磨き上げられた木製の大きな重い城門。その前に立つ、一人の少年がいた。彼の着るくすんだ青色のコートを、風が翻す。その下に覗くのは、幼さの残る面影とはちぐはぐな暗い赤色の軍服だった。彼の胸にあるのは、銀色の五角形を背景に咲く薔薇の簡略画。リム国の階級バッジである。紋章の下には、赤色の太い線が一本引かれていた。その線上にある、三つの丸。表す階級は、大尉。
 彼は、門前に立つ守衛に声を掛ける。差し出して見せたのは、一枚の小さく頑丈な紙。そこにある印を見て、守衛は彼を隣の小さな門から中に通す。
 夕暮れの庭園は随所に明かりが灯り、昼間降ったのであろう雨露を輝かせていた。広い城内。灯かりの傍とは対照的に、そこかしこに濃い闇が浮かぶ。それでも、正面に構える城の窓からは強い灯かりが外へと漏れ、城まで光の道を敷いていた。
 しかし少年は石畳の道をそれ、城に沿って周り込む。闇が深くなる。灯かりは背後へと引いていき、殆ど光源が無くなるかと思われたところで街灯が現れた。城に合わせて、街中よりは立派な作りになっている。けれども、こんな所を行き来する者など滅多に無い。誰も見ないのに見栄ばかり張っているようで、滑稽だった。
 壁に突き当たり、城に沿って左に曲がる。そのまま歩き続けると、左手前方に大きな館が見えてきた。控えめに作られ、城壁と城との間に建てられた館。王族達を守る私軍、その軍舎である。
 その前に植わる薔薇の茂みの傍らに、門番でもないのに佇む男がいた。艶やかな金色の髪を持つ、端正な顔立ちの男。なるほど、城や軍の内外問わず女性達に人気があるだけあって、薔薇の茂みを背景に仄かな灯かりに照らされ立つ姿は絵になる。レポス国の最年少軍属魔法使いほどではないが、若くしての少佐。魔法の才に恵まれ、仕事には真面目に取り組む。かと言って堅苦しさとは程遠く、親しみやすい人柄。申し分無い人物だ。――リン・ブロー以外の人物にとっては。
「やあ、久しぶりだな。ブロー大尉。今回も、毎度の事ながら姫様の特別状で連絡も無しに正面扉から堂々凱旋かい?」
 嫌味たっぷりな口調。ブロー大尉と呼ばれた少年は、ツンとした様子で返した。
「正確には、門横の兵士用戸口ですが。わざわざのお出迎え、光栄です。それから、連絡ならばブルザ少佐に入れてあります」
「聞いてないな」
「では、ブィックス少佐のお耳に入れる程ではないとご判断なされたのでしょう。一兵卒ごときの帰宅を伝えるために、わざわざお忙しい身にお時間を取らせる事は無いと」
「本日、姫様がお帰りになる。随分なタイミングじゃないか。姫様の前では、常に城で勤めていると言う訳だ」
「私が本日まで城にいなかったと言う事は、姫様もご存知です。姫様のご命令で、各地を巡回しているのですから」
 ブィックスは言葉に詰まる。
 そして、不快気に眉を顰めた。
「私は少佐だ。年齢も勤続年数も、私の方が上だ。忘れるな」
 まただ。少年はウンザリする。
 彼は、気に食わないのだ。同じ魔法使い、年も階級も下である少年が、王女に特別扱いされているのが。
「承知しています。ですから、敬語で話しているではありませんか」
「その態度に刺があるように感じられるのは気のせいかい?」
「刺々しい態度を取られるお心当たりでも?」
「な――」
「ブロー大尉!」
 軍舎を通り過ぎて行った向こうから、若い軍人が駆け寄って来た。彼はブィックスの存在に気付き、立ち止まって敬礼をする。それから、少年に向き直った。
「ブルザ少佐がお呼びです」
「ああ、直ぐ行く。――では、ブィックス少佐。失礼します」
 軍舎の前を通り過ぎ、城沿いに歩く。少し行くと、石造りの小さな扉があった。門番と軽く挨拶を交わし、扉の中へと入る。そこは、庭園だった。中央には噴水が置かれ、周囲を薔薇の茂みが囲んでいる。木の根元には公園にあるのと比べやや大きめなベンチが置かれ、木々の間では小鳥がさえずっていた。
