたのだとしたら……」
「……相手は、相当な手練れだと言う事になりますね。ヴィルマと一緒にいた、アンジェラ・トレンスの比ではない……」
 フレディが言葉の後を継ぐ。
 アンジェラの暗示にかかった者は、皆、虚ろな目をして、指示された事にのみ従う人形のような状態だった。会話させるだけの意志を残しつつ、目的を遂行させたのであれば、それはレーンやディンらが掛けられたよりも根深く高度な魔法だ。
 再び扉が開いた。入って来たのは、緑色のドレスに身を包んだ女性。マティアスの後妻、クレアだ。ルエラを一目見て、クレアはヘロヘロとその場に座り込む。
「クレア様!」
 ブルザが慌てて駆け寄る。彼の手を借りて椅子へと座りながら、クレアは言った。
「拳銃で撃たれたと伺って……。良かった……大事は無いようで……。いったい、何があったの?」
 事の仔細を、ブルザがクレアに説明する。
 レーナはルエラに顔を寄せ、ひそひそと尋ねた。
「どなたですの?」
「クレアさん――ノエルの母親だ。私の継母に当たる」
 レーナは、ハッとした表情でクレアを振り返る。
 それから、ルエラに向き直る。
「あなた、お母様の事はお名前で呼んでいますの?」
「それは――」
 ルエラは目を伏せ、言い淀む。アリーがクイクイとレーナの服の袖を引っ張った。
「ほら、言っただろ。ルエラと彼女は……」
「ノエルさんには家族なのだからと姫様呼びを正したのに、矛盾してません事?」
「なぜ、それを……」
 レーナはパンと合わせた手を頬の横にやり、小首を傾げる。
「そうですわ! この機会に、お母様と呼んでみましょう!」
 ルエラはポカンとレーナを見つめる。それから、ハッと我に返った。
「い、いやいや、待て。なぜ、そんな話になるんだ。だいたい、そんなの、今でなくても……」
「今じゃなくて、いつ呼びますの? ルエラさんの身を案じて駆けつけてくださった今なら、自然な流れで呼ぶ事ができるではありませんの」
「それは……そうかも知れないが……」
 ルエラは、ふいと目をそらす。
 ルエラの事を、決して呼ぼうとしないクレア。マティアスとクレアが再婚して八年。クレアはルエラに好意的な態度ではあるが、名前を呼んだ事は一度もない。
「私は魔女の娘だから……。彼女にその気がないのであれば、勝手に母親として見るのは、迷惑だろう……」
 パンとルエラの両頬をレーナの手が挟んだ。自分の方へと向き直らせたルエラを、レーナの紫紺の瞳が真正面から見据える。
「大丈夫です。私を信じてくださいまし。私はあなたの言葉で、母と向き合いました。今度は、あなたの番ですわ」
「レーナ……」
 ブルザと話していたクレアが、席を立った。
「では、私はそろそろ……。ご無事で、本当に良かった……」
 クレアは部屋を出て行こうとする。その背中に、ルエラは慌てて声を掛けた。
「あ……ありがとう……お母様……!」
 ピタリとクレアの歩みが止まる。細い肩が、小刻みに揺れる。
「え……あ……ご、ごめんなさい……その、勝手に……」
「……違います」
 か細く答えたその声は、涙声になっていた。
 クレアに付き従っていた兵士も、狼狽したようにクレアとルエラとを交互に見る。ノエルが慌てて駆け寄った。
「か、母さ……母上、皆様の前ですよ……!」
「私……嬉しくて……ず、ずっと、姫様に母親として認められていないのだと思っていたから……っ」
「そんな事はない! むしろ、クレアさんこそ、私の事を名前で呼ばないから……私はてっきり、嫌われているものだと……」
「だ、だって、何て呼んでいいか分からなくて……!」
 クレアは振り返り、慌てて言った。
「姫様って呼んだノエルは怒られちゃったし、でも、呼び捨てなんてとても……!」
 慌てふためきながら言うクレアに、ルエラはフッと微笑む。
「なんだ……それじゃあ、私達は、長い事お互いに勘違いしていたのだな……」
「そうみたいですね……」
 クレアも涙を拭い、微笑った。何の含みもない、無邪気な笑顔。
 笑ったり、怒ったり、慌てたり、泣いたり。常に真っ直ぐで、素直で、ころころと変わる表情。マティアスが彼女を後妻に選んだ理由が、今更ながら、ルエラは解った気がした。
「失礼します。姫様、よろしいでしょうか」
 開け放されたままの扉の前に、ブィックスが佇んでいた。
「お知らせしたい事があるのですが……」
 ブィックスは、アリー達城外の者を戸惑うように見る。
「構わん。彼らは、ヴィルマの捜索に協力してくれている者達なのだから。言え」
「はっ」
 ブィックスは敬礼すると、一息置いて、言い放った。
「――陛下が、今回の姫様への銃撃事件を受け、ソルド国へ最後通告をお出しになられました」
「な……っ」
 執務室内に、戦慄が走る。
 ルエラは愕然とその場に立ち尽くしていた。


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2016.3.12

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