アリーが眠ったのを確認すると、ルエラはさらしを巻き直し、青いコートを羽織って夜の町へと再び繰り出した。宿の前で立ち止まり、部屋の方を見上げる。
「すまない、アリー……私も同じだ……」
 ルエラも魔女である事を隠し、信じてくれる人達を騙し続けている。しかしまだ、知られる訳にはいかないのだ。ヴィルマを、この手で捕らえるまでは。
 町は暗く静まり返っていた。夜も更け、どの家も寝静まっている。昼間に歩いた道を、ルエラは再び城へと辿った。
 一月ごとで見ると、徐々にずれるサイクル。それは、月の満ち欠けと一致していた。旧サントリナ城で人が消えているのは、いずれも新月の日。そして今日は、新月だ。何かが起こるとすれば、今日。
 城の周りは、相変わらず人気が無かった。忍び込もうとしている身としては、都合が良い。昼間と同様、氷の階段を作り城壁を越える。城の周りでは、相も変わらずランの花が咲き誇っていた。
 正面の入り口は、そばに生えた木の枝が中まで侵入している。崩れた壁の瓦礫を踏みしめ、ルエラは真っ暗なエントランスを見回す。月明かりもないとなると、中は思っていた以上に真っ暗だった。
「あまり、明かりは点けたくなかったんだが……」
 ルエラはマッチを擦り、持って来たカンテラに火を灯す。橙色の光が、塗装が剥げ落ち斑となった天井や崩れた壁を照らし出す。ルエラは口を真一文字に結ぶと、奥へと歩を踏み出した。
 暗闇に覆われた廃墟は、昼間とは全く異なる様相だった。手明かりが無ければ何も見えないが、その光はルエラの存在を明々と照らし出す。光の届く範囲の外、濃い闇の中で動く気配が無いか気を配りながら、階段を上って行く。
 不意に、足元がたわんだ。老朽化した床板が崩れ、闇への口が大きく開く。咄嗟に手をかざし、残った淵から氷の階段を作り出す。床から二メートルほど落ちたところで落下するルエラの体に階段の生成が追いつき、ルエラは息を吐きながらそっと階段を上って行った。支えは崩れた部分と同じ朽ちた床のみ。また崩れないとも限らない。
 階段の上まで戻り、ルエラは眉をひそめた。老朽化による崩壊。そう思ったが、それにしては奇妙な崩れ方をしていた。穴が、丸いのだ。これではまるで、崩れたのではなく切り取られたかのような――
「子供の割には、意外とやるのね。あの魔法使いの前菜ぐらいにはなるかしら?」
 ルエラは立ち上がり、辺りを見回す。階段の上で壁にもたれる女性の姿を、カンテラの灯りが照らし出した。
「貴様は……宿にいた……」
 宿屋で、ブィックスに言い寄っていた女だった。彼女の横顔を、ルエラは油断無く見据える。奇妙な失踪事件の続く城。当然のような顔でそこにいる女。全うな理由があるとは思えない。
「……貴様が、やったのか?」
 何を、と問う必要などなかった。彼女は長い黒髪を払い、スカートを持ち上げて恭しく腰を折る。
「私の名前は、イオ・グリアツェフ。以後、お見知りおきを……なんて言っても、今夜限りであなたはいなくなってしまうのだけどね」
「一連の事件は、貴様によるものだな?」
「そんな事を知って、何か意味がある? あなたはもう、ここから出られないのに」
「出られるか出られないかは、私が決める事だ」
 言い放つルエラに、イオはクスクスと笑った。
「良いわねえ、青臭くて。そう言うの、嫌いじゃないわよ。気に入ったわ。冥土の土産に、答えてあげる。その様子だと、『今日』が『その日』だって事まで検討をつけてここへ来たみたいだしね。
 このお城で失踪した人たちの事でしょう? 彼らはもう、この世にいないわ。私が、食べちゃったから」
「食べた……だと……?」
「そう。彼らを魔法の儀式で取り込む事を、そう呼んでいるの。最初の内は冒険心豊かな若者が中心だったのだけど、最近は辛かったのよ? 町の人は警戒して入って来ない。軍でさえも足が遠のいちゃって。のこのこ入って来るのは、行き場の無い浮浪者や自分がどこにいるのか分からなくなった老人ばかり」
「その中に……サフィンと言う名の少年はいなかったか……」
 ルエラは一歩、また一歩と階段を上って行く。イオは涼しい顔をして肩をすくめた。
「さあね。一々、食材の名前なんて覚えてないわ」
 ルエラはイオの胸倉を掴み、壁へと押し付けた。
「貴様……っ!」
「あなたは、今朝食べた食事の材料の出産地を全て言えて?」
「何を……」
「あなただって、卵やハムを食べるでしょう? それと同じよ。私には必要だったの。この世界で、魔女がどうやって全うな生活を出来ると言うの? 正体を隠すか、さもなくば血眼になって魔女を狩ろうとする人間から逃げ回るか。私は魔女よ。人間にまぎれて、人間にビクビクしながら暮らすなんてまっぴらごめんだわ」
 そしてイオは、嘲るように微笑った。
「まあ、魔法使いには解らないでしょうね。同じ力を持っているのに、追われるどころか賢者なんて呼ばれてもてはやされて、あまつさえ王族に囲われたりなんてしているような身分の人には」
 ルエラは思わず、言葉を詰まらせる。
 静まりかえった踊り場に、足音が響いた。足音の主は角を曲がり、その場に姿を現す。掌の上に小さく走らせた電流から発せられる青白い光が、彼の顔を闇の中に浮かび上がらせていた。
「ブィックス少佐……!?」
