偽の情報により研究所内部は攪乱され、ルエラを追う兵士達の姿は次第に減り、ついには全く見えなくなった。
 研究所の北側、地下深くに走る通路を、ルエラは歩いていた。一定間隔で壁に設置された蝋燭が、ゆらゆらとルエラの影を揺らす。
 薄暗い廊下を抜けた先は、天井の高い五角形の空間に繋がっていた。冷たい石の壁に塗装はなく、ここも床一面に魔法陣が描かれている。壁は高い位置で一部長方形に切り取られたようになっていて、上の階から覗き込む事ができた。昼間に案内された、あの部屋だ。
 そして。
 魔法陣の中心には、一人の少女が横たわっていた。
 明るい金髪を肩で切りそろえた少女。桃色のワンピースは脱がされ、丈のやや大きな白いTシャツに半ズボン姿。
 その少女に歩み寄って行く男の後ろ姿に、ルエラは声をかける。
「そこまでだ。グレーズ所長」
 ぴたりと、グレーズは魔法陣の上で歩みを止める。振り返らぬまま、彼はぼそりと呟いた。
「……よく、ここが分かりましたね。ここだけじゃない……子供達を置いている部屋を、次々と当てては逃がしてくれて……」
「仲間を先に忍ばせておいたからな。私軍隊員として正規に入手できる情報と、彼から横流しされる情報を合わせれば、研究所内部を把握する事など造作もなかった。
 もう観念しろ、グレーズ。この研究所で行われていた事、軍内部の研究所責任者、全て洗いざらい吐いてもらおう。お前達に後はない」
「果たして、そうかな?」
 振り返ったグレーズの手には、火を点したライターがあった。ふっと、手からライターが落ちる。
 床に点火された炎は、瞬く間に四方へと線を描くように走って行く。魔法陣の模様に紛れるようにして、導火線が引かれていたのだ。
「導火線の先には、爆弾が用意されている。元々地下に大きく開けられていた空洞。支えるためのエネルギー源となっていた子供達は君達のせいで脱走してしまった。そんな所で主要な柱が爆破されればどうなるか、君にも分かるだろう? 全て洗いざらい吐くだって? 全てはこの研究所と共に、闇の中に葬られるのさ。残るのは、私軍の若い隊員が地方の軍の研究所で、監査と称して潜入しクーデターを起こした――ただその事実だけだ。
 さあ、そろそろだ……私も君も、ここで研究所と運命を共にするんだ……」
 しかし、いくら待てども何も起こりはしなかった。ルエラはただその場に佇み、冷ややかな目でグレーズを見据える。
 グレーズは狼狽し、きょろきょろと足元を見回す。どの導火線も部屋の外まで続き、火が通った後の炭だけが残っていた。
「な、なぜだ!? なぜ、爆発しない!?」
「研究所の各所にあったダイナマイトなら、どれも湿って使い物にならなくなっているだろう。
 言っただろう? 私軍として正規に入手できる情報と、潜入させた仲間からの情報を私は持っていると。こちらも多少は壁などを壊しているからな。どこを破壊してはならないのか――逆に言えばどこを破壊すれば研究所が崩壊するのか、把握済みだ」
「くっ……あの小娘が、地下に迷い込んだりしなければ……」
 グレーズは、観念したようにその場に膝をつく。
「私の連れが目撃せずとも、この研究所に疑念は抱いていたぞ」
「馬鹿な……!」
「昼間、私を案内した者は、プロスト少将が水魔法の使い手だと言う話に、疑問を抱くことなく乗った。彼が使うのは、火炎魔法。唯一の水魔法の使い手は、彼ではなく、この私だ」
「そ、そんな事……彼が間違えただけと言う可能性も……」
「そもそも、私軍のデータは外部に公開されない。それが、軍直轄の研究所であってもだ。なのに、彼は私軍の者だと聞いた上で『データで見て覚えている』と言った。話を合わせただけに過ぎない証拠だ。となれば、わざわざ嘘を吐いてまで隠すデータの収集源は一体どこだ? 万一、話を合わせたのではなく本当に私軍のデータを閲覧していた場合も、どこからそのデータを入手したのかと言う問題が生じる」
 グレーズはぽかんとルエラを見つめていたが、やがて怯えたように喚き出した。
「……ま、魔女だ、魔女のせいなんだ。この娘が……この魔女が、我々を操っていたんだ。子供達を生贄に捧げろと。我々は操られて、仕方なくやっていたんだ。この娘が魔女だと言うデータも、ちゃんと残っている。だから……うわあああっ!!」
