シャルザは、貧しい村だった。駅から山を一つ越え、更に奥に位置している。国の役所も無ければ、資金も入ってこない。山から木を伐り出し、井戸を組み、畑で作物を育て、人々は生計を立てていた。
「僕、軍人さんになる」
 フレディがそう言い出したのは、いくつの頃だったろうか。兄のジェラルドを始め村人達がたいそう驚いていたのを、よく覚えている。
 フレディ達には、両親がいなかった。父も母も、フレディがまだ物心つく前に亡くなってしまった。両親のいないフレディ達に、村の人達はとても好くしてくれた。そんな村人達に、フレディは恩返しがしたかったのだ。村は貧しい。資金源も無い。軍が出来れば、国からの資金が入る。村に軍部を作る。それが、フレディの目的だった。
 そして、その目的は叶ったのだ。十三歳にして、軍属魔法使い。軍部にはフレディとジェラルドの二人しかおらず、自然、村軍所長及び各部隊隊長も同時に担当する事になった。
 軍部が出来たとは言え、何も無い過疎の村。何か事件が起こる訳でもない。村人達にとって、フレディは誇りだった。特に年寄りは可愛がってくれて、巡回をすればよく声を掛けられた。
 その日も巡回と言う名の年寄りの話し相手をして回り、家に帰ったのは夜も遅い時間だった。
 家に帰ったフレディを出迎えたのは、兄のジェラルドだった。
「そろそろだと思ってね。ちょうど、夕飯を準備したところだよ。スターンさんがおかずを差し入れてくれた。フレディが外出中だって知って、ちょっとガッカリしているようだったけどね」
 茶化すようにジェラルドは言う。互いに、たった一人の家族だ。物静かな兄が軽口を叩くのは、フレディが相手の時ぐらいだった。
「今夜も俺が作ったんだから、明日の朝食はフレディが担当だよ。――まあ、どうせ色々差し入れ貰って帰ってるんだろ?」
「まあね。ホワイトさん家の娘さん、カンク町軍に勤める男性と結婚が決まったそうだよ。親しい者同士集まって、お祝いしてた」
「それで遅かったのか。引き止められたんだろう」
「引き止められたけど、そう長居はしなかったよ。トーマスさんの所に行ってたんだ。大分良くなってたみたいで、安心したよ。息子さん達が来てくれたお陰だね」
「ああ、来られたのか。遠くから、態々ご苦労だね」
 ふと、ジェラルドが足を止めた。フレディも立ち止まり、前を見て目を瞬く。
 奥の部屋の戸口に、一人の女性が立っていた。黒い髪に、黒い瞳。その瞳に感情は無く、じっとフレディを見つめている。
 ジェラルドに目を向けるが、彼も知らない様子だ。裏口からでも入ってきたのだろうか。しかし、客人にしては遅い時間だ。シャルザから最も近い村に到着する汽車の最終は、夜の八時。大概の者は、その村で夜を明かしてから来る。夜行汽車もあるが、それに乗れば昼過ぎには到着する筈だ。迷子にでもなったのだろうか。この暗い夜道を歩き回ったなら、シャルザまで迷い込んで来てもおかしくない。
「どうかなさいましたか。どうぞ、そちらへお掛けください」
 フレディは彼女へと歩み寄り、部屋の中に置かれたソファを進めた。
 しかし彼女は動かない。ただその場で向きを変えて、フレディだけを見つめ続ける。
「あの……?」
「一緒に来て欲しいの」
「怪我人か何かですか? 状況は?」
 フレディはマントを羽織り、部屋を出た。ジェラルドもマントを取りに部屋へ入る。
 しかし、女性はその場に立ち尽くしたままだった。
「貴方みたいな人がこんな所で燻っているなんて、勿体無いわ」
「何の話です? 来て欲しいって、一体――」
 玄関まで行きかけ、フレディは立ち止まり振り返った。
 女の瞳は、ただひたすらにフレディだけを見つめている。
「力が欲しくない? プロビタス少佐。私達の元へ来れば、貴方なら直ぐに昇進出来る」
「……何の話だい。僕はここを離れるつもりはないし、妙な組織に入るつもりも無いよ。悪いけど、他を当たってくれ」
 ガシャンと背後で大きな物音がした。
 振り返れば、玄関の所に置いてある電話が床に落ちていた。ダイヤルは破損し、もう何処へも繋がらないだろう。
 女はにたりと口元に笑みを浮かべた。
「ただのお誘いじゃないわ。命令しているのよ」
「断る! 脅しなんかされて、素直に聞くとでも思ったか? 僕を何処に連れて行くつもりだ。何をさせるつもりだ。僕は、この村から出て行くつもりは無い!」
「そう……この村が貴方の足枷なの……」
 ふっと窓の外から光が差した。
「フレディ! 隣が!!」
 フレディは女を突き飛ばし、部屋に駆け込む。
 窓の外を見て、絶句した。隣の家に火の手が上がっている。何の前触れも無く、家は炎に包まれていた。
「スターンさん!!」
 フレディは家の外へと飛び出した。燃え盛る家の中に駆け込み、次々に部屋の扉を開ける。不思議と、廊下には通れるだけの空間があった。
「スターンさん! 無事ですか!? 火事です!! 早く――」
 三つ目の部屋の戸を開け、フレディは息を呑んだ。
 二つの火達磨。一つはもう、動かなくなっている。もう一つは床を這いずり、部屋の戸口を目指していた。
「ス、スターンさ……」
 どうして良いか判らない。
 恐らくこれは、隣人だ。けれども、全身は火に包まれ、激しく燃えている。かろうじて人型が見て取れるような状態。救出は絶望的だった。
 杖を握り締めるフレディの前で、這っていた影は手を床から離した。炎が消え黒ずんだ手を、こちらへと伸ばして来る。
「ス、スタ……う……」
 どさりと手は床に落ちた。そのまま、人影は動かない。どちらの陰も炎は消え、黒い塊と成り果てていた。
 絶句するフレディの横から、赤い光が差し込んだ。窓の外を見れば、炎に包まれた正面の家。
 ふと、そこに女性の顔が覗く。
 あの女だった。フレディに、妙な話を吹っかけて来た女。女は口元に笑みを浮かべ、小馬鹿にしたように手を振る。

