街は、闇に覆われていた。
 白い石畳の道、人の行き交う通りは時折通り馬車や自動車が過ぎ去って行く。建物はどこも大きな屋敷ばかりで、その柱や窓には繊細な彫刻が施されている。魔除けとして悪魔を模した、コウモリのような姿の彫刻は、闇の中幽かな光源を受け不気味に浮かび上がっていた。
 城の門前にある広場には、大勢の大人達が集まっていた。大人達の足元を縫うようにして、一人の子供が駆けて行く。赤いコートに身を包み、ふわふわとウェーブのかかった髪を肩まで伸ばした姿。子供の手には、茶色い紙袋が抱えられていた。
 城から遠ざかるほどに行き交う人の数は少なくなっていく。特に陽が落ちてからは、どの家も扉を固く閉ざし、窓には板を張り、灯りも漏らさぬようにして息を潜めていた。
 子供が行き着いたのは、赤いレンガ造りの大きな屋敷だった。
「ただいまーっ」
 家の中からの返答はなかった。広い玄関ホール。奥には二階に続く階段があり、その手前には広間への扉がある。扉は開け放たれ、その前に一人の女性が佇んでいた。
 そして。
 広間には赤い血溜まりが広がり、二人の男女が折り重なるように横たわっていた。
 茶色い紙袋がその血溜まりの中に落ち、赤く染まって行く。フードを目深に被った女は、冷たく笑う。
 ――王妃は魔女だ。
 この頃、国中の人々が軍の目を盗んで噂していた。国王は己が妻を信じ、噂する者達を粛清した。

 両親を失った金髪の子供は、屋敷の外にいた。屋敷では、名前も分からない親戚の者達が、今後の事について話し合っていた。莫大な遺産は欲しいが、王妃の犯行を目撃してしまった子供は、厄介な存在だった。
 暗い路地裏。うつむく子供の前に、小さな手のひらが差し出される。
 金髪の子供の前に立つのは、白い布を頭に巻いた小さな少年。綺麗な翡翠色の瞳が印象的だ。
 暗闇の中で光を求めるように、金髪の子供は彼へと手を伸ばした。





 汽車の走る駅からは少し離れた、暗い町並み。そこに、小さな宿屋があった。白い壁に、赤い三角屋根。たいていの宿屋は、二階に寝泊まりする部屋があり、一階は泊まり客以外も受け入れたレストランになっている。この宿屋も例に漏れず、一階の窓からは灯りが漏れ、客達の笑い声が絶えなかった。
「アリー! 次、こっちも頼むよ!」
「はいはいー」
 緩やかにカーブを描く金髪を二つに結んだ従業員が、明るく答える。歳は十五、今年で十六になる。良い家の子供であれば学校へ通っている年齢だが、遠い親戚に預けられた身の上で、あいにく、そんなお金はなかった。
「アリーちゃん、こっち! 追加頼んじゃうよ!」
「俺も注文!」
 若い男性客が、競うようにアリーを呼ぶ。
「はーい、順番っこだよー」
 アリーは慣れた様子で、ニコニコと答える。厨房へ続くカウンターでは、調理を担当する女が待っていた。
「アリーちゃんがいると、皆どんどん注文してくれるから助かるよ」
「えへへ……おばさん、シチュー二つ」
「はいよ」
 カウンターで受け取ったキッシュを、窓際に座る男の元へと運ぶ。
「お待たせしましたー」
 料理を置き、去ろうとしたアリーの手を、男が掴んだ。男は、アリーの手を両手で包み込むように握る。
「アリーちゃん、返事は考えてくれたかい?」
「えー。返事も何も、ケレルさん、彼女いるじゃないですかー」
 笑って軽く受け流しながら、それとなく手を振り払う。彼もまた、アリー目当ての常連客だった。
「彼女なら別れたよ。僕の気持ちは君にあるのに、関係を続けるなんて不誠実な事は出来ないからね。僕は真剣なんだ。君も、真剣に考えてみてくれないか?」
「真剣も何も、そんなあっさり彼女捨てちゃうような奴が何を言って……」
「え? ごめん、周りの声が大きくて……」
「あ、いや、何でもないです!」
 アリーは慌てて手を振る。
「あっ。僕、あっちのテーブル片付けないと!」
 思い出したように言うと、アリーはそそくさと男の座る席から立ち去った。
 反対側の壁沿いまで辿り着き、ふーっと深い溜息を吐く。ちやほやされるのは悪い気はしないが、稀にああ言う本気でアプローチを掛けて来る男は扱いに困る。
 男達には悪いが、アリーがその想いに答える事は決してない。何故なら――
