「お前、さっきレーナと何話してたんだ?」
 検査での魔女断定を回避するため、ルエラと入れ替わったアリー。書類の山を本人に託し、ディンと二人で屋上庭園へと出た時の事だった。
 二人は、背の高い生垣の間を歩いていた。ディンの問いに、アリーは人差し指を口元に立てて小首を傾げる。
「女の子だけの秘密」
「お前は男だろ」
「駄目だよー、『ブラウン』君。お姫様にそんな口利いちゃあ」
 おどけた口調で畳み掛けるアリーに、ディンの苛立ちが募っていくのが分かった。
「あのなあ! いい加減にしろよ。王女ったって、お前はただの影――」
 叫び掛けたディンの口を、アリーは片手でふさいだ。もう一方の手で、無言のまま彼の後方を指し示す。
 話し声が聞こえていた。声と足音は、二人分。だんだんとこちらへ近付いて来る。
 アリーとディンは身を屈め、生垣の裏に姿を隠した。足音の主達は、生垣の向こう側を通っているようだった。
「ああ、順調だ。検査の結果は報告された。陛下も驚いておられたよ。無理もない。まさか、自分の娘が、事実、魔女だったなどと」
 そう話す声の主は、カッセル子爵だった。マティアスの後妻、クレアの父親。
 アリーとディンは、無言のまま顔を見合わせる。
 もちろん、検査はまだ行われていない。その結果を誤魔化すために、アリーとルエラは入れ替わったのだから。
 彼が、捏造したのだ。己の邪魔者となるルエラを、排除するために。
「ルエラ王女が魔女となれば、ソルドの軍人による暗殺未遂は正しかった事になる。リムはただ、魔女に騙されていただけだ。国のためにも、彼女の死は必要だ。そう考える者が多かった。君が手を貸してくれたおかげだ」
 軍人は黙したまま、ただ恐縮するように頭を下げる。
「第三部隊の様子はどうだね?」
「瓦解も時間の問題でしょう。対象も、ルエラ王女を見放した様子。彼女に味方する者は、サンディ・ブルザぐらいでしょう」
「国軍上がりの佐官一人がいたところで、大した脅威にはならん。お前は、後は目立たぬよう気を付けろ。私との接触の痕跡は消しておくよう」
「はっ」
 足音が遠ざかって行く。声も足音も全く聞こえなくなってから、アリーは震える声で呟いた。
「大変だ……ルエラに知らせなきゃ」
「待て!」
 駆け出そうとしたアリーの腕を、ディンが引き止める。
「放せよ、ディン! ルエラを逃さないと」
「あいつの事だ、こんな話聞いたら逃げるどころか、自ら処刑を受け入れかねない。カッセル子爵が話してたろ。ルメット准将の王女暗殺未遂で、今、リムとソルドは一触即発の状態だ。ルエラが魔女として処刑される事が、唯一の戦争を回避する道……魔女という共通の敵を仕立て上げ、准将は魔女に立ち向かった英雄、リム国は魔女に騙されていた被害者になる事でな」
「そんな……そんなの、おかしいよ! ルエラ一人が、犠牲になるなんて……。僕は嫌だ。ルエラを死なせたくない」
「俺だって同じだ。准将の存在がネックなんだよな……どうせラウの奴らが噛んでるんだろうけど、まったく厄介な事をしてくれたぜ……」
 ディンは苦々しげに歯噛みする。
 一時の沈黙。ややあって、アリーは静かに口を開いた。
「……ディン。それなら、ルエラがやりそうな事を先手を打って僕らがやっちゃうってのは、どう?」
「お前……まさか……」
 ディンはハッとした顔でアリーを見下ろす。青い瞳を真正面から見据え、アリーは言い放った。
「僕が、このままルエラ・リムとして処刑される」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ……! ルエラが助かっても、お前が犠牲になるんじゃ、一緒じゃねーか。何か他の手段で……」
「他の手段って、具体的には? この話は、いずれルエラの耳にだって入る。ルエラはきっと、僕らを振り払って一人で火の中に飛び込もうとするよ。魔女だって事が公になってしまった以上、同盟国の王子である君も表立って動く事は出来ないでしょ? 魔女を妃にとるなんて言い出したら、レポスでも暴動が起こるよ」
 ディンは言葉を詰まらせる。
 アリーは、にこりと笑った。
「守られてばかりなのは、嫌なんだ。僕は、僕にしか出来ない事をやる。ディンも、君にしか出来ない事があるだろう? 後を頼むよ、王子様」

