「待ってください! 彼女が魔女だなんて、ありえません! 彼女は、人質を助けようとしたんですよ!?」
「その人質には、自分も含まれるからな。あの状況を見て、彼女が魔女ではないなど、誰が信じられると思う? 瓦礫の下、彼女を守るように覆っていた蔓……魔法で生成されたとしか思えない」
「しかし――」
「どうしても彼女を信じたいと言うならば、あの蔓がどのようにして生成されたのか、科学的根拠を示せば良い」
 上官は、ポンとティアナンの肩を叩く。
「魔女の噂の裏付けを取ること……あるいは、それを否定する証拠を見つけること。それが、我々、魔女捜査部隊の仕事なのだから」
 ティアナンは、グッと両の拳を握り締める。
「――はい……」
「一つだけ忠告しておくが、公私混同して捜査の事を伝えたりはするなよ。まあ、あれだけ堂々と魔法を使えば、向こうもすでに想定はしているだろうが。
 人を騙すのは、魔女の専売特許だ。早く目を覚ませよ」
 ひらりと手を振り、彼は廊下の向こうへと歩き去って行った。
 魔女でないと信じるならば、彼女がどうやってあの崩壊の中で助かったのか、あの蔓がどこから現れたのか、解明すれば良い。彼の言う通りだ。
 しかしティアナンにも、あの状況は魔法以外の何物にも思えなかった。あの倉庫に植物など無かった。インテリアとして植木鉢程度なら置いていても、植物を取り扱う店ではない。あんな大きなものを、閉じ込められた彼女達が持ち込んだとも思えない。調べれば調べるほどに、疑惑は深まるばかりだった。
 ドン、とティアナンは握った拳で壁を叩く。
 命の危機に当たり、彼女は魔法を行使した。誰もがそう思っている。上官までも。
 そして、ティアナンにはそれを覆せる手立ては無かった。

 目を覚ましたヴィルマの視界に飛び込んできたのは、住み込みで働いている店の部屋よりも、高く白い天井だった。紫色の瞳をパチクリさせるヴィルマに、金色の髪の女が抱き付いた。
「ヴィルマ! 良かった……!」
「……オーフェリー」
 オーフェリーはヴィルマを解放する。彼女の瞳は、涙が浮かんでいた。
「大丈夫? 痛い所はない? あなた、三日も眠り続けていたのよ。このまま目が覚めなかったら、どうしようかと……」
「ごめんなさい。私が気絶さえしていなければ、ヴィルマさん達も奥にいるってすぐに軍に伝えられたのに……」
「セリアは何も悪くないさ」
 部屋には、オーフェリーの他にクロードとセリアもいた。クロードは、隣に立つ妻を振り返る。
「セリア、先生を呼んで来てくれるか」
 セリアはこくんとうなずくと、足早に部屋を出て行った。
「マティアスも心配してたよ。病院に泊まり込むって言ってたのを、オゾン大佐に止められて連れ帰られちまったけどな。でも、その後も何度も見舞いに来てたよ」
「私、ルエラさんに連絡して来るわね」
 オーフェリーは言い置いて、部屋を出て行った。
「ルエラさんも、ずっと付いていてくれたんだよ。全然寝てないみたいだったから、今朝、俺とセリアが交代して帰したところだったんだ」
「ありがとう……」
 ヴィルマはやや困惑しながらも、小さな声で言った。
 爆発による火事で、崩壊した天井。あの時、ヴィルマは咄嗟に魔法を使った。オーフェリーを崩壊から守るように、蔓で取り囲んだのだ。
 オーフェリーが無事だということは、煙の中で的を外したわけではあるまい。しかし、オーフェリー達の態度は、いつもと何ら変わりなく、ヴィルマが魔女だという事に気付いていないかのようだった。
「ヴィルマ!」
 大きな声と共に病室へと駆け込んできたのは、黒い髪を結い上げた、ふくよかな中年の女性だった。
「ルエラさん」
 ヴィルマが働く店の女主人ルエラは、ベッドの横まで駆け寄ると、ヴィルマの細い身体をきつく抱き締めた。
「まったくこの子は……! どんなに心配した事か……!」
「ルエラさん、痛いです! 痛い……!」
 ルエラ・ジノラは、ヴィルマを解放する。オーフェリーが、部屋へと入って来た。
「ルエラさん、ちょうど病院に戻って来たところだったみたい。ヴィルマが目を覚ましたって言ったら、走って行っちゃって……!」
 そう話すオーフェリーは、息が上がっていた。軍人である彼女に本気で走らせるなんて、この店主は、いったい何者なのだろうか。
「すみません。お店、三日も無断で休んでしまって」
「そんな事、気にしなくていいんだよ。ゆっくり休んで、体調を万全にして帰っておいで」
「はい……!」
 ヴィルマは微笑む。
 ルエラもまた、オーフェリー達同様、これまでと何ら変わらなかった。
 魔女だという事は、ばれずに済んだのかも知れない。ヴィルマが魔法で出したのは、植物の蔓だ。オーフェリーを守った後、あの炎で、見つかる前に燃え尽きたのかも。オーフェリーも、気絶したか、あるいは煙で何が起こったのか見えなかったのかも知れない。
 優しい人達に囲まれて。誰も、ヴィルマを糾弾したりしない。暴力を振るったりしない。
 ――この幸せな時がずっと続くのだと、そう、思っていた。