「お疲れ、アリー。相変わらず、モテモテね」
 近くの席から声が掛かった。
 夜の客は家族連れや友達連れが多く、一人席の並ぶこの辺りは空席が多い。その中に一人、コーヒーを片手に本とノートを広げた女の子が座っていた。
 彼女は手元の本を閉じると、掛けていた眼鏡を外す。
「コーヒーのおかわり、頼んでいい?」
「もう、からかわないでよ、ユマ。僕が困ってるの、解ってるくせに」
 カップを受け取りながら、アリーは口を尖らせる。
 女の子は、クスクスと笑った。
「ごめん、ごめん。でも、ケレルさん達もよくやるわよね。アリーの本当の性別も知らずに」
「しーっ。それは、僕とユマだけの秘密でしょ」
 アリーが彼らの想いに答える事は、決してない――何故なら、アリーは男だから。
「ユマ、今日は泊まってく?」
「うん、そのつもり。お父さん、夜勤だから」
「そっか。じゃあ、また後でね」
 ユマに手を振り、アリーは空のカップを持ってカウンターに向かう。カップと引き換えに料理を受け取り、客の元へと運ぶ。今度は、五、六人のお年寄りのグループだった。
「お待たせしましたーっ」
「ああ。ありがとう、アリーちゃん」
「アリーちゃんは聞いたかい、隣町の魔法使いの話」
「魔法使い? 隣町には光の賢者がいて、彼の魔法で夜景が凄く綺麗だって話なら、聞いた事があるけど……」
 魔法使い。その名の通り魔法を使い、人々に恩恵をもたらす者達。その知識と知恵の多さから、賢者とも呼ばれる。
「そう、その光の賢者。彼のお孫さんも魔法使いでね、隣町で軍に入ったらしいのよ」
「へぇっ。軍属魔法使いってやつ? こんな小さな町にもいるんだね」
 軍に所属する魔法使いもいると話には聞いた事があるが、そのほとんどは首都に集中しているようだった。首都の街を護る市軍、そして城で王族を護る私軍に。ここ、ペブルは首都まで汽車で丸一日は掛かる。町の規模も市より一つ格下の「町」だ。首都や王宮など、遥か遠くの世界の話だった。
「ここじゃなくて、隣だけどね」
 念を押すように老婆は言って、話を続けた。
「それでその魔法使いが、なかなかの美形だそうで。うちの孫達も、きゃあきゃあ言っちゃって」
「へー」
 アリーはにこにこと相槌を打つ。
「何て名前だったかねぇ……。とにかく、魔法使いってのは素晴らしいもんだよ。同じ魔法を使う者でも、ヴィルマなんかとは訳が違う」
 そう言って、老婆は自分の話にうんうんとうなずく。
「ヴィルマって、先の王妃の事かい。そう言えばあんた、その頃中部にいたんだっけ」
「そう。ありゃあ地獄だったよ。
 毎日何人もの人が無差別に殺されていく。場所も、北の町だったり南の町だったり、それが一日の内でだ。汽車や車を使ったって、普通の人間にゃあ出来ない所業だよ。
 今日は無事、生き残れた。
 明日は誰が殺されるんだろう。
 毎日そんな事を思いながら過ごしてた。皆、窓も扉も閉ざして、通りにゃ人っ子一人ありゃしない。
 王様は完全にヴィルマに騙されていた。だから自分で目撃するまで、ヴィルマが魔女だって言う民の噂を信じなかったんだ」
「……うん。僕も、ヴィルマの話なら、知ってる」
 当然、知っている。ヴィルマが何をしたのか。どんなに恐ろしかったのか。
 アリーの両親も、ヴィルマに殺されたのだから。
 十年前、アリーは首都で両親と一緒に暮らしていた。ヴィルマの犯行は国内全土に渡っていたが、特に首都が多かった。そしてアリーの両親も、彼女の毒牙にかかってしまった。
 ひとりぼっちになってしまったアリーを救ってくれたのは、一人の少年だった。頭に白い布を巻いた、翡翠色の瞳が印象的な少年。
 彼に憧れ、彼のように強くなりたいと、己を鍛えて来た。
「でも、こんな見てくれじゃ、あの人とは程遠いよなあ……」
「アリーちゃん、何か言ったかい?」
「えっ。あっ、いえ、何でも!」
 アリーは慌ててかぶりを振る。
 別の老婆が口を挟んだ。
「ヴィルマと言えば、知っているかい? もう、十八年も前になるのかね、あの女が国王陛下を騙して妃になる前だ。街で大火事があってね、ヴィルマとその友達だけは無事だったそうだよ」
「何だい、そりゃ。初耳だよ。どうしてその時に魔女だって分からなかったかねぇ。怪しいだろうに」
