陽が沈み、町は世闇の中に溶け込んで行く。ぼんやりと橙色に照らし出される研究所の正面入口に、ルエラは赤みがかった軍服に身を包み立っていた。ボレリスの軍の者達とはやや異なる、上着を胸前で重ね合わせたデザインは、私軍所属の証。
 応対に現れた職員に、ルエラは一枚の書類を見せる。
「リム国私軍第三部隊リン・ブロー。ルエラ王女の勅命により、ただ今よりこの研究所の臨時監査を行う」
 研究所内では、白い廊下をボレリス軍の者達が往来していた。閑散としていた昼間とは正反対の様相だ。
「物々しいな。何かあったのか?」
「夕刻、見張りの者が倒れて気絶しているのが見つかりまして……侵入者かも知れないと言う事で、捜査が入っているんです」
「ほう。侵入者の目的の検討はついているのか?」
「いえ、お恥ずかしながら全く……。軍の研究を妨害するつもりの謀叛者ではないか、と言う意見が有力のようですが……」
 真っ白な廊下を奥へと進みながら、ルエラは職員に尋ねる。
「気絶していたと言う見張りの者は目が覚めたのか?」
「いえ、まだ。相当の手練れのようで……」
「酷い怪我なのか?」
「いえ、外傷はありませんでした」
「ほう。倒れていただけで外傷もない、心当たりもない、それでよく襲撃だと、そしてその目的が研究所への侵入だと検討がつけられたな」
「そ、それは……」
「ここは軍の施設ですからね。万が一の事を考え、念を入れるのは当然の事です」
 そう言いながら角を曲がって現れたのは、白衣に身を包み灰色の口髭を蓄えた男だった。彼は、にっこりと愛想笑いを浮かべる。
「大変お待たせいたしました。所長のグレーズです。ここからは、私が案内いたしましょう」
「そうか。では、昼間に私の連れが迷い込んでいた地下道が見たい。あの場所へ、案内してもらえるか?」
「ええ、かしこまりました」
 地下への階段を下り、更に階段を降りて、石の壁に囲まれた仄暗い地下道へと辿り着く。はぐれたアリーが、見つかった場所。
 辺り一帯の部屋を確認したが、どこにも子供達の姿はなかった。
(やはり、移動させた後か……)
 ルエラは、室内を見渡す。床に描かれた魔法陣や壁の一部に設置された鉄柵は、アリーの話の通りだった。昼間に子供達がいたのは、この部屋で間違いない。
「どうかしましたか? 何か気になる事でも?」
 グレーズは何食わぬ顔で、ルエラに尋ねる。
「この魔法陣は?」
「ああ、この建物を支えるための物ですよ。これだけ地下に広げていると、魔法による補強も必要でしてね」
「なんだ。魔法使いの動きを封じるものかと思ったが、よく似ているだけで私の思い違いか」
 グレーズは、言葉を詰まらせる。
 その時、カーンと何かを落とすような音が地下道に響き渡った。地下に広がる空洞を、音は木霊して行く。
 ルエラは音のした方を振り返る。
 ――やっと、来たか。
「今の音は何だ?」
 ルエラは素知らぬふりをして尋ねる。グレーズは困惑した様子だった。
「さ、さあ……」
「こちらの方だったな」
 ルエラは踵を返し、地下道を突き進む。と、爆音が鳴り響き、前方の壁が粉砕され煙が噴き出した。
 煙が晴れ、そこには床に手と膝をつきごほごほとむせ返る研究員がいた。滑らかな金髪に分厚い眼鏡を掛けたその研究員に、グレーズは詰め寄る。
「貴様! 一体、何をして……!」
「す、すみません」
 ルエラは、壁に空いた大穴を覗き込む。その先には、暗い廊下が続いていた。
「こんな所にも道があったのか。まるで、隠し通路だな。こちらも確認させてもらうぞ」
「そ、そちらは……!」
 明らかに動揺を見せるグレーズに構わず、膝の辺りまで残った壁の残骸を乗り越え、奥の廊下へ進む。グレーズはあたふたと後を追って来た。
「こちらはいけません! この先には、研究に関する危険物が……」
「案ずるな。私も、こう見えて魔法使いだ。多少の危険には対処出来る」
 ルエラを止める事が出来ないと悟ったグレーズは、穴の空いた壁の方を振り返った。
「君! 先に行って部屋の片付けを……」
 グレーズの言葉は途切れる。穴のそばに、金髪の研究員の姿は無かった。
「くそっ。あやつめ、一体どこに……」
 グレーズは穴から突き出していた頭を引っ込めると、ルエラへと駆け寄った。
