「この時をどんなに心待ちにしていた事か……。会いたかったよ、メリア」
 ルエラは、キッと男を睨めつける。
「どうやら、忍び込む先を間違えたようだな――私は、ルエラだ」
「いいや。間違えてなどいないさ。君はメリアだ。その豊かな銀髪、美しい翡翠色の瞳。僕の、愛しい愛しいメリア・ローゼン」
「メリアだと……!? 貴様、何を言っている? それは、何百年も前の――」
「古の時代、この北方大陸を三日三晩、水の底に沈めた魔女。――君は、その生まれ変わりだ」
「何を、突拍子もない事を……」
「本当に覚えていないんだね」
 男はルエラの顔から手を放すと、再びベッドの所まで戻り、我が物顔で腰かけた。男が背を向けている間も、ルエラの拘束が緩む事はない。
「君はメリアだ。間違いない。波打つ銀髪に、翡翠の瞳。あの頃の彼女よりも少し幼いし身体も未発達なようだけど、君の顔には、彼女の面影がある」
 ルエラを捕らえる蔓が、手足を伝い、ルエラの身体を確かめるように這う。それは酷く嫌悪感を催す動きだったが、今のルエラにはなす術が無い。
「……私の髪はお父様、顔は不本意ではあるが母親似だ。そんなもの、他人の空似と言うやつだろう。何百年もの時があれば、似たような特徴の女などそこら中にゴロゴロいるだろう」
「容姿だけじゃないさ。――リム国王は、人間だろう?」
「それがどうした。お父様を侮辱する気なら――」
「通常、父親が人間なら、魔女は生まれない」
 男は足を組み、ルエラを面白がるような目で眺めながら言う。
「事例が見つからないなんて漠然とした話じゃない。きちんと、科学的に証明されている事さ。雌が魔力を持って生まれるには、親の両方が魔力保持者である必要がある。一方で雄の魔力保持者は、母親さえ魔女あるいは発現はしていなくても潜在能力者であればいい。魔法使いは、出自や親が不明なケースが多いだろう? 母親が魔女である確率が高いからさ」
「な……」
 反論しようとして、ルエラは口を噤んだ。
 フレディの母親は、魔女だった。ルイ・ルノワール中尉は祖父が同じ街に昔から住んでいたが、親については詳細な事は分かっていない。魔法使いとは総じてそう言うものなので、家族構成が不明でも軍へも例外的に採用されるのだ。
「君達の国では魔女は身を隠さなきゃならないから、研究がそこまで達していないんだろうね。魔力保持者を軽んじた人間中心のこの社会が、発展を妨げている――実に人間らしい、愚かな話だよ」
「――その理論ならば、私がお父様の子ではなく、ヴィルマと他の男の間にできた子だった場合は? その男が、魔法使いだったならば。ヴィルマはラウと繋がっていたんだ。ありえん話ではないだろう」
 ――その場合、唯一ルエラを王族せしめていたルエラとマティアスの血の繋がりが、無かったと言う事になってしまうが。
 ルエラは薄く自嘲の笑みを浮かべる。所詮、魔女なのだ。マティアスと血の繋がりがあろうとも、いつかはこの城にいられなくなる事は変わらない。今更、縋るようなものでもない。
 男は軽く肩をすくめる。
「まあ、それなら、君も魔力を持つかもね。でも、あの女は一度、現国王のラウへの誘いを断っている。君が生まれるより前の話だ。それから君が生まれ魔力を発現するまで二年間、彼女とラウの間の交流は一切なかった。果たしてそんな男が、彼女にいたかな? それも、都合よく夫と同じ髪質を遺伝させてくれる、魔法使い、それも希少な水の使い手だなんて」
「水の……」
 男は立ち上がる。ルエラの周りをゆっくりと歩き回りながら、話した。
「魔法の特性も遺伝するのさ。だから君の魔法は、遺伝によるものじゃない。ヴィルマ・サントリナ中将は、植物の使い手だからね。複数の特性を持つパターンもあるけれど、中将は水の能力は持たない」
「ヴィルマは魔薬の調合が出来た」
「それは水の使役とは違う。どちらかと言うと、物体的魔法と対になるものだよ」
 男の指が、ツーっとルエラの背中を下から上へと撫でる。ぞわりと身の毛のよだつような触れ方だった。後ろからルエラの耳元へと口を近付け、男は囁く。
「いい加減、認めたらどうだい。君の魔法は、メリアのものだ。君の中には、メリアがいる。遺伝の理論を覆す水の魔法、崩壊して閉ざされた結界を内から破る程の強い魔力……。自分の意志とは異なる声を聞いた事はないかい?」
 ルエラは息をのむ。
『――私が、起きなくては』
 ルエラの名を騙る女の屋敷で、魔法陣の上に囚われた時に聞こえた声。それは確かにルエラの声だったが、ルエラの意志とは無関係の言葉だった。
「どうやら、心当たりがあるみたいだね」
 男は満足気に言うと、ルエラの首筋に口付けた。
「ひ……っ!? な、何をする!」
