結局大した手がかりは得られず、ルエラらは城を後にした。
 一時は暴動沈静後の兵達で賑わっていたとは言え、北のはずれに位置する亡国。町に宿屋は一つしかなく、小ぢんまりとしたものだった。しかし広さの割には賑わったもので、中央では三台ものテーブルが繋ぎ合わされ、大勢の男達が取り囲んでいた。部屋の壁沿いに残された二人掛けや四人掛けのテーブルには、集団とは別組と思われる客がちらほらと腰掛けている。角のテーブルに男性が一名、窓際に男女の二人連れ、そしてカウンター寄りに女性が一名。奥のカウンター席へと向かう間、ルエラ達は視線を感じずにはいられなかった。特に中央のテーブルに集まる集団は、ルエラ達を盗み見てはひそひそと言葉を交わしていた。
「一体全体、何だと言うのだ。不愉快だな」
 ブィックスは眉をひそめ、集団の方へと目をやる。こちらを見ていた数人が、さっと視線を外した。
「少し前までは軍の出入りも激しかったのだから、余所者が珍しい地域でもないと思うのだが……」
「それは、君達が城の方へ向かったと噂になっているからだよ」
 壁際の二人席に一人で座っていた男が、酒を片手にルエラ達の後ろに立っていた。彼はややふくよかなその身体を、アリーの隣の椅子に乗せる。
「城の方に向かった、若い男と少年少女の三人連れ……君達の事で合っているかい?」
 うなずいたのは、ルエラだった。
「確かに、私達の事ですが……それが、何か?」
 男はきょろきょろと辺りを見回すと、声を低くした。
「それじゃ……城の中には、入ってみたかい?」
「……」
「いや、何も咎めようってわけじゃないんだ。私は軍人でも何でもないからな。そうだ、申し送れたな。私はフィリップ・ノーヴァ。考古学者をやっている。今は所用があって、休職中だがね」
「考古学者?」
 そう尋ね返したのは、アリーだった。ノーヴァはうなずく。
「意外かい?」
 意外も何も、ノーヴァの洋装は言われればなるほどとうなずけるものであった。戦士とは程遠く、けれども動きやすそうなジャケットとパンツ。形としては学者らしいが、いずれもくたびれている。現地調査を重ねた結果だろう。
「ノーヴァさん、強そうに見えるから」
「まさか。遺跡調査やなんかは確かに体力勝負だがね。強いと言うのとは程遠い、ただのしがない学者さ」
「それで、考古学者の方が何か?」
 ルエラが話を戻す。ノーヴァは神妙な顔でうなずき、言った。
「……あの城は、人を喰うんだよ」
「人を……喰う?」
 繰り返すアリーの言葉に、ノーヴァはうなずく。
「私の友人が、昔あの城で消えてしまった。他にも、何人もの学者や旅人、浮浪者があの城で消えている。噂じゃ、見張りの軍人も消えた事があるなんて話だ。だから、立入禁止の札は立てても誰も見張りがついていないのだとか」
「馬鹿な。我々はそんな話――」
 反論しかけたブィックスを、ルエラは軽く睨んで黙らせる。ノーヴァは悲しそうに首を振った。
「外には広まっていないだろうさ。軍人にしても、噂だけで公には発表されていない。そんな事になれば、上は黙ってはいないだろう。城の調査をしなければならなくなる。だが、実際に城へ踏み込み調査をするのはシャントーラの軍だ。実際に失踪を目の当たりにしている彼らは、城には近づきたくもないだろうさ」
「腑抜けた奴らめ。何のための軍だ」
 憤るブィックスに、ノーヴァは苦笑する。
「ここだけの話だが、私も何度か城に潜り込んでみた事があるんだ。だが、何の手掛かりも得られなかった。中は、ごく普通の廃墟でしかない」
「普通ではなかろう。あなたが入った時には、ランの花はなかったのか?」
「ああ……種類まではわからないが、白い花がたくさん咲いていたな。いつ行っても、咲いている。あんな廃墟で咲いても、誰が見るでもなし、何の意味もないだろうにな。
 それじゃ、やはり君達もあの城に入ったんだね? 何か変わった事はあったかい?」
「いえ……我々も、特に変わった事は……」
「そうか……」
 ブィックスの返答に、ノーヴァは肩を落とした。
