「――逃げろ!!」
 ディンの声で、ルエラはハッと我に返る。フレディの手を借りて立ち上がったカークは、もつれる足を精一杯動かして玄関の方ヘと駆けて行った。ディンは腰の剣を抜く。
「ルエラ。お前も、カークさんと一緒に下がるか?」
「いや。大丈夫だ、やれる」
 ルエラは構えの体勢を取る。目の前にいるのは、魔女だ。十年前、罪の無い人々を死に至らしめた虐殺者。彼女を捕らえるために、ルエラは旅をして来たのだ。
「ヴィルマ……」
 ぽつりと、呟く声がした。
 ルエラと同じく、ヴィルマを追っている者がこの場にはいた。小さな背中を、ルエラは見つめる。
「どうして……どうして、お前とルエラに面識が……まさか……」
「あら、知らないの? そちらのルエラ王女は、ヴィルマ様のご令嬢よ?」
 ヴィルマの隣に現れたのは、赤毛の魔女だった。前回会った時に一つに束ねられていたそれは、今日はまとめられる事なく風になびいている。
 城に侵入した魔女との再会よりも、ルエラはアリーの後ろ姿に気を取られていた。彼は、呆然とその場に立ち尽くしていた。その目は、丸く見開かれている事だろう。
「ヴィルマの仲間か」
 油断無く相手を見据えながら、ディンが問う。赤毛の魔女は、軽く肩をすくめた。
「人間に名乗る気なんてないけど、プロビタス少佐も一緒みたいだから、答えてあげる。初めまして、フレディ・プロビタス少佐。私の名は、アンジェラ・トレンス。あなたとルエラ姫を、迎えに来たわ」
「僕達が、あなた方と一緒に行くとでも?」
 フレディは机とソファの間を抜け、一番彼女たちに近い位置にいるアリーの横まで進み出る。もちろん迎合するためなどではなく、彼は杖を構えていた。
「ヴィルマ・リム……僕もお久しぶりのはずだけど、その様子だと覚えてないみたいだね……」
 アリーの声は震えていた。
「十年前、お前は僕の父さんと母さんを殺した! どうして!? どうして、二人が殺されなきゃならなかったんだ! 殺してやる……僕が、お前を殺してやる!!」
「よせ、アリー!」
 ディンが叫ぶも、遅かった。アリーはヴィルマへと突進して行く。ヴィルマの足元から細い蔓が伸び、アリーを壁へと叩き付けた。アリーは直ぐに身を起こそうとしたが、座り込んだまま痛みに呻く。
「何人殺したと思っているのよ。死んでいった人達の事なんて、一々覚えている訳ないじゃない」
 ぞくりとルエラの背筋を冷たいものが流れる。
 アリーを見下す彼女の目は冷たく、かつての優しい母の面影などどこにもなかった。ルエラは、乾いた笑いを漏らす。
「ハ……やはり、人殺しだな。お前に同情の余地などない。これで、吹っ切る事ができる」
 素早く、ヴィルマへと手を突き出す。噴出された水が、ヴィルマを襲った。
 ヴィルマは逃げようとはしなかった。一歩も動く事無く、うごめく蔓がルエラの水を受ける。蔓は水圧に耐え、そしてあろう事か太さと長さを増した。
「な……」
「水は、植物の生きる源よ。それくらい、常識でしょう?」
 ふと足元に気配を感じ、下を見る。同時に、床を割って現れた蔓がルエラの足に巻き付いた。
「しまっ……」
「ルエラ!!」
 メキメキと床を割り、蔓はルエラを宙吊りにしてヴィルマの元へと運んだ。片足で宙吊りにした娘の頬を、ヴィルマはそっと撫でる。
「私にとってのあなたも同じ。生きる源なの。さあ、お母さんと一緒に行きましょう」
「ふざけんじゃねぇ!!」
 叫んだのは、ディンだった。
「ルエラから居場所を奪うような真似をして、今更母親面か! あんたが起こした事件のせいで、ルエラの立場がどんなに酷くなったと思ってるんだ!? 魔女への憎悪だって、あんたが更に強めたようなものだろう!!」
「う……あ……っ」
 蔓は伸び、足を辿ってルエラの身体へと巻き付く。氷の槍を手中に作り出そうとしていた手にも巻きつき、中断を余儀なくされてしまった。向きこそ頭が上になったものの、手足を塞がれどうする事も出来なかった。
「ごめんなさい、ルエラ。大人しくしていてね」
 困ったように言って、ヴィルマはディンへと冷たい視線を向ける。
「あなたに何が分かると言うの。居場所を奪った? 何も追われる心配のない、人間の発想ね。この世界に魔女の居場所なんて、元々無いのよ。全くの正反対だわ。私は、ルエラの居場所を手に入れるためにあの事件を起こしたの」
「どういう……事だ……?」
 ルエラは驚愕に目を見開き、ヴィルマを見つめていた。ヴィルマは微笑む。
