暗闇の中、ルエラは目を覚ました。身体は重く、床に貼り付いたように動かない。視線を動かすと、自分の下、部屋いっぱいに魔法陣が描かれているのが見えた。
「クソッ……またこの魔法か……!」
 以前にも、同じように捕らえられた事があった。魔女の力を封じる魔法陣。ただ、今回はルエラの他にもう一人、魔法陣の上に寝かされていた。
「ブィックス少佐、起きてください! 少佐……! ……起きろ! ブィックス!!」
「無駄よ」
 冷たい声がして、ルエラはまた視線を動かす。魔法陣の中央にイオが立っていた。
「お前は……動けるのか……?」
「ええ。もしかして、他の魔法と勘違いしているのかしら? 言ったはずよ、あなた達を取り込むって。この魔法陣は、そのためのもの。魔法を封じるものではないわ。でも、驚いたわね。この陣の中で目を覚まして、話す事も出来るなんて。魔力を持つ者の動きを封じる事には変わりないもの」
 言われてみれば、今回、ルエラの髪は短いままだった。似た効果はあれども、魔法を無効化するものとはまた違うようだ。
「……すると、あの花も貴様の魔法によるものか」
「花? 表に咲いている白いランの事? あれは私じゃないわ。私がここに来た時にはすでに群生していたわよ。このお城、お姫様が魔女だったんでしょう? 彼女の趣味じゃない?
 フィリップ、彼をいつもの位置に。絶望に嘆く仲間の声を聞きながら食べるのも、たまには良いかもしれないわね」
「まったく、えげつない趣味をしていらっしゃる」
 クツクツと笑いながら、ノーヴァが前へと進み出た。陣を消さぬように気を配りながら、ブィックスの身体をイオの前まで移動させる。
「フィリップ・ノーヴァ……貴様は、一体……」
「もちろん、考古学者ではないさ。元々は、軍に属していた事もあった。けれども、どうにも合わなくてね。結局やめてしまった。そんな時に会ったのがグリアツェフ軍曹だった……いや、今では軍曹ではないか。もうあの国には属さないのだから。とにかく、魔女である事に誇りさえ持っている彼女に、私は強く惹かれてね」
「あの国……?」
「今はもう誰も存在を信じる事の無い、伝説の国さ」
「フィリップ。お喋りが過ぎるわよ。早くしてちょうだい」
「ハイハイっと」
 ノーヴァは部屋の隅へと退く。イオは、ブィックスへと手をかざした。
「目が覚めるなんて運が良かったわね。そうそう見られない魔法よ。よーく見ておきなさい、坊や。もっとも、次はあなたが受ける事になるのだけど」
 イオに呼応するように、陣が光り出す。そして、ブィックスの身体も光に包まれて行く。
「やめろ……」
 本来、ブィックスはこの町へ来るはずはなかった。ルエラが来たから、彼はついて来たに過ぎないのだ。
 イオの掌に白い光が集まって行く。それは、ブィックスの方へと向けられていた。
「やめろおおお!!」
 重い身体を地面からひっぺ剥がすようにして、ルエラは身を起こした。そのまま倒れこむように、ブイックスの身体に覆い被さる。
 身を焦がすような痛みが、イオの方に向けた背中を襲った。ルエラは声にならない悲鳴を上げ、それでも逃げ出そうとはせずブィックスの身体を抱きしめる。
「な……」
 イオは狼狽したように声を上げた。
「そんな……この陣の上で動いて、その上、今ので取り込めないなんて……」
 ルエラは、ブィックスの上にぐったりと倒れ込んだ。身体中から汗が噴出し、吐き出される息は荒かった。
「子供だと思って見くびっていたけれど、思った以上に力を持っているみたいね……。退きなさい、坊や。でなければ、あなたから私の一部になってもらうわよ」
 焼けるような痛みの余韻に、ルエラは声も出なかった。ただ黙して、ブィックスを抱く腕に力を入れる事で反抗の意を示す。
「……そう。それが答えなの」
 鋭い痛みが、右腕を襲った。
「あ゛あああああ!!」
 霞む視界の中、何処から伸びてきたのか植物の蔓から生えた棘がルエラの腕を刺しているのが見えた。青いコートが、じんわりと赤く染まっていく。