「何って、僕らは恋人同士なんだから、再会を祝うくらい良いだろう? ――ああ、そうか。まだ名乗っていなかったね。自分がメリアだと言う自覚もないんじゃ、容姿だけじゃ分からないか」
 男はルエラの正面へと回り込むと、恭しく胸に手を当て一礼した。
「現世での僕の名前は、クルト・ラウ。ラウ国王子だ。――そして、かつての名は、ライム・ラウ。君が世界と天秤にかけた末に、選んだ男だよ、メリア」
「ライム……だと……!?」
 古の時代、魔女メリアは人々を裏切って悪魔の子ライムの手を取り、北方大陸を三日三晩水の底に沈めた。
 ルエラが伝説の魔女の生まれ変わりで、自身も伝説の人物だと言うのか、この男は。
 ライムの手が、ルエラの髪に触れる。彼は、熱い視線をルエラに注いでいた。
「さあ――」
「クセモ……っ!」
 叫びかけたルエラの口に蔓の先が押し込まれる。扉の外から、ブルザの声が聞こえた。
「姫様、どうかされましたか?」
「いや、何でもない。少し悪い夢を見ただけだ」
 ライムの口から流暢に流れ出たのは、ルエラと全く同じ声だった。ルエラは否定の声を上げようとするが、もごもご言うばかりで声にならない。
「下手に助けを呼べば、その人物が死ぬ事になるよ? 見張りの一人や二人程度で、僕をどうにか出来ると思うかい?」
 ルエラは黙り込む。口をふさぐ蔓は除かれ、ライムはにっこりと笑った。
「そう。賢い判断だ」
「……殺せ」
 ぽつりと呟かれた言葉に、ライムは目を瞬く。
 ルエラは屈辱に満ちた表情で、ライムを睨み据えた。
「私を殺せ。いずれは魔女として処刑される身。辱めを受けるぐらいならば、死んだ方がマシだ」
 ライムの顔に、不満の色が表れる。
「殺さないよ」
 そして、何かを思いついたようにニヤリと口の端を歪める。
「魔女として処刑ねぇ……それ、受けなくても済む手があるよ。ただ一言、この場で、『助けて』と言うんだ」
 ライムは、ニタニタと嫌な笑いを浮かべていた。
「『助けて』と言えば、僕らが君を助けてあげる。僕らラウには、それが出来るだけの力がある」
 ライムの手が、ルエラの顔を上げさせる。面白がるような笑みが、ルエラを見下ろしていた。
「さあ、僕を求めるんだ。新しい世界を、共に生み出そう」
 提示された一筋の希望。彼らには、魔法がある。魔法使いや魔女の数は、リム国の比ではないだろう。その者達の力を借りずとも、ルエラの寝室まで侵入を果たした彼ならば、ルエラをさらうぐらい一人で遂げられるかも知れない。
 ――でも。
「断る」
 ルエラはきっぱりと、言い放った。
「誰が貴様らの血に濡れた手など借りるものか。言ったはずだ。貴様を受け入れるぐらいなら、死んだ方がマシだと」
「――そう」
 ライムはつまらなそうに言うと、ルエラから手を放した。
「まあ、いいや。その内、気が変わると思うよ。君のお母上や、かつての君自身みたいに。今の君は、いつまでそうやって強気でいられるかな」
 そう言うと、ライムは窓から庭園へと出て行った。
 ライムが去ると共にルエラを拘束していた蔓も消え、ルエラは崩れ落ちるようにその場に膝をつく。鼓動が激しい。息は上がり、ガクガクと手足は震えていた。
 キィ……と言う小さな物音に、ルエラはパッと窓を振り返る。風に煽られた窓が開閉し、小さく音を立てていた。
 窓を閉め、念入りに施錠を確認すると、ルエラはベッドに駆け寄り飛び込むようにして布団に包まった。全身が震えていた。目を閉じると、ライムの笑みが瞼の裏に浮かぶ。面白がるような笑み。ルエラに向けられた、下卑な視線。
 ルエラは不意に起き上がると、ベッドを降り、クローゼットへと駆け寄った。取り出したタオルで、首筋を何度も何度も強く拭う。
 ――私は、ルエラだ。ルエラ・リムだ。
 メリアではない。誰かと恋仲になった覚えなどない。メリアにライム。それらは、伝説で名前を知るのみの人物だ。
『君の魔法は、メリアのものだ』
 違う。違う、違う、違う、違う、違う――!
 足に長い何かが触れ、ルエラはヒッと短く声を上げ、後ずさる。
 床にあるのは、タオルだった。クローゼットの中の引き出しから取り出した際に、一緒に引っ張り出され床に落ちたのだろう。
 部屋を覆う、夜の闇。窓から差し込む月明りだけでは、何とも心許ない。
 ルエラは廊下への扉へと駆け寄る。ドアノブに手を掛け、そして固まった。
 ――廊下に出て、ブルザと会って、何を話す?
 侵入者が出た。それは、即時伝えなければならない事だ。しかし今のルエラは、冷静な報告を出来る状態になかった。
 ルエラは、ずるずるとその場に崩れ落ちる。
 ――誰か……助けて……。
 誰にも告げられないその言葉は雫となって溢れ、ルエラの頬を伝い落ちて行った。


Back Next TOP

2016.3.26

inserted by FC2 system