ポーラ・ブィックスが士官学校を卒業し、私軍へと入隊したのは、今から五年前の事だった。ヴィルマの逃亡から二年。国王マティアスが新しい妻を迎え、国は再び新しい道を進み出そうとすると共に、王家と血の繋がりの無い王子と、直系だが魔女の血をも引く王女との間で、城内が揺れ動き始めた頃だった。
 私軍入隊とは言っても、いきなり国王や王女の護衛が出来る訳ではない。最低二年は、城内の警備を主とする守衛隊に所属する事になる。魔法使いも例外ではなく、その日も人通りのない後宮の入口の一つを警護し、控え室へと戻るところだった。
「まったく、何だって俺がこんな事をしなきゃならないんだ……。こんなの、その辺の新人兵卒にでもさせとけばいいじゃないか。貴重な魔法使いをこんないてもいなくても変わらないような役目に使うなんて、上は馬鹿なのか?」
 その上、今夜は舞踏会が開かれる。警護すべき要所は増えているはずだ。しかしブィックスはこの後も、人気もない渡り廊下を割り当てられていた。
 せめて外の城門なら、人通りもあるのに。ブィックスが城門に立っていれば、町の娘達が足を止めるから退屈せずに済む。
 実のところ、それが原因で人気の無い所ばかり配属されているのだが、ブィックス自身は知らない。
 ふと、ブィックスは足を止めた。
 ブィックスがいるのは、城の裏手。小道の横では、高い塀の下を潜って外から流れ込んだ川が、せせらいでいる。
 流れる水音に紛れて、微かに物音がしたのだ。意識をしてみれば、確かに人の気配。
「何者だ! 姿を表したまえ!」
 この先にあるのは、ブィックスが先程まで護っていた、普段は使われない後宮への出入口のみ。辺りに人影はなく、しんと静まり返っている。細い小道は両側を城の壁と川とに挟まれ、川までは少し距離があるとは言え、間に茂みなどの障害物はなく見通しが利く。川の向こうはすぐ外壁だ。隠れられるような場所などない。
 しかし、確かに人の気配がしている。緊張し、息を詰めたような気配。
 石の上に何かが落ちたような音だった。ブィックスは、壁に隠れられるような窪みでもないかと、城へと目を向ける。
 パシャンと、背後で水の跳ねる音がした。
「そこか!?」
 ブィックスは、音のした方へと駆け寄る。夕陽に赤く染まる川まで駆け寄り、思い直した。
 ――いや、違う。
 ブィックスは振り返りざまに、右手の杖を振りかざした。
 真っ平らだったはずの城の壁に、小さな正方形の穴が空いていた。杖から放たれた電流に、小さな腕が弾かれたように穴の中に引っ込む。
「な――」
 穴の中に縮こまった姿を見て、ブィックスは拍子抜けしたように叫んだ。
「こ、子供!?」
 城の壁に開いた隠し通路に潜んでいたのは、頭に白い布を巻きつけた小さな子供だった。不機嫌そうな翡翠色の瞳が、ブィックスを警戒するように睨みつけている。
 ブィックスは、つかつかとそちらへ歩み寄る。
「いったい、どうやって忍び込んだんだ? 君、親は?」
 子供は、答えない。口を真一文字に結んで、ブィックスを見つめている。
 不意に、その翡翠色の瞳が丸く見開かれた。
「――侵入者だ!」
 叫び、ブィックスの後方にある城壁を指差す。
 思わず振り返ったが、そこにあるのは小川と芝生、そしてその向こうに見える高い外壁のみ。
 背後で、子供が穴から飛び降りる幽かな音がした。ブィックスは慌てて城の方へと視線を戻す。つい先程まで空いていた穴は閉じていて、そこにいた子供は、軍舎や城門のある方向へ駆け去ろうとしていた。
「侵入者は、君だろう!」
 ブィックスの持つ杖から電流が放たれる。ちらりと横目で振り返った子供は、ひらりとその攻撃をかわした。
 ブィックスは目を見開く。
「私の魔法が、かわされた――!?」
 驚いている場合ではない。なおも逃げる子供を、ブィックスは追いかけ、追撃する。魔法の回避はマグレではなく、背後から飛ばされる電流をその子供は全て避けてみせた。
 子供は軍舎のある所までは行かず、茂みが生い茂ってきた辺りで、そちらへと逃げ込んだ。
「フ……目くらましのつもりか!」
 ブィックスは後を追い、茂みに飛び込む。
 そこには、古い枯れ井戸があった。梯子は朽ち、途中までしかない。その底を、先程の子供が駆け去って行く所だった。
「速過ぎるだろ……!」
 井戸は優に二階分の高さはある。子供が飛び降りるには、高過ぎる。朽ちた梯子を降りて行ったにしては、あまりにも速い。
 一段一段降りていては、逃げられる。ブィックスは素早く上着を脱ぐと、梯子を巻くようにして壁と梯子の間に通す。上着の端を掴むと、梯子の側面に足を当てて下へと滑り降りて行った。

