日は暮れ、町に明かりが灯る。レポスの夜は、リムに比べて幾分か明るい。明かりの強さや、量が格段に違うのだ。大通りに出ると、そこはまるで昼間と変わらないような明るさだった。車道の向こうに並ぶ店も、難なく見える。
 ルエラは、大きな屋敷の前にいた。扉が開き、通される。しかし扉の内に、門番はいなかった。ただ一人、銀髪の少女が佇んでルエラを迎えていた。
「いらっしゃい、ブロー大尉。――こっちよ」
 偽者は背を向け、噴水を通り過ぎ奥の屋敷へと向かう。ルエラは黙って、彼女の後をついて行った。
 噴水の向こう側に回り込み、ルエラは屋敷を見上げる。
 廊下や部屋の明かりが点き、カーテンの隙間から外へと漏れて庭をちらほらと照らしている。けれども、人がいるという気がしなかった。人影も見えなければ、何の物音も聞こえない。
 青銅製のドアノブを回し、少女は玄関扉を開けた。軽く一礼して、中へと入る。入った所は吹き抜けになっていて、左右は細い廊下へと続き、正面には赤い絨毯の敷かれた階段があった。
 扉が閉められ、閂を掛ける音が響く。
「部屋は二階に用意しているわ。お夕飯はいかが? それとも、食べて来ちゃったかしら」
 背後から、少女の声がする。
 ルエラはふっと息を吐いた。
「回りくどい事は止めにしないか。――一体、どういうつもりでリム王女の名を騙っている?」
 返答は、聞こえない。
 ルエラは振り返る。少女の顔から、微笑みは消えていた。硬い表情で、ルエラを見つめている。
「私はリム国私軍の所属だ。当然、本人と会った事がある。髪や目の色はよく調べたものだと感心するが、顔も性格もまるで違う。姫様はそんなに淑やかじゃないぞ。正直、君の方が王女らしいぐらいだな」
 ルエラは肩を竦めて笑う。
「何も、君を憲兵に突き出そうと思っている訳ではない。それでも、人の名を騙るのを放って置く訳にはいかないからな」
「……止めに来た、って訳ね。拒否したら?」
「どうしてそこまで頑なになる。王女の名を騙ったところで、本人に取って代わる事は愚か、リム城に入る事も出来ないぞ。当然、偽者だと気付かれるだろうからな」
「別に、リムへ行ってどうこうするつもりは無いわ。……残念ね。貴方の事は本当に気に入ったのに」
 少女は懐に手を伸ばした。
 銃声、そしてガラスの割れるような音。ルエラの足元には、氷の破片が散乱する。
 彼女はたじろいだ。
「何が――魔法……!?」
「ああ。何も無い子供が、尉官なんかになれると思うか? その程度の腕では、私に勝る事は不可能だ。無駄なあがきは止せ」
「……」
 彼女は、降参と言うように両手を上げた。
 ルエラは息を吐きかけ、その場を飛び退いた。赤い光が、つい先程までルエラの立っていた位置を襲う。
 光が飛んできたのは、ルエラの背後――恐らく階段の上。
 ――仲間がいたのか。
 ルエラは、地を蹴った。少女の銃撃を魔法で弾き返し、玄関扉へと走る。閂をはずし、ドアノブを回す。しかし、扉は動きそうにない。揺れもせず、まるで貼り付けられたようにその場にずっしりと構えている。
 ルエラは振り返り様に、手をかざす。弾丸は弾かれ、床に落ちる。身を低くし、赤い光線を避けながら廊下へと駆け込んだ。
 廊下の電気は落とされていた。光に慣れた目で暗闇を走るのは、至難の業だった。
 時に背後、時に横の扉、時に曲がり角の先から、赤い光が飛んで来る。魔法使いだか魔女だか知らないが、どうやらこの魔法しか使えないレベルらしい。それでも、姿を見せない相手から暗闇の中を逃げ回るのは、非常に不利だ。その上、慣れない屋敷。地の利は向こうにある。
 階段を駆け上がり、途中で横に飛び降りる。そのまま、空いている空間へ駆け込む。恐らく、廊下。
 幾つもの階段を上った。幾つもの階段を下りた。幾つもの階段を渡った。幾つもの部屋を通り抜けた。
 一体今、ルエラは屋敷のどの辺りにいるのだろう。何階にいるのだろう。途中、窓を開けようとしたが、不可能だった。扉も窓も、外への出入りは出来ないように封印されてしまっているらしい。窓は何処もカーテンが閉められ、立ち止まらなければ外を見る事は出来ない。
