暗がりの中、扉の閉まる物音がした。深夜をとうに過ぎた時刻。呼び鈴を鳴らして、やや離れているとは言え近所を起こす訳には行かない。
 ふと、小さな明かりが室内に灯った。
「そろそろ、来る頃だろうと思っていたよ」
 穏やかな口調で言うマーシャの手には、光が灯っていた。橙色の光の中に佇む彼女に、ルエラは微笑を浮かべる。
「そうか。では、話が早そうだな」
「何処まで知ったのか、お聞かせ願えるかねぇ……」
 マーシャは警戒する事も無くルエラの前を通り過ぎ、窓際の安楽椅子に腰掛ける。
 そして、ルエラにもソファに座るよう勧めた。
 しかしルエラは立ち尽くしたまま、じっとマーシャを見つめる。
「恐らく、私が知っているのは全てだろう。例えば……貴女が、魔女だという事」
 マーシャは動じない。安楽椅子に身体を預け、ゆったりとルエラの話に耳を傾けている。
「あの後、一家や他の村人からも貴女の話を聞いたが、どうにも一般人だとは思えない。父親が賢者だと貴女は触れ回っているそうだが、魔法使いは魔力を所持しない者に魔法を教えたりはしない。万が一、誤発動でもあったら困るからだ」
「そうだねぇ。私の父が魔法使いだったと言うのは事実だが、確かに父は私に何も教えてはくれなかったよ。私は、父の部屋にあったものを勝手に閲覧し、使用して学んだ」
 ルエラは目を伏せる。
 同じだ。マーシャが話すのは、ルエラが魔法を学んだ方法と、全く同じだった。
「それから……土砂の下敷きになった村長を陥没によって落としたのも、貴女だろう。マーシャ・セシナ」
 マーシャは答えない。黙り込み、ただルエラの話に耳を傾けていた。
「土砂を取り除こうとしていた時、私の力に対抗する力があった。あれは、貴女だろう」
「おやおや。そこまで分かっているんだねぇ……。そうだよ、私は醜い人殺しさ。そして、この村を陥れようとしている。この村には呪いを掛けてある。対抗する者でもいない限り、村は全滅する……そんな呪いをねぇ」
 そう言って、マーシャはくつくつと笑う。
 そして、すっくと立ち上がった。ゆっくりとルエラの傍まで歩み寄り、頭を垂れる。
「もう、私がする事などありません。どうぞ、軍まで率いて行ってくださいな。――私軍所属魔法使い、リン・ブロー大尉」
「私の素性を調べたか……」
「ええ。貴方が来た時、私がもう永くここにいる事は出来ないと、分かっていたからねぇ」
 ルエラはじっと、マーシャを見下ろしていた。暫く、二人の間に沈黙が流れる。
 やがて、ルエラはふっと息を吐いた。そして、マーシャに背を向ける。
「貴女を処する事はしない」
 マーシャは驚いた表情だった。
 ルエラは振り替えり、微笑を浮かべる。
「私は、魔女と言うだけで処する事はしたくない。害ある魔女は、果てれば良い。だが、貴女はこの村に必要な魔女だ。
呪いなんて、とんでもない。村が絶滅し兼ねない状態なのは、自然によるものだ。貴女が掛けているのは、呪いではなく守護の魔法だろう。
出来の良い部下に頼んで、この村の地脈を調べてもらった。この下、大きな水脈が通っているそうだな。もう、百年近く前から枯れているそうだが……。それに加え、この村は銀鉱が盛んだ。銀を掘る為、人為的に掘った空洞も多々ある事だろう。結果、この村はいつ全てが陥没してもおかしくない状態となった……。
この村は、八十年ほど前から陥没しなくなった。マーシャさん、貴女、丁度それぐらいの年ではないか? 貴女が掛けた魔法によって、この村は守られているのだろう。村の中で私が魔法を使おうとした時、それは不可能だった。それも、その魔法によるものではないか?」
「……だが、私はアクロワを殺したんだよ」
「否、貴女は殺しなどしていない」
 そう言って、ルエラは窓の外に目をやる。
「――村長は、もうずっと前に亡くなっていた。……違うだろうか?」
「……」
「この辺りは、陥没が多い。恐らく、村長はそれの一つに巻き込まれたのだろう。村に出入りする者を把握しているという事は、村の境へもよく行くという事だろうからな。村長が土砂に巻き込まれ、村人総出で探した事があったと、シモンから聞いた。恐らく、その時に……。それを最初に発見したのは、貴女だった。そして貴女は魔法で彼を操り、生きているかのように見せかけたんだ」
「土砂に巻き込まれていなかった。そう考えるのが普通じゃないかい?」
「それだけではない。……村長の家に行った時、蝋燭に埃が積もっていた」
「……」
「窓は遮光され、部屋は薄暗かった。昼間はそれでも薄明かりが入るにしても、夜には灯りが必要だろう。しかし、彼の家の蝋燭はここしばらく使われた形跡が無い。今日村長の家に行ったのも、魔法を繋ぎとめる為か何かじゃないか? そしてナタを魔法の媒介とするために残した。ナタが視線を外した途端、村長は動きを停止して倒れている。彼は冷たかった……体温が無かった。
 村人達から慕われ愛されている彼を、貴女は死なせたくなかった。村の人々を悲しませたくなかった。だから、生きている状態を保とうとしたのではないか?」
 マーシャは溜息を吐き、再び安楽椅子へと戻って行く。そして、深く腰を掛けた。
