屋敷の中は寒々しかった。広間の扉の前で、彼は佇んでいた。現場を調べていた軍の者達はとうに帰り、広間には代わりに親戚の者達が集まっていた。父親も母親も、軍の者達に連れて行かれたきり帰って来る事はなかった。例え帰って来たのだとしても、既に物言わぬ身だったのだ。もう今までのように笑顔を向けてくれる事も、話をする事もできないのだと言う事は、幼い彼でも理解していた。
「嫌ですよ! どうしてうちが!」
 広間から女の怒鳴る声がする。声だけでどれが誰だか判断できるほど、彼は親戚の者達をよく知らなかった。男の声が、嗜めるように続いた。
「これ。アリーに聞こえるだろう……」
「だってあなた、あの子は魔女と顔を合わせているんですよ。口封じに追ってくるかも知れないじゃないですか。そうでなくても、魔女処刑人なんて穢れた家の跡継ぎで……」
「でもあんな小さい子をこの家に一人にする訳には……曲がりなりにも軍と繋がりがある訳ですし……」
「そう言うお宅は引き取れないんですか」
「うちは……子供もいますし……」
「おや。それなら、都合が良いのでは? 養育費もご入用でしょう。こう言う言い方は何だが、あの子はこの家の遺産を一人で相続する事になりますよ」
「いや……子供たちも多感な年頃ですから、いきなり家族が増えると言うのもですね……」
「子供を理由にして、結局は魔女と面識のある子を引き取りたくないだけでしょう」
「……当たり前でしょう。他人の子のために、自分の子を危険に晒したい親がどこにいますか」
 広間はしんと静まり返る。身動きした彼の足音が、コトンと大きく廊下に響いた。
「あ……」
 広間の扉が開く。逃げ出す事もできず、彼はただ自分よりずっと大きな女を見上げていた。女は、哀れむような目で彼を見下ろしていた。女の向こうでは、テーブルの周りに集まる大人たちが気まずげに視線をそらすのが見えた。
「……この子が、この家の一人息子でなかったら、どうでしょうか」
 女は、ぽつりと言った。そして彼の横にしゃがみ込むと、彼の金髪を二つの団子に結い上げる。最後に白い布とリボンで髪を留めると、親戚たちを振り返った。
「この子は、これから名前が同じだけの女の子です」
 大人たちの視線が突き刺さる。彼は後ずさると、その視線から逃れるように屋敷を飛び出した。