 通路はそう、長くはなかった。一本道の通路を抜け、螺旋状の階段を上がって行くと、そこには薔薇の茂みが広がっていた。頭上にはガラスの屋根があり、暖かな陽光が差し込んでいる。
「中庭か……」
 ブィックスは辺りを見回す。薔薇の茂みの向こうに、ちらりと白い色が見えた。
「そこか!」
 ブィックスは杖をかざす。わずかにのぞいていた頭は瞬時に引っ込み、ふわりと宙に浮いた結んだ布の端がかすっただけだった。
 身を屈めた子供が駆け出すよりも、ブィックスの方が早かった。茂みの上から手を伸ばし、着古した緑の上着の襟首をむんずと掴む。
「もう逃がさんぞ! 仲間はいるのか? 何が目的だ? 洗いざらい――」
 首の後ろで結ばれた布の端が、薔薇の棘に引っかかった。白い布がするりと後ろに落ちていき、翡翠色の瞳に焦りの色が浮かぶ。
「あっ……」
「な――」
 白い布と共に、はらりと背中に落ちる銀色の髪。母親似だと言われる、幼いながらも端正な顔立ち。翡翠の双眸が、恨めしげにブィックスを見上げる。
 ブィックスは愕然と、その名を口にした。
「ルエラ姫様……!?」

 ブィックスが連れ戻ったルエラ王女の姿に、守衛隊の控え室は騒然としていた。直ちに王女護衛を担当する第三部隊に連絡が取られ、赤毛の大男がルエラを迎えに来た。
「まったく、毎度毎度! 探し回るこちらの身にもなってください! こんな大事な日まで……来賓の方々もいらっしゃるのに、王女であるあなたがいなくてどうするんですか」
「クレアさんとノエルを紹介するための舞踏会だろう。私はいようといまいと、関係ない。むしろ、親子水入らずの方がいいんじゃないか?」
「馬鹿言わないでください。もっと、ご自身のお立場をお考えになりますよう。度々城を抜け出して、万が一何かあったら――」
 ふてくされた様子の少女に、大男は容赦なく叱りつける。
「ひぇー、第三部隊の人、姫様相手に容赦ないなー……」
「ルエラ王女様って、頻繁に脱走してるんだろ? 鬱憤が溜まってるのかも……」
 遠巻きに眺めている同僚達が、ヒソヒソと言葉を交わす。ブィックスは部屋の隅に立ち、それらを眺めていた。
(あれが例の、魔女の血を引く王女様か……)
 王女の護衛隊は大変だと、話には聞いた事がある。王女は度々、城を抜け出すのだと。年も幼くまだ遊びたい盛りなのかも知れないが、それにしても王女と言う立場でそんな事をされては、こちらとしてはたまったものではない。
「ブルザ少佐。それくらいにして差し上げては……姫様も、新しい王妃と王子が迎えられて、お寂しいのかも知れませんし……」
「彼女は、そんないじらしい子供じゃありませんよ。ただ堅苦しい場がお嫌いなだけです」
「ひ、姫様に対してそんな無礼な……」
 ブィックスの上官は震え上がるが、ブルザもルエラも気にする様子はなかった。
「さすが、ブルザ。よく分かっているじゃないか。ドレスは重くて好かない」
「また、そんなわがままを。さあ、行きますよ」
 子供扱いやエスコートと言うより逃さぬように、ルエラの手を取る。
 二人が部屋を出て行こうとしたその時、守衛隊の者が控え室に飛び込んできた。
「う、わっ。ひ、姫様!?」
「どうした、そんなに慌てて」
「そ、それが……舞踏会に暴徒が侵入。陛下を含む会場の人々を人質に、大広間が占拠されました!」


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2015.08.10

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