ダンっと強い音が鳴り、剥がれかけの塗装がポロポロと落ちた。壁に叩きつけられた拳は、一枚の新聞を握りしめていた。
『ルエラ・リム王女、魔女と断定。公開処刑決定』
 見出しに躍る文字。
 ルメットの救助やアーノルドとの戦いがあった翌日も、ルエラ達は城へと赴いた。ルメットの脱獄もあってか、街は物々しく、城へ近付くほど軍人の姿が多く見られた。
 城門を訪れ告げられたのは、処刑の決定。ルエラ達四人は新聞を購入し、近くの路地に立ってその記事を確認した。
「馬鹿な……! アリーは男だぞ? 魔法使いでもない! 魔女だと言う結果が出るはずがない……!」
「検査自体が行われていないのかも知れませんわ……。あるいは、検査などデタラメで、最初から魔女だと断定する気だったのかも」
「アリーを助けましょう! 今ならまだ、間に合います」
「どうやって?」
 静かな口調でそう問うたのは、ディンだった。
「ルメット准将の脱獄で、城の警備はより厳重になっている事だろう。同じ手は使えない。准将だけでも無茶だったんだ。魔女と断定された王女をルエラだけで救出に行くなんて、絶対にさせられない」
「もちろん、僕も行きます。道が狭いとおっしゃっていたのは、一人で准将と会うための詭弁でしょう? 准将と二人で城から脱したのですから」
「駄目だ。お前が捕まったら、それこそ准将の二の舞だ。リムとレポスの間でも戦争が起きるぞ」
「それは……」
 フレディはうつむく。拳を硬く握ると、顔を上げ、意を決した表情でディンを見据えた。
「――でしたら、この場で僕を解雇してください。ディン・レポス殿下」
 ルエラは、目を見開きフレディを見上げる。
「フレディ、お前……」
「僕が軍に入ったのは、村の人達に恩返しをするためです。村が滅ぼされた今では、何の意味もありません。ルメット准将もおっしゃっていたじゃないですか。互いの害にしかならないなら、切ってしまった方が良いと。
 僕を、レポスから切り捨ててください」
 ルエラとレーナは、ディンをうかがい見る。
 彼は、ふーっと長い溜息を吐いた。
「やっぱり甘いな、お前は。お前が軍を辞めたいって言うなら、辞めればいい。俺がとやかく言う事じゃない。
 ただし、お前も俺に言う事じゃない。お前は俺の私軍じゃない。そういう話は、北部の総司令部に持って行け。書類を提出して、数日もあれば片付くだろ」
「それでは、遅過ぎます!」
「じゃあ、あきらめるんだな。だいたい、いきなりルエラの立場を乗っ取って俺達を城から放り出した奴に、そこまでする必要があるか?」
 フレディは、愕然とした瞳でディンを見つめていた。
「ディン様、本気で……?」
「ディン。お前、まだ何か隠しているな?」
 ルエラの言葉に、一瞬、その場の空気が固まった。
 ディンは軽く肩をすくめる。
「隠すって何を――」
「お前はまるで、私達がアリーを見放すように誘導しているようだ。お前は、まさか……最初から知っていたのか? 私に処刑が言い渡される事を。アリーは最初から、このつもりだったのか?」
 フレディとレーナはハッと息をのみ、ディンを見る。
 ディンは、再度溜息を吐いた。
「ルエラの処刑は既に決められていた。アリーと散歩に出た時に、カッセル子爵が誰かと話しているのを聞いたんだ。検査なんて、嘘っぱちだった。ただルエラを城に留めて、魔女として断罪するための口実に過ぎなかった」
「なぜ、そこで私に知らせなかった! 何も、アリーが身代わりにならなくとも、子爵の企みを暴いて疑いさえ晴らせば――」
「そうなれば、ルメット准将が処罰を受ける事になる」
 ディンは、至極真面目な表情でルエラを見つめ返した。
「まさか、こっそり逃がすだなんて思いもしなかったからな。准将を失う訳にはいかない。ソルドとの大切なパイプだ。
 それに、国民はほとんどが、ルエラを魔女だって信じ込んでいる。例え一時逃れても、先は長くない。リム国王も、この状況下でルエラを城外へ出そうとはしないだろう。だが、城にいる方が危険な状態だ。
 ルエラも准将も、失う訳にいかない。その点、アリーには何もない。あいつが欠けたところで、戦力的にも国政的にも何ら困る事はない」
 ルエラは、ディンの胸倉を掴む。
「貴様! 本気で――」
「――そう、あいつが言ってたんだ」
 ルエラはディンの胸倉を掴んだまま、停止する。路地裏は、しんと静まり返っていた。
 ディンは目を伏せる。呟かれた声は、柄にもなく微かに震えていた。
「俺だって……覆せる状況なら、諦めたりはしねーよ……」

