ルエラがドレスを着せられている間に、ルエラの護衛隊も呼び寄せられた。その中にはブィックスもいる。彼は先程までとは打って変わり、ルエラを王女として敬う態度だ。リン・ブローにやたら絡んでくる事を指摘して懲らしめてやりたい気持ちも疼くが、ルエラはそれを抑える。それこそ、権力を誇示し難癖をつける、ブィックスがやっている事と同じだ。
 魔法研究所の周囲には、日も暮れたというのに大勢の野次馬が押し寄せていた。ルエラとノエルの四方は私軍の者達が固め、道や建物の各所には国軍の者達が立ち警戒態勢を取る。
「段差がございます、姫様。お手をどうぞ」
 研究所の入り口でブィックスが振り返り、ルエラに手を差し出す。ルエラは差し出された手を取り、もう一方の手でドレスのスカートを僅かに持ち上げた。
 恐らく、ブィックスの所作にだろう。女性たちの黄色い悲鳴が上がる。
「こんな重い服を着させられていなければ、階段なぞ何でもないのだがな」
「そう仰らず。せっかくお美しいのですから、それを際立たせるくらい良いではありませんか」
「言葉の上手い奴だな」
「お褒めに預かり光栄です」
 ブィックスはにっこりと微笑う。
 ふと、ルエラは研究所の戸口に目を留めた。スイッチによる自動開閉式の大きな扉は、ルエラら一団のために開け放たれている。その戸口の前に、生真面目そうな顔をした青い髪に眼鏡の軍人が立っていた。トッシュ・ティアナン中佐。西部の魔女騒動で、リン・ブローとして知り合った男だ。彼は、ビューダネスの市軍の者だと言っていたか。
 研究所の内部に入ると、一人の男が戸口まで迎えに出ていた。痩せた身体を白衣に包み眼鏡をかけた、いかにも研究員と言った男は、ケヴィン・フィリップと名乗った。魔法研究の第一人者と言っても、彼自身が魔法使いという訳ではないらしい。
 一つ目の部屋は、工場のような機材で溢れ返っていた。次の部屋は、書庫。その次も、書庫。その次は、広い資料庫。書棚に囲まれた部屋を抜け、奥の広い応接室にルエラらは通された。綺麗に磨き上げられた壁や床は、何処か余所余所しい。城内でも普段使われない部屋の雰囲気と、よく似通っていた。恐らく、王家や役人を迎え入れる場合にのみ使用されている部屋なのだろう。
 フィリップに勧められるままに、ルエラとノエルは中央の長椅子に並んで座る。フィリップは正面の席に腰掛け、話し出した。
 書類を元に、研究事項の報告及び進捗確認。ノエルとフィリップの事務的な質疑応答が始まり、ルエラはふらふらと席を立った。フィリップが慌てて案内をもう一人呼ぼうとしたが、ルエラはそれを断る。
「気にしないでくれ。大丈夫だ、勝手に触れたりはしない。聞きたい事があったら、その辺の研究員を捕まえるなりこっちに戻ってくるなりするさ」
 戸惑うフィリップに、ノエルが苦笑した。
「大丈夫です。姉は、自由気ままで身軽な方が好むので」
 研究員の案内は断っても、流石に城外で護衛無しでいる訳にはいかない。ルエラは私軍の護衛隊を引き連れ、ぞろぞろと応接室を出て行った。
 リム国にしては珍しく、無機質な白い廊下が続いている。機能性に特化した造りは、レポスの建築物を参考にしている。
「帰って来るなり研究所へ来ると、またレポスへ戻ったみたいだな……」
「レポスまで行かれていたのですか?」
 驚いたようにブィックスが問う。
 ルエラは一瞬、言葉を詰まらせる。しかしブィックスは、ブルザのように小言を言う様子は無かった。
「まあ……な。なかなか新鮮だったよ」
「レポスで、魔女が出たとお聞きしましたが……」
「ああ、大丈夫だ。私は遭遇していない」
 ルエラは手をひらひらと振る。
「それに、そんな事を言えばリムでも出ただろう。西部ペブルの話、聞いてないか?」
「存じております。軍に潜り込んでいたという話ですよね」
「ああ。危うく、一般市民が濡れ衣を着せられ処刑されるところだった。魔女調査報告書も未提出のままにな。魔女への恐怖心が、疑わしき者を一刻も早く処刑しようとする」
 魔女の疑いがある者については、徹底的に調べ、調査報告書を提出しなければならない。報告書は国軍の各部署や防衛大臣を渡り、全ては最終的にルエラの所へ届けられる。ルエラが目を通し魔女としての証拠が揃っていると断定した上で、マティアスの印を経て火刑が実行される。十七年前、ヴィルマが妃になると同時に義務化した制度だった。しかし、当のヴィルマが魔女だった。仲間をかばうために義務付けたのではないか、そんな声も数多く上がっている。実際のところ、もしかするとそれもあったのかも知れない。結果、未だに義務化は徹底されておらず、王家の判断を待たずに、または報告書の提出さえも無しに火刑に踏み切ってしまう事もある。
「この国では、一体幾つの罪無き命が失われているのだろうな……」
「姫様……」
 魔女は、火刑。それが世界の理だ。ルエラの母ヴィルマは、十年前に姿をくらました。魔法により、大量虐殺を行った上で。事件は王家への反感を呼び、魔女への憎悪を強めた。特に、後者。王家が持ち直したのは当然国王マティアスの実力もあるが、魔女に騙されていた被害者であると捉えられた分も大きいだろう。
 ふと、ルエラは廊下の途中で足を止めた。壁にかけられた大きな絵画。無機質な研究所の中、青い染料で描かれた絵画は妙に浮き立って見えた。
 絵画に描かれた小さな影は、人間だろうか。逃げ惑っているようにも見える。一人の女性が大きく描かれ、彼らを見下ろしていた。端整な顔立ちは、感情が欠落しているかのよう。精細に描き込まれた滑らかな髪は、しかし荒々しく広がっていて何処か恐ろしさを感じさせた。
「魔女……か?」
「そちらは、ラウの伝説を元に描かれた絵画でございます。姫様」
 ルエラは振り返る。ノエルとフィリップが、話を終えて廊下に出て来ていた。
「ラウ……?」
「メリアの物語はご存知でしょうか」
「ああ。人々を騙して村を水没させた魔女の御伽噺だったか」
「それ、僕も知ってます。最後には自分自身が海の藻屑となったんですよね」
 ノエルはフィリップを振り仰ぐ。フィリップは、頷いた。
「ええ。実はその話には、元になった伝説があるんです」
 そう前置いて、フィリップは語り始めた。
 今より千年近く遡ると言われている古の時代、北方大陸には現在のリム、レポス、ハブナ、ソルド、ヨノムサ、フゴの他にラウと言う国があった。ラウには悪魔の子が住んでいて、その名をライムと言った。近隣諸国は彼の持つ闇の力に脅かされていた。
 ライムに怯える人々の元に、ある時メリア・ローゼンと名乗る女性が現れた。優しく気高い彼女は、人々に救いの手を伸ばした。
 しかし人々の信頼を得たところで彼女は手の平を返し、ライムに身を捧げ魔女となり人々を殺めた。その力は、ライム以上だったと言う。天地を操り、北方大陸を三日三晩水没させたという話もある。
「今はラウなんて国もありませんし、存在自体が伝説のようなものです」
「メリアとライムか……」
 ルエラは呟き、絵画を見上げる。
 何故だろう。その響きが、何処か懐かしく感じるのは。


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2011.10.23

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