 扉を開け、瞬時に中を見回す。風が通っている事を確認し、中へと駆け込む。大きな広間のようだった。机を回り込み、向こう側の通路へと駆ける。遅れて、背後の扉が再び開かれ閉じる音がする
 広間を飛び出し、直ぐ左手の階段を駆け下りた。赤い光線を避け、手すりを乗り越え横に飛び降りる。
 そのまま廊下を駆けようとしたルエラの頭上で、何かが割れる物音がした。咄嗟に見上げ、息を呑んだ。大きな影が迫っている。
 ガシャンと言う鋭い物音と共に、ルエラは意識を失った。

 次に目を覚ましたルエラは、何処か広い部屋の床に寝かされていた。シャンデリアの直撃を受けた頭が、まだ鈍く痛む。あれで死ななかったのは、相手のコントロールによるものか、はたまた魔女故の頑丈さか。
 起き上がろうとしたが、それは叶わなかった。起き上がる事は愚か、指一本動かせない。床へと目を走らせると、魔法陣が書かれているのが分かった。そしてその上に垂れている、長い銀髪の巻き毛。
 ルエラは息を呑み、長く戻っている自分の髪を凝視した。魔法が解かれてしまっている。魔法を使おうとしたが、何も起こらない。水が出せない。内ポケットに入れている小瓶を出せない。魔法陣を消す事も、髪を元の通り短くする事も、出来ない。
 背中に括り付けていた荷物は、魔法陣の外で開かれてしまっていた。散らかされた荷を見て、ルエラは口を真一文字に結ぶ。ルエラとして城に戻る時の為のそこそこ良い女物の服や、髪飾り。そして、王女である決定的証拠となる印。
 カツンと、足音が響いた。目だけをそちらに向ける。あの少女が、腕を組んでルエラを見下ろしていた。
「お目覚めになったのね――王女様」
 彼女の声色には、冷たい響きがあった。
 では、やはり。彼女は気付いてしまったのだ。ルエラが、本物の王女だと――ルエラ・リムが、魔女であると。
「……何が目的だ」
 声は、出る。
「私も同じ事が聞きたいわ、魔女さん。周りを騙して王女の座について、一体何が目的なのかしら? お母さんのスパイ?」
「……」
 何も、返す言葉が無い。
「でも、こっちの目的は教えてやってもいいわ。だって今の貴方は恐るるに足らない。魔法、使えないでしょう? そう言う魔法なのよ。私も多少は彼の事手伝えるの。魔女じゃないけどね。魔女に対抗するには、魔法に関しても色々知らなくちゃ。魔法陣の準備や魔薬の使用は、私みたいな魔力を持たない人間でも出来る……」
「魔女への対抗……」
「私はね、ヴィルマを憎んでるの。父はリムで働いていたわ。そして、殺された。軍の関係者でも何でも無いのに! 母はそれを気に病んで、それに突然収入が無くなって苦労したのね、八年前に亡くなったわ」
「ヴィルマを捕らえようと言うなら、私と同じだ! 私も彼女を捜している。志が同じなら――」
「そんな話を、信じるとでも?」
「……っ」
 魔女だと言うだけで。
 魔女だと言うだけで、ルエラはこんなにも信用が無い。これは、彼女だけの場合ではないのだ。人の名前を騙ったり、人に銃を向けたりなどしない、善良な市民であっても、ルエラが魔女だと知ればこうして捕らえ敵視する事だろう。当然、ルエラが何を言おうと、それは人々にとって悪魔の囁きでしか無いのだ。
「でも実際、ヴィルマをどうにか出来るなんて思ってない……リム国の王達には腹が立ったけど、結局は他所事なのよ。でも、まさか国王様まであんな抜けた奴らと一緒なんて……」
 国王様、とはレポス国王の事だろう。シャーリン・レポス。ディンの父親。
「私達市民は、当然リムとの縁なんて切ると思ったわ! 妻が魔女だと言う事にも気付けなかった、国民を殺しても猶彼女を庇い続けた、間抜けな王達なんて! なのに陛下は、リムとの同盟を組み続けた/……それどころか、魔女の子をこの国に招き入れさえした……あんな王じゃ、私達国民は安心して眠る事も出来ないわ! いつリムの魔女事件に巻き込まれるのか、いつリムにまた裏切られるのか、魔女が……リムの魔女が、こっちにも来るんじゃないかって……!
