「――少佐……ブィックス少佐!」
 強く身体を揺すられ、ブィックスは目を覚ました。
 ところどころはねた銀髪。その下にある翡翠色の瞳が、ブィックスを覗きこんでいた。
「ひ、姫様!?」
「寝ぼけてらっしゃるんですか? 映画、終わりましたよ」
 隣に座る少年は、呆れたような瞳をブィックスに向けていた。
 ――ルエラ王女ではない。癖のある銀髪は首筋までしかなかった。
 リン・ブロー。ブィックスと同じく、ルエラ王女に目を掛けられ、第三部隊へと所属した少年――いや、王女を脅し、不当な地位を得ている魔女。ブィックスはルエラ王女のためにも、この魔女の正体を暴くと心に誓ったのだ。
(そう……必ずも今日のデートでこの魔女を俺に惚れさせ、自白させるとな!)
「この映画を見たいとおっしゃったのは、少佐でしょう。どのようなご関係の子を誘う予定なのか存じませんが、上映中に眠っているなんて印象最悪ですよ」
 これはまずい。落とすつもりが、印象を損ねてしまったかも知れない。
「ふ……本番は、彼女を誘う日だからな。あえて今日は、見ないように目をつむっていたんだ」
「そうですか」
 リンは淡々と言って、席を立つ。特に怒っているようには見えなかった。
(気にしていない……? 一般論だったのか……? こやつは、表情を読みにくいからな……)
 外へ出ると、もう陽は完全に落ち、街は夜闇に包まれていた。そこ彼処に灯る明かりが、白い石畳を赤みがかった色に照らしている。
「それで、次はどちらへ?」
「そうだな。食事に行こうか。店を予約してあるんだ。しかし――」
 ブィックスは、リンを見やる。リンは、いつものくすんだ青いコートを着て、おしゃれなどとは程遠い出で立ちだった。
「その前に、服を変えた方がいい。私が買ってやろう」
「いいですよ、このままで」
「お前は良くても、私と店は良くない。ドレスコードと言うものがあるんだ」
「へえ。市民が行く店にも、そう言うものがあるんだな……」
 ブィックスは目をパチクリさせる。リンはハッと我に返り、慌てた様子で言った。
「いえ、あの、私、プライベートでそう言った高い店には入った事がないもので……貴族や王族だけが行くものかとっ」
 リン・ブローがこんな表情を見せるのは、珍しい事だった。長時間の映画を見ていた事で、気が緩んだのかも知れない。
 ブィックスは取って置きの微笑みを見せ、リンの頭を優しくぽんと撫でた。
「君がそんな表情を見せてくれるとはな。今日はプライベートなんだ。肩の力は抜いて、楽しもう。私も、もっと色々な君の表情が見たい」
 笑顔も台詞も完璧だ。女ならば、これにときめかないはずがない!
 しかし、リンは頬を染めるでもなく、ただただ困惑顔だった。
「……熱でもあるのですか?」
「ああ。そうかも知れないな。君といると、鼓動が高鳴る」
「脈は正常なようですが……。念のため、部屋で安静にしていた方が良いです。食事はやめましょう。どこのお店ですか? こちらでキャンセルの連絡を入れておきますから」
 ブィックスの腕を取って脈を測り、至極真面目な表情でリンは言った。ブィックスは慌てて腕を振り払った。
「ええい、そうじゃない!」
 いつもの調子で叫んでから、ハッとブィックスは我に返る。
 彼女を惚れさせなくてはならないのだ。乱暴に扱ってはならない。
 ファサッと前髪を払い、ブィックスは平常心を取り戻しながら言った。
「何、心配する程のものじゃない……せっかくの君との時間を、無駄にする訳にはいかないからね。さあ、服を買いに行こうか」
 ブィックスは手を差し出す。リン・ブローは躊躇いもなくブィックスの手を取り、それから慌てたように離した。
「こ、ここは平坦な道ですし、服も動きやすいものですし、子供ではないので……!」
(突っ込みどころがおかしい! ここは普通、男同士でと言う事に抵抗を感じるはず……やはりこやつは女だ!)
 リンのあげた手を繋ぐ場面が、ルエラ・リム王女に手を貸している場面と重なると言う事には、ブィックスは気付かない。
 二人は、店へ向かって歩き出した。気を取り直し、ブィックスは尋ねる。
「映画の内容は、どうだった? 面白かったか?」
「ええ、まあ。私、映画を見たのなんて初めてで……ヒロインを助けに火事の中へ飛び込んで行く所なんて――あっ」
 言い掛け、リンは慌てて口を押えた。
「内容は知らないようにしているんでしたっけ」
「いや、構わないよ。あの映画は原作付きで、ストーリー自体は知っているから。そのシーンは、主人公がヒロインへの思いを自覚する名シーンだな」
「そうですね。それで、その火事の様子が凄くリアルで、迫力があって……あれって、どうやって撮っているのでしょう? 炎を操る魔法使いが、スタッフにいるのでしょうか?」
「え? あ、そうだな……そう言う場合もあるかもしれないけど、それは珍しいケースだと思うよ。大体は安全を確保して、セットに火をつけて……」
 恋愛映画でまさかそんな所に食いついて来るとは思わず、ブィックスは戸惑いながら答えた。
「でも、魔法でない火事ならば、もっと煙が立つはずです。主人公は何の躊躇いもなく部屋の扉を開けてましたけど、あれも危険な行為で――」
「ああ言うセットはたいてい、一面が空いているんだよ。本物の部屋みたいに囲まれている訳じゃない。撮影機材などを置かなければならないから」
「ああ。それで、同じシーンで百八十度以上視点が切り替わる事はなかったんですね。いや、でも、外のシーンでも……」
「それはわざとだよ。あちらこちらからのカットを繋げると、誰がどこを向いて話しているのか、視聴者に位置関係の混乱を与えてしまうから。向かい合って話しているのに、右を向いて話している人の次に、同じく右を向いて返事をしている人のカットが映ったら、二人で同じ方向を向いているように見えるだろう? だから、ぐるぐると辺りを回ったりなどの特殊な演出以外では、決められたラインの片側から撮影するんだそうだ」
「詳しいんですね」
「こんな魔法だから、一時はそう言う方面に役立てられないかと思った事もあってね……って、そうじゃなくて!」
 ブィックスは、慌てて軌道修正する。特殊効果やカメラワークの話なんてしたくて映画に誘った訳ではない。
「話の方はどうだった? やはり女性は、ああやって守ってくれる男性に憧れるのだろうか」
「そうですね……まあ、感謝はするんじゃないですか? 映画のように、恋愛に発展するかどうかは別として。ただ……」
 街頭の明かりが店の屋根に遮られ、リンの顔に影が差す。
「……あのヒロインは、ああも守られてばかりで申し訳なくならないのでしょうか。私なら、嫌です。無力に、守られるばかりだなんて。大切な人が怪我をしたり危険な目にあったりしているのに、その背中に縋るしか出来ないなんて」
 ピタリと、ブィックスは足を止める。
「……それはまさか、姫様の事を言っているのではあるまいな? 姫様には、姫様の務めがある。姫様をお守りするのが、我々の務めだ」
 リン・ブローは、遅れて足を止める。少しだけ振り返ったその横顔は、自嘲するような笑みを浮かべていた。
「……私自身の話ですよ」
 短くそう言って、リンは歩き出した。
 ブィックスはその背中を睨む。――これだから、ブィックスはリン・ブローが嫌いなのだ。
 ルエラ王女に信頼され特別な任務まで与えられていながら、その彼女を貶すような発言を悪びれる事もなく平然と行うから。

