「お先に失礼します」
「ああ、今日は早く上がるんだったか。ここのところ、ずっと根詰めっ放しだったからなあ。しっかり休むといい。お疲れ、ティアナン少佐」
 ティアナンは軽く頭を下げ、軍部を後にする。
 ラランド夫妻の死亡から、一ヶ月が経った。屋敷には、結婚式にも姿を見せなかった親戚達が集まり、質素な葬儀が行われた。いつだったか、オーフェリーから聞いた事がある。親戚の者達は、魔女処刑人という役職を穢れたものだとして疎んでいると。明らかに、資産だけが目当ての者達だった。
 そんな者達にアリーを預けたくはなかったが、赤の他人であるティアナンには、どうする事も出来なかった。ラランド家の遺産は、アリーが背負う。引いては、アリーを預かった者に転がり込む事になる。アリーを引き取る事は拒んでも、第三者であるティアナンに預ける事は、決して許しはしなかった。
 結局、アリーは親戚の者達に引き取られ、街を出て行った。
 アリーが親戚と上手くやっていけるかは心配だが、今の首都の情勢を思えば、これが最善だったのかもしれない。
 自宅へと帰り着き、溜息を吐く。ずっと軍部に寝泊まりしていて、床にはうっすらと埃が積もっていた。まずは、掃除が必要か。もういっそ、軍舎にでも入った方が良いかもしれない。どうせ、もう尋ねて来る者もあまりいないのだから。
「お帰りなさい、ティアナン少佐。待ちわびたわ」
 背後から掛けられた声に、ティアナンは息をのむ。
 振り向き構えた銃は、先端を鋭い蔓に寸断された。二丁目の銃を抜き、引き金を引く。同時に蔓が襲い、転がるようにして避ける。
 起き上がり再度銃を構えた時には、蔓の先がティアナンの喉元へと当てられていた。
 蔓の先に立つ人物を見て、ティアナンは目を見開く。
「あなたは……!」
 発砲された銃弾を避けた拍子に、フードが落ちていた。淡い緑色の髪を、彼女は手で払う。
「お久しぶりね。覚えてくれているみたいで、嬉しいわ」
「自国の王妃の顔を、忘れるはずがないでしょう。……噂は、本当だったと言う事ですか」
 冷たい汗が、頬を伝う。
 不思議と、恐怖や驚愕といった感情は沸かなかった。噂についてどう思うか、クロードと話し合った事があった。その時、ティアナンは言った。「分からない」と。
 事実、どう判断して良いか分からなかった。確かに、ヴィルマが魔女ならば犯行は可能だ。しかし、それだけで魔女だと決めつけるのは早計過ぎる。
 信じたいからこそ、理由を探しているのかもしれない。ティアナンは、そう言った。
 信じたい……それはつまり、既に、ティアナンの中に疑念があったと言う事。いつかこうなる事を、予期していたのかも知れない。
 ヴィルマは微笑む。それは、かつてティアナンが見た、気の弱い物静かな女性の笑みではなかった。背筋が凍るような、冷たい笑み。
「さすが、軍人相手となると、一筋縄ではいかないわね……」
「……あなたが、クロードやセリアさんも殺したのですか」
「ええ。ねぇ、あなたは知っているんじゃない? 彼らの息子が今、どこにいるのか」
「知っていたとしても、教えるはずがないでしょう」
「そう……」
 ヴィルマは横を向き、溜息を吐く。身構えもしない、張り詰めた様子もないその仕種は、しかし隙のなさを思わせた。――彼女は、場慣れしている。
 ティアナンは引き金に指を添えたまま、キッとヴィルマを見据える。
「……何故ですか」
 紫色の瞳が、横目でティアナンを見る。
「何故、こんな事を……。あなたには、夫も、子供もいるでしょう。どうして今になって、それを自ら壊すような事をしているのですか」
「壊す? いいえ。私は、作っているのよ。私達の居場所を。そうね、あなた達人間には分からないでしょうね」
「質問を変えます。……これは、オーフェリーの仇討ちと言う事ですか。私達によって、仲間の魔女が殺されたから……」
「あら、よく分かってるじゃない。でも、一つだけハズレ。オーフェリーは、魔女じゃなかったわ。あなた達は、間違った人物を殺した」
 ぞっと全身の毛が逆立つのを感じた。
 ずっと、恐れていた事。
 ティアナン達魔女捜査部隊は、オーフェリー・ラランドを魔女だと断定した。私情を捨て、彼女を火刑に処した。全ては、国のため。市民のため。
