「……ブルザか? すまないな、こんな早い時間に」
 電話口に出た相手は、ルエラの臣下。リム国王女ルエラ・リムが魔女である事、そして男装をしてリン・ブローと名乗り旅をしている事を知る、唯一の人物だ――唯一だった、つい昨晩までは。
「いや、書類はまだいい。ただ、一度連絡を入れておこうと思っただけだ。
 これから、レポス国北部のシャルザへ向かうつもりだ。プロビタス少佐――お前も、聞いた事があるだろう? 十六にして佐官の、魔法使いの少年。彼を紹介してもらえる事になったのでな。その後は、城に戻るつもりだ」
「――何かございましたか?」
 心配そうな声色。ルエラは一瞬、言葉を失う。
 まったく、彼には敵わない。ルエラは、ふっと微笑った。
「……帰ってから、直接話す」
「承知しました」
 短い電話を終え、受話器を置く。
 十年前、ルエラ達を裏切り人々を殺めた魔女ヴィルマ。彼女に関して掴んだ手がかり。掴んだ、と言って良いものか分からない。ただ分かったのは、彼女が何処か組織に属しているらしいと言う事。そして、組織はルエラをも取り込もうとしていると言う事だけだ。全てはあちらの都合。こちらからは、何も接触を試みる事が出来ない。
 階段の上から、ひょこっとディンの顔が覗いた。
「おいルエラ、電話終わったか? そろそろ出るぞ」
「……ああ」
 ルエラは油断無い視線を彼に向け、頷く。
 ルエラは魔女だ。彼はそれを知ったのに、何ら今までと変わり無い態度だった。捕らえようとする様子も無ければ、何処かへ連絡を入れた風でも無い。変わった事と言えば、ルエラへの呼び名が偽名の「リン」から「ルエラ」に変わっただけ。
 王子と言う立場からも、放置する訳にはいかないだろうに。例え彼個人が魔女に嫌悪を抱いていなかろうとも、ルエラを放置する事に何のメリットも無い。あるのは、デメリットばかり。
 一体何を企んでいるのか。
 ルエラは彼の消えていった階段をひと睨みすると、後を追うようにして上って行った。





 家屋は炭と化していた。村に生きた人の気配は無く、空気中には慣れないモノが多く燃えた独特の臭いが漂っている。
「何だ……これは……」
 ディンの声は震えていた。
 レポス国北部シャルザ村。二人がその地に降り立ったのは、翌日の昼過ぎだった。人のいない駅を出て、山道を歩く事、数時間。漸く辿り着いた村に、人影は無かった。人影どころか、この惨状はどうした事か。
 ディンは途端に駆け出し、比較的原型を留めている民家の一つに飛び込む。
「ディン!」
 ルエラは後を追って民家に立ち入ろうとした。戸口に掛かった所で、ディンの鋭い声が飛ぶ。
「来るな!」
 ルエラは開け放された扉から一歩踏み込んだまま、思わず立ち止まる。
「来るな……女の子は、見ない方がいい……」
「……馬鹿が」
 ルエラは奥へと入った。
 入って直ぐ、左手の部屋の戸口で、ディンは立ち尽くしていた。ルエラは彼の肩越しに、中を覗きこむ。
 そこにあるのは、恐らく人の死体。折れ曲がった腕の中には、赤ん坊でも抱いていたのだろうか。
 部屋の隅に、黒い塊が転がっていた。ソレが何なのか思い当たり、ルエラはふいと目を背けた。
「……行こう、ディン。軍に連絡を入れないと」
 その家に電話は無かった。民家を出て、眩い日の光に目を瞬く。空が、青い。
 傍の家を次々に覗いてみたが、やはり生きている人は見つからなかった。電話も無い。そうすると、この村では一般市民の家に電話は無いと見て良いだろう。
 ルエラ達は通りがけに家々を覗いていくが、生きている人は一向に見当たらない。
 やがて、村の端に位置するプロビタス家へと辿り着いた。集落の一角、ごく普通の民家だ。
 辺りの家が焼けている中、この家だけが飛び火による焼け焦げはあるものの、原型を留めていた。
