「指示があるまで、このまま待機との事です」
「うむ」
 部下の報告に、男は言葉少なにうなずく。遠くで、定刻を告げる鐘の音が鳴り響いていた。
 報告を終えた兵士は、自らの持ち場へと戻りながらぼやく。
「日付が変わったか……いつまでこうして待機しているつもりなんだ」
「人質がいますから、迂闊には動けないのでしょう。あちらから動きを見せない事には……」
「その『動き』が、要求物受け取りだとか平穏無事なものだといいんだけどな」
「そうですね……」
 同僚の言葉にうなずき、ティアナンは店の方を見やる。
 女性物の雑貨や衣類を扱った、街中でも大きな商店。店に押し入った男達は、現在捜査中の反乱組織の一味だった。客や店員を人質に取って店に立てこもり、もう六時間以上経過している。ティアナン達魔女捜査部隊も現場に駆り出されたものの、事態は一向に進展する気配がない。
「そろそろ、人質の体力も限界のはずです。無茶をするような人がいなければ良いのですが……」
 軍の部隊に包囲された店を見上げながら、ティアナンは呟いた。

 店の中は、陰鬱としていた。日付が変わるほどの長い時間。助けが来る様子はない。店の窓は全て締め切られ、通りに面したガラス扉にもシャッターが下ろされ、ヴィルマらが外の様子をうかがい知る事はできなかった。
 ヴィルマ達人質の見張りに二人、シャッターの下ろされた入口に二人、間に立つ一味のボスと思しき男と、その横で銃を構える男が一人。更に二人の男が、店の奥へと行っていた。
 店の奥に向かった二人の内、一人が戻って来る。ボスに何事か話すと、ボスともう一人の男をつれ、三人で店の奥へと消えて行った。
 ふと、客の一人が抱いていた赤ん坊が、火が付いたように泣き出した。監視の一人が、母親に銃を突きつける。
「うるせぇぞ! 黙らせろ!」
「す、すみません!」
 母親は子供をあやすように揺するが、張り詰めた空気を感じ取っているのか赤ん坊は一向に泣き止まない。
「貸せ! 俺が黙らせてやる!」
「いやっ……!」
 子供に銃を突きつけられ、母親は我が子を守るように背を向け抱きこむ。
 不意に、ヴィルマの隣でオーフェリーが動いた。
 スリットの間から太ももに巻き付けたタガーナイフを抜き取ると、入口の二人、そして母親と揉めている男へと投げる。入口の二人はバタリとその場に倒れ、赤ん坊に突きつけられた銃は先端が寸断された。
「な……っ」
 息をのむ男へと、オーフェリーは瞬時に迫る。男の右手を捻り上げると同時に強く引いて体勢を崩させ、足を振り上げる。踵をうなじに落とされた男は、どさりとその場に膝をついた。
「このアマ……っ!」
 もう一人、監視に立っていた男がオーフェリーへと銃を向けていた。セリアが悲鳴じみた声を上げる。
「オーフェリーさん!」
 ゴッと鈍い音がして、男はオーフェリーに向けた銃を取り落とす。昏倒したその男の背後に立っていたのは、植木鉢を手に肩で息をするヴィルマだった。
 オーフェリーは短く口笛を吹く。
「やるじゃない、ヴィルマ」
 ヴィルマはおろおろと、人質として床に座る店員達の方を見た。
「ご、ごめんなさい……商品、勝手に……」
「あ、いえ……大丈夫です……」
 店員は、ぽかんとヴィルマを見上げながら答える。大人しそうなヴィルマが彼らに歯向かおうとは、誰も思いもしなかっただろう。
 赤ん坊を抱えた母親が、涙を流しながらオーフェリーに頭を下げた。
「助けてくださって、ありがとうございます」
「あなた達、いったい、何者なの……?」
 別の人質の女が問う。オーフェリーは軽く肩をすくめた。
