「姫様……姫様!」
 強く身体を揺すられ、ルエラは目を覚ました。
 心配そうに覗き込むブルザの顔が、目の前にあった。その後ろには、ブィックスも同じような表情で立っている。
「いったいどうされたのですか、こんな所で。お身体の具合でも?」
 どうやら、扉の横に座り込んだまま眠ってしまったらしい。直ぐ横にある扉は開け放たれ、反対側にある窓からは陽の光が差し込んでいる。
「すまない……体調は問題ない。どうやら、夜中に寝ぼけたらしい」
 立ち上がった拍子に、一枚のタオルが床に落ちる。クローゼットは開かれたまま。タオルの入った引き出しは、慌てて閉じたように中身がはみ出ている。
 それは、ライムの侵入は夢ではなかったのだと、如実に物語っていた。
「姫様?」
 黙り込んだルエラに、ブィックスが怪訝気に問う。
「あ、ああ、すまない。少しぼーっとしていた。今、何時だ? お前達が起こしに来たと言う事は、遅い時間なのだろうか」
「七時を十分程回ったところです」
 ブルザが答える。
「そうか。……お父様の時間は取れるか?」
「掛け合いましょう。どのようなご用件で?」
「私は、城に不在の事が多いだろう。私が留守の間は、第三部隊を正式に第一部隊に移籍させようと思う」
 ルエラは落ちたタオルを拾いながら、無感情に言った。
「な……っ。我々は、姫様の護衛隊です! それでは、姫様が急遽お帰りになられた時に、対応が困難になります」
 異論を唱えたのは、ブィックスだった。ルエラは淡々と返す。
「なるべく事前に連絡を入れるようにするよ」
「そう言うお話ではありません。それでは実質、姫様個人の隊が無いも同然になってしまうと申しているのです。我々は、姫様をお護りするために、第三部隊に入ったのです。反論する者は、私だけではないでしょう」
「もう決めた事だ。私の護衛隊と言っても、その護る対象が不在では仕方ないだろう」
「これまでのように、城内各所の護衛を受け持つのでは、いけないのですか」
 ルエラは答えない。
「姫様!」
 部屋の奥へと向かうルエラの背中に、ブィックスは呼び掛ける。
「いったい、何を一人で抱え込んでいらっしゃるのですか。我々は、姫様をお護りしたいのです」
「……すまない」
 ルエラは振り返らず、ただ一言、そう言った。

