「中佐は任務中につき、対応できません。伝言でしたら、承りますが」
「いえ……直接お話ししたいので。また、日を改めます」
 ぺこりと小さく頭を下げると、ユマはそそくさと軍部を離れて行った。
 ビューダネスへ到着したユマがまず向かったのは、街の中心、リム城の門から二つほど通りを隔てた先にある国軍総司令部だった。
 ペブルでの事件で、アリーを助けるために奔走してくれた軍人。何かあったら、頼ってくれていい。そう言っていたティアナンを尋ねたのだが、彼には任務のため会う事は出来なかった。その日は宿を取り、今日改めて再度訪ねてみたのだが、結果は同じだった。
 魔女捜査部隊に所属するトッシュ・ティアナン中佐。ルエラ・リム王女に魔女嫌疑が掛かっている今、事前の連絡もなしに会おうなど無謀だったのかも知れない。
 軍部を離れ、城を回り込むように少し行った先で、ユマは店へと入った。
 何の建物なのか、無機質で大きな建造物の並ぶ通り。しかし、駅前や城門前ほど騒々しくはなく、客層もユマと同じような一人の者が多く、居心地が良かった。
 その日は珍しく、奥のカウンターに二人組の客がいた。二人とも眼鏡を掛けていて、一人は細く、一人は丸かった。正反対の二人だが、同じ眼鏡でも軍人のティアナンとは異なり、二人ともいかにも体力が無さそうだという点は共通していた。
 二人組の他には、窓際のテーブル席と、カウンターにもう一人。やはりどちらも、一人客だ。
 テーブル席へと向かいかけたユマは、聞こえて来た会話に足を止めた。
「しかし、あの姫様が魔女だなんて、本当なのかねぇ。視察にいらした時の印象を思うと、どうにもあの人が魔女だなんて思えないんだよなあ」
「暴動まで起こったんだ。火のない所には、噂は立たないって言うしな……暗殺事件やら検査やら、国まで動いてるって事は、何かあるんだろうよ」
「それじゃ、誰かが見たのか? 姫様が魔法を使うところを。どうせまた、派閥争いの延長でヴィルマの娘だからとか何とか、難癖つけて大事にしてるだけなんじゃないの」
「……私、見たわよ。ルエラ王女が魔法を使っているところ」
 突然話に割って入ったユマを、二人は驚いた表情で振り返った。
「ごめんなさい。話が聞こえて、気になって……」
「見た? 君はいったい、何者なんだい?」
「ただの東部の学生です。ルエラ王女が、私達の町に来た事があって。アリー……あ、私の友達なんですけど、その子に魔女の疑いがかかった事があって……冤罪で、本当の魔女は他にいたんですけど……その時に、会って」
 思わず割って入ったものの、話がまとまらず、ユマはしどろもどろに話す。それでも、二人は丸椅子をくるりと回し、身体ごとユマに向き直って興味津々の顔で聞き入っていた。
「姫様は普段、地方を旅しておられると聞いた事があるな……じゃあ、その時に?」
「地方とは言え、堂々と魔法を使えば魔女として捕まるだろう」
「もちろん、本名は名乗ってなかったわ。男装をしていたの。偽名を使って、役職まで用意して。その名前は、リ――」
「やあ、待っていたよ。急ぎだと言ったのに、他の男と話しているなんて酷いじゃないか」
 ユマの話を遮るようにして、一人の男が割って入ってきた。窓際のテーブル席に座っていた男だ。
 黒いトレンチコートに身を包んだ男は、ユマの腕をつかむと強く引っ張った。
「さあ、行こう。スミスさんも待ってる」
「えっ。な、何――」
 反抗しようとしたユマの腕に、痺れが走った。瞬間的な痛みに麻痺するユマを、男は軽々と抱え、店から連れ出す。
 男は、あまり遠くまでは歩かなかった。店を離れ、路地裏に入ると、ユマをそっと下した。あまりに優しく丁寧な動作に、彼が突然ユマを拉致した不審な男だと、一瞬、忘れてしまいそうになるほどだった。よく見れば、眼鏡と髭でほとんど隠れているがずいぶんと整った顔立ちだ。
 ハッと我に返り、ユマは後ずさる。冷たくじめじめとした壁が、背に当たった。
「な、何なの!? まさか、あの魔女の仲間なの!?」
「幸運な事に、私は魔女の仲間ではない」
 男は落ち着き払って言った。
「さっきの話、他にもどこかで話したか?」
「話してないわ……今が初めてよ」
 警戒し、目の前の男を睨みつけながら、ユマは話す。男は顔色一つ変える様子はなかった。
「そうか。それなら、もう二度と、不用意に話そうとはしない事だ。どこで誰が聞いているか分からないのだから」
「軍人に聞かれるって事? 国は、また粛清をしているの? 十年前みたいに」
「軍人ならまだいい。君は、真実を知っているみたいだからね。――軍より、もっと厄介な人達に目を付けられる可能性がある」
「軍より厄介……? 貴族や王族って事?」
「貴族よりもっと陰湿で、王族よりもっと力のある者達さ」
 男との話は、まるでなぞなぞでもしているかのようだった。的を射ず、掴みどころがない。ユマに詳細を悟らせぬよう、わざとそういう言い方をしているのだとありありと感じられた。
「周りの建物が何だか、君は分かっているかい?」
「周り……? 工場か何か?」
 通りに続いていた建物を思い返しながら、ユマは答える。広く、無機質な建造群。男は、首を左右に振った。
「研究所だ。――魔法研究所。今は、ルエラ王女の魔女嫌疑の真偽を確かめるべく、動いている。国は今、歪んでいる。噂の真偽に関わらず、ルエラ王女を処刑したい者達もいれば、どうにかして噂の目を潰そうと考える者達もいる。そして更にまた別の方向からルエラ王女を狙い、その周辺に手頃な餌がないか漁っているハイエナのような者達も。巻き込まれたくなければ、今すぐここから離れたまえ」
「あなたはいったい、何者なの……?」
 男は、ふっと微笑んだ。笑顔を見せるのに慣れているのだろうと思わせる、微笑み方だった。
「君と同じ、ただのアリー君の友人さ」