「ただの、一介の士官学校生です。さあ、皆さん、立って。他の仲間が戻って来る前に、外へ――」
「まさか、人質に軍人が混ざっていたとはな」
 低く唸るような声に、その場が凍てついた。
 店の奥から、ボスが三人の手下を従えて出て来る。
 オーフェリーは、タガーナイフを引き抜く。投擲される前に、放たれた銃弾がオーフェリーの手元を襲った。
「奥へ連れて行け。二人共だ。閉じ込めておけ」
 男達は、ヴィルマとオーフェリーを拘束する。セリアが、追いすがるように立ち上がった。
「駄目……! お願い、二人を連れて行かないで……!」
「うるせぇ!」
 ライフルで殴られ、セリアはその場に倒れる。
「セ――」
「駄目、ヴィルマ」
 叫びかけたヴィルマを、オーフェリーが制した。
「知り合いだってバレたら、セリアまでどんな目に遭わされるか分からない」
 オーフェリーの忠告に、ヴィルマは言葉を飲み込む。ただ、気絶したセリアを不安げに振り返るしか出来なかった。
 ヴィルマとオーフェリーが連れて行かれたのは、店の奥にある商品倉庫だった。乱暴に突き飛ばされ、ヴィルマは積み重ねられた箱の上へと倒れ込む。
「放しなさいよ! ――ヴィルマ!」
 自分を拘束する男を振り払い、オーフェリーはヴィルマの隣に屈み込む。
「ここで大人しくしてろ」
 冷たく吐き捨て、男達は外側から鍵を掛けて店頭へと戻って行った。
「くっ……銃さえあれば、こんな蝶番、吹っ飛ばしてやるのに」
 ヴィルマは、室内を見回す。窓はなく、あるとすれば換気用の通風孔のみ。小さな子供なら潜って抜け出す事もできるかも知れないが、ヴィルマやオーフェリーでは無理だ。
 オーフェリーは、何か役立つ物はないかと、商品の入った箱を開け物色していた。しかし、ここはただの衣類や雑貨の店。銃の代わりになるような物など無い。
 ヴィルマは、そっと自分の手を見つめる。
 ヴィルマは魔女だ。魔法を使えば、この部屋を脱出する事も可能かも知れない。もっと言えば、あの男達だって制圧出来るかも。
 ――でも。
『きゃああああ! いやっ、殺さないで!』
 恐怖に蒼ざめた女の顔が、空気と共にヴィルマの心をもつんざくような悲鳴が、脳裏に蘇る。
『魔女が何だ! そんな脅し、私には通用しないぞ!』
 振るわれた鞭。幾度も痛め付けらた痕は、今もヴィルマの服の下に青々と残っている。
 ――私が魔女だと知ったら、オーフェリーも彼らと同じように怯えるかも知れない。
 彼女なら大丈夫。
 マックス夫人の時も、そう思ったのだ。魔女だろうと愛してくれると、そう信じていたから、正体を明かした。
 その結果が、あれだ。
 過ごした時間など、それまでの信頼など、魔女には何も関係ない。魔女は、人間にはなれない。ただの猛獣とは違ってなまじ人と同じ知能がある分、どんなに親しい相手でも、騙しているのではないかと警戒される。
 ヴィルマには力がある。でも、それをオーフェリーに知られてしまったら……。
「……ヴィルマ?」
 店の在庫を物色していたオーフェリーは、ヴィルマへと駆け寄った。ヴィルマの手を取ると、そっと両手で包み込む。
「大丈夫。私達、きっと生きて外に出るわ。何があっても、ヴィルマの事は私が守るから」
 ヴィルマは無言のまま、オーフェリーに抱きついた。オーフェリーはあやすように、優しくヴィルマの背中を叩く。
「大丈夫……もう誰にも、あなたを傷付けさせたりはしないわ」
 オーフェリーの優しい言葉が痛かった。
 ヴィルマは、騙しているのだ。唯一無二の親友を。ヴィルマを信じ、守ろうとさえしてくれている、心優しい友達を。

