目を覚ましたルエラは、硬いベッドに寝かされていた。宿で、ルエラの取ったあの部屋だ。カーテンも何も無い窓からは、明るい日差しが差し込んでいる。
「あ。リン、起きた?」
 アリーが部屋にいた。宿屋にいた時に着ていた着物のような上着とスカートに身を包み、ルエラのベッドに腰掛けている。白いスカートからは、包帯の巻かれた痛々しい細い足が覗いていた。ルエラの視線に気付き、アリーは軽く足を揺する。
「旅には必要ないかなと思ってたけど、スカートも持って来ておいて良かったよ。包帯巻いたら、ズボンは履きにくいもん」
 そして、真剣な顔でルエラを覗き込む。
「リン、自分で上脱げる? 手伝おうか?」
「え。な……」
「背中を手当しないと。腕は少し捲くるだけで済んだから良かったけどさ、背中はそうもいかないから。背中の方は緊急って状態ではなさそうだったし、勝手に脱がすのもどうかと思って」
 腕やアリーの足ほど深く刺されてはいないとは言え、あの棘で何度も背中を叩かれていたのだ。痛みからしても、傷になっている事は間違いなかった。
「平気だ。心配要らない」
「でも……」
 ノックの音がし、アリーとの押し問答は途切れた。アリーが返事をし、扉を開ける。
「ブィックス少佐。ちょうど、リンが起きたところなんですよ」
「そうか」
 軍服に身を包んだブィックスが姿を現した。ブィックスはルエラを一瞥し、言った。
「シャントーラ軍への報告は、私が行って来た。大尉とラランド嬢は聴取よりも手当てを優先すべきだと判断したため、ここに残ってもらった。とは言え、ラランド嬢の話は私が聞いて伝えられたが君が見聞きした事については何も把握出来ていない。報告書を提出するよう」
「はい」
「ありがとうございます、助かりました」
 アリーがニコニコと礼を述べる。ブィックスは女性対応の微笑みを浮かべ、それから続けた。
「フィリップ・ノーヴァだが、彼は軍資金を横領した罪で手配されていたらしい。だから、軍部に連れて行かれるのを拒んだのだろうな。
 ……ところで、昨晩、姫様が来たりしたか?」
「は……? 何の事でしょうか?」
 ルエラはわずかに首をかしげてみせる。部屋に描かれた魔法陣は魔力を持つ者の動きを封じるものではあったが、魔法を解くものではなかった。ルエラの髪は短いままであり、正体もばれてなどいないはずだ。
 ブィックスは罰が悪そうに言葉を濁した。
「いや……夢でも見たのだろう。何でもない」
 アリーが、ルエラに向き直った。
「さ、手当てしよう」
「自分で何とかする」
「何とかって、どうするんだよ。背中なんて、自分で見えないでしょ」
「どうした、手当てを渋っているのか? 同じ年頃の女の子とは言え、照れるような事か」
 ブィックスまでもが口を挟む。それでもルエラは、頑なに拒んだ。服を脱げば、当然女だとばれる事になる。
「大丈夫だと言っている。君の足の方がよほど重傷だ。まったく、無茶をする……」
「無茶は、リンの方だろう」
 ぴしゃりとアリーは言った。
「リンを身代わりに生き延びて、それで僕達が納得すると思った? 例え偽装の報告で軍に相手にされなくても、僕は一人でもリンの仇を討ちにまたあの城に戻ったよ。
 ふざけるなよ。何が、『いずれ消えなくちゃならない』だ」
 アリーは、ルエラの服にしがみつく。その声は、震えていた。
「ふざけるなよ……リンがいてくれたから、僕は助かったんだ。自分の命をそんなに粗末なものだと思わないでよ。リンがいてくれて、会えて良かったって、本当にそう思うんだ……それを否定しないでよ……!」
 ルエラはわずかに、目を見開いた。
『あなたがいてくれて良かった……会えて良かった』
 十年前、城を脱走した折に出会った女の子。何気ない一言だったが、魔女である自分の存在に否定的になっていたルエラに、希望を与えてくれた。会えて良かった。いて良かった。そう、思ってくれる人がいるのだと。自分は、生きていて良いのだと。
 その時の少女が、アリーと重なって見えた。
 震える背中を、そっとルエラは抱いた。
「……すまない。辛い思いをさせた。……ありがとう」
 魔女は、忌み嫌われ狩られる存在。ルエラもまた、魔女である限りこのままのうのうと生きていくなんて、ましてや王女でいるななんて不可能だろう。
 それでも、ルエラと言う一個人を大切に思ってくれる人達がいる。その存在を認めてくれる人達がいる。
 彼らを悲しませる事はしたくない。そう、思った。


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2013.7.6

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