「大尉、昨晩は一体誰と話していたんだ?」
 翌朝。シャントーラへ向かう汽車の中でブィックスはおもむろに言った。
 ルエラは静かに問い返す。
「何のお話ですか」
「昨日の夜。私が出かけた後、誰かと電話をしていただろう。随分親しげな話し方だったが」
 聞かれていたのか。ルエラは口を噤む。一体、何処まで聞かれてしまったのだろう。これは鎌かけか、それとも。
 昨晩、ルエラはブルザへ電話を掛けた。ブルザが受け持った魔女侵入事件の捜査状況を聞きたかったのと、ついでにルエラ達の現状報告のためだ。ブィックスとの二人旅にされた事で溜まった鬱憤を愚痴として吐き出したかったのも、少なからずあるかも知れない。
 魔女侵入事件の捜査は、難航しているようだった。魔女は、アンジェラ・トレンスと名乗った。しかし、リム国内にそんな名前の人物はいなかった。もちろん、偽名だという可能性も捨て切れないが。
 それからブルザの話によると、リム城には今、リン・ブローへの客人が訪れているとの事だった。ディン・ブラウンとフレディ・プロビタス。偽りの存在であるリンへの客人にブルザは怪訝気であったが、ルエラは二人を知っていた。フレディ・プロビタス少佐は隣国レポスに住む、史上最年少の軍属魔法使い。ディン・ブラウンは、本名をディン・レポスと言う。レポス国王子であった。彼もまた、ルエラのように身分を偽り旅していた。
 ルエラの不在を告げると、ディンは市内で待っているから帰って来たら知らせて欲しいと述べたらしい。特に急ぎの用がある訳でもないそうだ。困惑するブルザに、ルエラは「そのまま待たせておけ」と告げ電話を切った。
 ブィックスの外出中。終始、ルエラとして素でブルザと話していた。何処かで名前を出した可能性も十分にある。ブィックスは、じろりとルエラを見下ろす。
「随分親しげな様子だったが。君のご両親は確かお亡くなりのはずだな。私軍にいながら地方巡回を主とする大尉に、旅先から私用の電話をするほど親しい同僚がいるとも思えん」
 随分と失礼な事を言われている気がするが、それはこの際触れないで置く。ブィックスにリン・ブローの交流関係を事細かに教える気も無い。
「旅先で出会った友人です」
「『明日着く』と言うような内容を話していたようだが?」
「ご心配なさらずとも、行き先までは告げておりませんので」
 ブィックスは黙り込む。ルエラは内心、安堵していた。どうやら、肝心な部分までは聞かれていなかったようだ。
 ルエラは窓の外へと視線をやる。北部の山々は、随分と間近に迫ってきていた。あの山脈の向こうに、コーズンがある。初めて、悪に染まらぬ魔女と出会った地。そして、追っ手の存在を知る事になった地。コーズンに住まう魔女は、陥没から村を支えていた。恐らく、彼女もまたルエラやフレディのように連中から目をつけられたのだろう。己の存在が村に危険を招くと感じた彼女は、自ら地の底へと沈んで行った。
 物思いに耽っていたルエラは、弾けるような明るい声で引き戻された。
「やっぱりリンだ! わあっ。信じられない! 久しぶりーっ!」
 振り返り、ルエラは目を丸くする。そこに立つのは、ふわふわの金髪を二つに結んだ愛らしい顔立ちの女の子。
 彼女は小さく首を横に傾ける。
「覚えてる?」
「……アリー」
 ルエラは名前を呟く。アリー・ラランド、十五歳。西部の町で出会った女の子である。彼女にかかった魔女の嫌疑を、ルエラは晴らしたのだ。
「わあい、覚えていてくれたんだ~っ。あの時はありがとう!」
 アリーはルエラの手を両手で握り、隣に腰掛ける。
 ルエラは目をパチクリさせていた。
「どうしてこんな所に?」
「色々あってさー。僕、ヴィルマを捜す事にしたんだ。魔女騒動で滅亡したシャントーラなら、何か手掛かりが掴めるかなって」
 ルエラは目を見張る。ヴィルマを捜す。それは、ルエラの目的と全く同じであった。
 ブィックスは、リン・ブロー以外対象の爽やかな笑顔を浮かべていた。
「ブロー大尉の知り合いかい?」
「はい。アリー・ラランドって言います。リンには助けてもらった事があって。同僚の方ですか?」
「よく分かったね。ポーラ・ブィックス。リム国私軍少佐だ。よろしく」
「分かりますよ~っ。軍人さんって強そうですから」
「はは、ありがとう」
 対外向けスマイルを浮かべるブィックス。アリーもアリーで、ブィックスがどんな奴かも知らずに愛嬌を振り撒く。
 ルエラは、アリーが口にした話に眉をひそめていた。
「ヴィルマを捜すって……君、それがどう言う事なのか分かっているのか? どんなに危険か――君のような一般人が首を突っ込むべきではない」
「じゃあ、軍が見つけてよ」