「ねえ、退いて? 殺したくはないのよ。だって、死体なんて食べたくないもの。せっかくあなた強い力を持っているのに、死んでしまったら取り込めなくなってしまう」
 蔓は振り上げられ、ルエラの背中を強く叩いた。鞭打つ度に、蔓に付いた棘がルエラの背中を服の上から引っ掻く。
「……先に私を取り込もうとは、しないんだな」
 苦渋に顔を歪めながら、振り絞るような声でルエラは言った。蔓の動きが、ぴたりと止まる。服の上からとは言え凶悪な棘を無数に受け、背中はヒリヒリと痛んだ。突き刺された腕に至っては、最早感覚が無い。
「どの道、私も取り込むつもりなのだろう? 私が邪魔なら、先に片付ければ良い話じゃないか。それをしないと言う事は……出来ない、と言う事か?」
「……」
「黙秘は肯定と受け取るぞ。先程の魔法……あれより強いものは、準備が無いと言う事だな? 貴様は今、私を取り込む事は出来ない」
 無表情でルエラを見つめていたイオの口元が、ニタリと歪んだ。
「それを知ったところで、あなたに何が出来ると言うのかしら?」
 ルエラは押し黙る。イオの言うとおり、今のルエラには魔法を使う事は愚か動く事さえ出来ない。取り込めないのであれば盾となるぐらいは出来るが、それもルエラの体力が何処まで続くものか怪しい。
「仕方が無いわね。仲間がいなくなるところを見せてあげようと思ったのだけど、気が変わったわ。あなたにはまた眠っていてもらうとしましょう。大丈夫、血はあまり流れないようにするから。出血多量で死なれても困るし、万一陣の上に溢れてもいけないものね」
「クッ……」
 手を大きく振り上げ蔓を持ち上げるイオを、ルエラは歯噛みし見つめる事しか出来なかった。
 イオが手を振り下ろそうとしたその時、何かが飛来して彼女の手を弾いた。床に転がったのは、一部が平たく整えられた石。崩れた石壁の欠片だろう。
 瓦礫を踏みしめ、松明が照らす中に姿を現したのは、ふわふわとウェーブのかかった金髪を二つに結んだ女の子だった。
「リン! 少佐!」
 ルエラは顔を蒼くする。彼女は――彼女こそ、ここに来るべきではない者だ。魔女を恐れていた、一般市民。
 アリーは、キッとイオを睨む。
「二人に何を……!」
「お友達なら、生きているわよ――『まだ』ね。
 フィリップ。彼女を片付けなさい」
「彼女は取り込まないんですか」
「二人もいれば十分よ。次の新月まで捕らえておくのは骨だし、それに、私女を食べる趣味はないの。――あなたがどうするかは勝手だけど」
「――駄目だアリー! 来るな!!」
 アリーは駆け出していた。魔法陣の上へと足を踏み入れた彼女へと、フィリップの腕が伸びる。アリーはその腕を掴み、襲って来た反動を利用して投げ飛ばした。
 ルエラも、イオも、目を丸くしてその光景を見つめていた。
「そうか……」
 魔力を持つ者の動きを封じる。そう、イオは言った。もちろん、アリーは魔力を持たない。彼女に魔法陣は効かないのだ。
 ノーヴァの方も、負けてはいなかった。起き上がり、強烈な蹴りを繰り出す。アリーはそれを跳んで退け、床を蹴って自らノーヴァへと迫る。繰り出した拳は、太い腕に遮られた。押し負かし弾くように出された腕を掻い潜り、アリーはノーヴァの腹に拳を叩き込む。ノーヴァは再び尻餅を着いた。
 ルエラは目を見張っていた。確かにアリーは、以前に会ったときにも絡んで来た暴漢達を蹴散らしたり、魔女に挑んだりと、体術の心得があるようだった。しかし、ノーヴァは元軍人。前に彼女が戦っていた相手とは訳が違う。背丈こそ低いが、パワーもある。女でも軍人かあるいは一般市民でも少年ならともかく、アリーのようなただの宿屋の娘が互角に戦えるなど、誰が思おうか。
 対等に渡り合っていたが、それでもやはりパワーでは敵わなかった。拳を受け止めバランスを崩したところへ、ノーヴァが全体重をかける。
「きゃっ」
 短い悲鳴を上げ、アリーは倒れた。先程までの勢いは何処へやら、急に殊勝になって怯える素振りを見せる。
「嫌……」
 潤んだ瞳で見つめられ、馬乗りになったノーヴァの動きが一瞬停止する。アリーは、その隙を逃さなかった。
「――なーんてね!」