 ルエラは顎の下に手をやり、少し考える。そして、ふとノーヴァを見上げた。
「ご友人が失踪したのは、いつ?」
「半年前の……ちょうど今頃だな。具体的な日にちまでは分からない。シャントーラに行くと言って出掛けたきり連絡が途絶えて、この町に来て調べて回って、あの城に入る姿を見たって話を聞いただけだから」
「旅人や浮浪者など、これまでに消えた人達について、いつ誰が消えたのかは分かるか?」
「さすがにそこまでは分からないよ。私もそういう噂があると聞いただけだから。それこそ、彼らなら知ってるんじゃないか?」
 そう言ってノーヴァは、中央のテーブルの集団を振り返った。
「彼らは、地元の炭鉱の人達だ。ここを溜まり場にしているそうでね。噂については、地元の人達の方が詳しいんじゃないかな」
「それもそうだな」
 うなずくと、ルエラは席を立った。相変わらず、こちらの様子を伺う集団。彼らの集まるテーブルへと真っ直ぐに歩いて行く。輪の外でぴたりと立ち止まったルエラに、中でも一際大柄で力のありそうな男がじろりと目を向ける。
「何の用だ」
 大方、彼がリーダー格なのだろう。そう判断したルエラは、彼に向き直る。
「晩餐中にすまない。城の噂について聞きたいのだが」
「聞いてどうする? お前達、昼間にあの城へ行ったんだろう? どうやって無事に帰って来たのか、こちらの方が聞きたいな」
「なるほど。あなた達にとって私達は、危険な城に赴き何食わぬ顔で帰って来た得体の知れない余所者。そう言う訳だな? なに、臆する事などない。我々は、しがない旅の者。奇妙な城に悩まされていると言うならば、その真相を解明する手助けをしたいと思ったまでだ」
 ぬっと男は立ち上がった。二メートルはあるだろう巨体でルエラを見下ろし、それからカウンターの方からハラハラと見守るブィックスらの方を見やった。
「ハッ。若造と子供二人で何が出来る? それとも、軍から小遣いでも貰ってスパイごっこか? 心配しなくても、俺達はもうあの城に首を突っ込む気なんざねぇよ。こっちも、これ以上の犠牲は出したくないんでね」
 ルエラはぴくりと眉を動かす。
「軍と、何かあったのか?」
「何かあるだ? 何も無いから、おかしいのさ。こんなにも失踪者が出て、軍は調べもしねぇ。つい先月は見張りの兄ちゃんまで消えたってのに、そんな事無かったかのように振舞ってる。後ろ暗い事があるから隠すんだろう。あの城には、軍が絡んでるに違いない。この町のモンなら、皆そう思っとるさ」
「それは、軍人らもこれ以上失踪者を出したくないからではないのか?」
「そう言う奴もいるな。だが、軍の考えなんざ分かったものか。ヴィルマを庇っていたような国だ。何を企んでいる事か、わかったもんじゃねぇ。サントリナ王女が魔女だって話を聞き入れて市民に味方したのも、結局のところこの国を自分達のものにしたかっただけだろうよ。
 もし坊主らが軍とは何の関係もねぇって言うなら、悪い事は言わない。さっさとこの町を出て行って城の事は忘れるんだな。ガキに出来る事なんかねぇよ」
 言って、彼はまたどっかりと椅子に座る。その拍子に手が触れ、彼の傍にあったグラスが倒れた。中に入っていた酒がテーブルの縁を伝い床へと滴る。
「おっと、いけねぇ」
 慌ててグラスを起こし雑巾を探そうとする彼らの前で、零れた酒は凍りついた。そして、欠片となって独りでにカウンターの奥の流しへと飛んで行く。ボトルの中の酒が吹き出し、空になったグラスへと注がれた。
 ルエラは、かざしていた手を下ろす。
「子供に出来る事などないかも知れない。だが、魔法はそれなりに役立てられると思うが?」
 男達は、呆然とルエラを見つめていた。
「今の……坊主がやったのか?」
「ああ。これくらい、造作もない」
 唖然としていた彼の表情は、ぱあっと明るくなった。
「坊主、魔法使いなのか!」
「ただのガキなら話にならないが、賢者様なら話は別だ。なるほど、それで城から無事に帰って来れたわけだな?」
「この町にも、希望の兆しが見えてきたぞ!」
「サフィン、彼に頼ってみようぜ」