「シャルザには元々、軍部なんて無かったんだ。プロビタス兄弟が軍人になった際に、ここが軍部と言う事になった」
「……ここだけ、やけに綺麗だな」
「ああ……」
 ディンは、曖昧に返事をする。その声には、緊張の色があった。
 殲滅された村。たった一つの軍部――ただ一つ、被害を受けていない場所。これが一体、何を意味するのか。
 ディンは、ルエラを振り返った。ルエラは頷く。辺りを油断無く見回しながら、二人は門を潜って行った。ディンが恐々と玄関扉に手を掛ける。中を伺いながらそっと開いたが、やはりこの家も人の気配が無い。
 廊下は煌々と明かりが点いていた。窓から日の光が差し込んでいるというのに。奥の部屋も、広い窓があるにも関わらず部屋の明かりが点けられていた。二人分の食事が、食卓の上に並んでいる。
「プロビタス少佐! いないのか!」
 ディンが廊下を見回し、呼びかける。けれども、何の応答も無い。
 ルエラはふと、玄関の床に散らばる残骸に気がついた。ディンを手招きし、それらを指差す。
「――電話か」
 それは、電話だった。ダイヤルが破壊され、破片が飛び散っている。落としてなるような壊れ方ではなかった。ここで何かがあった事は、間違い無い。
 家の中に人の姿は見つけられなかった。電話が壊れていては、北部総司令部に連絡を入れる事も出来ない。隣の家を覗いてみたが、やはりあるのは焼け焦げた死骸のみで、電話は見当たらなかった。
「村長の家なら、電話も持っている筈だ。壊れてなければ……」
 村長宅は、外に出れば直ぐに判った。低い屋根の向こうに、一つだけ二階が見えている。屋根は崩れ、壁は煤け、窓は割れていた。
 村長宅へ向かう間も、やはり通りには人一人通らない。
「今朝、城とは連絡を取ったか?」
 ルエラの問いかけに、ディンは頷いた。
「でも、何も言ってなかった。まだ、連絡が入ってないんだろ……村人全員、死んぢまったみてーだしな。昨日の夜、か……?」
「だろうな。プロビタス少佐は眠っていたようだから。プロビタス少佐の他に、もう一人いるのか?」
「ああ。彼には兄貴がいる。ジェラルド・プロビタス大尉。シャルザ軍の副長だ」
「そうか……」
 突如、ルエラは背後を振り返った。
 突然の動きに、ディンがびくりと肩を揺らす。
「どうした?」
「いや……何でも無い……」
 視線を感じた気がした。けれどもそれは一瞬で、振り返った先には誰もいなかった。今はもう、視線も感じない。気のせいだったのだろうか?

 間も無く二人は、村長の家に辿り着いた。
 やはりここも、焼けていた。村の中心に位置しているから、尚更だ。四方を火に囲まれたのだろう。家の周りを取り巻く庭や畑には、一切の植物も残っていなかった。
 玄関扉を開けた途端、二人はぎょっとして飛び退いた。足元へと前向きに倒れてきたのは、人の形をした炭の塊。まるで救いを求めるように、手を伸ばしていた。玄関から出ようとしたが、叶わなかったと言ったところか。
「……村長さんだな」
 ディンは死体を玄関の内側へと引っ張り込み、扉を半分閉める。焼死体は、扉の向こう側へと隠れた。
「俺が電話してくる。ルエラは、ここで待ってろ。もしここにも電話が無かったら、駅まで戻ろう。ここで明日まで待つよりは良いだろ」
 ルエラは無言で頷いた。
 ディンが家の中へと入って行き、ルエラは辺りを見回す。焼け朽ちた木々、割れた窓、崩れた壁や塀。低い草花は燃え尽き、辺りは悄然としている。異臭が幽かなのは、死体が燃えたためか、鼻が麻痺してしまったのか。
 ルエラはふらりと、通りへ出た。どの家も、崩れている。道には、焼死体が複数倒れ込んでいた。バケツなり何なり道具を持っているのは、村の男達だろうか。