 だから私は、貴女の名を騙ったの。ルエラ・リムがこの国に来たのは、十年も前……国王様はそれからも何度かリムへ訪問なさっているけれど、その頃にはリム王女は城にいる事が殆ど無くなっていた。当然、客人に会ったりなんてしない。貴女の言う通り、リム城の人達なんて騙せないでしょうね。でもレポス国側は誰も、他国のお姫様の顔なんて覚えていないわ。現に、王子様はあっさりと騙されてくれた事だしね。まさか、こんな町で王子様に会えるとは思ってなかったわ。それどころか、リム王女本人に出会えるなんて!」
「ディンを騙してレポス城に潜り込むつもりか!? まさか――」
「ええ、最終目的は現国王の暗殺」
 少女は、にいっと口元を歪ませる。
「貴女を捕らえられたのも、きっと神様が私に味方してくれているんだわ。どう利用するか、作戦を考えなきゃね!」
 高笑いを響かせながら、少女は部屋を出て行った。扉の向こうに、笑い声は閉め出される。
 恐れていた事態になってしまった。ルエラは、反逆者に捕まってしまったのだ。そして、彼女が反逆者になってしまった理由。
「私の……私の存在の所為じゃないか……!」
 魔女の娘であるルエラがいるから。ルエラが今も、王女だから。ヴィルマに続き、ルエラを庇う父。そして、それに協力するレポス国王。ルエラがいる所為で、彼らが民の反感を買っている。
「う……ぐ……っ」
 もがくが、やはり動けない。どんなに力を入れようとも、指一本動かせない。
 このまま捕まっていてはいけない。王女であるルエラは、何よりの足枷になる。逃げたところで、魔女だとばれた事はどうする? 何処へ逃げる? ――それでも、ルエラは捕まっていてはいけない。そう言う立場だ。
「動け……っ、動いてくれ……!」
 逃げなくてはいけないのだ。捕まっていてはいけないのだ。ここにいてはいけないのだ。
 逃げなくては。魔法さえ使えれば――
 ――私が、起きなくては。
 ――え?
 途端、大きな地響きが鳴り渡った。床が大きく揺れ、そして強い衝撃が突き上げた。床を転がり、咄嗟に頭を庇う。動けたと言う事に、驚く隙も無かった。
 あっと言う間に、衝撃は収まった。割れた床から、ルエラは息を切らして這い出る。立ち上がる事も出来ず、そのまま床に手を着いていた。酷い疲労感だ。無理に魔法を使った為か。
「う……」
 ゴホゴホとむせ返る。紅い飛沫が、床に散った。
 そのまま、ルエラはうつ伏せに倒れこむ。近くの窓が激しい音を立てて割れた。連続して、その隣も、そのまた隣の窓も割れて行く。
「ぐぁ……っ」
 傍の床が、また砕ける。
 鼓動が速い。胸が苦しい。吐き気がする。力はルエラの体力を上回っていた。体中が悲鳴を上げている。
 扉が粉砕した。散った破片が顔を切ったのも、魔法による消耗に比べれば何の痛みも感じなかった。
 このままでは駄目だ。何処まで被害が広がるか分かったものではない。
 ――落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け……!
