「よし、大丈夫だ。掃除してる店員しかいない」
 宿の下の店にまだ客が入っていないのを確認し、ルエラ達は店へと入って行く。扉が開くと共にカランコロンと取り付けられたベルが鳴ったが、そう手厚い宿でもない。ちらりと横目で見ただけで掃除を続ける店員の背後を、ルエラ、ディン、フレディ、ルメットの四人はそそくさと奥の階段へと通り抜けて行った。
「皆さん! よくぞご無事で……!」
 二階まで上がらぬ内に、レーナが階段を駆け下りて来た。そして、ルメットの姿を見てきょとんとする。
「そちらのご老人は……? 上着はアーノルドさんの物のようですが……」
「部屋に入ってから話そう」
 階下の様子を伺いながら、ルエラが答える。一行は、ディン達の四人部屋へと入って行った。
 部屋に入り、ルメットは目深に被っていた帽子を脱ぐ。軍服は目立つという事で、ルエラらが街で適当に購入したツバ付きの帽子に変わっていた。
「レーナ。こちら、ディビッド・ルメット准将だ」
「ルメット准将って……え……!? それって確か、ルエラさんを襲った……!」
「彼は魔女に操られていたんだ。危険はない」
「どういう事ですの? アーノルドさんがラウの方だったのですわよね? それで、どうしてここに、ルメット准将が?」
「私が連れて来た」
 困惑するレーナに、ルエラは短く答える。
 ディンがガシガシと頭を掻き、ため息を吐いた。
「ちょっと互いの情報を整理した方が良さそうだな。まず、フレディとレーナ。なんでアーノルド・ナフティがラウ国の間者だって気付いた?」
「……彼は、ハブナでのラウによると思われる昔の事件に関与していましたの」
 答えたのは、レーナだった。フレディにしたのと同じ話を繰り返す。
 ハブナ国東部で起こった、魔女と魔法使いによる襲撃事件。領主の一人娘を残し、全ての人間が殺された事。事件と共に行方不明になった二人の少年。ナギとトニ。トニの姿は、襲撃犯達の中に確認されていた。
 トニを始め、襲撃犯達がナギを呼んでいた名は、アーノルド。
「アーノルドなんてどこにでもいらっしゃるお名前でしょう? ですから私、全く気にしていませんでしたの。ナギの名の方が事件の関係者として覚えていましたし、例えアーノルドの名をすぐに思い出していても、わざわざ犯罪者と同じお名前ですわねって持ちかけるのも失礼でしょうし。
 でも、フレディさんが、アーノルドさんのご友人にトニと言う方がいらっしゃるとおっしゃって……」
「なるほど。それで、フレディはあの場に来た訳か」
「はい。彼がラウと繋がっているのであれば、一人になった今、何か動きを見せると思いましたから。危険ですから、レーナ様にはお部屋で待機していただきました」
 ディンはうなずく。それから、ルエラへと目を向けた。
「で、ルエラは? まさか城の様子を見に行くってのがそもそも嘘で、准将の脱獄が本当の目的だったのか? それならそうと、言ってくれれば俺達だって協力出来たのに。いくら自分の城だと言っても一人で大罪人を解放しに行くなんて、無茶にも程があるぜ」
「すまない。城に忍び込んだ時点では、誰が裏切り者なのか分からなかったものだから」
「それでは、ルエラさんは私達の中にラウと密通している者がいる事に、気付いていましたの?」
 ルエラはうなずく。そして、ソファの横に立つフレディを見やる。
「ああ。……ジェラルド・プロビタスが、ララの生存を知っていたんだ」
「兄さんが……?」
「公には、ララは処刑前に囚われていた獄中で、落雷にあって亡くなった事になっている。だから、ララの生存を知る者の中に裏切り者がいるのだと知った。
 ソルド軍の方々は、よく知らない。だから、どこまでの人物がこの件を把握しているのか確認しようと、ルメット准将を訪ねた」
「だが、そもそも、わしらはそのララとか言う魔女達の事など知りませぬ。ナフティ氏から連絡が来た事など、一度もなかった」
 ルメットが、顎髭をさすりながらルエラの言葉の後を継いだ。
 ルエラは、ソファに踏ん反り返るディンをキッと睨む。
「だいたい、お前もお前だ。ややこしい事をしおって。意味深な発言ばかりするものだから、お前がラウの者なのかと疑ったぞ」
「え、あれ? 俺としては、アーノルド・ナフティへの鎌かけついでに、他に気付いてる奴がいれば俺も気付いてるぜって合図のつもりだったんだけどな」
 ディンは、ポリポリと人差し指で頬を掻く。それから、ルメットを振り返った。
「それで、魔女に操られていたってのは、本当なんだな? どんな相手だったか、覚えているか?」
 ディンの問いかけに、ルメットは静かに首を振った。