 ヴィルマが退院したのは、それから一週間後の事だった。
 店の天井が落ちて来たのだ。ヴィルマはオーフェリーを守るのに精一杯で、自分の防御は何もしていなかった。生きていた方が奇跡的なぐらいである。
 オーフェリーを助けた時にはそこまで考えていなかったが、ヴィルマは魔女であるが故に人より身体が強く、助かったのかも知れない。
 ルエラの店へと戻る途中、ヴィルマはふと路端の八百屋に目を留め、立ち止まった。
 真っ赤に熟れたトマト。中部の植物は、北部やサントリナよりも時期が早い。
「すみません。これ、ください」
「はいよ。あら、ヴィルマ。もう退院したのかい。大変だったねぇ。この前の反乱軍の立てこもりに、巻き込まれたんだって?」
「ええ」
「良かったよ、無事で。ほら、もう一つオマケだ。マダム・ジノラにも、よろしく言っといておくれ」
「はい。ありがとうございます」
「じゃあ、九十三フィーユね」
「すみません。お釣り出ますか?」
 ヴィルマは、紙幣を店主へと渡す。
 その時、店の前を取り掛かった二人組の会話が聞こえて来た。
「聞いたか? この前の立てこもり事件の英雄が、魔女だったって話」
 ヴィルマは、パッとそちらを振り返る。
 事件の当事者がその場にいるとは露知らず、もう一人は相槌を打つ。
「知ってる、知ってる。魔女処刑人の家の娘で、士官学校生だって。家を継いだのは弟の方らしいけど、身内に魔女がいたってヤバいよな。発覚があと二ヵ月遅ければ、軍に入り込んでたって事だろ……」
 ヴィルマの手から、二つのトマトが滑り落ちる。地面に落ちたトマトは、ぐしゃりと潰れた。
 立てこもり事件の関係者。
 魔女処刑人の家の出身。
 今年卒業する士官学校生。
 ――それは。
「嘘……嘘!」
 ヴィルマは身を翻し、駆け出す。
「あっ、ちょっと、ヴィルマちゃん!? お釣り……!」
 店主の呼び止める声にも構わず、ヴィルマは走り続けた。
 ――オーフェリー・ラランドに、魔女の嫌疑が掛かっている。
 魔女と呼ばれる事がどういう事なのか、ヴィルマは誰よりもよく解っている。魔女は、人として扱われない。魔女は火刑、それが世界の理だ。
「オーフェリー……!」
 ゴロゴロと春雷が低く唸る空の下を、ヴィルマは一心不乱に駆け抜けて行った。

