ソルド国での教育並びに出版物から、リム国への憎悪や軽蔑を扇動するものを排除する事。ソルド国内でのプロパガンダ組織と、それを煽動する一切を排除する事。ソルド内の裁きにおける一端に、リム国で設置する機関を参加させる事。
 大まかにまとめれば、それが、リム国がソルド国へと通告した文書の内容だった。
「こんな要求、ソルドが飲めるはずがありません……! お父様は、ソルドへ戦争をけしかけるおつもりですか!?」
 ブィックスから報せを受けたルエラは、直ちに玉座の間へと赴いた。
 リム国の機関による、ソルド国内での断罪。それは、事実上の乗っ取りだ。ソルド側が素直に受け入れるはずがない。
「国の代表として送り込まれた使者が、一国の王女を暗殺しようとしたんだ。誠意を求めるのは、当然の事だろう」
 マティアスはゆったりとした口調で話す。
「未遂で終わったのが、不幸中の幸いだった。傷の具合はどうかね?」
「問題ありません。幸い、弾もかすった程度でしたので」
「そうか、それは良かった」
 マティアスは安堵したようにうなずく。
「しばらく、旅は控えなさい。少なくとも、お前の怪我が治り、お前についての悪意ある噂が落ち着くまでは」
「お父様は、ルメット准将が魔女に操られていたと言う事をお忘れではありませんか?」
「口では何とでも言える。彼がお前に銃を向けた事は事実だ。証拠がない限り、彼の話を鵜呑みには出来ん」
「では、私の証言ではいかがですか。私は、彼を見ました。私を襲った時の彼の様子は、レーン曹長らが暗示魔法に掛けられた時と、一致していました。必要であれば、根拠を書面にまとめて提出いたします」
「そう言う問題ではないのだ、ルエラよ」
 マティアスはゆっくりと首を左右に振る。
「これは、彼個人の殺意の有無の問題ではない。王女を魔女だと蔑まれて泣き寝入りをするようでは、王家の、国の威信に関わる。
 それに、例え魔女の暗示に掛かっていたと言う話が事実だったとすれば、准将などと言う立場で、それを防ぎきれなかったソルドにも否はあるだろう」
「……リムも防ぎきれなかったのに、それをおっしゃいますか。お父様、あなたは、いったい何を考えておられるのです」
 マティアスは、ゆっくりとその重い腰を上げる。顔を横に向け、壇上から窓の外を見つめる。今も、不穏な噂が流れる市井。負の感情が、城の内外でくすぶっている。
「お前を撃ち殺そうとしたソルドの兵は、お前を魔女だと糾弾していた。そして今、この国にはお前が魔女だと言う噂が広まっている。――どうにも、きな臭いと思わんかね?」
「お父様は……一連の騒動はソルドが仕掛けているものだと、そうお考えなのですか……?」
「可能性の一つだ。少なくとも、今のリムの情勢は、ソルドとしては都合が良かろう」
 マティアスは振り返り、ルエラを見下ろす。
「お前の検査も、急いで手はずを進めている。不穏な噂の芽は、早々に摘んでしまった方が良い」
「陛下! デシー少尉が参りました」
 戸口の所に立つ兵が、声を上げた。
「おお、ちょうど良い。通しなさい」
 広間に入って来たのは、ウェーブのかかったブロンドの髪を背中で束ねた若い女軍人だった。彼女はルエラの前まで進み出ると、膝をつき頭を垂れる。
「お前は、今朝の……」
 彼女は、今朝、中庭でルメットからルエラを護った女軍人に相違なかった。
「ありがとう。お前のおかげで、助かった」
「いえ。王族の方々をお守りするのは、我々私軍の務めですから」
「彼女――デシー少尉は魔法研究所の出身で、魔女を判別する手段を考案してくれてね」
 ルエラはハッとデシーを見る。それでは、彼女が。
「ここまでの事態になっては、一刻も早くお前の潔白を証明せねばならん。何、案ずる事はない。魔女でなければ傷付く事のない、公正な手段だ」
「姫様の無実を証明出来るよう、尽力させていただきます。どうぞ、このデシーめにお任せください」
 デシーは顔を上げ、凛とした声で言い放った。