 低く静かに紡がれた言葉に、ルエラとブィックスは言葉を失う。
 アリーはにっこりと笑う。声も、いつもの調子に戻っていた。
「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫。ヴィルマを見つけてどうこうしようなんて、大それた事考えてないから。ただ、お父さんとお母さんがどうして殺されなきゃいけなかったのか、知りたいんだ。……他に当ても無いしね」
「当てって……おじさんとおばさんはどうしたんだ?」
「んー。あの人達ね、親戚じゃなかったみたい」
「え?」
 アリーは笑顔のまま言った。
「遠い親戚だと思ってたんだけどさ、違ったみたい。昔は、宿と並行して子供預かる仕事もやってたんだって。僕を預けられてからは、やめたそうだけどね。で、先払いされてた養育費が遂に尽きたそうで」
 アリーは大きく伸びをする。
「帰る所無くなっちゃったからさ。じゃあ、ヴィルマを捜そうかなって。元々、いつかそうしたいと思ってたからね」
「それじゃあ、ユマは」
「ユマにはユマの生活があるもん。学校だってあるし、家を出る訳にはいかない。僕もまさか、男手一つでユマ育ててるお父さんに甘える訳にもいかないし。仕方ないよ。たまたま家が隣で仲良くなれたけどさ、身寄りのない浮浪児とお役人の娘じゃ、立場が違いすぎたんだよね」
 話している間に、汽車は速度を落とし終点へと着こうとしていた。アリーは足元のトランクに掛けていたコートに腕を通し、降りる準備を始める。いつもの青色のコートを羽織るルエラに、ブィックスが耳打ちした。
「彼女、君と似ているんだな。君も、両親を亡くしているのだろう」
「……違いますよ、彼女とは」
 ルエラは短く答え、降車口で手招きするアリーの方へと歩いて行く。アリーは、ルエラとの再会にはしゃいでいた。
 そこにいるのが両親を殺した魔女の娘、そして同じく魔女であるなどとは微塵も思わずに。

 寂れた駅を出て、道なりに進む。西の山脈を背景に、旧サントリナ城が見えていた。きょろきょろとアリーは辺りを見回す。
「なんだか、意外と普通の町だね。亡国なんて言うから、十年前のビューダネスみたいな感じだと思ってた」
「アリーは、首都に住んでいた事があったんだっけ」
「うん。皆魔女に怯えて、家の戸口を固く閉ざして、窓に板張ったりもしてるから灯り漏れなくて町は真っ暗で……あの頃の首都の方が、よっぽど亡国みたいだったなあ」
 ブィックスは前方に見える城を振り仰ぐ。手入れもされず、遠目にも古びて見えるその城。
「シャントーラは恐怖で終わらず、暴動へと変わったからな。暴動の後には、軍が制圧に入った。少し前までは軍人も多く割かれて、人通りと言う意味ではもっと活気があったそうだ」
 二十七年前の暴動。ルエラやアリーはまだ生まれておらず、ブィックスさえもよちよち歩きの頃。十年前のリム国と同じ疑念が渦巻き、そして暴動、国家の破滅までを辿った。一歩間違えれば、リムも同じ道を辿っていたかもしれないのだ。
 魔女の疑念からいくら年数が経ったといえども、城に近付くにつれ人気は無くなっていった。朽ちた城へと向かうルエラ達を見て、ひそひそと話す住人達さえいた。
 間もなく辿り着いた城の門前には、立入禁止の立て看板が置かれていた。門扉は固く閉ざされ、侵入者を断固拒否している。
「やっぱり、中へは入れないか……リ、リン!?」
 溜息を吐きながら隣を見て、アリーは素っ頓狂な声を上げる。
 ルエラは魔法で水を出し、固め、氷の階段を作り出していた。
「関係者だ。問題無い」
「管轄の軍に咎められたら、君が説明したまえよ」
「承知しています」
 さらりと答え、ルエラは門を越える階段を上って行く。アリーとブィックスも、その後に続いた。
「うわっ」
 足を滑らせたアリーの腕を、ルエラは咄嗟に引き寄せる。
「滑りやすいから気をつけろ」
「う、うん」
 塀の上まで上り、ルエラらは目を見張った。
「うわ……すごい……!」
「ほう。これは見事だな」
 城内は、花が咲き乱れていた。足の踏み場も無く薄紫や桃色の花が埋め尽くした様は、美しさを通り越して異質な気配さえ感じさせた。
 壁の向こう側に氷の階段を作り、ルエラ達は花の海へと下って行く。
「これは……ランだな」
 ブィックスが呟く。
「私、これと同じ花を南部の地域で見た事があります」
「不思議な事じゃない。元々は南方の花らしいが、品種によって咲く季節も様々だからな。中部で冬場に咲くものもあるのだから、今の時期ならまだ北部で咲いてもおかしくはないだろう」
「ブィックス少佐、物知りなんですね」
 尊敬の眼差しを向けるアリーに、ブィックスは微笑いかけた。