「その時も魔女騒ぎにはなったみたいだよ。ヴィルマじゃなくて、一緒に助かった友達のね。ヴィルマは友達を身代わりにしたのさ。まったく、恐ろしいったらないよ」
「騙された友達も可哀想にねぇ……おおかた、その火事もヴィルマが起こしたんじゃないかい」
「かもしれないねぇ。隣町の大火事を一瞬で消した魔法使いとは、大違いだ」
「ああ、昨日の? ここからも黒い煙が見えていた程の大火事を、例の魔法使いが一瞬で消したんだってねぇ」
「火事って、川のこちら側じゃなかったかい? あそこも、隣町の管轄になるのかい?」
「違う違う。川沿いでもあったけど、隣町でも大きな火事があったんだよ。そちらは、例の魔法使いのおかげで直ぐ鎮火したみたいだけどね」
「こっちの町で起こった火事なら、僕、近くにいたよ」
 アリーは口を挟んだ。
「昨日でしょ? ユマと一緒に駅の方へ買い物に行ってたんだ」
「あの大火事の場所に? それは大変だったねぇ」
「良かったよ、アリーちゃんとユマちゃんが無事で」
「あれ、結局何だったんだい? あの辺にあるものなんて、湿った枯れ草くらいだろう。火の気も無い場所で、突然あんな火柱が上がるなんて……」
「うーん……軍にいる友達に聞いてみたんだけど、軍もよく分かってないみたい。原因究明中、だってさ。
 なんか、燃え方もおかしかったんだよねぇ。耳鳴りがしたかと思うと、急に目の前に火がついて……」
 ガシャンと皿の割れる音が、アリーの話を遮った。戸口の方から、悲鳴が上がる。
 がたいの良い、五、六人の男達がそこにいた。どの男も、背丈はアリーより高く、二メートルはありそうだ。手には各々、刃物や鉄パイプを持っている。
「さーて、ちょっと遊ばせてもらうぜぇ」
 男達は、ひゃひゃひゃと下卑た笑い声を上げる。客達の間から、悲鳴が上がった。
 店にはアリー目当ての男性客も多いが、可愛い女の子に現を抜かして調子ばかり良いような連中だ。それも、今日に限ってひ弱な者ばかり。何の役にも立ちはしない。
 宿の亭主も今日は隣町へ買い出しに出かけていて、従業員はアリーとおばさんしかいなかった。
 アリーは、キッと彼らを見据える。
「アリーちゃん……?」
「およしよ、危ないよ」
 客の老婆達の制止も聞かず、アリーは男達の前へと進み出た。
「ここは、お食事をしたり、旅人の方が羽を休める場所です。お引き取り願えますか」
「あんたが例のアリー・ラランドって娘か。なかなか器量の良い娘じゃねぇか。こりゃ、儲けもんだ」
 男の言葉に、アリーは眉をひそめる。
「……狙いは、僕?」
「おうよ。悪いがちょっと、痛い目にあってもらうぜ!」
 男は鉄パイプを振り上げる。客達が叫ぶ。
「アリーちゃん!!」
 パシッ……と音を立て、アリーは振り下ろされた鉄パイプの先を掴んでいた。
「……お引き取りください」
 声を低くし、再度繰り返す。男は、僅かにたじろいだ。
「このアマ……っ、女だと思って甘く見てりゃ、いい気になって……!」
 別の男がナイフを手に、アリーへと襲い掛かった。アリーは身を翻してその切っ先を避けると、男の腹に拳をめり込ませる。男は短い呻き声を上げると、その場に膝をついた。
 続けて襲い掛かって来た男は、腕を掴み、背中に乗せるようにして投げ飛ばす。すぐに身を起こすと、横から殴りかかる男の拳を避け、その腕を引き、足を引っ掛けて転倒させる。
 鉄パイプの男が我に返る。再び振り下ろされたそれを避ければ、背後からは短剣を持った男が突進して来る。
 まずい。この距離、この体勢では、避けられない。一人でこの人数を相手にするのは無理があったか。
 この際、多少の怪我はやむを得ない。せめて急所ははずそうと身を捻ったその瞬間、店の扉が開いた。
 入って来たのは、くすんだ青いコートを着た少年だった。歳の頃は、アリーやユマと同じくらいだろうか。ところどころはねた銀髪に、綺麗な翡翠色の瞳。
 アリーも、男達も、思わずその場で一時停止する。銀髪の少年は乱闘の場をものともせず、平然と店内を見回す。
「宿を取りたいのだが。店の者はいるだろうか」
「あ、それなら僕……」
 思わず手を上げて答える。翡翠色の瞳が、アリーに向けられた。
 アリーは、ハッと息をのむ。彼の整った顔立ちは、十年前に出会った少年とどこか似ていたのだ。