 頭突きを食らわし、怯んだ隙にノーヴァの下から逃れ出る。うなじに肘鉄を食らい、ノーヴァはバッタリとその場に倒れ動かなくなった。
「バーカ」
 吐き捨てるように言って、アリーはキッとイオを睨む。
「……二人を返してもらうよ」
 恐れを包み隠した声で言うと、アリーは駆け出した。雄叫びを上げながら、イオへと迫る。
 駆けるアリーの身体が、不意に沈んだ。液状化した床に足元をすくわれ、体勢を崩す。続け様に襲い来た蔓を、アリーは避けきる事が出来なかった。横殴りに食らったアリーは、壁に叩きつけられて床に転がる。それでもなお起き上がろうとした彼女を、蔓が絡め捕った。
「うう……」
 蔓はアリーにきつく巻きつき、彼女を宙高く掲げた。イオは涼しい顔をしていた。
「代わりのギャラリーが出来たわね。さあ、続きといきましょうか」
 絶望的だった。魔法陣がある限り、ルエラもブィックスも動けない。アリーは捕らえられてしまった。そもそも、魔法も使えなければ武器も持たないアリー一人で、魔女に敵うはずがない。
 ルエラは思いつめた表情で、ぽつりと呟いた。
「……貴様はさっき、取り込むのは二人で十分だと言ったな」
 アリーを襲うのとは別の蔓をルエラに叩きつけようとしていたイオは、その動作を止める。最早顔も上げず、ブィックスの上に折り重なったまま、ルエラは言った。
「それは、取り込める量に限界があると言う事か? 貴様が例える食事にも、満腹と言うものがあるように」
「……何が言いたいの?」
「貴様が言うとおり、私に強い力があるのだとすれば……ブィックスを取り込んだ上でなお、貴様に私を取り込めるだけの器はあるのか?」
「……」
「先に他の者を取り込んだ事でより大きな力を取り込めなくなってしまうよりは、力の強い方だけを絞って取り込んだ方が良いのではないか?」
「リン……? 何言って……まさか……」
 アリーの震える声が聞こえる。イオは逡巡し、うなずいた。
「……そうね。あなたの言う事も一理あるわ」
「ならば、取り込むのは私だけにしろ。後の二人は逃がしてくれ。ブィックスは眠っていて貴様が魔女である事を知らない。アリーは一般市民だ。彼らを逃したところで、貴様の脅威になる事はないだろう」
「何言ってんだよ、リン! そんな……そんなの……!!」
「確かに、そちらの軍人は私が魔女である事を知らないわね。でも、あなたがいなくなればここを捜索しようとするのではなくて?」
「私自身が、また別の地域へ向かったと城に連絡を入れれば問題ないだろう。元々、私は彼が同行するのを渋っていた。彼の隙をついて置いて行ったとしても、それを訝る者はいない。
 私がブィックスをまくために、二人に幻影を見せて去った……そう言う事にすれば、アリーが貴様について何か言ったとしても誤魔化せる」
「リン!!」
 アリーの悲痛な声で叫ぶ。しかし他に、手段は無いのだ。ルエラが己の力を過信して首を突っ込んだばかりに、彼らまでも巻き込んでしまった。報いを受けるのは、ルエラだけで十分。それに。
「……私はいずれ、消えなくてはならない身だ。それが少し、早まっただけさ」
「駄目だ!! 駄目だよ、そんなの……」
 イオはクスクスと笑っていた。
「我が身を投げ打って、仲間の命を請う。泣かせるじゃない……いいわ。後の二人は見逃してあげる。あなたの言う事ももっともだもの。
 フィリップ、いつまでそこで寝ているつもり? 起きなさい!」
 蔓がぴしゃりとノーヴァを叩く。呻き声を上げ起き上がる彼に、イオは指図する。
「坊やだけを取り込む事にしたわ。さっき動かしてもらったのに悪いけど、金髪の方の男を部屋の隅にでも除けてくれるかしら」
 ノーヴァはよたつきながらも、指示されたとおりにブィックスを運んで行く。魔法陣は部屋いっぱいに描かれている。部屋の隅であろうと陣の上である事には変わらず、ブィックスは眠ったままだった。
「坊やを連れて、彼の上司へ連絡を入れに行きなさい。彼はこの場に仲間を残し、先に立ち去ったと。そのために彼が仲間に幻影を見せたのだと。その間に私は、魔法陣をより強力なものにしておくわ。