 宿へと戻ると、ティアナンが一階の店内で待っていた。ルエラ達の帰宅に気付き、ティアナンは立ち上がり一礼する。
 彼が、何故ルエラ達を訪れたのかは尋ねるまでもなかった。ルエラ王女の処刑。そして、今、ルエラとして城にいるのはアリーだと、彼は知っているのだから。
「――リン。先に行って、部屋を片付けて来てくれるか」
 ルエラはうなずき、ディンから部屋の鍵を受け取る。
 ディン達の部屋は、二階に上がって一番手前の四人部屋。ルエラとレーナはその隣二つの一人部屋をそれぞれ取っていた。小さな宿で、大きな部屋はディン達の取っている一つしかない。ハブナでの一件以来、男性陣が四人部屋ばかりだったのは、ディンがアーノルドを疑っていたためなのだろう。
 ディンから預かった鍵で、一番手前の部屋を開ける。ソファに腕を組んで座り、物思いにふけっていたルメットは、扉の開く物音に振り返った。
「おや、これはお早いお帰りですな。他の方々は?」
「すまない、准将。私の部屋に移ってもらえるか。客人を通さねばならないんだ」
「お客人? 私を隠すと言う事は、協力者ではないという事ですかな?」
 立ち上がり、ルエラに従いながら、ルメットは問う。
「協力は仰いでいる相手だが、あまり深く巻き込む事はできない。彼は、国軍の者なんだ。私がルエラだという事も知らない」
「なるほど」
 ルメットを自分の部屋へと移動させ、ルエラは階下へと他の者達を呼びに行った。四人部屋へと入るなり、椅子へも腰掛けずティアナンはルエラ達を見回し、口を開いた。
「――本物のルエラ王女はどちらですか」
「まあまあ、中佐。とにかく座って……」
「長居をするつもりはありません。姫様の処刑が決まった事、あなた方もご存知でしょう? 姫様に会わせてください。一軍人が何を言ったところで、上から握りつぶされるのが落ちです。城にいるのが姫様ではなく、魔女の可能性など欠片もない全く別の少年だと分かれば――」
「ルエラ王女を出す訳にはいかない」
 ディンは、きっぱりと言い放った。
「この国は、お前達のお姫様を殺す気だ。そんな中に放り込む訳にはいかない」
「姫様は、無実の者を盾にして逃げ隠れるおつもりだと言う事ですか」
 ティアナンの言葉に、ルエラは拳を固く握る。
 彼の言う通りだ。このままでは、アリーがルエラの身代わりとして処刑されてしまう。――かつての、オーフェリー・ラランドのように。
「妙だとは思っていました……アリーが、姫様のお立場を乗っ取るような真似をするだなんて。市民はともかく、私軍や陛下が気付かないはずがありません。最初から、仕組まれていたのですね」
 ティアナンの声は静かで淡々としていたが、その根底には冷たい怒りをはらんでいた。
 ディンは溜息を吐き、どっかりとソファに座る。
「アリーが自分から申し出たんだ」
「では、やはり……! 私に協力を仰いだあの言葉は、偽りだったと言う事ですか。ブロー大尉、あなたもこのままアリーを見放すつもりですか。ペブルでの事件と同じ事を繰り返そうとしているあの子を」
 ティアナンは、戸口に立つルエラを振り返る。ルエラは、何も言葉を返す事が出来ず、ただその場に棒立ちになっていた。
「嘘を吐いていたのは俺だけだ。俺とアリーで、今回の一件を企てた。リン達は何も知らない。ついさっき、ばれたばっかだ」
 ティアナンは、キッとディンを睨む。
 ディンはソファに座ったまま、眼鏡の奥の灰色の瞳を見つめ返した。
「これは、一人の男が大切な人を守るために選んだ道だ。本物の王女が処刑される事も、あんたがあいつを助けようとして全てを失う事も、あいつは望んじゃいない。ルエラ王女を差し出す事は出来ない」
「……それが、答えですか」
 ティアナンはルエラを横目で見ながら、冷たく吐き捨てた。そして、ふいとディンに背を向ける。
「――失礼します。あなた方とは協力関係を築けないと言う事は、よく分かりました」
 バタンと強く扉が閉められる。
 フレディは困惑したように、ティアナンが出て行った扉と、戸口に立ち尽くすルエラと、ソファに座り込む己の主とを見比べていた。
「……よろしかったのでしょうか……彼を敵に回すような事をしてしまって……。話せば解ってくれそうな方だったのに……」
「話す訳にいかねーだろ。姫様はここにいます。本当に魔女なんです、なんてさ。アリーを身代わりにしようとしているのは、事実だしな。その時点で、彼は納得しねぇよ」
 ルエラはふいと背を向け、扉に手を掛ける。
「おい! ルエラ――」
「案ずるな。ルメット准将に、状況を説明して来るだけだ」
 ルエラは静かに述べて、部屋を出る。
 扉を閉め、くるりと九十度向きを変えると、足を忍ばせ階段を駆け下りて行った。


Back Next TOP

2016.9.3

inserted by FC2 system