* * *

 皆が我に返る前に、ルエラは動いた。広場に轟音が鳴り響き、アリーとルエラを取り囲むように巨大な氷の結晶が地面からせり出す。民衆は逃げ惑い、一瞬の内に辺りは混乱に陥った。
 ルエラは柱の上から飛び降りると、アリーの縄を氷の短剣で断ち切った。
「馬鹿ルエラ! なんで来たんだよ!」
 身を乗り出し怒鳴るアリーに、ルエラは無言で頭突きを食らわせた。ガツンと鈍い音が響いた。
「いったぁ……」
「馬鹿は貴様だ! 私がお前をみすみす殺されると思ったか!?」
 激情に任せて怒鳴り返すと、ルエラはアリーを抱き寄せた。
「え、ちょ、あの、ルエラ?」
「自分の命を粗末にするなと……そう私に言ったのは、お前じゃないか……」
 絞り出した声は、震えていた。
 怖かった。恐ろしかった。アリーが殺される、もう二度とこの温かな温度に触れる事が無くなるのだと思うと、いても立ってもいられなかった。
 それも自分の代わりに殺されるだなんて、そんな事は決してあってはならない。
 アリーはうつむく。そして、ぽつりと呟くように言った。
「……粗末にしている訳じゃないよ」
 静かに、言い聞かせるように、アリーは話す。
「今ここでルエラ王女が魔女として処刑されれば、ソルドとの戦争を食い止める事が出来るかも知れない。ルメット准将も、魔女に騙されていたとして汚名返上出来る。ソルドとのパイプを保てる。
 でも、ルエラ自身が死んじゃうのは駄目だ。僕なら、いなくなったところで、何も変わりはしない。僕よりも、ルエラの方が、ずっと生きていなくちゃいけない存在なんだ。それに、僕もルエラには生きていて欲しいから。
 僕がいなくなった後、残ったディンや私軍の人達がルメット准将を釈放するように働きかけて、ルエラを守りつつソルドとの国交を保つ……そう言う手筈だった」
「……それが、命を粗末にしていると言っているんだ。人の命の重さに、大小など無い。皆、等しく一人分の命なんだ。それは、国や金で購えるものではない。もちろん、アリー。お前もだ」
 ルエラは、アリーから身体を離す。そして、その大きく茶色い瞳を正面から見据えた。
「お前が私を死なせたくないと思うのと同じように、私もお前を死なせたくない。アリー、私にはお前が必要なんだ」
「ルエラ……」
「行くぞ。軍には炎の魔法使いもいる。彼らが来れば、こんな壁、すぐに溶かされてしまう」
 角柱型の結晶は幾重にも重なり合い、ルエラ達と民衆とを阻む巨大な壁となっていた。
 ルエラはアリーに手を差し出す。困ったように笑いながら、アリーはその手を取った。
「……うん。行こう」
 氷の迷宮と化した広場を外へと駆け出す。
 不意に、目の前の壁が熱と共に溶け去った。ルエラは立ち止まり、構える。もう、炎の使い手に追い付かれたか。
 溶けた壁の向こうに立っていたのは、フレディ、ディン、レーナの三人だった。
「ご無事ですか、ルエラ様!」
「ったく、無茶しやがって……!」
 ルエラとアリーは、三人の元へと駆け寄る。
「レーナ、その格好、どうしたの?」
 アリーは、まじまじとレーナを見つめる。彼女は、その特徴的な青い髪を銀髪のカツラの下に隠し、青いコートを見にまとっていた。――まるで、男装している時のルエラのように。
「ルエラさんから借りたんですのよ。ディン様は何としてもルエラさんの行動を止めるでしょうし、リン・ブローが民衆の間にいるのが見えれば、警戒する私軍もそちらに気を取られるでしょうからと」
「お姫様二人に謀られたぜ。味方まで騙すなんて……」
「これでおあいこだ」
 ルエラは口の端を上げて笑う。ディンは「うっ」と言葉に詰まった。
「広場に、ユマさんがいらしていましたわ」
 アリーは目を見開く。
「アリーさんが助けられたのを見て、ホッとしたようでした。ルエラさんが魔女だという事は、ルエラさん自身が明かしてしまいました。もうこれ以上、彼女に出来る事は何もないでしょう」
「……ユマには、悪い事をしてしまったな」
「ルエラ様が気に病まれる事ではありません」
「ありがとう、フレディ。さあ、行こうか。あまりグズグズしている訳にもいかない」
 五人は再び、走り出す。
 高くそびえる、氷の壁。それは軍の者達からの目くらましにもなったが、ルエラ達もまた、目の前の壁を曲がった向こうに何が待ち構えているか目で確認する事は出来なかった。
「ルメット准将はどうする?」
「彼には、街の境で待ってもらっている。人の多い所に引っ張り出すのは危険だから」
「軍に保護させるんじゃ駄目なの? 元々僕らが考えていたみたいに、魔女に騙されてたって主張させて」
「こうなったら駄目だ、危険過ぎる。これからは、私軍との連携も困難になるだろう」
 ディンが答えたその時、不意にフレディが立ち止まった。
「フレディ?」
 ルエラ達も歩を緩め、振り返る。フレディは、手にした杖を地面へと突き立てた。
 途端に、燃え盛る炎がルエラ達を取り囲む。ルエラ達のいる場所だけが、ぽっかりと丸く穴が開いたように炎を拒んでいた。
 フレディが魔法を放ったのではない。外から放たれた炎から、フレディが守ったのだ。
「来たか……!」
 周囲を取り囲む氷の壁が、火炎の熱に溶け落ちて行く。消滅した壁の向こうでは、炎の海を取り囲むように軍の者達が銃を構えていた。


Back Next TOP

2016.10.8

inserted by FC2 system