 ルエラの申し出は受け入れられ、その日の内に、護衛任務に就いている者を除く第一部隊と第三部隊の顔合わせが行われる事になった。召集が掛かり他の兵達が事務室を出て行く中、ルエラはリン・ブローの荷物をまとめていた。
「あれ? 大尉は行かないの?」
 最後に戸締りを確認して部屋を出ようとしていたレーンが、席を立とうとしないルエラを見て言った。
「ああ。姫様が不在の時は、私も城にはいないから」
「そっか。いいなあ。第一部隊って、何だか厳しそう……」
「そう変わらんだろう。同じ私軍には変わりないのだから。……レーン曹長は、確か、母親の医療費を稼ぐために、軍に入ったのだったか」
「うん、まあ。ブィックス少佐辺りに知られたら、どやされそうだけどね」
 レーンは苦笑する。
「……これだけ勤めれば、もう必要な治療費も貯まっただろう。そろそろ、そばで看病してやったらどうだ?」
 レーンの顔から笑みが消えた。強張った表情で、ルエラを見つめる。
「……それは、大尉として、私の忠誠心に不審があるからですか」
「友人として、個人的な意見だよ」
 ルエラは書類の端をトントンと机で揃えながら話す。
「もう間も無く、戦争が始まるかもしれない。私軍の任務は王族の護衛だが、ずっと城にいると言う事はないだろう。陛下も、士気を上げるため戦いに馳せられるかも知れない。そうなれば、私軍も当然、前線に立つ事になる」
「……私だって、軍人です。銃を撃つくらいの事はできます」
「もちろん、治療費のためとは言え軍に入ったからには、お前もそれなりの覚悟はしているのだろう。しかし、本当はこう言う事を言ってはならないのだろうが……私は、親しい者に命を落として欲しくない」
 レーンは黙りこくる。
 部屋を出て行こうとする彼を、ルエラは呼び止めた。
「曹長」
 レーンはピタリと立ち止まる。ややあって、ぽつりと呟くように問うた。
「ブロー大尉は、なぜ、私軍に入ったんだい?」
「そうだな……それが、私の道だったからかな」
 レーンは何も言わず、事務室を出て行った。
 レーンが出て行くのと入れ替わるようにして、一人の人物が事務室へと入って来た。
「ブロー大尉。話がある」
「ブィックス少佐。良いのですか、姫様の護衛に入っている者以外は、召集がかかっているでしょう」
「ああ。だから、君とレーン曹長の話については、触れないでおいてやろう」
「……」
 ルエラは片付けの手を止め、ブィックスを横目でちろりと見る。
 ブィックスの青灰色の瞳は、真っ直ぐにルエラを見据えていた。
「単刀直入に聞く。姫様は、何を隠しておられる?」
「何のお話でしょうか」
「昨晩何があったのか、君は聞いているのではないか。こんな突然、自分の部隊を事実上解散させるような真似をなさるなんて……」
「第一部隊への移籍は、何も昨日今日で突然思いついた事ではないでしょう。事実、姫様が城にいらっしゃらない間、第三部隊は本来の仕事がない状態だったのですから」
「君は何も思わないのか」
「何を思うと言うのです?」
 ブィックスはツカツカとルエラに歩み寄ると、その両肩を強く掴んだ。
「分からんのか!? 姫様は、一人で死のうとなさっている……!」
 彼の整った顔は、苦渋に歪んでいた。
「姫様が魔女だと言う噂が流布され、銃撃にも遭われたこの状況で第三部隊を第一部隊に移籍させるなど、これではまるで身辺整理でもしているかのようだと思わんかね。何者かが姫様を殺そうとしている。そして姫様も、ご自身の命が長くないと考えられているかのようだ」
 ルエラは何も答えず、ただ目をそらす。
 まだ死ぬ気はない。しかし、その日はきっとそう遠くないのだと感じているのは確かだった。
 ライムの来訪で、改めて思い知ったのだ。自分は生かされているだけ。誰かがその気になれば、どうとでも出来るのだと。
「姫様にお尋ねしても、何も答えてくださらない。姫様の事だから、俺には荷が重過ぎるとお考えなのかも知れない。だがそれでも、俺は、居場所を――自分の力を存分に発揮出来る場を与えてくれた彼女を、見殺しになどしたくない……!」
 ブィックスは膝を折り、座り込む。そして床に手をつき、深々と頭を下げた。
「どうか、頼む……! 姫様が口止めしている以上、君の一存で話す訳にはいかない事は、承知している。だが、君以外に頼めそうな相手がいない。このまま何もせず、取り返しのつかない事になって後悔はしたくない……!」
 ルエラは狼狽していた。
 あのポーラ・ブィックスがリン・ブローに対して頭を下げるなど、どんなに彼のプライドが傷付く事だろうか。それ程にも彼は、ルエラ・リムを敬愛しているのだろう。
 当のルエラ自身は魔女で、ブィックス達を騙しているのに。
「……すまない」
 ぽつりと言って、ルエラは逃げるように部屋を出て行った。
 扉に、三つの「I」が刻まれた部屋。人気のなくなった事務室に、ブィックスは一人、ぽつねんと残される。
 床に伏せたままの彼の瞳は、驚愕に見開かれていた。
 顔を見ずに聞いた、小さく呟かれた声。その高さ、その間。それは、朝に聞いたものとあまりにも酷似していた。
「……姫、さ……ま……?」
 リン・ブローの机には、彼――否、彼女の私物は、何一つ残っていなかった。

* * *

 暮れなずむ街に、赤色の装甲に身を包んだ汽車が滑り込む。さすが首都と言うだけあって、駅から流れ出る人の数は、西部の小さな町とは比にならない。
 人の波に流されそうになりながら、少女は小柄なトランクを引きずって歩を進める。
 人の流れが分散し、混雑を抜け出した所で、彼女は立ち止まった。真っ直ぐな広い道の向こう、彼女の視線の先にそびえるのは、夕陽を浴び赤く染まる魔窟の城。
 ――あそこに、魔女がいる。
 周囲の人々を騙し、権力を笠に着て、王族と言う立場に居座り続ける魔女。
 そう、それはまるで、十年前の魔女ヴィルマのように。
 少女はぶるりと身震いする。彼女の母親は、ヴィルマに殺された。一人ぼっちの家に兵士が訪れ、母の訃報を知らされたその時の出来事は、幼かった彼女の記憶に鮮明に焼き付けられている。
「待っててね、アリー。絶対、絶対に助けるから……!」
 キッと城を睨み上げると、トランクを手にユマは毅然とした足取りで歩いて行った。


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2016.4.2

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