広間は、正装に身を包んだ貴族の者達で溢れかえっていた。壁沿いには長いテーブルが用意され、様々な料理がずらりと並んでいる。広間の奥では、娘を連れた何人もの貴族がディンを取り囲んでいた。
「なるほど。このために、帰って来いって言われた訳だ」
 アリーが、オレンジジュースの入ったグラスを傾けながら言う。
 ルエラ達一行もこのパーティーに呼ばれ、広間の隅からディンを眺めていた。アーノルドが、アリーの後に続ける。
「ディン君の事だから、こう言うのが苦手なんだろうね。それで、少し嫌そうな顔をしていた訳だ。
 ところでフレディ君、ディン君に付いていなくていいのかい?」
「ここはレポス城ですから。私軍と言う、専門の方々がいるんです。僕なんて、お呼びじゃありませんよ。今日は、ディン様に呼んでいただいた友人として、この場を楽しむ事にします」
「うん。ディンも、そうして欲しいんだと思うよ」
 アリーはうなずき、それからフレディを見上げ、少しからかうように笑った。
「でも、友達の事を様付けしたり、お堅い敬語使ったりなんてしないと思うけど?」
「う……砕けた態度に出るのは、やっぱり慣れなくて……」
「アリーさんは、気になさりませんのね。ディン様や私もですけど、あなたの国の王女であるルエラさんにまで」
「ま、僕は軍人でも何でもないから、逆に遠過ぎてイマイチ実感が湧かなかったと言うか……初めて会った時はお姫様だって知らなかったから、ってのもあるかな」
 アリーはルエラを振り返る。目が合い、ルエラはスッと視線をそらした。気まずい沈黙がその場に落ちる。
 沈黙を打ち破るように、パンとレーナが手を叩いた。
「さあ、せっかくですし、お料理をいただきましょう。見た事のないものばかりですわ。これは何ですの?」
「あ、ああ。ミートパイだね。中に、お肉が入ってるんだ。リムにもあるよ」
「では、あれは……?」
「ん? うわっ、うーん……」
 アリーは首を傾げる。フレディが口を挟んだ。
「プディングの一種ですよ。あれは、羊の内臓を詰めたものかな」
「な、内臓!?」
「うえぇー……」
 レーナ達は料理を一つ一つ見て回りながら、少しずつ皿に取って行く。
 テーブルに沿って歩いて行くアリーを見つめていたルエラに、声が掛かった。
「ルエラ王女!」
 ディンだった。ディンを取り囲んでいた貴族達も一緒だ。
「こちらは、リム国が王女、ルエラ・リム嬢だ。縁があって城の外で出会い、今は旅を共にしている」
「な……お、おい、ディン!」
 ルエラは声を潜め、ディンに制止の声を掛ける。ディンは素知らぬ顔で、ニコニコと貴族たちに応対していた。
「なんと……! これはこれは、お目に掛かれて光栄です、ルエラ王女」
「私、フィニバスの領主のギブソンと申します。汽車の路線でリムとの境の町の……」
「私は、レイナーです。いやあ、噂に違わずお美しい」
「バラードと申します。こちらは、娘のクリスティーン。それからもう一人、今日は来ていませんが息子もいましてね。息子の方は、ルエラ様やディン様と同い年ですよ。アルバートと言うのですが……」
 我も我もと矢継ぎ早に浴びせられる挨拶の嵐に、ルエラはにっこりと作り笑いを浮かべる。
「私も、皆様とお会いできて光栄です」
「ディン殿下とルエラ王女は、仲がよろしいのですね」
「ああ、公務を超えた仲だ。なあ、ルエラ」
「確かに公務外で会ってはいますが、その言い方では誤解を招いてしまいますよ」
「ハハハ、少し緊張しているらしい……痛っ」
 訂正する気のないディンの背中を、ルエラは強くつねる。
 ルエラとディンの様子には気付かず、貴族達の間では持ち上げが始まっていた。
「まあ、お名前で呼んでらっしゃるのね」
「さすが、お似合いでいらっしゃいますよ」
「いや、我々はそう言う関係では……」
「ルエラにも、リムがあるからな。ノエル王子とどちらが後継になるかは決まっていないようだが、こちらの都合を押し付ける訳にも……」
「ほう。将来まで考えていらっしゃるのですな」
 ――こいつ……!
