「彼女の正体は、ルエラ・リム王女。ずっと、私達を騙していたんです……!」
 ティアナンを訪ねて来たユマは、震える声でそう言った。
 ルエラ王女の正体を知った経緯、ルエラと共に旅をしている者達は彼女が魔女だと知った上で協力している事、アリーもその一人であった事、アリーを助けるためにビューダネスへと追って来た事、不用意に軍に告げれば粛清され兼ねないと思い、ティアナンを頼って来た事。ユマは洗いざらい、これまでの事をティアナンに話した。
 魔女に怯え、それでも幼馴染を助けようと必死に訴えかけるユマは、決して嘘を吐いているようには見えなかった。
 ティアナンは、顎に手を当て考え込む。
 ルエラ王女とリンが同一人物であり、魔女なのだとすれば、彼女の話も真実であるか怪しい。アリーが王女の立場を乗っ取り、リンの軍位を剥奪するなど、元々信じがたい話。それらが全て、彼女のでっち上げである可能性も出て来る。
「ユマさん、この件はいったん、私に預けていただけますか」
 不安げな表情の少女に、ティアナンは言った。
「私の方でも、探りを入れてみます。それから、この事は他の人には話さないよう。どこで誰が聞いているか分かりませんから。相手が王女様ともなれば、どこまで手が回るか分かりません。一般市民であるユマさんが深入りするのは危険です。不用意に動かないように」
「でも……アリーは……」
「任せてください。アリーは必ず、私が守ります」
 ユマの視線が迷うように揺れる。そして彼女は、深く頭を下げた。
「お願いします……!」

「待たせたの、ティアナン――今は、中佐だったか」
「はい。お忙しいところ、ありがとうございます。ジノラ先生」
 椅子を立ち、ティアナンは敬礼する。
 ユマから話を聞いた翌日、ティアナンは城を訪ねていた。ルエラの事、アリーの事、まずは現状を正確に把握しなければならない。
「どうぞ、座りなさい。懐かしいな。クロードの葬儀以来か」
「ええ」
 ジノラが腰掛けるのを待って着席し、ティアナンはうなずいた。
「あれからもう、十年か……時の流れとは、早いものよ。オーフェリーに、クロードに、教え子達が次々と先立ってしまうとはな。この老いぼれは、穀潰しとなりながらもこうして生きながらえていると言うのに」
「またご冗談を」
 ティアナンは少し笑う。王子や王女の教育係を担っている彼が、国に貢献していないはずがない。
「ところで、話とは姫様の事かの?」
「はい。姫様には、魔女の疑いが掛かっています。その件について、先生のお考えをお聞かせ願えますか。ここ二、三日の彼女の様子で、変わった点は無かったか……」
「ここ二、三日。それは、今、執務室で仕事をなさっているルエラ・リム王女についてという事で良いかね?」
 ティアナンは、目を見張る。
 ジノラは、にこにこと穏やかな表情を浮かべていた。
「あなたはいったい、どこまで……」
 尋ねかけ、ティアナンは口を閉ざす。
 ここは、リム城。彼は王女の教育係だ。例え真実を知っていても、不用意な事は言えまい。
「先生」
 ティアナンは顔を上げ、正面に座る老師を真っ直ぐに見据える。
「今日は国軍魔女捜査部隊の隊長ではなく、トッシュ・ティアナンという一人の男として参りました。先生は、姫様についてどのようにお考えでしょうか。姫様は、不躾な言い方ですが、信用に値する人物なのでしょうか」
「なかなか危うい言い方をするの。こんな情勢でも無ければ、謀反の意ありと捉えられかねんぞ」
 ジノラはクツクツと笑う。そして、答えた。
「姫様は今、厳重な警戒態勢で守られておる。わしでも会う事が出来ん。すまんが、警戒態勢に入ってからの姫様の様子は分からんよ」
「そうですか……」
「じゃが、姫様は非常にお転婆な娘じゃ。彼女が大人しくしている事などないじゃろうよ。こうも様々な事が起こっていて、じっとなどしていられん。そういう性格じゃ」
 ジノラの意味深な物言いに、ティアナンは首を捻る。
「それは、どういう……」
「失礼します!」
 切羽詰まった声と共に、応接間の扉が勢い良く開いた。
 扉の先にいたのは、若い軍人。暗い赤色の軍服は、ティアナンが着ている物とは襟の形が大きく異なる。――私軍の者だ。
「ルエラ王女暗殺未遂の容疑で捕縛されていたディビッド・ルメットが、脱獄しました……!」
「な……っ」
 ティアナンは息をのむ。
 ルエラ王女に掛かった魔女の嫌疑。城門前での暴動。敵対国の軍人による、王女暗殺未遂。アリーによる権威の乗っ取り。事実、魔女であったルエラ。
 そして、今度は暗殺未遂を犯した男が逃走したと言う。
 立て続けに起こる数々の事件に、ティアナンは頭が追いつけずにいた。いったい何が、この街で、この国で起こっているのか。
 一方でジノラの方は、驚いた事にこの状況にあっても微笑みを崩さなかった。
「……やれやれ、本当に大人しく出来ない人じゃ」
 小さく呟かれた声を聞いたのは、ティアナンだけだった。

