青空の下、祝福の鐘が鳴る。緑の生垣に囲まれた庭には丸いテーブルがいくつも置かれ、温かなご馳走が並んでいる。
 それはマックスの屋敷でよく見た光景と似ていたが、ヴィルマの気持ちはあの頃とは全く違っていた。
 人々の輪の中にいるのは、二人の男女。
 瞳の大きな小柄な女性は、純白のドレスを見に纏っていた。ふわふわと巻かれたピンクベージュの髪は、頭の上にアップにしている。
 その隣に寄り添うのは、タキシードを着た金髪の男性。茶色い釣目は、オーフェリーとよく似ていた。
 クロード・ラランドと、セリア・ラランド。オーフェリーの双子の弟と、その妻となる人物。店でオーフェリーと知り合って以来、二人は親しくなり、彼女の兄弟の結婚式に呼ばれる程になった。
「ヴィルマーっ!」
「きゃあっ!?」
 赤いドレスに身を包んだオーフェリーが、後ろから勢いよく飛びついて来て、ヴィルマは小さく悲鳴を上げた。
「こんな隅っこにいないで、ヴィルマも皆とお話しましょーよ! ヴィルマの事気になってる人、結構いるみたいよ。魔女処刑人って疎まれる事も多いけど、一応は国のお役人だから、招かれてる男もよりどりみどり! いい男ゲットするチャンスよ、チャンス」
 熱くまくしたてる親友に、ヴィルマは苦笑する。
「いい男って……オーフェリーには、ティアナン中尉がいるじゃない」
「私じゃなくて、ヴィルマよ! こんなに美人なのに独り身なんて、もったいないじゃない。もう十九なんだから、もっと恋愛に目を向けてもいいと思うのよね」
「オーフェリーの友達かい?」
「俺達にも、紹介してくれよ」
 声を掛けてきたのは、先程までオーフェリーと共に輪の中にいた男性達だった。
「クロードの友達よ。学校のクラスメイトだったの。士官学校へ入る前は、私もクロードも、同じ学校に通っていたから」
 オーフェリーは、男性達を順々に紹介する。それから、ヴィルマを彼らに紹介した。
「この子は、ヴィルマ・マックス。ルエラさんの店で知り合ったの」
「ああ、先生の娘さんの」
「娘さんって歳じゃないけどな」
「先生?」
 ヴィルマはキョトンとオーフェリーを見る。
「ルエラさんのお父さん、私達の学校の先生だったのよ。私達の在学中に還暦を迎えて、今は隠居してるけど。いい先生だったのよ」
「……分かるわ。ルエラさんも、いい人だもの」
「ヴィルマさんは、どこの出身?」
 ヴィルマは、ギクリと表情を強張らせる。
 サントリナの滅亡から、五年。ヴィルマの名前から、リム国の者がそこに結び付く可能性が、どれ程あるだろうか。
 ヴィルマの変化に気付く様子もなく、彼はヘラリと笑った。
「皆、地元組だけど、俺だけ東部の生まれなんだ。進学に合わせてこっちに来て……」
「……北の方にいたわ」
「北部か。うん、何かそんな感じする!」
「どんな感じだよ?」
「ほら、こう、雪景色が似合いそうな……」
「あ、それは分かる」
「ヴィルマさんって、彼氏とかいる?」
「お前、単刀直入だな」
「何だよ、皆だってそれが気になってるんだろ」
「で? さあ、どっち!?」
 おどけた口調で、彼は問う。
 ヴィルマはじり……と後ずさりすると、くるりと背を向けて走り出した。
「あっ、ヴィルマ!」
「ほら、お前ががっつくから……」
「え、俺のせい!?」
 会場となっている広場を抜け、生垣の間をひた走る。喧騒が遠ざかり、人気のない小川のほとりまで来て、ヴィルマは歩を緩めた。
 彼らに悪気が無いのは解っている。ただ、どうして良いか分からなかった。マックスの屋敷では、人ならざるものとして扱われて来た。客人の前に出され褒めそやされる事はあれども、必ずそばにはマックス氏がいた。受け答えは基本的に彼が行い、ヴィルマは彼の指示に従うだけだった。マックス氏の機嫌を損ねないように。マックス夫人を怯えさせないように。ただその二つだけが、ヴィルマの行動原理となっていた。
