視界は闇に覆われ、何も見てとることができない。連続的な身体の揺れから、自分が何処かへと運ばれている事は分かった。手も足も縄を掛けられ、口には布が詰められ、身動き一つできない。
 かつての部下には馬鹿にされ、餌となるはずの子供に捕らえられ、人間たちに引き立てられ。こんなに屈辱的な事があるだろうか。
 実際、馬車によって運ばれていた時間は大して長くなかったのかもしれないが、イオには途方もなく長く感じられた。
 やがて、何の前触れもなく揺れが止まった。
「……そろそろ、いいかしらね」
 隣から声が聞こえて、イオは闇の中で目を瞬く。それは、共に捕らえられたはずのジュリアのものだった。彼女は口を塞がれていないのだろうか。
 不意に、イオの目を覆っていた布が取り除けられた。目の前に掲げられた眩い光に、目を細める。
 目が慣れて辺りを見回すと、イオ達はどこかの森の中にいるようだった。馬車はまるで木々の間に身を潜めるように止まっている。イオ達が乗せられているのは、馬車の後ろに繋いだ荷台のような場所だった。隣で燭台を掲げる男を、ジュリアは振り返った。
「彼女の縄を解いてあげて」
「しかし……」
「大丈夫よ。グリアツェフ軍曹は、話も聞かずにかつての仲間に襲いかかる程、分からず屋じゃないから」
 男は渋面を作りつつも、イオの背後に周り縄を解いた。口を塞いでいた布も取り払われる。
「……私はもう、軍曹ではないわ」
 イオは目を伏せ、呟く。
 どう言う訳か、人間達の手から逃れたのは明らかだった。ここにいるのは恐らく、ジュリアの今の仲間達。しかし、だからと言ってイオにとっての形勢は変わらない。イオは、彼女達から逃げ出した身なのだから。
「彼は、あなたの部下?」
 ジュリアの隣の男を見やり、イオは問う。ジュリアはうなずいた。
「ズカ……治癒魔法を得意とする魔法使いよ」
「魔法使いなのは、言われなくても分かるわ。人間が軍にいるはずがないもの。
 そう……もう、私の知らない仲間がいるのね、あなたには」
 ジュリアは悲しそうに、眉尻を下げた。
「……帰って来る気は、ありませんか?」
 イオは何も答えず、馬車を取り囲む草木に目をやる。ジュリアは続けた。
「国はもう、隠れる事をやめました。私達は、地上へ帰って来ました。これから、もっと……」
「私がラウを捨てたのは、隠れた国だったからではないわ」
 イオの手が、そっとジュリアの頬に触れる。ジュリアがイオの部下となったのは、彼女がまだ十四の時だった。あれから十年。イオを実の姉のように慕っていた少女は、もうここにはいない。いてはならない。
「もう、私の事は忘れなさい。私が捨てたのは、軍曹と言う立場だけじゃない。ジュリア、あなたの事も捨ててしまった。慕ってくれた部下も仲間も捨てた裏切り者に、構う必要なんて無い」
「でも、このままあなたを連れて行けば、あなたは殺されてしまいます!」
 イオは、薄く笑った。
「大丈夫。私は死なないわ」
 グサリ。
 イオの腕で死角となっていた木から枝葉が伸び、ジュリアの肩を突き刺していた。驚愕と衝撃が張り付いた表情の下、彼女のマントがじんわりと赤く滲んで行く。
「貴様っ!」
 ズカが、どこからともなく現れた斧をイオへと振り下ろした。ブオンと空を切る重たい音が鳴る。イオはするりと斧をかわした。彼の攻撃は重量がある分、イオを捕らえたあの少年よりもずっと鈍重だ。
 斧が降ろされている間にイオは彼へと肉薄し、スッと顔を近付ける。
「私の魔法はね、ただ植物を操るだけじゃないのよ。その棘の先を液状化させ、毒を含ませる……早く手当てしてあげないと、あなたの上司、死んでしまうわよ?」
「な……っ」
 ズカは、ジュリアを振り返る。ジュリアは肩を押さえ、痛みに呻いていた。
 キンと耳鳴りのような高い音が短く響く。同時に発せられた青い光へ、ジュリアは手を伸ばす。
「待って……ぐんそ……イオお姉様ぁ!!」
 光が消えたそこにもうイオの姿はなく、ジュリアの哀願する声だけが森の中に虚しく響いていた。


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2014.8.2

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