 二人は中庭には踏み入る事なく、脇の渡り廊下を通って城の中へと入って行く。広い廊下を歩きながら、少年は深く息を吐いた。
「ありがとう、レーン曹長。ナイスタイミングだ」
 レーンは苦笑する。
「また、ブィックス少佐に何か言われたか?」
「まったく、奴に熱を上げている女性達に見せてやりたいものだな」
「大尉の挑発するような態度が、余計に怒らせているのもあると思うけどね」
「私が悪いと言うのか?」
「そういうつもりじゃないけど……」
 レーンは苦笑する。
 階段を一つ上がり、廊下を奥へと行く。客の通らぬような質素な廊下に、私軍の事務室は並んでいた。その一つ、三とローマ数字で扉に記された部屋に、二人は入って行く。中は、決して表のように豪奢ではないが、落ち着いた空気が流れていた。向かい合わせに並ぶのは、八つの机。その奥には、広い窓に背を向けるようにして他の八つより二周りほど大きな机が置かれていた。椅子も、回転式の他八つとは違い木製でクッションもある。しかしその椅子は窓際に追いやられ、机の前には他八つと同じ回転式の椅子が置かれていた。城外の軍部に比べれば質が良いとは言え、机と不釣合いな回転椅子。それに座った大男が、少年の姿を見て立ち上がった。図体の大きさ、がたいの良さの割に、目元は何処か優しげだ。すっきりと短い赤毛は、僅かに後ろ髪がつんつんとはねていた。
「ありがとう、レーン曹長」
 レーンは敬礼して下がり、少年は真っ直ぐに彼の正面へ行く。
「お待たせしました、ブルザ少佐」
 そして少年は、旅路の報告を始める。西部ペブルでの魔女騒動。北部コーズンでの魔女の存在と陥没。隣国レポスにて、ルエラ・リム王女の名を騙る不届き者が現れた事。史上最年少の軍属魔法使いと言われる、フレディ・プロビタス少佐に会って来た事。
 一通り報告を聞き、ブルザは頷く。
 それを去って良いと言う合図だと受け取り、少年は一礼して背を向ける。去り際に、思い出したようにまた回れ右で正面に向き直った。
「ブルザ少佐。そう言えば、姫様がお呼びでしたよ。……食後に、話があるそうです」
「解った」
 ブルザは、重々しく頷いた。

 事務室を出た後、少年は人気の無い薄暗い廊下を訪れていた。辺りに人がいない事を確かめ、傍の小さな部屋に滑り込む。鍵を掛け、奥に置かれた大きな洋服箪笥に潜り込む。洋服箪笥の天井に手をかざすと、ごとりと音がして天井が外れた。しかしそこから部屋の天井は見えず、箪笥の中は闇に包まれたまま。天井板を外した中から、ピキピキという氷結の音と共に冷気が降りる。氷に押し出されるようにして落ちてきたのは、上等なワンピース。
 くすんだ青色のコートを脱ぎ、軍服も脱ぎ捨てる。そして、胸に巻いたさらしを解いた。
 少年――否、彼女は、天井から降ろした女物の服装に手早く着替える。コートのポケットに入った幾つもの小瓶を出すと、コートは軍服と合わせて上に向かって思いっきり投げた。そして、手をかざす。リン・ブロー大尉の時のトレードマークであるコートと軍服は、ワンピースが入っていた穴の中へと消えて行った。
 ワンピースを下ろしたのも、魔法。コートと軍服を上へ隠したのも、魔法。彼女――ルエラ・リムは、魔女だった。リン・ブローは、旅をするための仮の姿である。
 魔法の氷を器用に操り再び天井の板をはめ、ルエラは箪笥を出る。
「……おっと、いけない」