 あなたが戻って来るまで、仲間はこちらで預かるわ。少しでも変な真似を見せようものなら……」
「解っている。もう覚悟は出来ているんだ。この期に及んで抵抗などしないさ」
「駄目だよ、リン! リン!!」
「五月蝿い小娘ね。大人しくそこで待っていなさい。ボーイフレンドを食べた後、約束通りあなたは解放してあげるから。所詮人間ごときに、出来る事なんてないのよ」
 ノーヴァがルエラの腕を取る。アリーはうつむき、ギリ……と歯噛みした。
「ふざけるな……僕はもう、無力なんかじゃない! 目の前で大切な人を失ったりなんかしない!!」
 アリーは身をよじる。渾身の力で片方の足を引き抜くと、蔓に付いた棘に自ら突き刺した。
「まずい!」
 イオが叫ぶ。棘から足を引き抜くと共に、血飛沫が舞った。それは、床に描かれた魔法陣の上にも落ちる。
 イオが何を慌てたのかは、ブィックスの呻き声で判った。
「う……ここは……? 俺は一体……」
 何が起こったのか分からない様子で、ブィックスが身を起こす。彼は直ぐ横に這う蔓を視線で辿り、その先で締め付けられるアリーを見た。それから、部屋の中心で横たわるルエラと、その傍に立つイオとノーヴァを認める。そして、床一面に描かれた魔法陣を見渡した。
 アリーの血によって余計な情報が加わり、無効化されたそれ。
「……なるほど。大体読めたぞ」
 言うなり、ブィックスは蔓へと手をかざした。強い電流に焼き切られ、蔓の先にいたアリーは宙に放り出される。ブィックスが彼女を抱き止めている間に、ルエラもノーヴァの手を払い、床に左手を着く。ルエラを取り囲むように床より生えた氷の槍に、イオとノーヴァは飛び退いた。
 更に電流がイオを追う。蔓を盾にし、イオは窓枠へと足を掛けた。
「……馬鹿な!」
 ブィックスが追ったが、制止する間もなくイオは窓から飛び降りた。キンと言う短い高音と共に、窓の外が青白く光る。
 ブィックスは窓から身を乗り出し、苦々しげに吐き捨てた。
「クソッ、移動魔法か……!」
「少佐!! ノーヴァさんが逃げちゃう!!」
 アリーの声に、ブィックスが振り返る。戸口を出て行こうとしていたノーヴァは、電流に弾かれたように尻餅を着いた。
「魔女に加担していた不届き者が、逃げられると思うなよ。貴様には、今夜起こった事、これまでの事件、あの魔女の事、洗いざらい吐いてもらおう」
「ち、違うんだ! 私は脅されていただけなんだ! ほ、ほら、宿で話しただろう? 知人がこの城で消えたって。あの魔女に、人質に取られていたんだ。だから、仕方なく……」
「話は軍部で聞こう」
「本当なんだ! 何なら、彼女の事も知る限りの情報を――」
 ノーヴァの言葉は、途中で途切れた。
 ルエラ達は息を呑む。部屋に残っていた蔓が動き、その棘をノーヴァの首に深々と突き刺していた。彼の首から血が噴出す。蔓は役目を終えたとでも言うように、ぱたりと床に落ち動かなくなった。
「彼女は……ラ、ウ……」
 ノーヴァも同じく蔓の横に倒れ、動かなくなった。
「証拠隠滅か……」
 ノーヴァの脈が無いのを確認すると、ブィックスは立ち上がり部屋を見渡した。
「とにかく、ここを出よう。アリーちゃん、歩けるかい?」
「大丈夫ですよ、これくらい。それより、リンが……」
 ルエラは起き上がったが、数歩と進まない内にふらりと倒れ込んだ。
「リン!」
 片足を引きずりながら、アリーが駆け寄る。
 酷く身体が重い。棘で突き刺された右腕は最早感覚がなく、指一本動かす事が出来なかった。
 薄ぼんやりとした視界が、不意に覆われた。ルエラは、ブィックスの背中に負われていた。
「運んでやろう」
 短く、無愛想に言い捨てる。ルエラは大人しく、彼の背中に身を預けた。
「ありが……と……う……」
 そして、ルエラは意識を手放した。


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2013.6.29

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