* * *

 城を取り囲む、高い城壁。その裏手に、ルエラとディンはいた。足元には川が流れ、城の中へと流れ込んで行く。
 時刻は早朝。朝の早い人々が通りを行き交うようにはなったが、まだ陽は昇らない。
 壁を伝うようにして、ゴォッと一陣の風が吹き抜けて行った。風にあおられ、水面が揺れる。
「アーノルドさんだな。あっちも始まったか。――ルエラ」
 ルエラはうなずく。
「では、行って来る。お前も、直ぐにフレディ達と合流するよう。余計な事をされて、帰り道を塞がれては困るからな」
「分かってるって。リムの極秘事項だろうってのに、ここまで見送らせてもらったんだ。これ以上の事なんてしねーよ。でも、ここからどうやって入るんだ? 水路も格子が入っていて、抜け穴なんてありそうにねーけど……」
「底の方に、隙間があるんだ」
「底って……」
 ルエラは、川へと足を踏み入れる。ルエラの足元は凍り、川底へと続く階段が現れた。
「……なーるほど。お前しか通れないって訳か。道理で、バレない訳だ。護衛は、お姫様が魔法を使えるなんて微塵も思ってないだろうからな」
 黒装束に身を包んだルエラは、更に仮面を被る。
「では、行って来る」
「ああ。……気を付けろよ」
 ディンは、至極真面目な表情でうなずく。ルエラは彼に背を向けると、水の底へと向かって歩き出した。
 制限時間は、一時間半。それまでに目的を達し、城から抜け出さねばならない。
 ただ、城内の様子を見て来るだけならば、ブルザやレーン辺りでも探して状況を聞くだけならば、十分な時間だろう。しかし、ルエラの目的は他にあった。
 さして深い川でもない。間もなく、ルエラは川底へと降り立った。ぬかるんだ地面が、ぬめりとルエラの足を飲み込もうとする。地面に含まれる水分を適度に凍らせ、沈みを防ぐ。頭上は水が覆い、ルエラの周りだけが大きく頑丈な水泡のように空気を保っていた。
 まだ陽の昇らぬ時間。いくらか離れた所に立っていた街灯の光は、さすがに水底までは届かない。真っ暗な水底を、ルエラは慣れた足取りで進む。
 直ぐに、前に伸ばした手が格子に触れた。アーチ状の水路を塞ぐように、城壁から城壁へと渡せられた格子。地面と格子との間を這うようにして、ルエラは城内へと潜り込む。
 しばらく川底を進み、ある程度進んだ所でルエラは足元に作った氷の柱を伸ばし、水面近くへと浮上した。
 地上に誰もいない事を確認し、川を抜け出してそばに植わる茂みの裏へと身を隠す。茂みは川に沿って続き、やがて木々の生える小さな林へと辿り着く。
 林の中には、古い井戸があった。今は使われていない枯れ井戸だが、一日中陽の当たらない場所という事もあり、その内側は湿気ている。ルエラは、井戸へと手をかざす。井戸の縁に沿って作り出されたのは、底へと続く螺旋状の急斜面。ルエラは滑るようにして、あっと言う間に底へと降り立った。
 石の壁に囲まれた狭い通路を進むと、やがて上へと昇る階段に突き当たる。階段を上った先は、薔薇の茂みが植わる中庭に続いていた。そっと頭を出し、辺りの様子を伺う。
 ここから先は、人通りのある廊下をいくつかやり過ごさねばならない。誰もいない事を確認すると、階段を上がり切り、薔薇の枯れ枝の向こうにある渡り廊下へと走った。開け放された入口の一つから、素早く建物の中へと潜り込む。
 真っ直ぐな廊下を駆け抜け、突き当たりの角で歩を緩める。曲がって少し先に行くと、広間からの廊下と交差する。その道を行く、足音が聞こえていた。
 足音の主が通り過ぎるのを待ち、そっと角から飛び出す。広い廊下と交差する角で再び立ち止まる。左手の突き当たりには、広間の扉。その前には守衛隊の者が一人いて、こちらを向いて立っていた。
 ルエラは時計を確認する。……間もなく、来るはず。
 五分と経たぬ間に兵が横を向き、敬礼した。その隙を逃さず、ルエラは素早く廊下を横切る。夜番と朝番が交代する時間。早朝を選んだのは人が少ない他に、これが理由としてあった。人が来れば、自然、そちらを向く。そこに、一瞬の隙が生まれる。兵の配置と交代時間を把握しているルエラならば、そのタイミングを計る事など造作もない。