「少々お待ちください、ただいま鍵を取りに……」
「鍵なら開いているようだが」
「な……っ!?」
 金属製の重い扉を、ルエラは押し開く。
 部屋の中に広がる光景に、ルエラはその場に立ち尽くした。床一面に広がる魔法陣は、先程の部屋と同じ物。レポスの小さな町で、ルエラの魔法を解いたあの模様。その上に横たわるのは、十人前後の子供達。服は擦り切れ、髪は伸び放題、暗い瞳は虚空を見つめている。
 震える拳を、ルエラは固く握り締める。
 アリーから話は聞いていた。しかし、だからと言って怒りが湧かなくなる訳ではない。
「グレーズ……これは一体、どう言う事だ」
「こ、これは、その……」
 ルエラは振り返り、狼狽する目の前の男をキッと睨めつける。
「この研究所は国の管理下ではなかったのか? 子供達を使った人体実験なぞ、国は認めていないぞ」
「ぐ……」
 グレーズは苦々しげに顔を歪めたかと思うと、ニヤリと笑みを浮かべた。
「あなた、確か……魔法使いだとおっしゃっていましたな?」
「ああ。それが……」
 ドン、と強い衝撃がルエラを襲った。グレーズが身体ごとルエラにぶつかって来たのだ。突然の攻撃に防ぐ間もなく、ルエラの身体はグレーズ共々部屋の中へ大きく傾く。倒れる先には、魔力を持つ者の動きを封じ、全ての魔法を無効化する魔法陣。
 ごおっと強い風が廊下を吹き抜けた。
 風は渦を巻くように吹いていた。渦はルエラとグレーズを引きつけ、巻き込む。一瞬の後、二人は廊下側へと引き倒されていた。
 グレーズは何が起こったのか分からず、目をパチクリさせる。ルエラは素早く立ち上がる。それを見て、彼も我に返った。グレーズが懐から取り出したのは、黒光りする拳銃。
 グレーズは床に倒れたまま。ルエラは咄嗟に銃口の死角へと動く。しかし、構わずグレーズは虚空へ向かって銃を撃った。
 響き渡る銃声。直後、近付いて来るいくつもの足音。
「空砲か……!」
 闇の中から軍服を着た者達が現れ、ルエラはあっと言う間に取り囲まれた。左右に続く廊下には、今度はもちろん実弾の込められた銃を構えた兵士達。背後には、魔法陣の広がる部屋。万事休すと思われるこの状況にあっても、ルエラの表情に焦りはなかった。
 グレーズは兵士達の輪の外へ後ずさりながら、ニタニタと笑みを浮かべる。
「さあ、小さな魔法使いさん。その部屋に入ってもらおうか。魔法を使われては、厄介なのでね。我々は、魔法使いの扱いには慣れているんだ。一人で来たのが、運の尽きだ。
 君に密告したのであろうあの娘も、後でお仕置きせねばならんな。君達はもう、袋の鼠だ。
 国は認めていない? 知ったような事を。結果さえ出せば、陛下は満足なさる。魔薬を取り扱えば、姫様もお喜びになる。それがどのようにして作られたかなど、あの方々には関係ない。知る事もなければ、知ろうともしないんだ。君の口さえふさげば、これからもこれまで通りの研究が続くだけ」
「……随分と、舐められたものだな」
「ん?」
 ぼそりと呟いたルエラの言葉を聞き取れず、グレーズは首を傾げる。
 ルエラはキッと彼を見据えると、鋭く言い放った。
「いつ、私が一人で来たと言った? ――今だ、やれ!」
 ドォンと低い爆音が地下に響き渡った。
 部屋の中を右から左へと、粉々になった壁の欠片が火炎と共に飛んで行く。部屋に充満した黒煙は廊下にも溢れ出し、その場にいる者達の視界を奪った。
 ルエラは身を屈め、兵士達の間を縫って黒煙の中から抜け出す。晴れた廊下に姿を現した小柄な後ろ姿を、輪の外側にいた者が見とめた。
「いたぞ! こっちだ!!」
「隊長! 子供達がいません!」
「穴だ! 奴ら、逃げ出しやがった!」
「二手に別れろ!」
「研究員は他の被験体の避難を! 絶対に地上へ逃がすな……!」
 ルエラは背後に薄い氷の壁を張り、追っ手の行方を遮る。大混乱の中を、ルエラは研究所の更に奥へと駆けて行った。


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2014.10.4

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