「まさか、そこまで推理されているとは思わなかったよ……。せっかく、私が作り上げたシナリオがパァだ」
「魔女として捕まり、村に呪いを掛けたと偽って、その呪いに対抗する名目で魔法使いを村に派遣してもらう……。そして、その魔法使いに村を陥没から守ってもらう、という筋書きか?」
「その通り。捕まらないにしたって、私はもうこの村にはいられないからねぇ」
「……会いに来た女性か」
「そう。貴方を襲い、私が独学の書を持たせていたアクロワを、襲った魔女だよ。あそこで他の者に見つかるのは、彼女も想定外だったんだろうねぇ。危うく、彼女に書を奪われる所だったよ。
あの場で助かっては、困る。だから、私はアクロワを地下深くへと落とした。私の書と共に。綺麗な事を言っているようだけれど、結局の所、村の者達からあいつを奪ったのは、私なんだよ。私の罪が消える事は無い」
 ルエラはマーシャの元へと歩み寄る。
「彼女は何者だ? 何故、私を襲った。貴女に、何の話をした」
「彼女は闇の国より遣わされた使者さ……。彼女に目を付けられたからには、もう私はこの村にはいられない。この村にいては、村を危険に巻き込む事になる。
そして貴方も、優れた魔法使いだ。ここにいては、危険だ。帰りなさい」
「な……っ」
 がちゃりと音がし、廊下へ続く扉が開いた。
 入って来た人物に、ルエラは目を丸くする。
「ブルザ……!? お前、どうしてここに……!」
「そちらのご夫人より、ご連絡を頂きました。……貴女を狙っている者が、直ぐ傍まで迫っていると」
 ルエラは、穏やかな表情で腰掛ける老婆を振り返る。
「貴女……私の素性を、何処まで知っている?」
「『恐らく、私が知っているのは全て』ですねぇ。私は、この村に魔法を掛けています。他所の者が、この村の中で魔法を使えないように。村を守る為に。この魔法は、若し村の中で魔法を使おうとした者がいれば、それを察知する事が出来るんですよ。
ルエラ・リム王女様の事は、私は前々から気にしておりましたからねぇ。銀色の髪、翡翠の瞳。魔女ヴィルマの娘……、と。そして同じ特徴で、水系の魔法を使おうとする少年。私の知識があれば、貴女を結びつける事は容易でしたよ」
「裏をかかれた気分だな……」
 マーシャはふふふと笑い、そして言った。
「三日間、この村を支え続ける魔法を掛けました。私は、その内に死ぬつもりです」
「何を言ってるんだ!」
「代わりに、村を支える事の出来る魔法使いを、村に派遣して頂けませんか」
「何を言う。貴女がここに残って、これからも村を支え続ければ良いではないか!」
「私はもう、この村にいる事は出来ません」
「そんな事は無い。貴女を狙う魔女がいるならば、私も応戦する。共に戦おう」
「相手は、そんな容易な手だれではありません。貴女は、死んではならない」
 言い返そうとしたルエラの肩を、ブルザが掴んだ。
 ルエラはゆっくりと視線を背後に送る。肩越しに冷ややかな目で睨めつけた。
「どういうつもりだ、ブルザ」
「姫様は、私と共にこの村を離れて頂きます。その為に、私は参りました」
「この手を放せ」
「放しません」
「王女である私の命令だ! この手を放せ。私は、この村に残る」
「勘違いなさらないでください。我々私軍は、貴女の召使ではありません。貴女の御身をお守りする事が、我々の務めなのです」
 そう言うなり、ブルザは軽々とルエラを抱え上げた。
「荷物は既に、取ってきてあります。参りましょう」
「放せ! 私はここに残ると言っている!!」
 どんなに叫ぼうとも、ブルザは放そうとはしない。
 腕力だけでルエラがブルザに勝つ事は出来ない。魔法が使えない今、ルエラは途方もなく非力だった。
 家から連れ出され、ブルザは駆け出す。
 ルエラは、マーシャの家のへと呼びかけていた。
「何故、彼女が死なねばならない!? 彼女が何をしたと言うのだ! 戦え、セシナ! お前を失ったら、この村はどうなる!? 村長の死に対する、村人達の悲しみをお前は見ただろう!!」
「姫様、お静かに。見つかってしまいます」
 ブルザに咎められ、ルエラは口を噤む。
 口を噤む事しか出来なかった。一度たりとも、敵はルエラ達の前に姿を現す事は無かった。けれどもその者の実力は、昨夜の一件で明らかだ。容易に勝てる相手ではない。
「……くそっ」
 ルエラはあまりにも、非力だった。ただ、尻尾を巻いて逃げる事しか出来ない。
 力があれば。
 そう思えども、それは空しい願望に過ぎなかった。

 三日後、村に小さな軍部が作られた。送り込まれた軍人の中には、魔法使いもいた。
そして同日深夜、村の一角で大きな陥没があった。八十年ぶりの陥没は、一人の老婆の家を地下深くへと飲み込んだと言う。
 死体はまだ、見つかっていない。


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2009.8.4
2011.10.8加筆修正

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