「記憶にない。ただ、ジュリア・ステイシーとイオ・グリアツェフが逃亡した頃から記憶が曖昧だから、彼女らを逃した者と同一なのではないかと思うが……」
「結局、また振り出しですね……」
「まあ、仲間内に潜んでたスパイを排除出来ただけでも、違うだろ。奴が仲間に報告するせいで、こっちの動きが筒抜けだったからな。
 ――ま、アーノルド・ナフティと入れ替わりで、今度はルメット准将が実はラウとの間者って可能性もゼロではないけど」
「ディン!」
 ルエラは机に手をつき、身を乗り出す。ディンは薄く笑い、ルメットを横目で見た。
「違うって証拠はないだろ? 実際、准将はルエラを銃撃した。それが魔女に操られていたせいだなんて、証明する術はない。下手すりゃ、まだ暗示に掛かってる可能性だって否定出来ない。ルエラを銃撃する前だって、自分の意志はあったんだろ?」
「それは……っ」
「そうさな。確かに、ディン王子の言う通りです。わし自身も、果たしてもう魔法の効力は切れたのか、もう操られる事はないのか、判断出来かねる」
 ルメットは、静かな声で述べる。
「ファーガスなら、あるいは呪を取り払う事も可能かも知れんが……」
「軍医のファーガス中佐か。彼は今、どこに?」
「もちろん、ソルド国です。彼に接触しようにも、王女暗殺未遂犯となってしまった今では、ソルドも戦争の要因を作ったわしを歓迎はしないでしょう。わしの部下の周りも、当然、接触がないか見張られているでしょうな」
 ルエラは肩を落とす。
「そうか……」
「まあ、ルエラ王女が魔女であると公になれば、わしの行為は正当防衛として認められ、魔女に立ち向かった英雄として迎え入れてくれるかも知れませんが」
 部屋の空気が凍りつく。ディンが、勢いよく立ち上がった。
「――てめぇ!!」
 ディンは、ルメットを睨み据える。
「ルエラに、死ねって言うのか……!?」
「ルメット准将。――冗談が過ぎます」
 レーナが静かに告げる。その声はどこまでも冷たく、怒りを押し殺したような厳しさをはらんでいた。
「冗談? わしは、事実を述べたに過ぎませんよ。いっそ、ここでリン・ブローの姿をしているルエラ王女を捕らえれば、動かぬ証拠となりわしの立場も一変するかも知れんの」
 ディンは、剣に手を掛ける。
 フレディが慌てて間に割って入った。
「落ち着いてください、ディン様。准将、まさか本気でおっしゃっている訳ではありませんよね? ルエラ様を魔女として差し出すなんて……」
「まあ、そこまでは考えとらんよ。捕らえて差し出そうにも、今のわしはただの脱獄犯。見つかった途端に銃殺刑だろうて」
 部屋の中は、しんと静まり返る。ディンはドサッとソファに腰を下ろしたが、その表情は不機嫌なものだった。
「それで、准将はこれからどうしますか? もし、行く当てが無いのであれば……」
 フレディの言葉を、ルメットは片手を挙げて制した。
「ルエラ王女や君達と行動を共にする気は無い」
 ルメットは、きっぱりと言い放った。
「わしとあなた方が手を組んでいたのは、あくまでも利害の一致があったから。ずっと行動を共にする程わしは魔女を信用する事は出来んし、リスクも高過ぎる。あなた方も、もしわしがまだ魔女の暗示に掛かっていたなら、やはり危険だろうし、脱獄犯と一緒では行動も制限されよう。互いに害しかなくなった今となっては、共にいる理由など無い」
「ルメット准将……」
「君も軍人なら甘さは捨てたまえ、プロビタス少佐。度を過ぎた優しさは、仇となるぞ」
 ルメットは窓際へと歩み寄ると、カーテンの隙間から外の様子をうかがい見る。
「とは言え、今はわしの脱獄も知れ、街ではリム軍が目を光らせている事だろう。ほとぼりが冷めるまでは、厄介になるつもりだ。協力してくれるかの?」
 うつむきうなだれていたフレディは、パッと顔を上げた。
「はい! それは、もちろん……!」
「では、私は部屋へ戻らせてもらおう。着替えて、街の様子を見て来る」
「ご一緒しますわ」
 ルエラとレーナは、連れ立って部屋を出る。レーナと別れ、部屋の鍵を取り出していると、背後から声が掛かった。
「ルエラ」
 ルエラは、隣の部屋の方を振り返る。ディンが、廊下へと出て来ていた。
「……准将が言った事、あまり真に受けるなよ」
「ああ。私も、自ら殺されに行く気はないよ」
 ルエラは微笑む。

 ――ルエラ・リム王女処刑決定の報が国中に知れ渡ったのは、その翌日の事だった。


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2016.8.28

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