* * *

 リン・ブローとその友人の立ち入りを禁じる命令は直ちに城内を駆け巡り、どこの門もルエラらを中へは入れてくれなかった。
 侵入を防ごうとする城に対抗する手立てなどなく、ルエラらは宿へと戻った。この宿のレストランが開くのは、夜だけだ。宿泊客は他におらず、従業員も店の奥で夜の仕込み中。店内にいるのは、ルエラ達だけだった。
「いったい全体、アリーはどういうつもりなんでしょうか……」
「こうなるともう、後はブルザ少佐からの連絡を待つしかないね。彼も理不尽に追い出されたりしていなければ……だけど」
 不意に、ルエラは駆け出した。階段を駆け上がり、部屋へと戻る。素早く着替え、再び仲間達の前に姿を現したルエラは、髪を元の長さに伸ばし、丈の長いワンピースを着ていた。
「ルエラさん?」
「城へ戻る」
「えっ……ちょ、待て待て!」
 ディンが慌てて、扉を背中でふさぐ。
「そこを退け、ディン。このまま追い出されている訳にもいかないだろう。城へ戻り、アリーと話す必要がある」
「戻るって、その格好で街中を歩く気かよ! お前、今の自分が置かれた状況、分かってるのか!? お前が魔女だって信じ込んでる奴も少なくないんだ。怯えるだけの奴ばかりじゃないってのは、この前の暴動で分かってるだろ。行かせられるか!」
「ディン君の言う通りだよ。まずは、ブルザ少佐からの連絡を待とう」
 ルエラはしばしディンと睨み合っていたが、不意に背を向け、近くの席にドスンと腰掛けた。ディンは、ホッと息を吐く。
「なぜだ……どうしてアリーは、こんな事を……」
「ルエラさんのお部屋で会った時には何もおかしな所はありませんでしたわよね? ディン様、本当に、お部屋を出た後、何もなかったんですの?」
「ああ。適当にダベりながら、塔の上にある庭を歩いて……部屋に戻る前に、アリーが私軍に用があるって言い出して。後は、さっきも言った通りだ。部屋の前で待っていたら、取っ捕まって追い出された」
「一緒に事務室に入らなかったのは、アリーがそう言ったのですか?」
「ん? ああ。すぐ終わるから、待ってろって……」
「その時のアリーちゃんの様子に、不審な点はなかったかい?」
「別に何も。あったら、こんなにあっさり放り出されたりしてねーよ」
 あまりにも唐突な裏切り。レーナの言う通り、執務室で会った時には、いつもと何ら変わりなかった。……あるいは、ずっとルエラ達を騙していたのだろうか。
 ボレリスの研究所から逃げた子供達の生存を知る者達の中に、ラウとの内通者がいる。まさか、アリーがその内通者だった? 魔女に両親を殺されているアリーが?
 それとも、黒幕は別にいるのだろうか。アリーの目は、虚ろではなかった。魔法で操られていたとは考えにくい。そこには、アリーの意志が感じられた。
 誰かに騙されている? あるいは、脅されている? 誰に? いったい何のために、ルエラを城から追い出す必要がある?
 ぐるぐると疑問ばかりが渦巻いて、その答えは見つかりそうにない。まるで、出口のない迷路に迷い込んでしまったかのようだ。
「……あいつ、自分が地位も何も持たない事にコンプレックス感じてたみたいだし、もしかしたら、魔が差したのかもなあ……」
 ディンが窓の外へと目をやり、ぼやく。
 色とりどりの屋根の向こうに見える城は、夕陽を浴び、紅く染まっていた。