 サフィンと呼ばれた先ほどの大柄な男は、じっとルエラを睨み、再びすくっと立ち上がった。そして、ガシっとルエラの肩を掴む。
「坊主!」
「サフィン!」
 周囲がどよめく。ブィックスとアリーも、いつの間にかルエラ達の傍に立っていた。
 サフィンは怖い顔でルエラを見据えていたが、その手は震えていた。そして、彼はルエラの肩を掴んだまま頭を下げた。
「お前が魔法使いだと言うなら、お願いだ……あの城の謎を解いてくれ……俺の息子は、あの城で消えた。もう、同じような犠牲者を出したくない……!」
 ルエラはそっと、彼の手を掴みその手を肩から外した。
「もちろん。元より、そのつもりだ」

 その後は、飲めや食えやの大騒ぎだった。ただルエラらが来たと言うだけで、もう事件は解決したかのような扱いだった。話の流れでブィックスも魔法使いだと知られ、彼もまた男達に引っ張り回された。容姿も整った彼に対しては地元の男達のみならず、壁際にいた女性客も混ざり言い寄っていた。
「……大尉、君、実は結構目立ちたがり屋だろう」
 聞きたい情報だけ聞き出すと、ルエラらは再び町に繰り出していた。満点の星空だが、月の無い真っ暗な夜だった。点々とした外灯の明かりだけを頼りに、三人は夜道を歩く。
男達に揉みくちゃにされたブィックスは、すっかり疲弊しぐったりとしていた。ルエラは軽く肩をすくめる。
「少佐には及びませんよ」
「私は女性専門だ」
 そう言って前髪を払う仕草も様になっているのだから、見事なものだ。そして彼は、ルエラの隣を歩くアリーににっこりと笑いかけた。
「アリーちゃんみたいな可愛い子ならば、大歓迎なんだがね」
「やだー。ブィックス少佐ってば、お上手なんですから~」
 アリーはキャッと頬に手を当てる。素直に喜ぶ素振りを見せつつも、こういった台詞には慣れた様子だ。この二人は、案外よく似たタイプなのかも知れない。
「しかし、良かったのか? 姫様から任された任務があるのに、こんな寂れた町の失踪事件など構っている場合ではなかろう」
「私の任務の一つは、ヴィルマの捜索です。ひいては、魔女に関する事件の調査。事件の裏にいるのが、軍か魔女かはたまた別の人間か……まだ分かりませんが、任務と全くの無関係とは断言出来ません」
 それに、とルエラは続ける。
「目の前の事件を放置して引き上げる事は、姫様ご自身がお許しになりませんよ」
 ブィックスはふっと微笑った。
「そうだな。姫様なら、この町の人々を助けるよう命じなさるだろう」
「それで、僕達どこに向かってるの? 昼間のお城?」
 小首を傾げて尋ねるアリーに、ルエラは首を左右に振った。
「まさか。何も調べぬ内からこんな夜に侵入なんて、危険な真似はしないさ。……まずは、軍部だ」
「軍部? やっぱり、サフィンさんの言ってた通り、軍が怪しいって事?」
「分からないから、調べるんだ」
 突然の来訪に、シャントーラの軍人達は良い顔をしなかった。見張りの者達は目を配せ、一人がルエラらに尋ねた。
「こんな夜分に、何の用だ。一般市民は、窓口を介して――」
 やはり、一般市民としての捜査は厳しいか。手っ取り早くルエラ王女の証印が押された令状を見せようと懐に手をやったルエラを、ブィックスが制した。彼は、ルエラにしか聞こえぬように低く囁く。
「任せたまえ。可能な限り、君は一般市民として行動したいのだろう?」
 そして、自身の身分を証明するべく階級バッジを取り出す。
「私軍少佐、ポーラ・ブィックスだ。先日首都で起こった暴動の主導者の捜査にご協力願いたい」
 見張りの兵達は、慌てて敬礼した。
「私軍の方でしたか! どうぞ中へ。ご案内いたします」
 シャントーラの軍部はサントリナの暴動が沈静化しリム国の領土となった後に建てられたものであるから、比較的新しい。レポスとの国交がさかんになり始めた頃と言う事もあり、設計には北方の寒冷地に強いレポスの技術や様式が多分に組み込まれていた。
 奥の応接間へと通され、まずは口実とする暴動事件についてブィックスが説明する。大まかな概要は、各地方へも伝達されていた。暴動があった事、彼らは魔法によって操られていた事、そして彼らを操ったのは魔女であり現在逃亡中である事。