 あの屋敷を逃げ出し、この町に来てもう一年以上経つが、それでもまだ、純粋な好意というものに慣れない。
 うつむきトボトボと歩いていたヴィルマは、突然視界に入って来た人の姿にビクリと肩を揺らし立ち止まった。
 生垣の陰に身を潜めるようにして、銀髪の男がうずくまっていた。硬直するヴィルマを見上げ、男は慌ててしーっと人差し指を口に当てる。
「あ、怪しい者じゃないんだ。私は、クロードの友達で……」
 ヴィルマは困惑して、会場の方を振り返る。新郎の友人が、何故こんな所に隠れているのか。誰かに伝えた方が良いだろうか。
「いや、本当! 本当だって! 頼むよ、見つかったら連れ戻されてしまうから――」
「連れ戻される?」
「おっと」
 銀髪の男は、慌てて口をふさぐ。
 誰かに追われているのだろうか。彼もまた、何処からか逃げ出して来たのだろうか。ヴィルマが、マックスの屋敷を脱け出したように――
「そろそろだな」
 不意に、腰に下げた懐中時計を確認し、彼は言った。ヴィルマはきょとんと目を瞬く。
 彼はニッと口の端を上げて笑うと、指を三本立てた。
「さん、に、いち――」
 彼の指が全て折られたその時、ゴーンと鐘の音が鳴り響いた。
 一時間前にも鳴っていた、時間を刻む音色。しかし今度は、それだけではなかった。
 生垣のそこかしこから、水飛沫が上がる。水と共に吹き上げられた花びらが舞い散る。水は霧となって庭園に散布され、花吹雪の向こうに虹を作り出していた。
「わあ……!」
 幻想的なその光景に、ヴィルマは思わず感嘆の息を漏らす。
「うん、そう言う顔している方がいいな」
 ヴィルマは男を振り返る。銀髪の男は、柔らかく微笑んだ。
「君、何だか、思いつめたような顔をしていたから。祝いの場なんだから、楽しむべきだ。美人は憂い顔も似合うけど、笑顔はもっと美しい」
 ヴィルマはパチクリと目を瞬く。そして、はにかみがちに微笑んだ。
「ありがとう……」
 普通なら、歯の浮きそうな台詞。それを彼は何の嫌味もなく、大仰でもなく、さらりと言ってのける。下心も感じさせない、むしろ気品さえ感じさせる彼の所作は、どこか懐かしさを覚えた。
「――マティアス! やっぱりこっちの方だったか」
 突如かけられた声に、銀髪の男はギクリと肩を揺らす。
 連なる生垣の角を曲がって現れたのは、クロードだった。その後ろには、暗い赤色の軍服に身を包んだ大柄な男もいる。街で見かける軍人の制服とは違う。何か特殊な部隊の所属だろうか。
「クロード……オゾン……ど、どうしてここが……」
「花吹雪と虹から、仕掛けの見える位置を絞り込んだんですよ。さあ、帰りますよ。マティアス殿下」
 オゾンと呼ばれた軍人の言葉に、ヴィルマは目を白黒させる。
「え……殿下って……」
 ヴィルマは、隣に立つ銀髪の男を振り返る。答えたのは、クロードだった。
「そいつの名前は、マティアス・リム。この国の王子様だよ」
 ヴィルマは、ぽかんとマティアスを見上げる。マティアスは、おっとりと穏やかな笑みを浮かべていた。
「クロードとは、子供の頃からの付き合いでね。親友の結婚を祝わない法はないだろう? なのにクロードってば、城に連絡してしまって」
「当たり前だ。黙って公務を抜け出して来たなんて、放っておける訳ないだろ」
 マティアスとクロードは、よほど親しい仲らしい。王子という立場も、二人の間には何ら溝にならない様子だった。
「殿下。そろそろ……」
「はいはい。じゃ、クロード、また後でな。――君、名前は?」
 親友に別れの挨拶をしてから、マティアスはヴィルマへと目を向けた。
「……ヴィルマ・マックスです」
 やや緊張しながら、ヴィルマは答える。
 サントリナとリムの間に、国交は無かった。それでも、王子ともなればヴィルマを知っているかもしれない。サントリナの暴動には、リムが手を貸していたのだ。討ち倒す相手の顔ぐらい、覚えていても不思議ではない。
 身を硬くするヴィルマとは対照的に、マティアスは朗らかに微笑った。