 ルエラは、キッとディンを横目で睨む。
 ルエラにドレスを着せてこの場に招いたのは、これが目的だったらしい。舞踏会とは名ばかりの、実質、将来の王妃の選定会。娘を連れて押しかけた貴族達も、相手が王女では身を引かざるを得ない。下手に邪魔をして立場を悪くしないよう、手のひらを返して王子と王女の仲を祝福する。
 集まった貴族の中には、同盟国であるリムと直接の繋がりを持つ者もいるだろう。王子派と王女派で水面下の派閥争いが行われているリム国。ルエラを王座から遠ざけるために、王子を推すよう誘導する事もできる。
 ディンは、外堀から埋めに来たのだ。
(こんなくだらん理由に頭を悩ませられていたのか、私は……!)
 ルエラ・リムと言う、魔法を容易には使えない立場として城に招き入れ、部屋も戦えないレーナと二人、アリー達とは分断され。何を企んでいるのかと、よもやディンがラウとの内通者なのではないかと訝った。
 その真相は、あまりにも呆気ないものであった。
 ルエラはため息を吐き、ふと壁沿いの方へと目をやる。アリーがレーナ達から離れ、一人、中庭の方へと出て行くところだった。
(――アリー……)

 中庭には照明が設置され、雪と薔薇をほんのりと淡く照らしていた。雪の上には道に沿って板が敷かれ、慣れないヒールでも歩くのに支障はなかった。
 茂みの陰に置かれたベンチに、アリーはストンと腰かけた。
 大広間での光景が、脳裏を過る。リム王女として、レポスの貴族達に紹介されるルエラ。銀髪の髪をなびかせ微笑むルエラは堂々としていて、いつも一緒に旅をしているリン・ブローとは違う、遠い世界の人のように思える。
「ううん……実際、遠い人なんだ」
 リン・ブローは、旅をするための仮の姿。十年前に出会った時の、頭に白い布を巻いた少年姿にしても同じ。渡された白いハンカチに書かれた紋は、王族のもの。最初から、届く場所になどいなかった。
 立場を除いても、ルエラの眼中にアリーはいない。男とさえ見られていない。
「ま、こんな女みたいな男じゃ、仕方ないか……」
 身にまとう赤いドレスを見下ろし、アリーは苦笑する。もう、ヴィルマに名乗ってしまったのだから、女のふりをする理由はない。ドレスを持って来られた時も、訂正すればフレディやアーノルドのように男物の正装を用意してくれただろう。
 でもそれをしなかったのは、自信がなかったのかもしれない。王子に王女に魔法使い、本来ならばアリーなんかが言葉を交わす事もない人達。眩いほど輝く世界にいる彼らの隣に、本来の姿で並ぶ自信が。
「……アリー!」
 アリーは振り返り、目を見開く。
 ルエラが、薔薇の茂みの間を小走りにやって来ていた。
「ルエラ……!? ディンは?」
「置いて来た。まったくあやつめ、何を企んでいるのかと思えば……!」
 ルエラは、アリーの隣に腰かける。銀色の髪が揺れ、ふわりと甘い香りがアリーの鼻腔をくすぐった。
「……やっぱり、お前と一緒にいる方が落ち着くな」
「え……」
「貴族の相手は、堅苦しいし疲れる」
(――だよね! そう言う意味だって知ってた!)
 ルエラは、アリーを男として見ていない。特別な意味など、ありようもない。
「……貴族との比較でなくても、お前と一緒にいるとホッとするんだ。十年前の事があったからかも知れないな」
 アリーは目を瞬く。
 ルエラは視線を落とし、長い睫毛が揺れる。憂いを含んだ横顔は、彼女の美貌を一層際立たせ、殊更別人のように見えた。
「すまない。ずっとそばにいたのに、気付けなかった」
「え……いや、そんな事……僕だって、ノエル様がヴィルマ失踪から二年後に王子になったって聞くまで、あれはノエル様なんだって勘違いしてたし……!」
 アリーは慌てて話す。
「……勘違いしてたんだ。十年前に僕を救ってくれたのは、ノエル様なんだって。ずっと、憧れだったんだ。僕も彼のように強く優しくなりたいって。彼の役に立ちたいって。だから、僕、ルエラが魔女だって知った時、魔女がノエル様の近くに潜り込んでると思って……本当に、ごめん」
「気にするな。その話は、もうとうに終わった事だ」
「終わってない。あの時謝ったのは、今のルエラに対してだ。十年前からの、憧れの人だったルエラ王女には謝れていない」
 アリーはベンチを降りると、ルエラの足元に膝をついた。
「謝って許される事ではないのは、承知しています。でも、どうか……本当に、申し訳ありません。暗闇の中、そばにいてくださったあなたを、ずっと他の人と勘違いしていた事。そして、あなたを魔女だと糾弾してしまった事」
