図書館での文献模索は、そう長く続ける事は出来なかった。調査を初めてから四日目、軍部を訪れたルエラらは図書館へ案内する事はできなくなったとルメットから告げられた。
「申し訳ない。我々の方でも魔女に関する事件を調べていたんだが、それがまずかったらしい。外部の者には閲覧させないようにと、上から圧力が掛かってしまってね」
「つまり、ソルド側としちゃ調べられちゃまずい事があるって事だな?」
 近くの机によりかかりながら、ディンは腕を組む。
 ルメットは、神妙な面持ちでうなずいた。
「そう考えて良いだろう。一応これが、ソルド国内での魔女関連事件の資料の写しだ。途中までしか遡れなかったが、何か役に立てれば」
 ルメットの視線を受け、傍らに立っていた細面の男が紙の束を差し出す。フレディが、それを受け取った。
「ありがとうございます。しかし、よろしいのですか。図書館の利用に上からの圧力が掛かるようでしたら、これを僕達に渡すのも望まれない事でしょう」
「構わん、構わん。上が何を隠蔽しているのかは知らんが、わしも気になるのでね。表立った行動は難しくなるが、協力は続けさせてもらうつもりだよ」
「恩に着る」
 ルエラは深々と頭を下げた。ソルド国の軍部にまで素性と魔女である事がばれた時には、どうなる事かと思った。しかし幸い、ルメットは騒ぎ立てようとはせずにルエラを匿ってくれた。「その代わり、こちらが必要とする時には王女として、魔法使いとして、最大限に手を貸してもらおうかね」などと言っていたが、今のところ具体的な要求を提示してくる素振りはない。
「でも、図書館へも行けない、軍の資料はもってのほかとなると、どうすっかな……川沿いに上って北の国境まで抜けてみるか?」
 頭をがしがしと掻きながら、ディンはルエラを振り返る。
「街中で川を辿っても、どこかで枝分かれする可能性が高い。それにどの道を選んだとしても、その先は北の山岳地帯だぞ。目的もなしに雪山登山をしに行くか?」
「だよなあ……」
 ディンは再び考え込む。
「でも、それくらいしかないな。元々当ての不確かな旅なんだ。町を転々としていれば、何か手掛かりになるような話を耳に挟む事も出来るかも知れない。古の時代の地図から消え失せている辺りも気になる。ルメット准将、この辺りはどんな場所だ?」
 ルエラは、壁に掛けられた地図の北端を指し示す。東西に広がる海岸線。その多くは、内陸に入って直ぐに雪山が連なる。しかし、ソルドの東は大海だ。東に近付くにつれ山は低くなり、地図の右上、北東の辺りは平地が広がっていた。
「北の海岸線は、全て崖だよ。潮の流れも速く、遊泳する事も出来ない。あまりに冷たく塩分濃度も高いものだから、釣りで狙うような生物もいない。死の海だ」
「そうか……」
 フレディがルエラを振り返る。
「行ってみますか? 遊泳は無理でも、我々にはあまり関係ありません。水を操る魔法は、ルエラ様の得意分野でしょう?」
「いや。ルエラの魔法に頼る事になるなら、今はまだやめておいた方がいいだろ。魔女の毒を抜いてから、まだそんなに経ってない。安静にしているべきだったろうに、自分まで調べものに参加しやがって。海の中を探って、何が出て来るかわからねーんだ。万全の状態で挑んだ方がいい」
「だが、他に当てもないだろう。何をしにソルドまで来たんだ。私なら大丈夫だ。心配いらない」
 ルエラは毅然と答える。ディンは顔をしかめた。
「そう言って何かあったら、全員が危険にさらされるんだぞ。何も、このまま放置しようって言うんじゃない。なあ、ルメット准将。北部に応援を頼めたりしないか?」
「昔、首都にいたものの派閥争いに負けて各地へ飛ばされてな。その中に誰か北部に行った者がいないか、探してみよう。
 ところで、あなた方は確かヴィルマを探しているのだったな? 魔女に関する事件を調べる中で、サントリナの事についても少し調べてみたんだが、こんな噂が出てきてな……先のリム王妃ヴィルマは、サントリナ王女と似ていた、と」
