冬の早朝ともなると、まだ空は暗い。蝋燭の明かりが、廊下を橙色に染め上げる。部屋の前には、兵士が一人。
 曲がり角から、ひょこっと青い頭がのぞく。
「こんなに早い時間に訪問するのは、やはり非常識でしょうか……」
 兵士に守られた扉を見つめ、レーナはひとりごちる。
「で、でも、昼間はお付きの方もいらっしゃるでしょうし……!」
 レーナは、昨日アリーから聞いた話を思い起こす。ルエラを疎むアーサー・カッセル。ルエラにとっては継母となるクレアとの、複雑な関係。
 ルエラは、レーナを救ってくれた。支えてくれた。今度は、レーナが彼女を支えてあげたい。ルエラが魔女だと言う噂にしても、もし根拠がなくただの派閥争いから意図的に流されたものなら、彼らと和解すれば治るかも知れない。
「レーナ王女? どうなさったんですか、こんな所で」
「ぴゃああああ!?」
 突然声を掛けられ、レーナは飛び上がった。
「ノ、ノエル王子……!」
「おはようございます。すみません、驚かすつもりはなかったのですが」
「お、おはようございます。お早いのですわね」
「ええ。気分転換に、散歩に行って来たところで……姉さんにご用ですか? それなら、奥の……」
「い、いえ! 私は、ノエル王子とお話ししたくて……!」
 言ってから、ハッとレーナは我に返る。
(私は何を言っていますの! 合っているのですけど! 合っていますけど、これでは誤解を招いてしまいますわ!)
「こんな所で立ち話も何ですし、部屋に入られますか? 少々散らかっていますが……」
「は、はい!」
 レーナは上ずった声で答える。
 正直、異性の部屋に一人で招かれると言うのは気が引けたが、話の内容が内容だ。廊下で立ち話するようなものではないだろう。
「お疲れ様です」
 部屋の前に立つ兵士に、ノエルは律儀に挨拶する。
「お帰りなさいませ、ノエル殿下。コーヒーをお淹れしましょうか?」
 レーナを見て、兵士は問う。ノエルは軽く片手を振った。
「大丈夫です、自分でやりますから。もう直ぐ交代の時間でしょう」
 扉の向こうは、ルエラの部屋とよく似た造りだった。入って直ぐの部屋は執務室。応接用の広い机と、奥に仕事用の高さのある机が窓に背を向けるようにして置かれている。左手奥には扉があって、奥の部屋へと続いている。
「コーヒーと紅茶、どちらがお好みですか?」
「では、お紅茶を……」
 ノエルは、手前にある給湯室へと入って行く。
 レーナは、ノエルの机へと目を向ける。机の上には本やノートが開かれたまま置かれ、雑然としていた。
「すみません、お見苦しくて」
 戻って来たノエルは、レーナの前にカップを置いて苦笑する。
「いえ……ご勉強中でしたの? それで、気分転換と……でも、いったい何時から?」
 机の上に所狭しと広げられた本の数々。昼間は公務があるのだから、片付けているはずだ。とても、一時間やそこらの状態とは思えなかった。
「五時前からだから、まだ一時間ちょっとですよ。夜からそのままにしていて……」
「夜にも? いったい何時までご勉強なさっていましたの?」
「えーと……二時くらいかな……」
「三時間も寝ていないじゃありませんの!」
「これくらいしないと、追いつけないんですよ」
 ノエルは開かれたまま本の本を、紐を挟んで閉じながら話す。
「僕が王子になったのは、六歳の時です。それまでは、市井で暮らしていました。産まれた時から城で過ごしていれば知っているべき常識を、僕は知らない。姉さんに追いつこうと思ったら、これくらいしないと。……姉さん、優秀だから、それでも全然追いつけないんですけどね」
 そう言って、ノエルは少し笑う。
 レーナは、ぽつりと呟くように言った。
「……国王に、なられるために?」
 ノエルは目を瞬く。そして、フッと微笑んだ。
「僕は、国王にはなれないと思います。僕よりも、姉さんの方がずっと向いてる。姉さんが国王になった方が、国のためにもなります。姉さん自身は、王になる気はないようですけど……」
 パタンと、最後の一冊が閉じられる。
 レーナは手元に置かれた紅茶のカップへと、視線を落とす。
 ヴィルマを捕らえた暁には、この身に受けるべき刑を受けるつもりだ。ルエラは、そう言っていた。いずれ処刑される身だから、国王にはなれない。彼女はそう、思っているのだろう。
 あるいは、魔女と言う存在が王族の中にあり続ける事を拒絶しているのかも知れない。……それは、自分自身の存在の否定にも繋がると言うのに。
「ルエラさんに国王になるおつもりがないのでしたら、ノエル王子がなられる可能性も高いのではありません事? なれるかどうかでなく……あなた自身は、どう思っていますの?」