 目が覚めたアリーの視界に飛び込んできたのは、真っ白な天井だった。二、三度、ぱちくりと目を瞬かせる。ごそりと、横で布団をめくるような音が聞こえた。
「良かった、アリー。目を覚ましたんだな。大丈夫か? どこか痛むところはないか?」
 癖のある銀色の短髪の少年が、隣のベッドで起き上がり身を乗り出していた。
 ……違う。少年ではない。
 アリーはベッドを降りると、彼女に掴みかかっていた。ドン、と彼女の背中が壁に当たる。
 そう、「彼女」。この者は、魔女だ。
「どう言う事だ……!」
 胸倉を掴んだ瞬間こそ彼女は驚いたように目を見開いたが、すぐにいつもの無表情へと戻っていた。何を考えているかも分からない、すまし顔。大きな翡翠の瞳に、長い睫毛。どうして、彼女が女だと気付けなかったのだろう。
「どうして私軍に魔女がいるんだよ!? 今まで僕達を騙していたのか!? リン!!」
「……すまない」
 目を伏せ、彼女は呟く。その様子が、アリーを尚更苛立たせた。
「すまないって、何? やっぱり、騙してたって事?」
「……言えなかったんだ。私が魔女だと言う事は、紛れもない事実だから。そして、魔女は処刑されなければならないから」
「よく解ってるじゃない。じゃあ、自ら申し出て火あぶりにされたら? 何なら、僕がやってやろうか? これでも僕、魔女処刑人の子だから」
「それは、できない。この事は、黙っておいて欲しい」
 アリーは空いている方の拳を握り締めると、勢いよく突き出していた。ドンと鈍い音が響き、壁を殴った拳がじんわりと痛む。彼女は自分の顔の直ぐ横に拳が飛んだにも関わらず、身動き一つしていなかった。
「自分だけは例外って訳だ?」
「……まだ、駄目なんだ。いずれは必ず、この身に受けるべき刑を受けるつもりだ」
 アリーは、目の前の女を睨めつける。魔女の言葉など、どこまで信用できるか分かったものではない。
「リンってのは、本当の名前?」
 彼女の睫毛が、僅かに震えた。一時の間の後、ぎこちない動作で彼女は首を横に振った。
「……ルエラ、と言う」
「苗字は?」
 硬い表情でうつむいたまま、ルエラは口を開こうとはしない。
「言えないって? 一体何を企んでるんだ? 王族のそばにまで仕えて。もしお前が彼に手を出すつもりなら、僕は……」
 ガラリと、横開きの扉が開いた。アリーも、入って来た者達も、ぴたりと動きを止めて互いを見つめていた。
 最初に動いたのはディンだった。ベッドまで駆け寄り、アリーを彼女から引き剥がす。ディンの行動で我に返ったようにフレディも手を貸し、ルエラをベッドから下ろし背中にかばう。
「お前、何やって……」
「放してよ、ディン! そいつは魔女だ!!」
「知ってるよ」
 予想だにしない返答に、アリーは抵抗するのを忘れディンを振り仰いだ。それからフレディ、アーノルド、そして彼らと共に入って来た軍人と思しき男二名を見回す。誰も、アリーの言葉に驚く様子はなかった。アリーの胸中を読んだかのように、ディンがうなずいた。
「この部屋にいる奴は皆、あいつが女だって事も魔女だって事も知っている。もっとも、お前より先にあいつの秘密を知ってたのは俺だけだけどな」
「何……なんで……」
 魔女だと知っていた? ならばなぜ、彼女は今ここにいるのだ。なぜ、牢に入れられていない。なぜ、アリーと同じ寝間着を着て医務室と思しきこの部屋で看病を受けている。
 ディンはアリーがもう暴れないのを確認すると、手を離した。
「君達、シャントーラで魔女と戦ったんだってね」
 アーノルドが、口を挟んだ。この状況にあっても、彼はにこにこと笑顔だった。
「その時に受けた魔女の蔓の棘に、毒があったらしい。こちらは、ディビッド・ルメット准将とファーガス軍医中佐。ここ、ソルド国アイリン市軍の軍人だよ。ファーガス中佐は魔法使いで、彼が魔女の棘に気付いて取り除いてくれたんだ」
「棘は血液を伝って、心臓まで行こうとしてたってよ」
 ディンが後を継ぐように言った。
「ルエラの方は本人が魔力を持つ事もあって、無意識の内に棘と毒を固めて広がらないようにしていたらしい。でもお前の方は、発見が遅れていたら結構やばかった――」
「待ってよ!」
 暢気に紹介する二人に、アリーは食って掛かる。
「なんで魔女がここにいるんだよ!? 知ってたってどう言う事? ディン、王子様なんだよね? なのに、魔女の味方をするなんて……!」
「俺が王子だって事と、ルエラが魔女でも受け入れるって事は、何も関係ねぇよ」
 ディンは、至極真剣な表情をしていた。
「例え魔女だろうと、ルエラはルエラだ。あいつは、他の魔女とは違う。お前だって、それは十分に分かってるはずだぜ。
 まあ、下手に広めようなんてしない事だな。一般市民一人が喚いたところで、誰も聞く耳も持たないだろうから。お前の立場が危うくなるだけだ」
「……脅しって訳だ?」
 アリーは、ちらりとディンの腰に目をやる。そこには、立派な宝剣が提げられている。この剣がただの飾りではない事は、ここまでの旅路でこの目で確認済みだ。ディンは王子、他の者達も魔法使いや軍人。アリーに分は無い。
 ディンは、主のいなくなったベッドにどっさりと腰を下ろす。
「黙ってた事は、俺もルエラも謝る。でも、それについてはアリー、お前も一緒だろ? なんで女のふりなんてしてたんだよ」
「……僕の父さんと母さんが、魔女に殺されたからだよ」
 吐き捨てるように、アリーは言った。
「十年前、リムではヴィルマが罪の無い人達を殺し回っていた。僕の父さんと母さんも、その犠牲になったんだ。街にはヴィルマが魔女だって噂が流れていたけれど、国は耳を貸そうともしなかった。それどころか、表立って主張した人達は王族への侮辱だって粛清されていった。王様は完全に、魔女にとり憑かれていた。魔女に味方する王族を討とうとする人達もいた。あの日も、こっそり準備を進めていた人達が、何人も首を刎ねられていた……」