 ルエラ、ディン、フレディ、アーノルドは息を呑む。ディンが、素早くルエラに問うた。
「ルエラ、ヴィルマの旧姓は!?」
「マックスだ。ヴィルマ・マックス。ビューダネスに住む、一般市民だった」
「何だ……ただの噂かよ」
「でも、彼女はその家の血筋ではない。十四歳の時に、養女となっている。それ以前の出生は全くの不明だ」
「本人に聞いた事は?」
 アーノルドの問いに、ルエラは首を振る。
「彼女の実家について知ったのも、ヴィルマが逃亡した後自分で調べての事だったから……彼女が自分の親や実家について話そうとした事はなかった」
「もし詳しい話を聞きたかったら、東部にわしの知り合いの学者が住んでいる。元々はサントリナの役人で、歴史書を残す仕事をしていた者だ。暴動が起こる二年前に隠居し、ソルドで腰を落ち着かせていたんだ。行ってみるかね?」
 ルエラとディンは、顔を見合わせる。そして、うなずいた。
「もちろん。場所を教えてくれないか」
「分かった。エリン中尉、地図を」
「はい」
 先ほどフレディに資料を渡した男が、壁に掛かった地図をはずし机の上に広げる。その周りに、一同は集まった。ルメットは、ソルドの東、大河を越えた先の海岸沿いの一点を指差した。
「東部クリフ。ここに、マロン・カークと言う男が住んでいる。汽車に乗り、途中、クラー市で乗り換えれば直ぐだ」
「サンキュ。早速荷物まとめて行くとするか。アーノルドさん、あんたはどうする?」
 ディンは、アーノルドを振り仰ぎ尋ねる。彼は相変わらずの目を細めた笑顔のまま、眉尻をやや下げた。
「悪いけど、私は遠慮させてもらうよ。もう少し、この町にいたいからね」
「そっか。じゃあ、ここでお別れだな。あとは、アリーをどうするかだな……」
「僕も行くよ」
 少し高いソプラノ声に、ルエラらは戸口を振り返る。医務室の寝間着ではない、自分の服に着替え髪を二つに結んだアリーが、そこに立っていた。
「お前、もういいのか?」
「十分休んだよ。僕だって、ヴィルマを探して君達について来たんだ。他に手掛かりもない。だったら、行かない理由なんてないでしょ」
「ルエラも一緒だぞ?」
 ディンの言葉に、アリーはルエラへと目を向ける。蔑むような、冷たい視線だった。
「僕だって馬鹿じゃない。騒ぎ立てる気はないよ。ルエラは私軍に所属しているんだ。軍上層部もグルなんじゃないか?」
 ルエラは黙したまま、答えない。ブルザは、ルエラの秘密を知っている。だが、ルエラに敵意を向けている彼にそれを教える気はなかった。ルエラが魔女だと露見した際には、一人で火刑を受ける。ブルザにまで迷惑はかけない。そう、決めているのだから。
 ルエラの無言を、アリーは肯定と受け取ったようだった。
「……やっぱりね。ルエラには、僕の交友関係も知られているんだ。どんな手に出るかも分からないのに、派手に騒ぎ立てたりはしない」
 ルエラは目を見開き、そしてうつむいた。彼は、ルエラがユマを人質にとるのではないかと疑っているのだ。事実、ルエラにはそれが可能だ。王女だと知られていなくても、軍上層部に味方がいるとなれば同じ事。アリーが懸念するのも無理はなかった。
「お前が魔女だって事は言いふらさない。でも、受け入れる訳じゃないから。勘違いしないでね」
 冷たく吐き捨てるアリーの瞳には、憎しみの色が浮かんでいた。



 クリフは、大河と海に囲まれた土地だった。大河に掛かった架橋を渡る汽車が、唯一の移動手段。汽車は一日に一度しか往復しないらしく、客車の後ろに貨物車両も連結され町へと運ばれる。ホームに降り立ったディンは、駅舎内を見渡し眉根を寄せた。後部の車両から三人の作業員が木箱を降ろしているのみで、他に降りる客もいなければ車掌もいない。
「駅も無人か……この列車が帰ったら、この町を出る術はなしってか……何か嫌な所だなあ。あの爺さん、何か企んでんじゃないだろうな?」
「疑っても仕方あるまい。行くぞ」
 ルエラは佇むディンとフレディの横を過ぎ、スタスタと駅の出口へと向かう。
「お、おい、待てよ。罠って可能性もあるだろ」
