建物の陰になり、薄暗く細い道。木枯らしが、剣を突き付けるディンの足元を吹き抜けて行く。
 アーノルドは背を向けたまま、ゆっくりと両手を挙げた。
「怖いなあ。いきなり、どうしたんだい? お城の方は良いのかい? 陽動のため、城門から訪ねるんだろう」
 アーノルドは、いつもと変わらない態度だった。剣を突き付けられても、緊張も動揺も見せず、掴み所がない。
 ディンは油断なく彼を睨み据えながら話す。
「その言葉、そっくりそのまま返してやんよ」
「私は、ルエラちゃんから連絡があった場合に備えて、宿で待機する事にしたんだよ。フレディ君やレーナちゃんから、聞かなかったかい?」
「茶番はもう終わりにしようぜ……ラウの間者さんよ」
 しんとその場が静まり返る。
 フッとアーノルドは微笑った。
「ハブナでの戦いは、少しあからさますぎたかな」
「その前から気付いてたぜ。あんた、俺とアリーのコーヒーに、睡眠薬混ぜただろ」
 ディンは、口の端を上げてニッと笑う。
「これでも、一応、一国の王子なんでね。舌は肥えてるんだ。アリーなんかはさっぱり気付かずに、飲み干しちまってたけど」
「なるほど。気付いて直ぐに飲むのを止めたと……通りで、予定よりも来るのが早かった訳だ」
「ソルドの狸准将とだって、本当に連絡を取っていたのか怪しいもんだ。全部、あんた経由だったんだからな。ソルドと連絡を取っているように見せかけて、自分の国と連絡を取ってたんじゃねぇか? ルエラを殺そうとした准将だって、本物かどうか……」
「ああ、彼は本物だよ。投獄され、首を刎ねられる役に、魔法使いを使う訳ないじゃないか」
 アーノルドの声色は、いつもと変わらず朗らかだった。
 一筋の汗が、ディンの頬を伝う。
「あんた自身も自覚しているようだが、ハブナでの戦いもあからさまだった。仲間と示し合わせてやられているふりをして、俺達が優勢になったら反撃する。あんたなら、あんな魔女一人簡単に吹き飛ばせたはずだろ?」
 アーノルドは軽く笑った。
「さすがに、それは買いかぶりすぎだよ。アンジェラ一人ならともかく、あの場にはヴィルマがいたんだ。サントリナの王族って言うと、元はラウの分家らしいからね。素質が違う」
「アリーが俺の事を王子だってバラした時、ヴィルマはあんたらの方を見た。あれは、あんたの様子を伺ってたんだな? あんたは、アリーの言葉を否定しなかった。だから、ただ仲間をかばっているだけかもしれないアリーの言葉を、奴らはあっさり信じたんだ」
「素晴らしいね。たかが人間だと侮っていた事を謝らないといけないな」
 強い風が、建物の間を吹き抜けた。ディンは片腕で顔を覆い、足を踏ん張る。
 一瞬の内に、アーノルドは剣先を離れ、間合いを取り、ディンに向き直っていた。上げていた両手を上着のポケットに突っ込み、ニコニコと微笑っている。その佇まいに緊張感はなく、まるでディンなど取るに足らないと言うかのようだった。
「そこまで気付いていながら、誰にも告げずに一人で私に挑もうとしたのが、唯一の失敗だったね」
「他の奴らは皆、甘いからな。説得だの目を覚まさせようだの言い出しかねない」
「なるほどねぇ。確かにそれは、無駄な行動だ。何せ、私は目を覚ますも何も、最初から君達を仲間だなんて思っていないんだからね」
「けっ。言ってくれるじゃねーか……」
 ディンは剣先を下げ構えると、強く地を蹴り、アーノルドへと突進して行った。
 アーノルドは身構えるでもなく、ただ、棒立ちになってニコニコと笑っている。アーノルドの姿が、眼前へと迫る。剣を握る手に、力を入れる。
 その首を薙ぎ払おうとしたその瞬間、ぐるりと視界が回転した。バランスを失い、足が地から離れる。一瞬の内にディンは空高く巻き上げられ、フッと上への引力を失い地面へと叩きつけられた。
「くっ……」
 ディンは片膝をつき、身を起こす。視界の端に、宙に消え行く小さな竜巻が見えた。
 アーノルドは一歩も動かず、笑顔で佇んでいる。
「無駄だよ。人間ごときに、私は殺せない」
「……あんまり人間を舐めてると、痛い目みるぜ? その『人間ごとき』に正体が暴かれたって事を忘れんなよ」
 ディンは剣を握り、立ち上がる。アーノルドは、あご下に軽く手を当てた。
「ふむ……それもそうだね。それじゃあ、手早く片付ける事にしようか」
 アーノルドの笑みが濃くなる。
 ディンは素早く立ち上がり、飛び退いた。鋭い風が吹き、スッパリとディンの頬に赤い一線が走る。
 着地した足をグッと踏み込み、アーノルドへと突っ込んで行く。
 見えない刃が、ディンの腕や足を切り裂いて行く。首や顔への攻撃を避け、アーノルドへと切迫する。
 強い風が、細い路地を吹き抜けた。風に煽られ、狙いが狂う。アーノルドは軽いステップで、切っ先を交わした。
 足を踏ん張って止まり、振り返りざまに剣を払う。青い光と共に、短い耳鳴り。アーノルドの姿は掻き消える。ディンは、ほとんど同時に青く光った反対側へと向き直り、剣を振るう。同時に強い風が襲い、ディンは後方へと吹き飛ばされた。
 背中を強かに壁へぶつけ、ディンは声にならない呻き声を漏らしながら地面へと崩れ落ちる。
 道の向こうに佇むアーノルドは、笑っていた。先を斬られたマフラーが、風にはためく。
「へぇ。なかなかやるね。惜しいな。魔法さえ使えれば、私達の仲間にしてやっても良かったのに」
「ケッ……例え俺が魔法使いでも、あんたらについて行くなんて御免被るぜ」
 剣を握り、身を起こす。
 アーノルドが操るのは、風。ルエラの水のように凍らせて武器にする事も、フレディの炎のようにその場に障害物として固定する事も出来ない。
 アーノルドに、ディンを生かしておく理由などない。彼の魔法は、それ自体に殺傷能力を持たないのだ。
 近接戦にさえ持ち込めば、ディンの方が有利なはず。立ち上がり再び駆けようとしたディンは、強い風に煽られ宙に舞い上がった。


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2016.8.13

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