アリーが洞窟で保護されてから医務室で目を覚ますまで、丸一日経っていたらしい。アリーを医務室に残し、ルエラ達はルメットらに話を聞いたり、図書館へ文献を漁りに行ったりしていた。
 ルエラらが出払った後、アリーはトイレを探し廊下を歩いていた。ルメットらが部屋を出て行く前に聞いておけば良かったなどと思いながら、人気の無い廊下を進む。アーノルドは、アイリン市軍だと言っていた。市と言う事は、国内でも大きな街なのだろう。この広さからすると、南部の主要都市なのかもしれない。
 幽かに人の声が聞こえて、アリーはある一つの部屋の扉の前で立ち止まった。場所を聞いた方が早そうだ。ノックをしようと挙げた手は、中から聞こえてきた言葉に固まった。
「魔女を匿うなんて何を考えていらっしゃるんですか、ルメット准将」
 ファーガスとは異なる声だった。別の部下のようだ。
「万一上にばれたら……いえ、市民だろうとも公になれば大問題ですよ。あの魔女にしたって、何を考えているか分かったものじゃない。確かに魔女の逮捕はしてくれましたけど、囮だと言う可能性も……」
「そう心配するな、ローグ。相手は所詮子供だ」
「子供といえども、魔女ですよ! 十六です。人間ならば、立派に悪知恵を働かせる事も出来る年齢です。レポス王子や魔法使いまで、騙されて……」
「そう、そこだ。彼女自身を含め、あの子供たちは普通の子供ではない。ここで恩を売っておくのも、悪くはないだろう」
「その中の一人が魔女だとしてもですか?」
 ルメットはフォッフォッと短く笑う。
「むしろ、こちらはリムの弱点を握ったのだと考えたまえ。リムとの情勢は、あまり良いとは言えないのが現状だ。サントリナの滅亡は、ソルドに大打撃をもたらした。だが、そこにある資源は変わっていないのだ。市場として見れば、リムの一部となった事でサントリナ時代よりも大きくなったとも言える。現在はリム国となったあの地との国交を復興させれば、かつてよりも大きな利益を得る事ができるだろうて。
 あの子達は、ヴィルマを追跡していると言っていたな。国外逃亡を図った魔女に続き、歴史的な虐殺者をも捕らえたとなれば、こちらに有利な条件を提示する事もできるだろう」
「しかし……」
「もし不利益になるような事があれば、直ちに切り捨てれば良い。相手は魔女だ。まやかしに騙されたとでも何とでも言えば、誰も我々を魔女の共犯とは思わなかろう」
 アリーは、そっと扉の前を離れて行った。
 どいつもこいつも、考える事は我が身ばかり。十年前のリム国と同じだ。魔女と遭遇したアリーの証言は、無かった事にされていた。その特徴は、時の王妃ヴィルマと一致していたからだ。
 軍は、王族に逆らおうとはしなかった。ヴィルマの噂を知りながらも、彼女にかしずき続けた。王族への忠誠を表そうと、噂をするだけの市民を次々と処罰していった。ヴィルマに直接殺された者と、謀反人として罰された者と、どちらが多いか分かったものではない。
 ここも同じだ。魔女だと知っていながら、かばう。権力にかしずくために。己の私服を肥やすために。忠義や仲間意識がある訳ではないから、自分に不利益があるとなれば直ぐに切り捨てる。
「軍なんてどこも一緒だ……腐ってやがる」
 忌々しげにアリーは吐き捨てる。
 そしてふと、アリーは立ち止まった。ルメットの会話で、気になる部分があったのだ。
『リムの弱点を握った』
 そう、ルメットは言っていた。ルエラが私軍に所属しているからだろうか。アリーには政治も貿易もよく分からないが、たった一人の尉官が断絶された国交云々まで関われるようなものなのだろうか。そもそも、魔女だと言う事はルエラ個人の弱点であり、リムの弱点と言うほどのものではないのではないか。まさか、国がルエラの秘密を知っていて隠蔽している訳ではあるまい。
 アリーの目がゆっくりと見開かれていく。
 国が隠蔽している訳ではない。どうしてそう言える? ルエラは、私軍に所属しているのだ。下町の宿屋で働いていたアリーとは、訳が違う。いくら魔法が使えるといえども、国を相手に一人で身元や経歴を詐称するのは無理がある。