 部屋の扉に手を伸ばしかけ、ルエラは立ち止まった。コートから出した小瓶の一つをポケットから出し、一口飲む。決して美味とは言えない味が口の中に広がる。後ろ首がちくちくするかと思うと、銀色の巻き毛はみるみると伸び、背中の下辺りで停止した。男装している時の短い髪は、この魔薬によるものだった。十年前、姿をくらました母の部屋からくすねた物。彼女を捜し出し捕らえるために男装し旅しているというのに、その男装に彼女の作った薬を使用しているとは、何とも皮肉な話だ。
 すっかり女性の姿になると、幼いという印象も薄れた。凛々しく美しい女性、そんな形容がぴったりな姿。波打つ豊かな銀髪を後ろに払い、ルエラは小部屋を出る。冷たい石の階段を、上れる所まで上る。薄暗い階段は塔の途中で終わる。ルエラは周囲に気を配りながら、中央階段へと向かう。広い廊下へ出る手前で、一度足を止めた。ガラガラと台車の音がする。幸い、台車の音はルエラの前を通らずに遠ざかって行った。誰の足音も無いのを確かめ、角を曲がる。
 中央階段を上れば、後は後宮へ向かうのみ。後宮の入り口では兵達が待ち構えているだろうが、そこから部屋までは直ぐだ。それに、ルエラの護衛隊の者達はとうにルエラにドレスを着せる事を諦めている。女性の役人や下女の視線を掻い潜れば、部屋まで真っ直ぐ。その筈だった。
 後一階分、と言う所で上から複数の歩く足音が聞こえて来た。ルエラはげぇ、と顔を顰める。
 逃げる間も無く、ルエラと集団は遭遇した。護衛として従う私軍の者達。その中心に立つのは、ルエラと同じ銀髪、けれど髪質や顔は似ても似つかない少年。彼は眼を丸くして立ち止まったかと思うと、ぱあっと輝くような笑顔を見せた。
「久しぶり、姉さん。帰ってたんだ」
「ああ。これから何処かへ行くのか? ノエル」
 ルエラの母ヴィルマが行方をくらまして二年後、父マティアスはクレアと言う女性を妃に取った。ノエルは彼女の息子である。血の繋がりこそ無いが、彼がルエラの弟である事には違いない。
 ノエルの合図を受け、護衛の一人が下女を呼びに去って行った。
 ルエラは顔をしかめる。
「どうせ直ぐ部屋だ。態々着替える必要も無かろう」
「ほんの短い距離でも、そんな格好で城内を歩き回らせる訳にはいかないよ。一国の王女が市民と同じ格好でうろちょろしているなんて、王家の威厳に関わるだろ」
「お前、じいやに似てきたな」
「僕も彼に教わってるからな」
 さらりと言って、ノエルは肩をすくめる。
 ルエラは観念して、ノエルの横に並んで歩いた。ノエルがふと、思い出したように言った。
「そうだ。オゾン中将が一時異動になったって話は聞いた?」
「異動したのか。それで、ブルザが隊長の席に座っていた訳だ」
「ブルザ少佐、座ってた? 『あくまでも一時的な代理であって、自分はこの席に座るにはふさわしくない』って言って自分の席から動かないって聞いたけど」
「周りから散々言われたのだろう。一応、代理として長の机を席としていたぞ。そうすると、あの椅子は自分の席から持って行ったのか。他の隊員と同じ回転する奴に座っていたよ」
 ノエルは軽く笑う。
「流石、姉さんが気に入ってるだけあって変わった人だ」
「それはどう言う意味だ?」
 ルエラはムッと口を尖らせる。ノエルは笑っていた。
 ルエラは続けて言う。
「まあ、オゾン中将は椅子にも凝って実費で改良しているからな。使用に気が引けるのは仕方あるまい」
「そうなの?」
 ノエルは目を丸くして聞き返す。
「それ、異動や退職の場合に困るんじゃ……。オゾン中将って、ほら、年も、さ……」
「まだまだ暫くは、席を譲る気は無いと言う事らしい。まあ、こっちとしてはありがたい話だ」
「へぇ、カッコイイ」
「オゾンが行ったのは、コーズンか?」
「うん。じゃあ、コーズンの呪いは知ってるんだ? あ、そっか。姉さん、電話して来たもんな。ブルザ少佐が行ったし」
 ルエラはうなずいた。
「呪い……か……」