 アリーは、深々と頭を下げる。憧れ、崇めていた人をそうとは知らずに糾弾して。更には、守りたいと思った人なのに守られてばかりで。
 自分はいつも、もらってばかり。何も返せていない。
 柔らかな銀色の髪が、アリーの頬に触れた。ルエラはベンチを降り、アリーを抱きしめていた。
「ル、ルエラ!?」
「やめてくれ。私は、お前にそんな話し方はされたくない」
 寂しそうな声だった。アリーはうなずく。
「うん……ごめん……」
「それに、あの時救われたのは私の方だ。お前の言葉で、お前の笑顔で、私は救われたんだよ」
「え……」
 あの時、アリーはただ、泣いていただけだった。何か特別な事を言った訳でもない。特別な事をした訳でもない。ルエラが何の話をしているか分からなくて、アリーは戸惑う。
 ふっと、大広間の方から曲が流れて来た。ゆったりとしたテンポのワルツ。アリーは顔を上げる。
「あ、曲……ルエラ、いいの? 戻らないと、ディンが困るんじゃ……」
「ディンと踊るつもりなどない。戻ったって、きっぱりと断ってディンの顔に泥を塗る事になるだけだ」
「相変わらず、容赦ないなあ」
 アリーは苦笑する。
 権力、体力、知力。アリーの持たない全てを、ディンは持っている。彼なら、見劣りする事無くルエラの隣に立てる。彼なら、ルエラを守る術を持っている。
 しかし、ルエラの眼中にはディンの姿もないのだろう。
 あるのはただ一人、己の母親だけ。
 きっと彼女は、誰にも恋をするつもりはない。魔女と言う自分の業を、一人で背負う気でいる。結婚し、国を傾け、数多の犠牲を生む事になった己の母親の姿を見ているから、尚更。
 アリーは立ち上がる。そして、ルエラに手を差し伸べた。
「それじゃ、せっかくだし、ここで踊らない? お手をどうぞ」
 ルエラは目を瞬く。そして、クスリと笑い、アリーの手を取った。
「――はい」
 アリーはルエラの手を引き、立たせる。両手を繋ぐと、勢いよく回りだした。
「ちょ、ちょっと待て、これは、踊っているのか? ただ回ってるだけのような――」
「だって僕、ダンスの経験なんてないもーん。いーの! 楽しければそれで!」
「まったく……」
 曲のテンポも何も関係なく、二人はぐるぐると回り続ける。やがて目を回し、二人は雪の上へと倒れ込んだ。
「わっ」
「うわっ」
 雪の上に寝ころんだまま、二人はクスクスと笑い合う。
 ルエラはアリーを、男として見ていない。しかし、それによってアリーが彼女の心の拠り所になれるのであれば、それでも良いかもしれない。
「……大好きだよ、ルエラ」
「うん、私もだ」
 ルエラは何の含みもなく、あっけらかんと返す。
 アリーの寂しげな笑みは、茂みの間のほのかな照明では見て取る事は出来なかった。

 薔薇の茂みが植わる小道。中庭とも大広間とも離れたそこへは、大広間で流れるワルツも全く聞こえて来なかった。人気のない廊下を、ディンは一人、進んで行く。
 僅かに開いたままの木戸から、ディンは外へと出た。そこは城の裏手に当たり、闇の中、目の前には高い崖が迫っていた。崖の手前には、深い谷。
 ディンは、腰の剣に手を掛ける。
「――ディン様!」
 掛けられた声に、ディンは振り返った。
 フレディが、廊下から漏れ出る明かりの中に佇んでいた。
「レーナ様が、お探しでしたよ」
「ああ。今、戻る」
 柄から手を放し、ディンはいつもの軽い調子で話す。そして、谷の方へと呼びかけた。
「アーノルドさんも、戻ろうぜ!」
 闇の中から、アーノルドが姿を現す。フレディは目を瞬いた。
「アーノルドさんもご一緒だったんですね。こんな所で、お二人でいったい何を?」
「俺は、衛士からアーノルドさんがこっちに行ったって聞いたんでね。困るぜ、アーノルドさん。うちの城であまり勝手をされちゃあ。何かあったら、こっちの責任だからな」
「ごめん、ごめん。崖を近くで見たくてね」
「それならそうと言ってくれれば、案内してやるから」
 話しながら城内へと戻るディンとアーノルドの後ろ姿を、フレディはじっと見つめる。
 剣に手を掛け、足を忍ばせていたディン。それは、ただアーノルドを呼びに来たようには到底見えなかった。


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2016.1.23

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