 その日の内に、ブルザからの連絡は無かった。
 闇に覆われた宿の一室で、ルエラは膝を抱え、ベッドの上に座り込んでいた。
 昨晩も同じだった。眠ろうとすると、瞼の裏にライムと名乗ったあの男の顔が浮かんだ。悪夢にうなされ、何度も飛び起きた。窓を揺らす風の音さえも、あの男が来たのではないかとルエラを怯えさせた。
 コンコン、とゆっくり戸を叩く音がして、ルエラは素早く立ち上がった。瞬時に出した氷の槍を握り締め、部屋の戸を睨み据える。
「……ルエラさん? 起きています?」
 控えめな声は、レーナのものだった。ルエラは恐る恐る扉ににじり寄り、細く隙間を開けた。そこに立つレーナの姿にホッと安堵の息を吐くと、槍を消す。彼女を部屋へと迎え入れ、自分はベッドへと腰掛けた。
「やっぱり、起きていましたのね」
「ああ、たまたま……」
「嘘」
 強い語調で、ルエラの言葉を遮る。濃紺の瞳は、真っ直ぐにルエラを見据えていた。
「昨日も、眠れていないのでしょう? ――クルトさんの事があったからじゃありませんの?」
 ルエラは丸く目を見開く。そして、フイと顔を背けた。
「メリアとライムは恋人同士だったと、伝承ではそう語られています……。あの夜、ライムを名乗った侵入者は……その、ルエラさんに、関係を迫ったのではありませんの?」
 どっと押し寄せる不快感。あの男に触れられた感覚が、耳元で囁かれた声が、蘇る。手も足も出なかった。もう駄目なのだと、そう思った。
 ルエラは、ぎゅっと膝の上で拳を握る。
「……情けないな。奴はここにはいないのに、思い出しただけで震えが襲う」
 レーナはルエラの隣に座ると、そっとルエラを抱き寄せた。
「何もおかしい事なんてありませんわ。女性なら、当然の事です。私、今夜はここで寝ますわ。お一人でいるより、気休め程度にはなるでしょう?」
「……ありがとう」
 レーナに身体を預け、ルエラはぽつりと呟いた。
 ルエラ達が泊まっているのは、一人部屋しかない小さな宿だった。当然部屋には一つしかベッドがなく、代わりになるようなソファもない。二人でルエラのベッドに入るしかなかった。
「すまない、レーナ……狭くはないか?」
「平気ですわ」
 レーナはケロリと答える。
「……手を」
「はい?」
「手を、握っていても良いか?」
「ええ」
 顔の横に差し出された手を、ルエラは握る。恐怖は薄れ、震えが引いていくのを感じた。
「……ルエラさんは、もう少し人を頼ってくださっても良いのですよ? 相当参ってらしたのでしょう。夜も眠れないほどに」
 ルエラは黙りこくる。少し離れた大通りを、一台の車が走って行く音が聞こえた。
「私達は、ルエラさんの仲間です。互いに支え、背中を預ける。それが、仲間と言うものでしょう? 辛い時は辛いと、怖い時は怖いと言って良いのですわ」
「……うん」
 ルエラは、きゅっとレーナの手を握る手に力を入れる。
「しかし、さすがレーナだな。ディン達は、さっぱり気づいていない様子だったのに」
「実は、気付いたのは私ではありませんの」
「え?」
 ルエラは目を瞬く。
「アリーさんですのよ。今日、リム城へ伺った時、ルエラさんがいらっしゃるのを待っている間に。ルエラさんが寝不足気味だとディン様から聞いて、私だけ呼んでこっそりと。自分は今、一緒にいてやれないから、気を付けてあげて欲しいと」
『僕もこんななりだから、同じような目に遭った事あるんだよね。まあ、返り討ちにしてやったけど。可愛いと何かと大変だよねー。レーナも、気を付けなきゃ駄目だよ?』
 そう、アリーは言っていたらしい。ルエラはクスリと笑った。
「相変わらずだな、あいつは」
「ええ。ですからきっと、私達を追い出したのだって、何か理由があるのですわ。アリーさんが、私欲のためにルエラさんのお立場を乗っ取ったりなさるはずがありません」
「……ああ」
「明日また、お城へ伺いましょう。もしかしたら、何か状況が変わるかもしれませんもの」
 ルエラは、強くうなずいた。


Back Next TOP

2016.4.30

inserted by FC2 system