 アリーの家は、国に命じられ魔女の処刑執行を司っていた。軍部のように常時仕事がある訳ではないとは言え、王族や軍の下で働く事には変わりない。そのためかアリーの両親は共に王族への忠義も厚く、ヴィルマが魔女だと言う噂も信じてはいなかった。親の影響を受け、アリーもまた信じてはいなかった。謀反人についても、噂を鵜呑みにしてしまった愚かで憐れな人達と言う認識だった。
 あの日までは。
 謀反人の処刑は、城の前の広場で公開されていた。近所の店の主人もその処刑を見に行っていて、そのためにアリーのお遣いは直ぐには終わらず少し離れた店まで出掛ける事になったのだ。事が起こったのは、その間だった。
 家へ帰ると、開け放された広間の戸口に見知らぬ女が佇んでいた。女は振り返りアリーに気付くと、息を呑んだ。
 そのまましばし、二人は見詰め合っていた。アリーが、首を傾げた。
「どうしたの?」
 アリーの家は、魔女の処刑を職としている。軍部は敷居が高いと感じる民間人が、魔女の疑念や逆に疑いを掛けられていると相談しに来る事もあった。この女もその類なのだろうと、アリーは思った。
 アリーの声に我に返ったように、女は表情を和らげた。
「……私にも、あなたと同じ年頃の子がいるのよ。あの子とあなたが、よく似ていたものだから」
 女はアリーの前まで歩み寄ると、屈み込む。目深に被ったフードの向こうに、冷たい紫色の瞳が見えた。
「お嬢ちゃん、この家の一人息子を知らない?」
「え……」
 肩まで髪のあるアリーを、彼女は女だと誤認したらしい。珍しい事ではなかった。母親に似た相貌もあって、物心ついた頃からしばしば女の子に間違えられていた。アリーが訂正しようと口を開きかけたその時、玄関のベルが鳴った。
「ラランドさん、いつものお裾分け。入らせてもらうわよ」
「あ、ローレンスさんだ」
 アリーは玄関扉の方を振り返る。近所に住む彼女はアリーの母親と親しく、よくパンやらケーキやらを焼いては持って来てくれていた。一瞬の耳鳴りなど、幼いアリーは気にも留めなかった。
「あら、アリーちゃん。こんばんは。こんな時間まで出掛けていたの? 最近、魔女がよく出るんだから、気をつけなきゃ駄目よ」
「いつものお店が、閉まってたんだよ。あのね、この人は……」
 振り返ると、フードの女は消えていた。一体、どこへ行ったのだろう。きょとんとするアリーにローレンスは問う。
「どうしたの?」
「あのね、さっきまでここに、女の人がいたの。いなくなっちゃった……広間に入ったのかな」
 広間の扉は、アリーが帰った時から開け放されたままだ。トテトテとそちらへ駆け寄り、そしてアリーの足が止まる。手からは、籠や財布が落下した。
 大きな一枚板のテーブルの横で、折り重なって倒れる男女。女の薄桃色の巻き毛は床に溜まった血に濡れ、ガラス玉のような青い瞳がアリーを見つめていた。男は彼女を抱きかかえるようにして伏せっていて、身動きしないその背中は赤く染まっていた。
「どうしたの、アリーちゃ……きゃあああああ!! 誰か! 誰かあー!!」
 アリーの後ろから広間を覗き込んだローレンスは叫び、屋敷を出て行った。ローレンスの叫び声は隣の家の方へと移動し、複数の騒ぎ声が重なって行く。
 アリーはその場に崩れ落ち、ただただその青い瞳を見つめ返していた。

「その頃はまだ、ヴィルマが魔女だって王様は認めてなかった。ヴィルマと顔を合わせた僕を、親戚の人達は誰も引き取りたがらなかった。その上ヴィルマは、僕に『この家の一人息子を知らないか』って聞いてきたんだ。皆殺しにするつもりだったんだよ。僕を引き取れば、自分達まで殺される可能性があった……」
 アリーは、近くの棚に置かれていた紐を手に取ると、いつもの二つ結びに髪を結ぶ。
「そこでヴィルマの追跡を逃れようとした親戚の人達が出した苦肉の策が、僕を女の子にしてしまう事だったんだ。ヴィルマは、僕の顔を知らなかった。本人を目の前にしながら、気付かなかったんだからね。名前は不都合が出てき安いけど、性別なら確認する機会はそうそうない。学校へ通わなければ、尚更ね。
 その提案でやっと、僕を引き取ってくれる人が決まった。結局その親戚は僕を遺産の一部と共に何も知らないペブルの託児所に預けて、連絡先も教えてくれなかった訳だけど」
 部屋は、しんと静まり返っていた。アリーは、キッとルエラを睨みつける。彼女はやはり、無表情でアリーを見つめていた。
「父さんと母さんをヴィルマに殺されたせいで、僕は全てを狂わされたんだ。憧れの父さんだった。大好きな母さんだった。魔女さえいなければ、こんな事にはならなかったんだ……。僕は、魔女を絶対に許さない」
 感情の無い翡翠色の瞳は、あの日の魔女の瞳と色こそ違えどよく似ていた。


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2014.4.19

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