「なっ……」
 地面は遥か下、色とりどりの屋根が赤土色の点の密集と化して見える。
 一瞬の浮遊感。そして、ディンの身体は落下を始める。
 みるみると近付く地面。こんな高さから落ちれば、ひとたまりもない。
「くそっ……」
 足を失っては、動けなくなってしまう。右腕も駄目だ。剣を持てなくなる。
 ディンは、左腕を下へと伸ばす。片腕を犠牲にしてでも、せめて幾分かクッションになれば。
 急降下する身体が、不意に見えない何かに触れた。宙に現れた見えない地面は落下の勢いを受け入れるように共に沈み、そのスピードを殺してわずかに跳ね返った。
 再度着地し、ゆっくりと地面へと降ろされる。
 そこには、杖を地面についたフレディが、ディンの着地を待っていた。
「フレディ、お前、なんでここに……!」
「――来ます!」
 フレディの言葉に、彼の睨む先を振り返る。轟々と燃える炎が膨らんだかと思うと、吹き飛ばされるように炎が四散した。
 フレディが杖をつき、正面に青い光の障壁を作り出す。轟音の中、幽かに高い耳鳴りがした。
「後ろだ!」
 叫ぶと同時に、ディンは剣を振るっていた。ディン達を切り裂こうとした鋭い風の刃は、剣に弾かれる。
 アーノルドは短く口笛を吹いた。
「やるねぇ」
「あんたの魔法は、人を殺すのに向いてない。それでも命を狙うなら、さっきみたいに空高く巻き上げるか、ピンポイントで急所を狙うしかないからな。狙う場所が分かっていれば、守るのなんて簡単だ」
「なるほど。じゃあ、こういうのはどうかな」
 ピリッと空気が震えた。フレディが、ハッと頭上を振り仰ぐ。
「ディン様、危ない!」
 ディンを突き飛ばし、地面へと転がる。
 ドォンと爆音が轟き、二人が立っていた場所には大きな穴が空いていた。
「な……っ。風以外にも、魔法を……!?」
「いえ、違います。――新手だ」
 フレディの視線の先を追えば、屋根の上に人影があった。青い光が瞬き、人影はアーノルドの隣へと姿を現した。
「アーノルド様を苦戦させるなんてどんな人かと思ったら、この前のナイト君じゃない。久しぶりぃーっ」
 黒髪の女は無邪気に笑って手を振る。
 ジュリア・ステイシー。ソルドへ向かう荒野でイオ・グリアツェフもろとも捕らえたものの、逃げおおせた魔女。
 ディンは苦虫を噛み潰したような顔で、アーノルドを見る。
「魔女が逃げたって話は、本当だった訳だ。そりゃ、そうだよな。あんたのお仲間だったんだから。あれは、俺達を信用させるための茶番だった」
「ああ。彼女は、私の自慢の部下だよ。レポスでルエラ王女の噂を聞いて、ジュリアに調べさせていたんだ。まあ、当の噂の本人は偽物だった訳だけど。でも、本物を見つける事ができたんだから結果オーライかな。さて、ジュリア。掃除と行こうか」
「はーい、アーノルド様!」
 ピリッと頭上に光が走る。咄嗟に飛びのいたディンの足元を、落雷が抉った。
「く……っ」
 フレディが杖をかざす。炎の渦が、アーノルドとジュリアを取り巻く。
 ブワッと渦の中心から突風が吹いた。炎は火の粉となり、四方八方へと飛散する。
 フレディの顔に、焦りと恐怖の色が浮かぶ。――アーノルドはもう、風で火を消してはくれないだろう。
「フレディは消火に回れ! あいつらは俺が……!」
「それには及ばん」
 声と共に、四散した炎へと水が降り注いだ。火の粉は一瞬にして消え去る。
「おやおや。のんびりし過ぎたみたいだね。全員集合か」
 アーノルドは肩をすくめ、正面を見据える。ディンとフレディは彼らの向かい側の屋根の上を振り仰いだ。
 そこに立つのは、城へ忍び込むための黒装束に身を包んだ、銀髪の小柄な姿。
「――ルエラ!」
「ルエラ様!」
 息つく暇も無く、宙に現れた巨大なつららがアーノルドとジュリアを襲う。二人は飛び退き、追い立てられ、地上へと降り立った。
「チェックメイトだな」