 アリーは駆け出した。階段を駆け下りると、ロビーに電話があるのが目に付いた。構わず、軍部を飛び出す。将官が味方に付いているのだ。軍部内での会話は、どこからルエラの耳に入るか分からない。
 大通りを少し行った所に、公衆電話があった。ソルドへ行くと決まった際に、通貨は幾らか換金してあった。僅かばかりのその硬貨を、アリーは電話の投入口に放り込む。
 長いコールの末、電話機から女の子の声が流れた。
「はい、シャーウッドです」
 ホッとアリーは息を吐く。無言の相手に困惑する声が聞こえた。
「もしもし?」
「ああ、ごめん。僕だよ。アリー」
「アリー? 本当にアリーなの? 久しぶり!」
 弾んだ声が帰って来る。両親を亡くし引き取られた先で出会った親友は、いつもと変わらない明るい声だった。
「どうしたの、突然。何かあった?」
「ううん。ただちょっと、ユマの声が聞きたくなって。ホームシックって奴かな」
 おどけたようにアリーは言う。ユマはクスクスと笑っていた。
「もう、アリーってば。いつでも、帰って来ていいのよ。アリーには断られたけど、お父さんにもね、一応聞いてみたの。アリーなら、一緒に住んでもいいって。あの事については私の口から勝手に言う訳にはいかないから、ちゃんと説明しなくちゃだけど……でも、きっと許してくれるわ。アリーが男の子だとしても」
「うん……ありがとう。でも、そこまで甘える訳にはいかないから。それに、ユマだって年頃の女の子なんだからさ。嫁入り前の娘が、赤の他人の男と一つ屋根の下で暮らすなんて、よくないぞ~?」
「もう、茶化さないで。そんなの、気にしないわよっ。それに……なら……」
 最後の方はもごもごと小さな声になり、よく聞き取る事が出来なかった。
「ごめん。よく聞こえなかった。なあに?」
「な、何でもないわよ! ねえ、アリー。今、どこにいるの?」
「ソルドだよ。えーっと……町の名前は、アイリンって言ってたかな……」
「ソルド? ソルドって、ソルド国? アリー、今、外国にいるの? ヴィルマを追うって言っていたわよね。そっちに逃げてたって事?」
「この前、シャントーラに行ったんだ。ほら、滅亡した魔女の国。そこでね、リン……」
 アリーは言葉を途切れさせる。リン・ブロー。そもそもアリーがソルドへ来たのは、同じくヴィルマを探す彼女がソルドへ行くと言っていたからだった。魔女だとも知らずに彼女について、随分と遠くまで来たものだ。
「アリー?」
「あ、ううん。ごめん。シャントーラに行った時に、同じようにヴィルマを追っている人と会ってさ。その人達がソルドへ行くって言うから、一緒に来たんだ」
「そっか……アリー、もう仲間がいるのね。良かった」
 仲間。
 アリーは、受話器を握る手に力を込める。仲間になれると、思っていた。
 震えそうになる声を抑えながら、アリーは尋ねる。
「ユマは? 何か、変わった事とかない?」
「ええ。こっちは何も変わりないわ。アリーがいなくなって寂しくなったって、町の男性達が嘆いてる。いい気なものよね、魔女の噂が立った時にはあんなに冷たかったのに。疑いが晴れた途端、手の平を返したようにまたアタックし始めるんだもの」
「僕が男だって知ったら、びっくりするだろうね」
 言って、アリーは笑う。ユマも笑っていた。何も変わっていなかった。ペブルを旅立った、あの日のまま。彼女の日常は、壊されていない。壊されてはいけない。
「じゃあね、ユマ。そろそろ切るよ。また、連絡する」
「うん。またね」
 少ししんみりとした口調だった。名残惜しみながらも、受話器を置く。チンと甲高い音がボックスの中に響く。
 電話が終わってもじっとアリーは佇んでいた。ややあって電話機の上に積んだ小銭の残りを片手で握り締めると、踵を返し軍部への道を引き返した。真っ直ぐに前を見据え、もと来た道を大股で戻って行く。
 魔女が私軍に潜り込んでいる。それを知りながら、黙って後に引く訳にはいかない。
 故郷にいる親友の笑顔を守るためにも。城にいるであろう大切な人の命を守るためにも。


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2014.5.3

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