 長い夜だった。緊張に張り詰めた空気に反して、チュンチュンと小鳥のさえずる声が聞こえ始める。東の空は白み、闇が薄れる。
 朝が来ようとしていた。
「私軍が到着したそうです」
 伝令の者が上官に報告するのを聞き、ティアナンは身を引き締める。
 私軍の到着。普段、王族を守る彼らの戦力は、国軍とは一線を画する。それは、朝日と共に訪れた希望の兆候だった。
「総員、用意!」
 ドンッと店の裏手で爆音が響いた。薄っすらとかかる靄の向こうに、黒く立ち上る黒煙。
 作戦開始だ。
 正面のシャッターが、内側から吹き飛ばされる。爆風の中から、人質と思しき者達がワラワラと駆け出て来た。
 ティアナンらは立ち上がり、彼女達の保護に向かう。
「こっちです! もう大丈夫ですよ!」
 店の中から、武装した男が出て来た。男は、ティアナン達を見ると手にした銃を構える。
 ティアナンは前へと飛び出すと、間にいる人質の女性を抱え込むようにして地面へと伏せる。二人の頭の上で、銃弾が行き交う。
 男が倒れ、ティアナンは女性を解放した。
「走れますか?」
 手を取り立ち上がらせながら、ティアナンは問う。女性はうなずくと、店の正面を取り囲む市軍の方へと駆けて行った。
 後を追って戻ろうとしたティアナンの肩を、一発の銃弾が撃ち抜いた。
 身を起こした男を、軍の者が撃ち倒す。ティアナンは血の溢れ出る肩を押さえながら、仲間達の元へと戻って行った。
「すまん、やり損ねてた。下がって、救護を受けろ。その状態じゃ、銃も持てんだろう」
「はい」
 ティアナンが応急措置を受けている間に、事態は収束したようだった。私軍の者達に連行され、武装した八人の男が店から出て来る。内四人は、負傷し気絶していて、魔法使いと思しき男が魔法で宙に浮かせ運んでいた。
「あの、さっきはありがとうございます」
 掛けられた声に、ティアナンは振り返る。先ほど、銃撃からかばった女性だった。
「いえ。お怪我はありませんか?」
「大丈夫です」
「ティアナン中尉、ご無事ですか」
 同じ隊の者が、ティアナンの元へとやって来る。
「我々魔女捜索部隊は、引き上げだそうです」
「そうですか。今、行きます」
 ティアナンは立ち上がる。報告に来た仲間は、連行される犯人一味の方を振り返った。
「私軍が来たら、あっと言う間でしたね。八人をこんな短時間で制圧してしまうなんて」
「四人ですよ」
 そう口を挟んだのは、まだそばにいた助けた女性だった。
「人質に取られた中に、士官学校生の女の子がいたんです。彼女が、犯人が別行動をしている間に、四人倒してくれて……彼女達も、無事逃げられたのかしら……」
「士官学校生の女の子……?」
「ええ。金髪で釣り目の子と、緑の長い髪の――」
「……オーフェリー」
 ティアナンは、ぽつりと呟く。
 そして、左右に首を巡らせた。怪我をして手当てをされている者、家族や恋人との再会を喜ぶ者、軍からの事情聴取に応える者。人質に取られていた者達の中に、オーフェリーの姿は見当たらない。
「中尉のお知り合いですか?」
「彼女達、犯人に抵抗した事で、奥に連れて行かれてしまったんです。無事だと良いのですが……」
 皆まで聞かぬ内に、ティアナンは駆け出していた。一味を収容車に乗せている私軍の者に、急き込むように尋ねる。
「オーフェリーは――店の奥に、女性が二人いませんでしたか!? 一人は金髪で、もう一人は緑の髪の――若い女性で――」
「店の奥なら、今、他の部隊が検めて――」
 彼の言葉を遮るように、爆音が地を轟かせた。
 振り返れば、店が燃え盛る炎に包まれていた。
「な……っ! 貴様ら、何を!?」
 私軍の一人が、首謀者の男に尋ねる。男は、つまらなそうに答えた。
「自爆するつもりで、店に時限式の爆弾を仕掛けていた。それが爆発しただけの事だ。まあ、今、中を調べているお仲間も、閉じ込めたままの女二人も、吹っ飛んじまったかこの火で焼かれちまったかもしれんがな」
 ティアナンは店へと駆け出す。慌てて追って来た私軍の者が、ティアナンを取り押さえた。
「君! 待ちなさい! ――早く水を!」
 ティアナンを羽交い締めにしながら、彼は部下に叫ぶ。
「中にはまだ、オーフェリーが! オーフェリー! オーフェリー――――!!」

 燃え盛る炎の中、ヴィルマとオーフェリーは店の奥の倉庫に取り残されたままだった。辺りを取り巻く煙に、ヴィルマはゴホゴホと蒸せ返る。
「ヴィルマ……待ってね。今、外に出してあげるから」
 隣で同じくハンカチで口元を押さえ身を低くしていたオーフェリーは、ふと立ち上がると煙の中へと消えて行った。直ぐにドン、ドン、と音が聞こえ、扉を破ろうとしているのだと分かる。
「この……っ、開きなさいよ……!」
 ヴィルマも手伝おうと立ち上がり、動きを止めた。ミシ……と聞こえた、幽かな音。
 オーフェリーは気付いていないのか、扉への体当たりを続けている。
 ――上。
 ヴィルマは咄嗟に、戸口のある方へと手をかざす。オーフェリーのいる方へと。
 大音量を轟かせ、崩壊した天井は二人の上へと降り注いだ。


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2016.6.4

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