「何の役にも立たない、雑学だよ」
 そして、キッと表情を引き締める。
「……とは言え、ここの花はただの冬に咲く品種と言うだけではなさそうだが」
「え?」
 ルエラは、階段を地面まで続けず、花畑の上に城へと向かう橋を架けていた。ブィックスは、前方の城を指し示す。
「見たまえ。城の方は、何の手入れもされず城壁も崩れそうな勢いだ。それなのに花だけは、見事に咲き誇っている。野生にしては、丈も均等で手入れの行き届いた様子だ。おかしいとは思わないか?」
「言われてみれば……」
 ブィックスとアリーが話す間に、三人は樫の大扉の前まで辿り着いた。氷の橋を水へと変えてその場に撒き散らし、ルエラは言った。
「……花には、触れない方がいい。ただの誰かの園芸趣味とは限らないからな」
 扉に鍵は掛かっていなかった。床は埃が覆っていて、奥に見える階段は手摺が大破している。沈黙に閉ざされた城内には、生ける物の気配が全く無かった。
 二階も、三階も、同様だった。このような放置された建物は、浮浪者には格好の寝床であろうに。
 どの部屋も、あるのは壊れた家具と装飾品ばかり。奥の方の部屋で、ルエラは床に落ちた瓦礫の中から写真立てを拾う。埃をはらってみると、飾られているのは古い写真だった。色褪せ、写っている者達の顔は分からない。けれどもその出で立ちから、王族の者達だろうと言う事は推測できた。金髪の男性。淡い緑色の髪の女性。二人の娘だろうか、女性と同じ長い緑の髪の女の子。
 もしもこの写真が王族――それも国王一家なのであれば、この少女が「魔女」と噂の立った王女であろうか。ルエラはキュッと口を真一文字に結ぶ。魔女への恐怖は王家への不信を招き、国を傾けた。それはまるで、十年前のリム国のようだった。それとも、行く末の暗示か。
 ……それだけは、なるものか。
 写真立てを傍のこれまた半壊した棚の上に置く音が、ことりとやけに大きく響いて聞こえた。
 城の西側には、高い塔があった。螺旋状の階段を囲むように並ぶ部屋にひしめく空っぽの本棚から、主に書庫として使われていたのだろうと考えられる。しかし肝心の書物は皆とうに軍が押収済みで、残っているのは絵本や読み物ばかりだった。
「珍しいお話ばかりだね。やっぱり、王族さんとなると読むものも違うのかなあ」
「あまり不用意に動かしてはいけないよ」
「あ、ごめんなさい」
 ブィックスに咎められ、アリーは開いた絵本を慌てて閉じた。絵本の上部は埃を被っているが、日も射さず乾いた部屋に置かれていたためか状態は良い。少なくとも、寝室に転がっていた写真のように色褪せてはいなかった。緑色の中に浮かぶタイトルに、ルエラは目を留める。
「……ん? アリー、ちょっと貸してくれ」
「え? うん」
 受け取った絵本を、ルエラはパラパラとめくる。
「おい、ブロー?」
 埃が落ちるのも構わぬルエラの動作に、ブィックスが慌てて止めようとする。ルエラはぽつりと呟いた。
「この話……絵本があったのか」
「リン、知ってるの?」
「ああ。幼い頃、親から聞いた事がある」
 それは、魔女が憎まれるこの世界においては異色の物語だった。魔法使い、魔女、人間、そして不思議な生き物達、その全てが共存し平和に暮らしているのだ。中でも人間はその数を増し、力と知恵を身につけ南に下って行った。彼らに同行した魔法使いや魔女もあった。猛り狂う大きな川や、人々を惑わす奇妙な森、北東からの風が吹き荒ぶ寂しい荒地を川沿いに下り、彼らは山の麓に新しい街を築き上げるのだ。大地に広がる不思議な世界、人々が力を合わせて困難を乗り越える様は、幼いルエラを強く惹き付けた。
「魔女が仲間なの?」
 ルエラの話す絵本の粗筋に驚いたように、そしてやや険も含めて言ったのは、アリーだった。これが、本来の人々の反応だ。アリーは両親を魔女に殺されているから、尚更。
「王女が魔女だったと言う噂は事実なのだろうか」
 ぽつりと呟いたのは、ブィックスだった。ルエラとアリーの視線を受けて、彼は肩を竦める。
「王女が魔女で、それでも人間と共に生きたかったのであれば、いかにも好みそうなお話じゃないか」
「そうですね……」
 ルエラは窓の外へと目をやる。主のいない城の庭には、真っ白なランの花が所狭しと咲き誇っていた。王女が魔女だったのであれば、己が消えた後の花の延命もあるいは可能なのかも知れない。


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2013.6.1

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