「十年前、魔女だと言う事を隠しながら王宮で生活をしながらも、ずっとこの生活を続ける事は出来ないだろうと思っていたわ。いつかは、私かルエラか、あるいは両方が魔女だとばれるかも知れない。火炙りにされてしまうかも知れない。怯えながら、毎日を過ごしていた。……でも、そんなある日、転機が訪れたの」
 ヴィルマの表情は、恍惚としていた。
「彼女は、私たちを魔女の国へと誘った。驚いたわ、そんな国があっただなんて。子供の頃に読んだ絵本の世界のようだった。そこでは魔女は憎まれず、当たり前の存在として生活している。むしろ、私達魔女や魔法使いが国の中心なの。古の時代に失われた、理想郷……」
「……ラウか」
 低く呟いたのは、フレディだった。ヴィルマはうなずく。
「ええ、そうよ。海の底へと消えた幻の国は、地上に戻って来たの。これからもっと、発展するわ。領土を広げ、やがてはこの北方大陸全土を国土とするでしょう。
 私が王妃と言う立場、そしてサントリナの王女だった事もあって、陛下自ら、私を迎えに来てくださった。魔女がまだ悪とされていなかった古の時代、ラウ国が海底に沈む前に南下していった者達がいた。サントリナの王族は、その生き残りだったのよ。魔法使いや魔女の子でも、魔力を発現するとは限らない。生まれた子供が女の子なら、尚更その確率は低くなる。だからか、一族に魔女は私だけだったわ。お父様は魔法使いだったけれども。
 陛下は私に仰った。ラウへ来るならば、忠誠の証を見せて欲しいって。当然よね。魔女とは言え、魔女を糾弾するのを常識としている異国の王妃。ついて行くふりをしてラウの内情を密告なんてされたら、面倒だもの。
 私は、人間と共にあまりに長い時間を過ごして来た。だから陛下は疑問だったのよ。人間を敵と見なす事が出来るか。別の生物だと見なし、その手に掛ける事が出来るか……」
「それで……多くの罪の無い人々の命を奪ったのか」
「罪の無い? 果たして、そうかしら? 魔女は忌むべきモノ。火炙りにするのは当たり前。そんな常識を持った者達は、果たして罪が無いと言えるのかしら? 実際には魔女でないとしても、その嫌疑が掛かっただけで火炙りにしてしまうような人達に、本当に罪は無いのかしら?
 私は陛下に認められるため、人間を殺めた。残念ながら途中であの人に見つかってしまって逃げざるを得なくなったけど、陛下は私を認め受け入れてくれたわ。そして、あなたもよ、ルエラ。私達は、もう魔女だと言う事を隠さずに過ごす事ができるようになったの」
 ルエラは、一言も発する事ができなかった。
 同情の余地の無い非道な人物であれば、騙されていたのだと一時の感傷に浸って、時と共に忘れる事が出来たのに。
 ヴィルマが罪を犯したのは、ルエラのためだった。殺された人々は、アリーの両親は、ルエラのために命を失った。
 ルエラが、いたから。
 ディンは一瞬の内にルエラとヴィルマの前まで間合いを詰めていた。刃が一閃する。
 ルエラに巻き付いていた蔓は切り裂かれ、支えを失ったルエラをディンは片手で抱き止めた。そうして、剣をヴィルマへと突きつける。
「魔女の国だか何だか知らねぇが、こいつは渡さねぇ。そんな血に濡れた居場所を、こいつが喜ぶとでも思うのか? てめーには、ルエラに触れる資格も母親面する資格もねぇ!」
 紫色の瞳がすうっと細められる。
「人間の意見なんて聞いていないのよ……私の娘を放しなさい!」
 襲い掛かろうとした蔓は、突然炎に包まれ燃え尽きた。
「僕も、同意見だ。歩み寄る事を諦めたその態度が自らの居場所を潰していると、なぜ気付かない? 僕も誘うつもりだとの事だけど、お断りだ。僕の村は……僕の家族は、お前達の仲間に焼き尽くされた! 僕はお前達を許しはしないし、これ以上同じ目に遭う犠牲者を出してなるものか!」
 火炎がヴィルマとアンジェラを襲う。二人は飛び退き、後退した。後を追い、フレディ、ルエラ、ディンも外へと出る。
「ルエラ、大丈夫か?」
「ああ。手間を掛けたな。……奴を捕らえるのに協力してくれるか?」
「もちろんだ。行くぞ、フレディ!」
「はい!」
 ディンは剣を手に、ヴィルマへと切りかかって行く。下がろうとしたヴィルマの背後に、火柱が上がる。ルエラも氷の槍を作り出すと、強く地面を蹴った。


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2014.5.17

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