 発狂したように叫んだかと思うと、懐からナイフを取り出した。ルエラに背を向け、魔法陣の上に横たわる小さな身体に向けて振り上げる。
 ルエラは手をかざし、水を放出する。グレーズは激しい水流に押されるようにして、前に倒れた。それでもまだ、その手にはナイフが握られている。
 ルエラは歯噛みする。魔法陣の上では、全ての魔法が無効化される。氷の槍や盾を地面から突き出す事は叶わず、できるのは掌からの放出のみ。
 グレーズは再び放出された水を避け、床に倒れ伏す身体へとナイフを振り下ろす。
 小さな身体が動いた。身をよじらせて刃先を避ける。ナイフの切っ先が、白いTシャツを大きく裂いた。露わになる白い肌。
 ナイフを振り下ろした事で前屈みになったグレーズの首筋に、小さな身体から繰り出された回し蹴りがヒットする。グレーズは、再び床に倒れ込んだ。
 身体を起こしたグレーズは、信じられないものを見るような表情で金髪の子供を見つめていた。
「な、なぜ……この魔法陣の上で動けるなんて……」
 金髪の子供は、冷ややかな茶色い瞳でグレーズを見下ろしていた。
「当たり前だよ。僕、魔女じゃないもん。ついでに、女の子でもない」
 切り裂かれたシャツの下に見える胸元は、女の子のものではなかった。グレーズは目を丸くする。
「な……っ」
「リンが言ったよね、あらかじめ仲間を忍ばせておいたって。研究員だけだなんて、一言も言ってないよ? 昼間に見せてもらった魔薬を、少しだけ拝借したんだ。この通り、ほんのちょっとだけ小さくなれば、髪の色や背格好はよく似てるからね」
 髪をほどいたアリーの背丈はいつもより更に小さく、顔もあどけなく、年齢は十かそこらだと思われた。
「本物のララは今頃、どこか遠くに逃げちゃってるんじゃないかな」
「馬鹿な……! あの小娘を閉じ込めていた一帯は、特に厳重に鍵をかけていたはずだ! 監査として侵入した後ならともかく、事前に入る事などできなかったはずだ!」
「鍵なんて必要ないよ。だって、常に空いてる出入口があるじゃない」
 そう言って、アリーは上方を指さす。壁に空いた長方形の穴。昼間に案内された、この場所を見下ろせる部屋。
「こっちには魔法使いがいるんだよー? この程度の高さなんて、無いも同然!
 ……で? 魔女でも魔法使いでもない僕が、どうやって君達を操っていたって?」
「そ、それは……」
「……そろそろ着いたようだな」
 ずっと魔法陣の外で押し黙っていたルエラが、ぽつりと呟いた。怪訝な表情で振り返るグレーズに、口の端を上げて笑う。
「私や潜入した仲間さえ消してしまえば全て解決すると思ったなら、大間違いだ。言っただろう? 国はこんな事を認めてはいないと。
 耳を澄ましてみろ。聞こえて来ないか? 貴様らを地獄へと送る、悪魔の足音が……」
 ザッザッと踏み鳴らされる、複数の重い足音。
 ルエラの背後に続く薄暗い回廊から、彼らは姿を現した。くすんだ赤色の軍服。隊列は国軍の者達であるが、先頭に立つのは私軍の軍服に身を包んだ大柄な男。鼻の下に生やしたわずかな髭が特徴的だ。その腕にあるのは、彼が軍属魔法使いである事を示す腕章。
「リム国私軍第三部隊隊長、並びに北部総司令部緊急対策部隊隊長ジェフ・オゾン、姫様の勅命によりブロー大尉の応援に参った! 何が起こっているのかしっかりと説明してもらうぞ、グレーズ所長」
「私軍……隊長……? 北部総司令部……?」
 グレーズは茫然と呟く。ルエラはキッと彼を見据えた。
「結果さえ出せば、王家は何も気にしない? 知ろうともしない? 侮るのも大概にしろ! リム国が王女ルエラ・リムの勅令により、非道なる研究の停止、そして子供達の解放を命じる!」
 グレーズは床に手をつき、がくりと肩を落とした。


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2014.10.18

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