「……僕は、そうですね……不安、かな」
 ノエルは苦笑する。
「僕を支持してくれているのは、僕が王になる事で自分の地位が上がる事を期待している身内か、魔女への反感が強くて姉さんがヴィルマの娘だって事を気にするような人達ばかりだから。僕自身の能力に期待している人なんていないんです」
 レーナは口を噤む。
「僕は、王の器じゃない。それは、僕自身がよく理解しています。それまで人に命令した事も人をまとめ上げた事もないような子供が、いきなり王子なんて立場になって。国なんて大きなものを継ぐかも知れない可能性も出て来て。正直、王子と言う今の立場さえ、実力に伴わない立場だと申し訳なくなるぐらいなんです」
 実力に伴わない立場。自分には何も出来ないのに、この場所は不相応なのではないか。それは、レーナも思っていた事だった。
「すみません、色々話し過ぎてしまいました。リムやレポスの人には、こんな話、出来ないから」
「……そんな事ありませんわ! 誰もノエル王子に期待していないなんて、そんな事……!」
 レーナは立ち上がる。
「だって、あなたはこんなにも頑張っているではありませんの。それだけ努力してらしているのですから、きっと見ている人、認めている人はいますわ。少なくとも私は、あなたに能力が無いだなんて思いません。王子としてそれだけ頑張れるのですから、きっと立派な国王になれますわ!」
 勢い込んでまくし立て、それからレーナはハッと我に返り頭を抱える。
(何を言ってますの、私は……! これでは、敵に塩を送っているようなものですわ!)
 ……敵。本当に、ノエルは敵なのだろうか? 彼自身は、ルエラの方が後継者となるべきだと思っている。そして自信が無いと話す彼の様子は、とても嘘や作り話だとは思えない。
「……そう言えば、あなたは、ルエラさんの事を『姉さん』と呼んでらっしゃいますのね」
「え、あ、まあ……やっぱり、おこがましいでしょうか」
 レーナは慌てて、首を左右に振る。
「そうではなくて……!」
「……最初は、ルエラ姫様と、そう呼んでいたんです。母が国王陛下と結婚するまでは、一般市民でしたから。姉さんは、遠い世界のお姫様でしかなかった。でも、姉さんに怒られてしまって」
 ノエルは照れ臭そうに笑った。
「『私達はこれから姉弟になるのだから、そんな他人行儀な呼び方をするな』って……」
「ルエラさんらしいですわね」
 レーナも、クスリと笑う。ノエルはうなずいた。
「姉さんは、本当の弟のように接してくれます。陛下と血の繋がりがない事であれこれ言う人達もいるけど、姉さんはそんなものは関係ないと率先して態度で示してくれる。おかげで、僕も、母さんも、血縁のない王宮の中でも、とても過ごしやすい。……俺も、彼女を実の姉のように慕っています」
「……おれ?」
 ハッとノエルは我に返る。
「す、すみません……! いつも、気を付けているのですが……」
 慌てて取り繕うノエルに、レーナはクスクスと笑う。
「構いませんわ。今は、公務ではないのですし。あまり周りの理想ばかり演じていては、本当の自分を見失ってしまいますわよ?」
「……それも、そうですね」
 ノエルは微笑む。接客用に取り繕ったような笑顔ではなく、柔らかな笑みだった。
「城内に派閥があると伺いましたけど、ノエルさんとルエラさんの仲は良好ですのね。安心しましたわ。クレア王妃は? リム国王との再婚以来、一度もルエラさんのお名前を呼ぼうとなさらないと伺いましたけど……」
「ああ、それならたぶん、俺と同じでただどう呼んでいいか分からないだけだと思いますよ。姫様呼びは、目の前で俺が拒絶されちゃった訳ですし。俺は弟だから姉さん呼びでいいけれど、母親がそれはおかしいでしょう? かと言って、呼び捨てはさすがに気が引けるでしょうし。……もしかして、姉さん、気にしてました?」
「ルエラさんご本人から伺った訳ではありませんが……」
 ノックの音が、二人の会話を遮った。返事も待たず、勢いよく部屋の扉が開く。入って来たのは、私軍の軍服に身を包んだ男だった。部屋の前に立っていたのとは、別の男だ。
「失礼いたします! ――レーナ王女も、ご一緒でしたか……! ご無事で良かった」
 男は、レーナを見てホッと安堵の息を吐く。
「何かあったんですか?」
 ノエルは机を離れ、男へと歩み寄る。
「それが……ルエラ王女が……」
「ルエラさんに何かありましたの!?」
 レーナも、彼の元へと駆け寄る。
 男はキッと表情を引き締め、言い放った。
「ルエラ王女が、撃たれた、と……!」


Back Next TOP

2016.2.27

inserted by FC2 system