「……いや、ちょっと待ってください」
 ブィックスの案内した洋装店へと入り、リン・ブローは上ずった声を出した。
 店内に並ぶのは、ブラウスやワンピースなど、ややフォーマル寄りな衣服。奥の壁沿いには、イブニングドレスやなんかも並んでいる。
「この店、女物しかないじゃないですか!」
「そうだが? 何か問題があるかね?」
「問題しかありません」
「予約した店と言うのが、男女客ばかりの所でね」
 ブィックスはそっと、リンの頬に手を添える。
「何、君なら問題なかろう。こんなに可愛い顔をしているのだから」
 白い歯を輝かせ、ブィックスは微笑う。
 リンは、パシッとブィックスの手を払った。そして、くいっと踵を返す。
「帰らせていただきます」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
 ブィックスは、店を出て行こうとするリンの腕を掴んだ。辺りに視線を走らせ、声を落とす。
「実は、誘おうとしている親戚の娘と言うのが、魔女の嫌疑が掛かっているそうでね……軍が捜査するような事態にはまだ至っていないらしいが、周囲から疑惑の目を向けられていると……」
 リンは立ち止まり、振り返った。
「なぜ、それを最初から仰らなかったのですか」
「魔女の噂が経っているとは言え、幼い頃からよく知る子だからな……あまり広めたくはなかった。軍の捜査に至っていないと言う事は、周囲の勘違いかも知れないしな」
 嘘に嘘を重ねる事になるが、これも魔女を捕らえるためだ。
「話の内容が内容だから、どこかそこら辺のレストランと言う訳にもいかない。どの辺りの席がより目立たずに済むかだとか、そう言う事も確認しておきたいんだ」
 スラスラと口をついて出る出まかせに、リン・ブローはやや渋い顔をしながらもうなずいた。
「そう言う事なら、仕方ありません……。私も協力いたしますから、詳しい話を聞かせてください」


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2015.08.10

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