 広間の前から続く廊下は人も通り、明かりも入るが、交差するこの廊下は狭く暗かった。いくつか角を曲がり、ルエラは立ち止まった。甲冑の横の壁を押すと、扉が開く。中へ入ると直ぐ、煙突のように垂直に下へと続く穴があった。迷わず、ルエラはその中に潜り込む。両手両足を左右の壁につき、下へと降りて行く。
 やがて、足が床についた。暗がりの中、手探りで正面の壁を押す。ルエラが辿り着いたのは、使用されていない小さな部屋のクローゼットの中だった。
 部屋を出て、いくつもの廊下と隠し通路を駆使し、ルエラは城の奥へと進んで行った。アリーのいる後宮とは、程遠い。むしろ逆だ。向かうは、地下の最深部。――罪人が囚われている地下牢。
 さすがに、看守を避けて通れる道はなかった。入口で一人、廊下で二人、最低人数に不意打ちを食らわせ、ルエラは牢の間を駆ける。ここの牢に入れられるのは、城内で殺人などの罪を犯した大罪人だ。そうそう人が入るような事はなく、今はどの牢も空だった。
 一番奥に、目的の人物は捕らえられていた。
 牢の前に現れたルエラの姿に、彼は顔を上げ警戒したように片膝をつく。
「そう構えるな、准将。私だ」
「その声は……! なぜ、そのような格好を――」
「状況が変わった。正規の手段であなたをここから出す事が、困難になった。――下がれ」
 ルエラは薄く鋭く出した水で、牢の鉄柵を叩き切る。
 ディビッド・ルメットは、白髭をたくわえたその口元に、どう言う訳か笑みを浮かべていた。ルエラは眉根を寄せる。
「ルメット准将?」
「なるほど。それで、私を助けに来たと。――安心しましたよ。正直、あなたに国ぐるみではめられたのではないかと思っていたのでね。ソルドの軍人がリムの王女を撃ったという事実さえ作れば、リム国はソルドに正当防衛を主張できるようになるでしょう。あれは、私の意志ではなかった。何者かに操られてしまったのです――もっとも、そう信じているからこそあなたはここへ来てくださったのでしょうが」
 ルエラはうなずいた。
「すまない……。私に協力したばかりに、こんな事になってしまって」
「まあ、あなたと関わった時点で、いつかこうなる事は想定していましたよ。あの後、話し合った通りソルドの北沿岸部を調べていたのだがね……どうやら、うちの上層部はそれがお気に召さなかったようで」
 ルメットは軽く肩をすくめる。
「睨まれてしまったようでね。自宅は燃えるわ、街中では弾が飛んで来るわ、軍部でも飲食物は自宅から肌身離さず持参した物しか口にできない始末。こちらへ来たのは、亡命の意味もあったのですよ。それを相談しようと、あの日、お呼び立てしたのですが……どうやら、この国も安全ではなかったらしい」
「他の者達は? 当然、部下の者達を使って調べていたのだろう?」
「さすがに全員を逃がす事はできませんからね。何も知らない、命令に従っただけだと、皆、口をそろえて言うようにしています。南部の市軍全滅なんてさせたら、軍部そのものが成り立たなくなる。ひとまず命の危険はないでしょう」
 ルエラはホッと息を吐く。それから、キッとルメットを見据えた。
 聞かなければならない事がある。確かめねばならない事がある。いったいどこまでが、この件に関わっているのか。ルメットの組織内に、疑わしい者はいるのか。ディン、アリー、フレディ、アーノルド――彼らは、信用しても良いのか。アリーの裏切りは、ラウとは別のところにあるのか。
 確かめねば、身動きが取れない。この先へ進めない。
「ルメット准将。ララ達を逃がした件だが――具体的に誰が関わっているのか、教えていただけるだろうか」

* * *

 人気のない路地裏。城は幾重にも連なる屋根の向こうに見え、大通りの喧騒もここへは届いて来ない。
 路地に佇む男の首筋に、冷たい刃が背後から押し当てられた。剣先を向けられた男は、それでも尚、笑顔だった。
「いったいどういうつもりだい? ――ディン君」
 アーノルドは、振り返る。ディンは切っ先をアーノルドへと突きつけたまま、ニヤリと笑みを浮かべた。
「やっと邪魔がなくなったな。待ってたぜ、この時を」


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2016.7.30

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