 玉座の間を後にしたルエラは、ブルザのみを同伴させ、真っ直ぐに執務室へと向かった。ノエルとクレアはそれぞれの公務に戻り、部屋ではアリー、ディン、フレディ、アーノルド、レーナの五人が待っていた。
 ルエラはマティアスとの話を、一部始終話して聞かせた。
「……んじゃ、リム国王は最後通告を取り下げる気はねぇんだな」
 ディンはドスンと応接用の椅子に腰掛け、気だるげに言う。
「ああ……既に、通達は城を出てしまっている。一週間もせぬ内に、ソルドへと着くだろう」
「まあ、リムとソルドは一触即発だったから、いつかこう言う日も来るかも知れないとは思ってたけど……まさか、こんな形で訪れるとはな」
「ねぇ、最後通告って何なの? 皆の様子からして、結構ヤバイものなんだなって事は想像つくけど……」
 アリーがきょろきょろとルエラ達を見回しながら問う。
「名前の通りだよ。最後の通告」
 ディンが短く答える。困惑するアリーに、レーナが言った。
「最終的な要求を提示する外交文書ですわ。これを受け入れなければ、交渉終了……今回のような場合ですと、武力行使を開始する事を意味します」
「武力行使って……それって、つまり戦争……!?」
 アリーは、ルエラを振り返る。ルエラは机の上に肘をつき、組んだ手に額を乗せるようにしてうつむいていた。
「まあ、通告がソルドに届くまで、それからソルドが答えを返すまで、まだ時間はある。俺逹は、その間に出来る事をするまでだな」
「ルエラちゃんの魔女検査もそれまでに行われると言う事だね……」
 アーノルドの言葉に、ディンはうなずく。
「リム国王は、ルエラへの銃撃、それから魔女だと言う罵倒を元にソルドに要求を突きつけているが、それはルエラが魔女じゃないって事が大前提だ。何としても、検査を切り抜けなきゃなんねぇ。
 検査の方法については、何か掴めたか?」
 ディンは、戸口の横に立つブルザを見る。ブルザは首を振った。
「まだ、何も。デシー自身に、探りを入れてみるつもりです」
「ああ、そうしてくれ」
「特に傷付く心配もないって事は、少なくとも水に沈めたりとかそう言う理不尽なものではなさそうだよね」
 アリーが、腕を組み、首を捻りながら言う。フレディも後に続いた。
「物理的な手法でないとすると、やはり魔法でしょうか」
「でも、デシー少尉は女性の方なのでしょう? 例え魔女だとしても、私軍と言う立場で堂々と魔法が使えるはずがありませんわ」
「魔法を強制的に解くとか……? ほら、俺がルエラの正体知った時みたいに」
「検査を受けるのは、リン・ブロー大尉ではなくて、ルエラちゃんだろう。魔法も何もないよ」
「……私は……いっそこのまま魔女だと明かし、処刑を受け入れるべきなのではないだろうか」
 ルエラはうつむいたまま、ぽつりと言った。思い思いに考えを口にしていた仲間達は、ぴたりと押し黙る。
「お父様は、私が魔女ではないと信じきっている。いずれはこの身に受けるべき刑なら、今がその時なのではないだろうか。ルメットの発言が正当なものだったとなれば、お父様も考えを改めるかも知れない」
「な……何を言い出しますの。何も、あなたが命を投げ出さなくても……」
「私の存在が、争いを招こうとしているんだ!」
 ルエラはうつむいたまま叫ぶ。
 街に広がるヴィルマの噂。死に行く人々。王家が疑惑を否定しかばうが故に、生じる諍い。
 全てが同じだ、十年前のあの時と。
「まーた出たよ、ルエラの悪い癖!」
 ルエラは顔を上げる。
 アリーは、真剣な瞳でルエラを見据えていた。
「そうやって、いつも自分を犠牲にしようとして。僕らは、ルエラに生きていて欲しいんだ。ルエラがいてくれて良かったって、会えて良かったって、そう思ってる。じゃなきゃ、魔女をかばう手段なんて考えたりしない」
「アリー……」
「それに」
 アリーは付け加える。
「ルエラは、その手でヴィルマを捕まえるんでしょ? その目的を果たすまでは、死ぬ訳にいかないんだって、そう自分で言ってたじゃないか。まだ、ヴィルマを捕まえてないのに、途中で放り投げちゃうの?」
「姫様。皆、姫様が生き残るために知恵を出し合ってくださっているんです。姫様も、前向きに考えましょう」
 ずっと黙り込んでいたブルザが口を開いた。
 ルエラは視線を落とし、机の上に置いた拳を握り締める。
 ――そうだ。皆、ルエラのために何とかしようと考えてくれている。ルエラ自身が、こんな事でどうする。
「そうだな……」
 ルエラは再び、顔を上げる。その翡翠の瞳にもう迷いはなく、キッと前を見据えていた。
「すまない、事態がどんどん大きくなって、弱気になっていた。アリーの言う通りだ。ヴィルマを捕えるまで、私は処刑される訳にはいかない。何としても、生き延びてやる……!」