「良い名前だね。また会おう、ヴィルマ!」
 大きく手を振り、マティアスはオゾンと共に屋敷を去って行った。花吹雪の中遠去かる銀色の後ろ姿を、ヴィルマはぼうっと見つめていた。

「――で、それから本当に会いに来てるわけよね」
 からかい半分、感心半分の口調で、オーフェリーは言った。
「いい男ゲットするチャンスだとは言ったけど、まさか王子様捕まえるとはね。さっすが、朝露の君」
「な、何、その呼び名!?」
「知らないの? ヴィルマさん、街の人たちにそう呼ばれているのよ?」
 クスクスと笑いながら口を挟んだのは、セリアだった。
 クロードとセリアの結婚式から三年。ヴィルマ、オーフェリー、セリアは、三人で買物に出掛けていた。
「あっ。ねえ、見て! これ、可愛い!」
 オーフェリーは、道沿いの店に駆け寄る。そこは女性向けの衣類や小物を扱った店で、開け放たれた入口を入ってすぐの所にあるガラス棚には、小さなシルバーのペアリングが飾られていた。
「ティアナン中尉に贈ってもらったら? ついに婚約したんでしょ?」
 オーフェリーの後に続いて店へと入りながら
セリアが言う。
「そう! クロードとあなたの結婚で、考えてくれたみたい。順番的には私の方が姉なんだからって。籍を入れるのも式を挙げるのも、卒業後だけどね。ヴィルマは、そう言う話は出てないの? 嫌いなわけじゃないんでしょ、彼の事」
 思わぬ方向から話を自分に振られ、ヴィルマは口ごもる。
「それは……まあ……。でも、相手は王子様だし……」
「身分の違いなんて関係ないって! 向こうからアプローチして来てるんだし。ヴィルマが王妃になるなら、卒業後は私軍に入るのもいいわね。家が魔女処刑人だし魔女捜査部隊に入るつもりでいたけれど、トッシュも魔女捜査部隊だから……夫婦で同じ部署にはいられない決まりなのよね。そしたら、私、ヴィルマを護衛するわ!」
「オーフェリーったら……」
「よしっ! 私、これ買う! 店員さーん!」
 オーフェリーは、大声で店員を呼ばいながら奥へと向かう。
 会計を済ませて戻って来たオーフェリーは、小袋の片方をヴィルマに差し出した。ヴィルマは、目をパチクリさせる。
「……私? ティアナン中尉じゃなくて?」
「トッシュにはちょっと可愛すぎるもの。友達同士のお揃いで買う人も多いんですって」
 小さなハートマークが勾玉型に割れて半分ずつ付いた指輪。ヴィルマは、何度か会った事のあるトッシュ・ティアナン中尉を思い浮かべる。軍人の中では細身な方だが、可愛らしいものが似合うと言う訳でもない。
「じゃあ、お金……」
「いいわよ、そんな高いものじゃないし」
「でも――」
 パァンと響き渡った銃声が、ヴィルマの言葉を遮った。
 重い足音がバタバタと響き、店内に銃を手にした者達が駆け込んで来る。ヴィルマとセリアはオーフェリーに押し込まれるようにして、ガラス棚の陰にうずくまる。オーフェリーは二人をかばうように腕を伸ばしながら、棚越しに様子を伺う。
 随所で悲鳴が響き渡る中、先頭に立つ男が再度銃を発砲した。壁際の棚に陳列されたガラス細工が、パリンと繊細な音を立てて砕ける。
「奥に下がれ! まとまって座るんだ。妙な真似をしたら、命は無いと思え」
 オーフェリーは歯噛みする。いくら士官学校で訓練を受けているとは言え、一人で武装したこの人数を相手にすることはできないだろう。
 震えるセリアの肩を、ヴィルマはそっと抱く。
「大丈夫よ……きっと、軍の人達が直ぐに助けてくれるわ」
 北歴一七〇一年三月。サントリナ国の滅亡から九年。全ての惨劇の始まりとなる、反乱軍立てこもり事件の幕開けであった。


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2016.5.28

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