翌日、フリップはクリーム色のマフラーを握りしめ、扉の隙間から店の様子を伺っていた。お昼時は過ぎたものの、店内には今日も数人のグループが残っている。今日はフリップの母親が店の奥から出て来て、客たちと談笑していた。父親は今日も、町の会議とやらに出掛けている。
 フリップはぎゅっとマフラーを握りしめる。大丈夫だ。いつもと同じように何食わぬ顔で出て行けば、深く聞かれる事はあるまい。
 意を決し、扉を押し開く。父親のお古の帽子を被りナップザックを背負った息子に、彼女は目を留めた。
「あら、出掛けるの?」
「うん、まあ。友達に借りたものを返して来ようと思って」
「夕方までには帰って来てね。今日もお父さん、遅くなりそうだから」
「うん、分かった」
「それから、森には絶対に近付いちゃ駄目よ」
 今日の目的地が話題に上り、フリップはぎくりとする。
「なんで……」
「あの森は危険なの。いい? 絶対よ」
「うん、分かってるよ。じゃあ、行って来ます!」
 逃げ出すように、フリップは外へと飛び出して行った。
 今日も行き先は、町の北側に広がる魔女の森。いつもの広場でピーターとジェムと落ち合い、三人で森へと向かう。
 昨日の出口は草木で固く閉ざされていたが、入って行った箇所は変わらず低い茂みのままだった。木の枝に結ばれたピーターの紙もそのままだ。
「本当に、女の子なんていたのかい? 見間違いじゃないだろうね?」
「いたよ! 会話だって交わしたし、何よりこのマフラーが証拠だよ。夢だった訳でもない」
「でも、奥にあったあの場所なら、怖い人じゃなさそうだよね。昨日のあの帰り道みたいに、あそこまで簡単に行ける別の道があるのかも」
「うーん……一概に良い人だって信頼し切る事もできないと思うなあ……」
 ピーターは眉根を寄せて話す。
「この森って、魔女が棲んでいるって噂があるだろう? こんな森の奥にいる女の子なんて……」
「ま、魔女って事!?」
 ジェムが身を震わせる。フリップは首をかしげた。
「別に、そんな感じしなかったけどなあ。って言うか、魔女かもなんて疑ってるのに、よくついて来たな。止めもしなかったし」
「まあ、何だかんだで僕も気になるからね。こんな森の奥にいるなんて、どんな女の子なのか。フリップの話を聞いても、どうにも魔女とはイメージがかけ離れているし。それに昨日の場所も、この森にあんな場所があるなんて思いもよらなかった。もっと調べてみたいじゃないか」
 話している内に、三人は紙が結ばれた最後の木まで来た。ピーターが立ち止まり、辺りを見回す。
「どうやら、昨日印を付けたのはここまでみたいだね。ほら、そこの木と茂みの並び、フリップが何か見たって言って僕が覗き込んだ場所だ。手前に窪みがあったから覚えてる」
 立ち並ぶ二本の木とその間の茂みを指し示す。
 ここからフリップは、真っ直ぐに走って行った。昨日辿り着いた湖は、相当に広い場所だった。よほど見当違いの方向へ進まない限り、あの空間のどこかには辿り着くだろう。ジェムが家から持って来た梱包用の白い紐を、一定の間隔で木に結びつけながら三人は進んで行く。
 やがて三人は、あの明るい湖畔へと辿り着いた。昨日の場所からはややずれた、低い土地だった。右を仰ぎ見れば、すぐ近くに昨日の崖があった。
 ジェムがふーっと長く息を吐く。
「良かった……ちゃんと辿り着ける場所で」
「ん? どういう意味?」
 フリップはきょとんと、ジェムを見下ろす。
「だって、昨日の帰り道はふさがっちゃっただろ。もしかしたら、ここも一時的に作られていた場所だったか、魔女に幻惑でも見せられていたんじゃないかって思っていたから」
 ピーターが、納得したようにうなずいた。
「なるほどね。ここまでの道のりは暗い森に意外と明るい場所があったってだけだけど、昨日のあの道はどう考えても魔法が関わってるもんなあ」
 ふと、フリップは崖の方を振り返った。幽かに、人の声が聞こえた気がしたのだ。
「どうしたの? フリップ」
「何か聞こえない? ……歌?」
 それは、歌声のようだった。

 川を下ろう 小舟に乗って
 力を持つ者も持たざる者も 手を取り合って
 広い川は 激しくうねり
 古い森は 彼らを惑わした……

 フリップ達は顔を見合わせると、そろそろと声のする方へとにじり寄って行った。さすがのフリップも、声の主の前に駆けて行こうとは思えなかった。
 崖といえども、湖に接する面が急になっているのみ。三人がいる場所から崖へは、容易に上る事ができた。ほふく前進で緩やかな坂を上り、その頂点から反対側を見下ろす。
 崖の向こうは、昨日フリップ達が焚火をした辺りだ。湖の淵に腰掛け、素足を水にパシャパシャと遊ばせながら、歌う少女がそこにいた。
 フリップは「あっ」と声を上げた。
「あの子だよ! 昨日の女の子!」
 フリップの声に、少女はパッと立ち上がる。きょろきょろと辺りを見回し、そしてフリップ達に気付くとふいと背を向け駆け出した。
「待って! うわっ」
 急いで立ち上がろうとしたフリップは、地面についた手を滑らせた。そのまま、手、そして頭から崖下に落ちて行く。
 ドボーンと昨日の三分の一の水音が、森の中に響き渡った。


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2014.6.29

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