 ――しかしもし、それが間違いだったら。
「いいわぁ、その顔。人々のために、魔女を殺さなきゃいけないから。その大義名分だけが、あなたを支えていたのだものね? お国に忠実な軍人さん。
 でも、あなたは間違っていた。昔も今も、事件の中心にいた魔女は、この私。オーフェリーは人間だった。あなたは、何の罪もない恋人を殺したのよ」
 気が付けば、引き金を引いていた。
 小さな部屋に、連続した銃声が鳴り響く。連射しきった銃を捨て、懐から次の銃を出して撃ち続ける。
 ヴィルマは、蔓に覆われていた。弾は全て弾かれ、床に落ちる。素早く弾を詰め、更に撃つ。彼女に何のダメージも与えていない事が分かっても、撃たずにはいられなかった。
 あっと言う間に、弾はなくなった。銃撃が止み、大きな鳥籠状になった蔓の間が割れ、彼女の顔がのぞく。
「ねえ、見覚えがあるでしょう? この囲い」
 カランと空しい音を立てて銃が落ちる。
 目の前にそびえる、太い蔓による壁。ヴィルマを取り巻くそれは、あの日、オーフェリーを建物の崩壊から守っていたものだった。
「魔女が自分の身をなげうってまで、他人を救うはずがない。あなた達はそう思っていた。魔女は悪だと決めつけていたのが、あなた達の罪よ。実際に魔女である私だって、今回の事件までこの手を血に汚した事はなかった。誰も傷付けず、誰にも迷惑をかけず、ただ、大切な人達と一緒に笑っていたかった」
「オーフェリー……嘘だ……そんな……」
 ティアナンは、呆然自失としてその場に崩れ落ちる。
「今更、後悔しても遅いわ……。魔女が他者をかばうはずないと考えるなら、大人しく魔女の嫌疑を受け入れるオーフェリーの事も魔女ではないと考えるべきだった」
 一本の蔓が伸び、その鋭い先端をティアナンへと向けられる。
「……さようなら、トッシュ・ティアナン少佐」
 一陣の風が、部屋の中を吹き抜けて行った。
 痛みはなく、意識ははっきりとしたままだった。ティアナンを狙っていた蔓の先端が、目の前へと落ちる。
 ティアナンは顔を上げる。双剣を握る黒髪の男が、ヴィルマへと襲い掛かっていた。ヴィルマは魔法で応戦してはいるものの、彼の素早く的確な動きに圧倒されていた。
「キーウェルト将軍……」
 私軍総大将、グウェナエル・キーウェルト。国王を最も近くで護る者。つまり、今は――
 キーウェルトの剣が、ヴィルマへと突き刺さる。同時に青い光が部屋に満ち、ティアナンは思わず目を瞑った。
 目を開けるともう、そこにはヴィルマの姿はなかった。
「逃げおった。しかし、確かに手応えはあった。奴は魔女だ、致命傷にはならんだろうが、あの傷で直ぐに暴れる事は出来んだろうよ」
 キーウェルトはティアナンへと目を向ける。
「魔女に何かされたかね? 呪いは? 怪我は?」
「いえ……」
「うむ、よろしい」
 短く答え、キーウェルトは玄関へと目を向ける。ティアナンは、その視線の先を追った。
 ティアナンが休みを取ったのは、人と会う約束があったからだ。キーウェルトは、その人物の護衛。
 玄関からの廊下の途中には、呆然自失とした様子で、マティアス・リム国王その人が立ち尽くしていた。
 ガクリと膝をつくマティアスに、ティアナンは駆け寄る。
「陛下……!」
「どうなされますか、マティアス陛下」
 キーウェルトの厳格な声色が、背後からかかった。
「陛下ご自身も、たった今、その目でご覧になったでしょう。『あの魔女』を、どうなさいます」
「……国中に報じてくれ」
 マティアスの声は、震えていた。
 顔を上げた彼の表情は、怒りと恨みに歪んでいた。
「ヴィルマを捕らえよ。ああ、私は間違った者を信じてしまった……! 魔女の幻惑とは、何と恐ろしい事か。甘言に騙され、処してしまった罪なき者達に、償わねばならん。ヴィルマは――奴は、魔女だ。捕らえて、火炙りに掛けよ!」

 北歴一七〇八年九月二十七日。
 百余日間に渡る大量虐殺事件は、魔女ヴィルマの逃亡によって幕を下ろした。


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2016.7.16

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