 ルエラは隣の家へ立ち入る。そこにあるのは、やはり焼死体。一人の大人が、小さな子供を抱え込む形で廊下に倒れ込んでいた。
 その死体の上に屈み込む。満遍なく焼けた全身。床も、屋根も、全てが満遍なく焼けている。ここまで隈なく火が通るものだろうか。辺りの家々を回ってみたが、やはり同様だった。炎は、村の全てを余すところ無く包み込んだのだ。
 ……まるで、火を操ったかのように。
 壁に寄りかかった死体に目を向ける。まるで憎んでいたようだ、とルエラは思う。全てを焼き尽くし、全てを消し去った。一体、この村で何があったと言うのか。
 史上最年少で軍属魔法使いとなった少年のいる村。それ以外は、何の変哲も無い過疎の村だ。
 軍部であるプロビタス家だけが、焼けていなかった。それが一体、何を示すのか。
 突如、家の扉が勢い良く開いた。
「ルエラ! いるか、ルエラ!?」
「私はここだ」
 部屋に飛び込んで来たディンは、ホッと安堵した表情になる。
 そして思い出したように真っ直ぐにルエラの方へと歩いてきて、ルエラの腕を掴んだ。
「……出よう。女の子が見るものじゃない」
「私に構わなくていい」
 ルエラはすっとディンの腕を解いた。ふいと背を向け、再び焼死体に向き直る。「あ」と、ディンが声を上げた。
 ディンは床から何やら拾い上げていた。何なのか見ようとディンの方へと一歩踏み出し、咄嗟にルエラは駆け出した。
 炎がディンを襲う。間一髪、ルエラがディンを押し倒し炎は僅かに逸れた。
 ルエラはディンから起き上がり、辺りを見回す。敵の姿は無い。炎が向かってきたのは、玄関の方。
 パアンと激しい音を立て僅かに残っていた窓ガラスが割れた。起き上がろうとしたディンの頭を押さえてそのまま座らせ、彼の足の上にまたがったまま両腕を横に広げた。窓や廊下から四方に迫った炎は、寸での所で水に消される。
 再び、玄関の方から火炎が襲って来た。ルエラはそちらに掌を掲げる。水と炎がぶつかり合う。当然、消えるのは炎だ。
 ぐい、と下から手を引っ張られ、ルエラはディンの上に倒れこんだ。床を転がり、ディンが上に覆いかぶさる。次いで、爆音が当たりに響いた。
 爆風が止み、ディンはルエラを放し起き上がった。
「……大丈夫か」
「ああ。水素と酸素を逆手に取られたか……! お前こそ、怪我は?」
「俺はこの通り」
 ディンはガッツポーズをして、ニヤリと笑う。いつもの悪戯っ子のような笑顔。思わず、ルエラの口元も綻んだ。
「まったく、無茶をする……」
 扉の向こうに人影が見え、ルエラはパッと立ち上がった。ディンも振り返る。
 構えたルエラの前に、ディンが立ちはだかった。懐からバッジを取り出し、相手に見せ付ける。
「レポス国王子、ディン・レポスだ! 無事で良かった、プロビタス少佐……!」
「プロビタス……それじゃあ……!」
 爆風が晴れる。戸口に、一人の背の高い少年が立っていた。茶色い長髪を高い所で結って、背中に垂らしている。濃紺のマントに包まれ、長い杖を手にした姿は、レポス国軍属魔法使いの象徴。
 バッジを確認すると、彼はその場に膝を着き深々と頭を垂れた。
「飛んだご無礼を致しました、王子様……! フレディ・プロビタス、どんな報いも受ける所存です」
「お前を罰するつもりはねーよ」
 ディンの言葉に、フレディは驚いて顔を上げる。切れ長の目だが、普通にしていれば穏やかな顔立ちだった。
 ディンの青い瞳は、真っ直ぐに彼を見つめていた。
「現状が聞きたい、プロビタス少佐。この村で一体、何があった」


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2010.6.26

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