* * *

 暗闇の中、カチコチと時計の針が進む音だけが響き渡る。後宮の奥、塔の上に位置する寝室で、ルエラは寝返りを打った。
 今は、処刑を受ける訳にはいかない。アリー達にはそう宣言したものの、いずれその時が訪れる事は避けて通れない。アリー達はルエラが生きる事を望んでくれる。ルエラも、それに答えたいと思う。しかし、何事もなくこのままと言う訳にはいかないだろう。万一の時のために、準備はしておくべきなのかも知れない。
 カタ……と小さな物音がして、ルエラはパッと飛び起きた。
 庭園へと続く窓は閉まっている。窓からは月明りが差し込み、室内に明暗を作り出していた。
「やあ」
 耳元で声がして、ルエラは弾かれたように振り返る。ルエラの枕元に、腰かける人影があった。
「な……っ!?」
 ルエラはベッドを飛び降り、身構える。
「何者だ! どうやってこの部屋に入った?」
 窓の外も、扉の向こうも、護衛の者が立っている。部外者が侵入する事など、出来ないはずだ。
「え……」
 ルエラはぽかんと侵入者を見つめる。
 侵入者は子供だった。月明かりに照らし出されたのは、色素の薄い髪を肩より少し上で切りそろえた少年。見たところ、十一から十四歳程度。せいぜい、ノエルと同い年かどうかと言った具合だ。
 少年は、にっこりと微笑う。
「僕は、見えない者になれるからね」
「……誰かの客人か? 親とはぐれたのか?」
「子供扱い? 傷付くなあ……まあ、この姿じゃ、仕方ないか。これなら、分かるかな?」
 少年は立ち上がる。
 一瞬、少年の身体が膨らんだように見えた。少年が一歩歩く毎に、手足は伸び、輪郭は子供特融の柔らかな丸みを失っていく。
 そして、ルエラの目の前で立ち止まった彼は、もう少年とは呼べない姿をしていた。背丈はルエラよりも高く、筋張った手足は大人そのもの。髪の長さは子供姿の時と大して変わらぬが、その色は闇のように黒くなっている。
「魔法使いか……!?」
 その顔に、見覚えはない。私軍の兵士でない事は確かだった。となれば、考え得るのは、ラウの者。
 魔法で出した氷の槍は、ルエラの足元から伸びた触手に弾き飛ばされた。蔓と言うには太く、枝と言うにはあまりにも柔らかなそれは、ルエラの手足へと絡みつき、拘束する。
「くっ……」
「酷いなあ。恋人が会いに来たのに、武器なんて要らないだろう?」
 男はそっと、ルエラの頬に手を添える。何とか身を捩ろうとするが、きつく拘束され、首を動かして避ける事さえできない。
 男はルエラの耳元に口を寄せ、囁くように言った。
「この時をどんなに心待ちにしていた事か……。会いたかったよ、メリア」


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2016.3.19

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