「何のためだ? 私を捕らえるためか? ならば、軍部で治療などせずに捕らえてしまえば良かった」
「まあ、それはそうだけど……」
 ルエラはぴたりと、立ち止まった。
「……彼らは、私を信じてくれたんだ。ならば、私も彼らを信じたい」
「ま、ここまで来て逃げても仕方ねーか」
 ディンは肩をすくめ、歩き出す。その後に続くようにして、フレディ、そしてルエラとアリーも駅を後にした。
 道の両脇は林や広大な畑が広がるばかり。たまに民家を見つけるも、その数は決して多いとは言えなかった。林を抜けた先に、二階建ての屋敷があった。街中にあれば十分に立派な大きさだが、この辺りの民家に比べれば小ぢんまりとした印象を受ける。家の裏は更地になっていて、その先は切り立った崖となり遥か下方から打ち付ける波の音が聞こえていた。
 マロン・カークは、白い口ひげを蓄えた温厚そうな男だった。四人が訪れると、彼は破顔して家の中へと迎え入れた。小さな机を四つのソファが囲み、奥の大きな窓ガラスからは裏の崖へ出られるようになっていた。カークの正面の二人掛けのソファにルエラとディン、フレディとアリーは側面に置かれた一人掛けの椅子に座る。
「いらっしゃい。話は、ルメットから聞いているよ」
 差し出された紅茶を、ルエラは一口飲む。口の中に甘味が広がり、冷えた身体を温めた。
「美味しい!」
 アリーが素直に感想を述べる。ルエラが魔女だと知ってからの荒んだ表情は微塵も見せず、いつもの愛嬌のある明るい笑顔だった。フレディもカップに口をつけてはいたが、濃いオレンジ色の紅茶が減った様子はなかった。ディンに至っては口をつけようともせず、話を切り出した。
「カークさん、あんたはサントリナで働いていたそうだが。サントリナ人なのか?」
「ああ。母は、ソルドとサントリナのハーフだったがね。サントリナ王女について、話を聞きたいのだとか?」
 ルエラはうなずく。
「サントリナの王女と、先のリム王妃が似ていると言う噂を聞いた。実際のところ、どうなのだろうか? 写真などがあると話が早いのだが……」
「写真は持ってないなあ……。サントリナの役人だったと言っても、王族と直接会話をするような身分ではなかったからね。でも、人柄の良い王様と王妃様だったよ。我々臣下からの信頼も厚かった。サントリナ国の暴動にしても、民より身内をとったという点では王としては至らなかったかもしれないが、親として見れば良い父親だったろうしね」
 ルエラは押し黙り、カークの話を聞いていた。
 ルエラが魔女だと知った時、ルエラの父マティアスはどうするのだろうか。どう思うのだろうか。
「王族は討たれたが、王女様の死体は見つかっていないんだ。彼女がいたはずの部屋は火に包まれていた。その中で動く影を見た者もあったそうだから、灰となってしまっただけかも知れないがね。だが、どこかへ逃げ延びた可能性も十分に考えられる訳だ。本当に魔女だったのならば、尚更」
「サントリナ王女の特徴は分かりますか」
「私自身は、会った事がないからねぇ……ただ、緑の髪の美しい女性だったと聞くよ。そうそう、名前は――」
「ヴィルマ・サントリナ」
 女の声が、カークの言葉を継いだ。
 ルエラ、ディン、フレディ、アリーの四人はさっと立ち上がる。窓ガラスが開き、潮の匂いが流れ込む。風に煽られたカーテンの向こうに立つ人物を、ルエラは凍りついたように見つめていた。
 背中まである長い緑色の髪。意志の強い紫色の瞳。十年の時が経っても、その美貌は衰えない。紅い口紅を引いた唇が、言葉を紡ぎ出す。
「久しぶりね、ルエラ。こうして会える時を、ずっと心待ちにしていたわ」
 そう言ってヴィルマは微笑む。かつて王妃だった頃と同じ、優しい微笑みだった。


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2014.5.10

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