 咄嗟に外へと飛び出した。
 途端にフレディは、村の者達に囲まれた。騒ぎに気付いたのだ。
「フレディ、一体何があったんだい!?」
「スターンさんは無事なのかい」
「早く火を消さんと!」
「フレディ、ボールさん家も――」
 言葉は途切れた。つい先程燃えた家の隣も、火の手が上がったのだ。人々の間から叫び声が上がる。
 続いて、フレディの家を除く通りの家全てが燃え出した。炎は龍のように逆巻き、火柱を上げる。
「な、何だこりゃ!」
「飛び火したぞ!!」
「リズ! リズと家内がまだ中に!」
「飛び火でこんな直ぐに燃えるもんか! 魔法じゃないのか!?」
「魔女だ! 魔女の仕業だ!!」
「村にそんな女はいない!」
「どうしてお前達の家は無事なんだ! え!? フレディ!!」
 村人の一人が、フレディの両腕を掴んだ。慌てて他の者が引き止める。
「お止しよ! フレディがこんな事する訳ないだろう!!」
 右往左往する者、家の者がまだ中だと嘆く者、駆け込もうとし周りに止められる者、魔女の仕業だと騒ぐ者、フレディに疑いの目を向ける者、鎮火に急ぐ者。それぞれが、それぞれに動き回る。
「駄目だ! もう間に合わない!」
「でも中に! 中にまだ……!」
「向こうにも火が点いたぞー!」
 少し離れた所に、新たな火の手が上がっていた。
 悲鳴が上がる中、フレディは咄嗟に駆け出した。何人かが声を掛けて来た気がしたが、それどころではない。
 あの女だ。あの魔女が、村を燃やして行っているのだ。止めなくては。捕らえなくては。
 角を曲がった所で、フレディは立ち止まった。炎を背景に佇む人影――あの魔女だ。
「どう? プロビタス少佐。決心は――」
 言葉が終わるのも待たずに、フレディの火炎が女を襲った。しかし炎は弾かれ、近隣の民家に飛び火した。慌ててそちらへ駆け寄ろうとしたフレディの行く手を、炎が遮る。
 フレディは、キッと彼女を睨んだ。そこへ、彼女の背後に村の人々が現れた。燃えている家と通りを見て、息を呑む。彼らが動く前に、フレディは叫んだ。
「逃げろ!」
 魔女が気付いた。
 炎が村人を襲う。フレディは咄嗟に間に飛び込んだ。焼けるような熱さ。炎は消え、フレディは膝をつく。火は消えても、痛みは継続していた。
「フレディ!」
「行って! 僕は大丈夫ですから!」
 叫び、振り返る。駆け出す村の人々の背中――その一人が、突然、爆発した。悲鳴を上げる間も無く、一人、また一人と順々に爆発していく。農家の若者、酒場の主人、よく差し入れをくれる女性、休暇で帰ってきていた男性、先日結婚が決まった若い女――フレディは言葉も発せず、悪夢のような光景を見つめていた。
 飛んで来た首を、思わず両手でキャッチする。放り投げる事も、悲鳴を上げる
事も出来なかった。
 音の無い空間を、甲高い笑い声が切り裂いた。
「流石は、十六にして少佐になっただけあるわね。火に包まれても死なないなんて。まあ、同じ能力だからって事もあるんでしょうけど……」
 彼女は足を蹴り上げた。フレディの手元にあった首は吹っ飛び、炎の中に消える。そして彼女は、放心状態のフレディを覗き込んだ。
「自分の判断を後悔するのね、プロビタス少佐。貴方の足枷は、全て焼き払ってあげる……」
 フッと目の前が真っ赤になった。
 悲鳴も何も聞こえず、ただ熱と痛みの中に、フレディは意識を手放した。


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2010.7.3

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