 シャントーラは北の国境で唯一平地となる地だ。国外への逃亡を図った彼女が、この町を通る可能性は十分にある。そう言って、ブィックスは件の魔女――アンジェラ・トレンスの人相や能力を細かに伝える。ブィックスの話に、シャントーラの軍人は真剣な顔でうなずいた。
「了解しました。もしトレンスと思われる女が目撃されたり、何か奇妙な事が起こったりすれば、早急に首都へと伝えましょう。わざわざブィックス少佐がお越しになったという事は、私軍へも我々から直接お伝えした方が良いでしょうか」
「よろしく頼む。人心を操る事を得意とする魔女となると、事は緊急を要する。
 ……ところで、奇妙な事と言えばこの町では頻繁に行方不明者が出ているようだが?」
「まさか……! その事件は、首都で出た魔女とは関係ありませんよ。何せ、もう何年も――」
 言い掛け、彼は口を噤む。ブィックスは厳しい目で、彼を見据えていた。
「旧サントリナ城での連続失踪事件について、詳しくお聞かせ願おう」
 渋々と言った様子で話し出した失踪事件の詳細は、宿で市民から聞いたものと大差なかった。異なる点と言えば、一応失踪事件としては扱われていたようで各行方不明者のいなくなったと思われる日時が記録されていた事ぐらいだ。それも、月ごとに日がずれるようにして隔月でと、サフィンらの話と相違なかった。
 日付が全く同じならば共通項ともなろうが、僅かに生じるずれ。それは犠牲者の間が長く空くほど広く、もし事件が毎月のものであったら一日二日程度のずれで月を追うごとに上旬に遡っていく様子が見られただろう。
「微細なずれを生じる約一ヶ月のサイクル、か……」
 呟き、ルエラは窓の外に目をやる。そして、僅かに目を見開いた。
 隣に座っていたブィックスが、ルエラの呟きを聞きとめた。
「何を言っているんだ。事件は毎月のものではなく、隔月で――」
「すまない。図書館を案内していただけるだろうか」
 言って、ルエラは立ち上がる。
「お、おい、ブロー。何をいきなり……」
「アリー、一緒に来てくれ」
「え? あ、うん」
 アリーはきょとんとした様子でうなずく。ルエラは少し屈み、ブィックスの耳元で囁いた。
「こちらは、少佐に一任します。よろしくお願いします、ブィックス少佐」
 ブィックスが僅かに目を見開く。
「君……」
 言いよどむブィックスに、ルエラは小首を傾げる。ブィックスは、ふいと視線をそむけた。
「いや、何でもない。では、宿で落ち合おう」
「はい」
 ルエラはうなずくと、アリーをつれ軍の者の案内で図書館へと向かった。
 図書館の閉館時間はとうに過ぎている。しかし、軍部内の図書館となれば話は別だ。監視の下、機密情報となるものは決して閲覧出来ない雰囲気だったが、今は別段必要なかった。
「リン、良かったの? ブィックス少佐一人に全部任せて来ちゃって……」
「大丈夫だ。彼とて、軍属魔法使い。それも私軍に仕える身だ。能力は確かさ」
「別に、少佐を見くびる訳じゃないけど……」
 アリーはちらりと見張りの軍人にちらりと目をやり、アリーは声を低くする。
「ほら、軍が怪しくないか調べるって話だったじゃない? だったら、話している間の周りの人達の反応とか、目は多い方が……万一何かあった場合でも、こちら側の人数は多いに越した事はないしさ」
「大丈夫だ」
 ルエラは繰り返して言った。
「ブィックスは強い。それに、市民が一緒にいるより軍人同士の方が話しやすい事もあるかも知れないだろう? ……あった、これだ」
 ルエラは一冊の本を手に取る。アリーはその表題を見て、小首を傾げた。
「天文学?」
 ルエラは、口の端を上げて微笑った。


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2013.6.8

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