 拳を握り締め、起き上がろうとする。けれども立ち上がる事は出来ず、蹲った。廊下の床が剥がれる、バリバリと言う音が聞こえる。
「ウっ、く……!」
 どれくらい経ったのだろう。実際は然程の時間は経っていないのかも知れない。けれどもルエラには、酷く長い時間に思えた。
 漸く辺りが静かになり、ルエラはその場にどさりと倒れた。息は荒く、視界も霞んでいる。
 足音が近づいて来るが、もう起きられそうにない。例え起き上がっても、それで精一杯。直ぐにまた捕らえられる事だろう。魔法陣が破壊されたのが、せめてもの救いだ――もう一つ準備していたりしなければ。
 扉の開く音がした。
 入って来た者は沈黙する。崩壊し、悲惨な状況となった部屋。
 くすり、と笑う声が聞こえた。大人びた女性の声。
「偽者だったって知って落胆したけど、まさかの収穫だわ~」
 ルエラは戸口を振り返る。そこに立つのは、黒髪の女性。
「誰、だ……」
 女性はにっこりと笑う。
「ジュリア。よろしくね。偽者も、その部下も、片付けといたわよ。感謝してねっ」
「な……っ! 何も、そこまでする事無いだろう!」
 ルエラは手を突き、身を起こす。ぐらりと身体が傾いた。
「ああ、もう。無理しないの。これやったの、貴女でしょう? 流石はヴィルマ様の娘ね」
 女は部屋を見回し、言った。
 ルエラは目を見開く。彼女の口から出て来た名前。ずっと、捜し続けている人物。
「貴様……ヴィルマについて何か知っているのか!?」
「知っているも何も。――ああ、そっか。こっちの人達にとっては、消息不明のままなのね。彼女は、私達の上司に当たるわ。直属ではないけどね。多くの魔女に慕われてるのよ~」
「多くの……何と言った……?」
 驚愕の言葉だった。
 本物の魔女が見つかる事など、滅多に無い。逃げ隠れるからと言う事もあるだろうが、そもそも魔女の数が少ないのだ――少ないと、思っていた。
「魔女。――ねえ、貴女も来ない?」
「は……?」
「私達と一緒に来ないかって聞いてるのよ。お母さんと一緒に、仕事をするの」
「何が仕事だ! 十年前の惨劇を、今度は私が繰り返せと言うのか!? 誰が貴様らみたいな人殺し……!」
「甘いわね」
 すっと、女の声のトーンが落ちた。
「私達魔女は、追われる身。人と共存なんて出来ない。……貴女だって、分かっているでしょう? 貴女がどんなに人と一緒にいようと思っても、人間は聞く耳も持たない。魔女だと知った途端、『殺せ』とそれしか口にしない」
「それは……っ」
 ルエラは彼女から視線を外し俯いた。
 魔女である限り、今のこの場所でいつまでものうのうと生きて行く事は出来ない。魔女は、忌み嫌われるのだから。
「リーン! 何処だ!? 返事しろ! リン!!」
 ルエラはハッと顔を上げた。
 声の聞こえた方を、女も振り返る。そして、最後にルエラを見下ろした。
「考えといてね」
「待て!」
 しかしルエラの静止を聞く筈も無く、女はその場から消え去った。
 ややあって、ディンが部屋へと駆け込んで来た。
 ルエラとディン、二人の目が合う。
 ディンは言葉を失う。そして、室内を見回した。崩れた床、割れた窓、飛び散った扉の破片。ディンの背後は、片側の廊下が剥がれている。恐らく、そちらの方向にずっと先まで続いているだろう。そして、散らかされた荷物。それが示すもの。
 ディンは再びルエラに視線を戻す。
 俯いたルエラの前に、手が差し出された。ルエラは目を丸くして、顔を上げる。ディンは、真っ直ぐにルエラを見つめていた。
「……立てるか?」
「……っ」
 ルエラは、ゆっくりと頷いた。手を突き、立ち上がる。よろめいた身体をディンが支えようとしたが、ルエラはそれを避けた。
「大丈夫だ……ありがとう」
 ルエラは顔を挙げ、真っ直ぐに前を向いた。その目には、再び強い光が戻っている。
 もう、十年前の小さなお姫様とは違うのだ。人の手を借りずとも、一人で立ち上がる――立ち上がらなくてはいけない。守られていては、駄目なのだ。支えられては、駄目なのだ。
 ……ルエラは、魔女なのだから。


Back TOP

2010.6.6

inserted by FC2 system