「安い部屋でいい。一人。空いているか?」
「え、ああ、うん……」
 この時になって、ようやく男達も我に返った。
「てめぇ……無視してんじゃねぇぞ! 坊主はお呼びじゃねぇんだよ!」
 少年へと振り下ろされた鉄パイプは、宙を舞った。カラン……と空しい音を立てて鉄パイプが床に落ちると共に、殴りかかった男もドスンと重い音を立てて床に倒れる。
 少年は、蹴り上げた足を下ろす。そして、素早く身を屈めた。背後から短剣を突き刺そうとしていた男は、バランスを崩し前のめりになる。足払いをかけて転倒させると、その男の頭を抱え、瞬時に首を締め上げ気絶させる。
 その背後に、別の男が迫る。アリーは少年と男の間に割って入ると、男の胸倉を掴み投げ飛ばした。
 これで四人。残るは、一人。
 ふいに、銀髪の少年が青いコートを脱ぎ払った。その下に現れたのは、少年の歳とは不釣り合いな暗褐色の軍服。袖にある十字架と薔薇をモチーフにした紋章は、王家直属の私軍隊員である事の象徴。
「な……こんなガキが私軍だと……!?」
「投降しろ。二対一では、勝ち目はないぞ」
 少年の凄味に、男は尻込みする。子供とは言え、相手は軍人。それも、私軍ともなれば狭き門だ。それ相応の実力者である事は、アリーでさえも想像がついた。
「きゃあああ!!」
 甲高い悲鳴に、アリーは客達の方を振り返る。
 一人の男が、よりによってユマの腕を掴んでいた。もう一人、刃物を持った男がそばに立ち、周囲の客に脅しをかける。
「二対一ならな……だが、二対三ならどうだ?」
 武器を持った男達が入って来る前からいた者達だった。客として紛れ込んでいたらしい。喧嘩に向かない男ばかりの時にタイミング良く襲撃して来たのも、彼らが状況を伝えていたのだろう。
「ユマを放せ!」
 アリーは叫ぶ。
 男達は、にやにやと下劣な笑みを浮かべていた。
「口の利き方には気を付けた方がいいな」
 倒れていた男達が立ち上がり、アリーと銀髪の少年を羽交い絞めにした。鉄パイプの男までも、起き上がっていた。どうやら、気絶したのは演技だったらしい。
「そんな怖い顔をするなよ。せっかくの可愛い顔が台無しだぜ?」
 鉄パイプの男は、仲間を見回す。気絶こそしていないとは言え、皆、満身創痍だった。男自身も、絞められた首をさすりポキポキと音を立てて回す。
「ずいぶんと痛めつけてくれたもんだ……こりゃあ、お仕置きが必要だな」
 男はユマの正面へと歩み寄り、じろじろと品定めするようにユマを眺める。ユマは震え、身じろぎしたが、男の仲間に羽交い絞めにされ身動きが取れずにいた。
「僕が狙いなら、僕を痛めつければいいだろう。ユマは解放して」
「最初から大人しくしていれば、そうしたさ。でも、こっちの方があんたには効きそうだ。それに、こっちの嬢ちゃんの方が、俺の好みにも合ってるしな」
 男の視線が、ユマの豊満な胸へと注がれる。
「お友達には、皆の前で恥ずかしい目にあってもらうとするか」
「な……何する気だよ……」
 アリーの声は、震えていた。男の左手が、ユマの服の前面を掴む。
「や……っ」
 せいいっぱい身体を捻るも、アリーを取り押さえる男の力は強く、パワーでは勝てない。
 ワンピース型の制服へと、ナイフが振り下ろされる。
「やめろおおおおおお!!」
「嫌――――――――――――――――!!」
 アリーの怒声、ユマの悲鳴、そして、バリンと言う大きな音が重なった。
 バリンガシャンと激しい音を立て、店の窓ガラスが次々に割れて行く。降り注ぐガラスの破片に、客達の悲鳴が上がった。
 混乱の中、パシャンと言う小さな水音がしたが、誰も気を留めはしなかった。
「な、何だ一体!?」
「魔女だ、魔女が出たんだ!!」
「く……っ、引くぞ!!」
 男達は一目散に逃げ出して行った。
 ユマの方へ手を伸ばしていた銀髪の少年は、驚いた表情でガラスのなくなった窓を見回し、そして、ユマ、アリーを見つめる。
 アリーは何が起こったのか分からず、呆然とその場に立ち尽くしていた。
 ユマも同じ様子で、ただただきょとんとその場に佇んでいた。


Next TOP

2015.1.18

inserted by FC2 system