「魔女が、自分の死と共に呪いをかけて行ったんだってね。……そのせいで、村の至る所で大きな陥没が起こっていた。オゾン中将は、陣を使用した魔法に長けてるからさ。大規模な魔法に対抗するとなると、彼しかいないって事になって」
「……村の人達の救助は確実に間に合うと言う訳だ」
「そりゃ、即興の軍部が出来て、更にそこへ魔法使いが派遣されたとなるとね。姉さんとしては、オゾン中将の一時異動は助かったんじゃないか? 姉さんの隊にばかり魔法使いが集まり過ぎだって、先日父上が仰ってたよ。オゾン中将にブィックス少佐、姉さんが地方巡回に行かせているブローって人も魔法使いなんだろ? 近い内、分散させるつもりだったんじゃないかな」
「誰も渡すものか」
 しかし、ルエラが殆ど城を留守にしているため、人材の集中が惜しまれる事はわからなくもない。ルエラ護衛の業務が無い――ルエラが旅をしている期間は、王の護衛隊と合同で動くよう正式に言いつけた方が良いだろうか。ただ、ルエラの帰宅は不定期だ。突然の帰宅にルエラの隊のみならず、マティアスの隊まで右往左往させる事になってしまう。その問題があるが故に、留守中のブルザ達は「待機」、要するに事務処理ばかりとなっていた。オゾンの判断で、城内各所の番を多めに受け持つようにはしているようだが。
 階段を一階分降りた所で、一団は立ち止まった。王女らしからぬ服のままのルエラを、これ以上先には歩かせたくないらしい。
「ノエルは、何処へ行くんだ?」
「魔法研究所だよ。定期巡回。姉さんも行く? 魔薬は、今回の巡回部署じゃないけど」
 魔薬の一般化は、ルエラが推し進めている研究だった。ルエラが行ったのは後押しだけで、実際の研究は研究所の者達の手に委ねている。しかし援助しているからには、当然王家による巡回も必要となる。ルエラには各地方の医療機関巡回や魔女調査報告書の確認もあるため、魔法研究所の方はノエルに引き継いでいた。ノエルにとっては、王族として初めて任された実地的任務でもある。
「随分遅い時間に行くんだな」
「いつもは昼間の内に行くんだけどね。今日は、レポスからの遣いがあったから。レポス国の北部で、魔女が出たんだって。結構大きな災害になったらしいよ」
「ああ……らしいな」
「レポスの事も知ってるんだ。姉さん、相変わらずの地獄耳だな。殆ど城にいないのに」
「兵を一人旅にやってるからな。城の話は、私軍があるのだからいくらかは聞ける」
「そっかあ……僕も旅させてみようかな」
 ノエルの言葉に、近くにいた若い軍人が僅かにぎょっとした表情を見せた。ノエルは目ざとく気付き、彼に笑いかけた。
「もちろん冗談ですよ。実際のところそんな余裕が無い事は、僕だってよく解ってる。僕自身も、誰か旅に行かせたところでその情報を姉さんみたいに上手く活用出来る自信はありませんし」
「あ……すみません」
 軍人は、恥じ入ったように頭を下げた。若しノエルが本気だった場合、言葉にしていれば命令拒否も同然だ。
 ルエラは、階段の手すりに肘を乗せもたれる。ノエルの護衛の中でも最も年長の者に叱られ、直ぐに真っ直ぐに立ち直した。
「私も行こうかな。今からと言う事は、大して時間をかける訳でもないのだろう?」
「まあ、いくつか部屋を見て回って話を聞く程度だろうね」
「それじゃあ、行くとするか」
 さり気なく言ったつもりだったが、あっさりとルエラの腕はノエルに掴まれた。間も無く下女が現れ、ルエラを着替えへとさらって行くのだった。


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2011.10.16

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