「ブ、ブロー大尉!?」
 ルエラは目を丸くしたが、あちらも驚いた様子だった。そしてハタと気付いたように、ルエラ達へと歩み寄る。
「物音がしたので来てみれば……女性に乱暴な態度をとるのは良くないな、リン・ブロー大尉」
「え。いや、これは……」
 イオを壁に押し付けるような体勢を見て、勘違いしたのだろう。弁解するルエラの言葉を遮るようにして、イオが叫んだ。
「ポーラさん! 助けて……」
 イオは、じんわりと目に涙を浮かべる。
「貴様……!」
「ほら、怖がっているだろう。離したまえ」
 ブィックスは、軽々とルエラの腕を捻り上げる。イオはルエラから隠れるように、ブィックスの背後へと回りしがみついた。
「君のプライベートにまで口を出す気は無いが、強引な男は嫌われるぞ」
「少佐、騙されないでください! その女は魔女です!」
「何を言い出すんだ。言い訳するにしても、もっとマシな嘘を吐きたまえ」
 ルエラは歯噛みする。誤解を与えてしまったからには、この場で何を言おうともルエラに分は無い。ルエラが女性に迫るなどあり得ないが、それはルエラ自身が魔女であると明かす事になってしまうため当然言う事は出来ない。
「だいたい、どうしてブィックス少佐がこんな所にいらっしゃるんですか? 宿で寝ているはずでは?」
「それはお互い様だろう、ブロー大尉。私は彼女と会う約束をしていたまでだ。この城の中で会う予定ではなかったがね。君が連れ込んだものだから……」
「私は連れ込んでなどいません」
「そうだ、大尉。ノーヴァ氏を見なかったか?」
「見ていませんが、彼が何か?」
「城の前で、彼を見かけてね。私は、彼を追って入って来たんだ。城の裏手に、城壁の欠けた場所があってね。知人が消えてから調べていると言っていたから、大方、今日もそのつもりだったのだろう。しかし、途中で見失――」
 ブィックスの言葉は途中で途切れた。フッと事切れたように、その場に倒れこむ。
「少佐!」
 ルエラは駆け寄ろうとしたが、その前にイオがブィックスの身体とルエラとの間に立った。ブィックスは硬く目を閉じ、開こうとしない。
「貴様……ブィックスに何をした」
「心配しなくても大丈夫。ちょっと眠ってもらっただけよ」
「う、うわあ!?」
 階下から声がして、ルエラは振り返った。今し方話に出たフィリップ・ノーヴァが、階段に空いた穴に寸での所で気付き手すりにしがみ付いていた。
 ノーヴァは階段の上を見上げ、ルエラらを見て目を丸くする。
「ど、どうして君がここに……」
「今夜は、お客がたくさんいるみたいね」
 イオの言葉に、ルエラは我に返る。イオはノーヴァへと手をかざしていた。
 ルエラは階段を駆け下り、ノーヴァとの間に立ち守護魔法でイオの攻撃を弾く。
「逃げろ!」
 鋭く叫んだが、ノーヴァはおどおどとその場に佇んだままだ。
「……クソッ」
 ルエラは軽く舌打ちすると、残りの段を駆け下り、穴を飛び越える。ノーヴァは一般市民だ。彼はこの場で身を守る術を持たない。ルエラは彼の手を取り、脱兎のごとく逃げ出した。
 ぐにゃりと足元が歪む。何が起こったのか、ルエラはようやく理解した。床がたわんでいるのではない。液状化しているのだ。恐らく、これがイオの能力なのだろう。溶け行く床の上に氷の板を張り、ノーヴァと共に駆け抜ける。
 ――ブィックス、死ぬなよ……!
 臣下の無事を、ルエラはただ祈るしかなかった。
 崩れる床や壁、天井を避け、時に氷の板や支柱を出して支えとしながら、ルエラとノーヴァは逃げ続けた。どれほど走ったろうか。ようやく周囲が液状化する気配がなくなり、二人は立ち止まった。途端にノーヴァはその場に座り込み、ゼイゼイと息を吐く。
「お前、灯りはどうした?」
 座り込むノーヴァが何も持っていないのを見て、ルエラは問うた。ノーヴァは辺りをキョロキョロと見回す。
「あ……落として……来た……みたい、だ……恐らく、さっき……穴の前で……」
 息も絶え絶えになりながら、ノーヴァは言った。ルエラが落ちかけた穴に驚いて手すりに掴まった時に、落としてしまったと言う事だろう。
 ルエラは渋い顔をしながら、自身のカンテラを差し出した。
「使え。一刻も早く、この城から逃げるんだ。あの女は魔女だ。ここにいては、お前も命が危ない」
「で、でも……君は……」
「どの道、私には必要ないさ。あの女に近付いても、灯りで居場所がばれては元も子もないからな」
「ま、魔女と戦うって言うのかい!? そんな――危険過ぎる――」
「それが私に課された責務だ。何、初めての事ではない。それに、仲間が囚われたままだ。彼を置いて行く事は出来ない。私も、彼のように電流が使えれば灯りに苦労せずに済むのだが……まあ、何とかなるだろう」
 背を向けたルエラに、ノーヴァは追いすがった。
「だ、駄目だ。君みたいな子供が、そんな危険な事――そうだ、軍部に行こう。通報するんだ。仲間を連れてくれば……」
「その間にブィックスが殺されたらどうする!」
 ルエラは振り返る。
 途端に、重い拳がルエラの腹を襲った。続けざまに手刀がうなじに叩き込まれ、何も分からなくなった。


Back Next TOP

2013.6.22

inserted by FC2 system