 周りの道より高くなった土地を囲む、高い柵。正面の門には守衛が控え、たまに出入りする車両は物々しい軍用車両ばかり。
 目的の人物が門から出て来たのを認めると、ヴィルマは真っ直ぐに彼女の元へと向かった。
「あら、ヴィルマ。珍しいじゃない。学校まで来るなんて。退院おめでとう。私、これからお店に行こうかと――」
「聞いたわよ。ちゃんと説明して」
 いつになく真剣なヴィルマの眼差しに、オーフェリーは口を閉ざす。そして、ふっと微笑んだ。
「場所を変えましょうか。ここでは、目立つわ」
 ヴィルマとオーフェリーは、人気のない路地裏へと場所を移した。
 ヴィルマは口を真一文字に結び、オーフェリーの背中を見つめる。
 ……誰にも、何も見られなかったのだと、思っていた。オーフェリーを取り巻いた蔓は、炎で燃え尽きたのだと。このまま何事もなかったかのように、今までと変わらぬ幸せな日々が続くのだと。
『きゃああああ! いやっ、殺さないで!』
 残響のように蘇る、女性の悲鳴。恐怖に満ちた表情。全てが崩れ去った、あの日。
「オーフェリー……あの……私――」
「まずは、お礼言わないとね」
 オーフェリーは背中で手を組み、くるりと振り返る。その顔に、恐怖の色はなかった。
「ありがとう、ヴィルマ。あなたが助けてくれたのよね。私を、爆発で倒壊したあのお店で」
 オーフェリーは微笑む。
 ヴィルマは言葉を失い、人間の友達に接するような態度の彼女をまじまじと見つめていた。目の前に立つ親友の姿が揺れ、ぼやける。
「でもねぇ、ヴィルマ。いくら突然の事だったからって、自分の事も守らなきゃ。助かったのは、運が良かったのよ。いくら魔女って言ったって、病院で何も言及されなかったって事は、身体的には人間と何ら変わりないんだろうし、第一せっかくのきれいな顔に傷でも付いたら――」
「オーフェリーは……怖くないの……?」
 尋ねた声は、震えていた。
 いつも、魔女に向けられるのは恐怖に歪んだ顔。憎悪に満ちた視線。それまでどんなに親しかった人でも、たちまち変わってしまう。いつも、いつもそうだった。
「あら。私は、軍人よ? 軍人が魔女を怖がっていたら、誰が魔女を狩ると言うの? 私にとって、魔女は市民の平和のために狩るべき対象であって、恐怖の対象じゃないわ。怖いなんて言ってられない」
 ヴィルマは身を強張らせる。
 魔女と知って、怯え逃げ出したマックス夫人。一方で、魔女と知って、力でねじ伏せ従わせようとしたマックス氏。何度も振り下ろされた、黒い鞭。
「――でもね、ヴィルマ。あなたは、私の親友だわ。親友であり、命の恩人。だから、狩るべき対象にはならない。あなたは私達の知る魔女とは違うんだって、私はよく解ってる――親友だもの」
 紫色の瞳から、ぽろりと雫が零れ落ちた。
「オーフェリー……!」
 ヴィルマは、オーフェリーの胸へと飛び込んだ。オーフェリーは受け止め、ヴィルマの背中を優しく撫でる。
「よしよし。ずっと、一人で辛かったのよね。魔女だってだけで、酷い目にあってきたのよね。大丈夫。大丈夫よ。私は、あなたを裏切ったりしない。あなたは、私が守るから」
 ハッとヴィルマは目を見開く。そして、顔を上げた。
「そうだわ。あなたに、魔女の疑いがかかってるって……! まさか、あの事件で……? 私の魔法が、オーフェリーのものだと勘違いされて……!?」
「ああ、あれ。違う、違う。ヴィルマの魔法は見られてないわよ」
 オーフェリーは苦笑し、ひらひらと手の平を振った。
「あの崩壊で無傷だったものだから、どっかの誰かが『魔女なんじゃないか』って言い出したみたいで。でも、大した怪我がなかった人は建物内を捜査していた軍の中にも複数いたみたいだし、ただの無責任な噂よ、噂。目撃者も物証も無いから、軍も取り合ってないみたい。その内、下火になるわよ」
「そんな楽観的な……。無い事の証明なんて出来ないわ。一度疑われれば、きっとこれからも、オーフェリーに疑惑の目を向ける人は後を絶たない……」
「だーいじょうぶ。自分で言うのもなんだけど、私は国のお役人の家の出身で、士官学校でも五指に入る成績なのよ? クロード経由とは言え、殿下とも知り合いだし。それだけ立場のある人を、証拠もなしに無責任に叩き続ける度胸のある人なんて、なかなかいないわよ」
「でも……」
「大丈夫だって。オーフェリーさんを、信じなさーい」
 オーフェリーはおどけた調子で言って、ヴィルマを抱き寄せた。
「ただの噂だから。どんなに罵声を浴びたって、私は平気だから。だから、私をかばって変な事考えたりしちゃ駄目よ?」
 心中を見透かすようなオーフェリーの言葉に、ヴィルマは口をつぐむ。
 ヴィルマが魔女だと明かせば、オーフェリーへの疑念は晴れるだろう。彼女が魔女だと罵倒される事はなくなる。
 しかしそれは、今の生活を失う事、最悪、命を失う事を意味していた。
 ――魔女は火刑。それが、世界の理だ。
「あなたはもう、十分に辛い目に合ってきた。これからはその分を取り返さなきゃ。顔目当ての面倒なのもたまにいるけど、ルエラさんに、クロードとセリアに、町の人達――たくさんの優しい人達に囲まれて。王子様とも、いい感じの仲になっていて。
 今の居場所を、安易に手放しちゃ駄目よ。大切にしなきゃ。――あなたには、幸せになって欲しいのよ、ヴィルマ」
 オーフェリーの言葉は、ヴィルマの心臓を鷲掴みにするかのようだった。
 ヴィルマは返す言葉も見つからず、ただ、オーフェリーを抱き返す手にきゅっと力を込めた。


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2016.6.11

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