 地上へと降りたアーノルドの後頭部に、拳銃が突きつけられる。アーノルドは、横目で背後をうかがい見る。そこに立つのは、顎髭を蓄えた初老の軍人。
「――アーノルド様!」
 身動きしようとしたジュリアを、彼は視線で牽制した。
「このわしを牢獄に投じようとは、謀られたものよ」
「おやおや、まさかあなたがこんな所にいるとはね――ルメット准将。いや、それともリム国との戦争の引き金を引いてしまったあなたは、もう准将ではなくただの戦犯かな?」
「老いぼれを挑発しようなど、五十年早いわ、小童めが」
「うーん、お年を召しているとは言え、現役軍人のあなたと五十も離れてないと思うけどなあ」
 ディンに剣を突きつけられた時と同じだった。焦りも動揺も見せず、飄々とした態度。
 出現させた氷の柱を足場に、ルエラも路地へと降り立つ。
「ルエラ……まさか、お前、准将を助けに……?」
「ジェラルド・プロビタスが、ララ達の生存を知っていた。誰が情報を横流ししているのか、突き止める必要があった」
 ルエラは、ディンからアーノルドへと視線を移す。
「……あなただったのだな、アーノルド・ナフティ」
 アーノルドは、ただニコニコと笑うだけ。無言は、肯定だった。
「どうして……! あなたは、彼女達を助けてくれたのだと思っていた。ララ達は、ソルドではなくラウに行ったと言う事か……!?」
 ディンとフレディは、ハッとアーノルドを見る。
 アーノルドは、軽く肩をすくめた。
「あの子達は魔女なんだ。他に受け入れてくれる場所があると、本気で思っていたのかい?」
 全く悪びれる様子もなく、当然のような言いようだった。ルエラは、氷の槍を作り出し、その柄を握りしめる。
「彼女達を人殺しに加担させる気か……!」
「それは、あの子達自身が選ぶ事だ」
「ハッ。ルエラやフレディを無理矢理連れて行こうとしている奴らが、よく言うぜ。どうせ、選択の余地なんて与えないくせに」
「与えるさ。あの子達は、まだ子供だ。国が目をつけた訳でもない。……もしあの子達がラウを拒む事を選ぶなら、その時は守るつもりだよ。トニとは、その事で揉めていたんだ」
 アーノルドは、ルエラに目をやる。
 ハブナで出会った、アーノルドの友人。ララ達を引率していた黒髪の男。もちろん、彼もラウ国の者なのだろう。
「彼が私を問い詰めた時、あなたは止めてくれた」
「ああ。あの時はちょっと焦ったかな。トニってば、君がどこまで聞いたかも分からないのに、自分から重要なところを漏らしそうになるんだから。彼は気の短いところがあってね。
 さて、と……こうも全員にばれたんじゃ、もうここにいる意味は無いかな」
「逃げられるとでも?」
 ルメットは、グッと引金に掛けた指に力を込める。アーノルドの口元が、三日月型に歪む。
 銃声と爆音が、細い路地に轟いた。
 落雷による爆風の中、はためくアーノルドのコートの裾が、氷の槍によって壁に縫い止められる。青い光が路地に満ちた。
「逃げられたか……!」
 爆風が晴れ、アーノルドのいた方へと駆け寄ったディンが舌打ちする。壁には、コートだけが縫い止められていた。
「ルメット准将! 無事か!?」
「ええ。これくらいで、くたばりやしませんよ」
 ジュリアの落雷は、ルメットの立っていた場所を深く抉っていた。丸く凹んだ地面の縁で身を起こし、ルメットは帽子を直す。それは、気絶させた看守から剥ぎ取った軍服だった。
「何だ、今の音は!?」
「そっちの路地だ!」
 大通りの方から、声がする。
「憲兵隊のようですね」
「准将がここにいるのが見つかるとまずい。私達もずらかるぞ」
 ルエラ、ディン、フレディ、ルメットの四人は、近付く喧騒から逃げるようにして路地を後にした。


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2016.8.20

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