「ルエラさん、ルエラさん! 見てくださいまし! 似合いますかしら?」
 部屋に着いて間もなく、使いの者がドレスを届けに来た。侍女の手伝いを断り奥の寝室で着替えていたルエラの元に、水色のドレスに身を包んだレーナが駆けて来た。
 レーナはスカートを軽く摘んで持ち上げ、くるりと一回転する。青色の髪が、ふわりと舞った。
「ああ、似合っているよ。髪、下ろしたんだな」
「メイドの方が、ドレスにはこちらの方が合うとおっしゃって。ルエラさんも、素敵ですわ。瞳の色によく合いますわね」
 翡翠色のドレスに身を包んだルエラを見て、レーナは言った。
「私、ドレスって憧れていましたの。ハブナの正装って着物ですから。お家によっては他国のような服装を主としているところもありますけど、王族となりますとやはり、伝統を守るべきだと言う事で……」
 ルエラは窓の外に目をやる。ルエラ達がいるのは高い塔の一つで、眼下には遥か下に大広間の広い屋根、正面には城を取り囲む白い崖が見えた。
 部屋を出ると、レーナとの共有スペースとなる談話室。暖炉には牧が焚かれ、足元には赤い絨毯が敷かれていた。
「先程の中庭、本当に見事でしたわ。ねえ、ルエラさん。よろしければ一緒に見に行きません事? この後はまた集まる事になっていますから、その後に」
「私はいいよ。一度見たし、規模は劣るがリムにもあるし……」
「では、お外へ行ってみます? 外にも薔薇が植わっているようですし、あるいは街に出てみるのはいかがでしょう。せっかくレポスの首都へ来た事ですし。ルエラさん、選ぶの速くて、先程はあまり見られませんでしたもの」
「私は今、特に買うものはないな……街中は私も詳しくないし、ディンにでも頼んだ方がいいんじゃないか?」
「では、ご本はいかがでしょう? レポス城にも図書室はあるでしょう? 室内なら、寒くもないでしょうし……」
「城の者に頼めば案内してくれるだろう。私はここで待っているから、行って来るといい」
 部屋の外に立つ兵士に声を掛けようと戸口に向かいかけたルエラを、レーナは慌てて呼び止めた。
「けっ、結構ですわ! 私、本を読みたい訳ではありませんもの!」
 ルエラはきょとんと振り返る。それでは、図書室へ何をしに行きたかったのだろう。
 レーナは、不服げな視線でルエラを見上げていた。
「買い物も、図書室も、私は、ルエラさんと一緒に行きたいと言っているのですわ」
「え……何故?」
 ルエラは確かにレポスに来た事はあるが、十年前の一度きりだ。そう詳しい訳ではない。ルエラと行くよりも、詳しい者に案内を頼んだ方が、ずっと効率が良いだろうに。
 レーナは何故か、呆れたように溜息を吐いていた。
「……ルエラさんって、お友達、いらっしゃらないでしょう?」
 ルエラは口をつぐむ。
 ヴィルマを追うため、一日も早く旅に出るため、子供時代は勉学に勤しんでいた。友達と遊ぶような機会など、全くなかった。
 レーナはふっと微笑んだ。
「では、私がルエラさんの友達第一号ですわね」
 少し照れくさそうに言うと、レーナはくるりと背を向け廊下への扉に手をかけた。
「さ、行きましょう。皆さんが待っていますわ」
 ルエラとレーナが案内されたのは、一つの両開きの大きな扉の前だった。以前にも来た事がある。ここは、王座の間だ。
 男性陣は既に来ていて、ルエラを見つけるなり赤いドレスに身を包んだアリーが大きく手を振った。
「ルエラー! こっち、こっち!」
「アリーさんもドレスですの?」
 レーナが目をパチクリさせる。
 ディンが、うんざりしたようにアリーを見やる。
「俺は、男三人ってちゃんと伝えたんだけどな……」
「数え間違えたのだと思われてしまったようです」
 フレディが苦笑しながら後を続ける。
 レーナはもう、アリーを見てはいなかった。チュニックやマントに身を包んだディンを見つめていて、ディンと目が合うとハッと我に返った。
「あ……あの、ディン様も、凄くお似合いで……!」
「本当、黙っていれば、見た目だけはいかにも王子様なのにな」
「悪かったな」
 ルエラの皮肉に、ディンはニヤリと笑う。
「殿下。そろそろ……」
「ああ」
 ディンは従者にうなずくと、ルエラ達を振り返った。
「親父に紹介させてもらう。でも、ま、そんな緊張しなくていいから」
「おっ、お父様に!?」
 最も場慣れしていそうなレーナが、上ずった声を上げる。
 扉は既に、開かれていた。ディンの後に続き、ルエラ達は広間に入り、王座の前へと進み出る。
「お待たせしました、父上」
 ころりと変わったディンの様子に、アリーが噴き出しかけ、堪える。同じくノエルの時に見ただけのフレディも、まだ慣れない様子だった。アーノルドは初めてだろうに動じずいつもと同じ笑顔な辺り、さすがなものだ。レーナは真っ赤になっていて、それどころではなかった。
 ディンは、ルエラ達を指し示した。
「こちらが、現在、旅を共にしている者達です。――まず、レーナ・ハブナ王女」
 名前を呼ばれ、レーナはびくりと肩を揺らす。
「ふっ、不束者ですが……!」
「おお、あなたが。ディンから話は聞いているよ。これも何かの縁だろう。どうぞこれからも、よろしく頼む」
 国王シャーリンは王座から腰を上げ、ルエラ達の所まで降りて来るとレーナに手を差し伸べた。レーナはカチコチになりながらも、その手を取る。
「それから隣が、ルエラ・リム王女」
 ディンの紹介に、シャーリンは目を丸くした。
「なんと……! 彼女の事も、あらかじめ教えてくれれば良かったものを」
 ルエラは、ディンを振り返る。ルエラが一緒だと、電話口で言ってしまったのではなかったのか。
 シャーリンは、ルエラにも手を差し出した。
「久しぶりだね。覚えているかね? 以前にも、お父君に連れられて訪ねてきた事があったろう。もう、十年も前か」
「ええ、もちろん。お久しぶりです、レポス国王」
 ディンを問い詰めてやりたい気持をグッと堪え、ルエラは微笑み、握手に応じた。

「どう言う事だ、ディン!」
 シャーリンへの挨拶を済ませ、ルエラらは男子部屋の談話室へと集まっていた。
 ルエラはディンを睨み据える。
「私が一緒だと、レポス国王に伝えてしまったのではなかったのか? 男装している事が知られぬようにと、この姿で来たのではなかったのか」
「悪い、悪い。俺の勘違いだったか、伝達漏れでもあったみたいだ」
「単に、ルエラのお姫様姿がまた見たかっただけなんじゃない?」
 アリーが茶化すように言う。
「別に、そう言う訳じゃ……」
「殿下。国王陛下がお呼びです」
 ノックと共に従者の声がして、ディンは戸口を振り返った。
「今、行く! んじゃ、そう言う事で……広間の準備が出来たら呼ぶから、それまでは自由にしてていいぜ。城内広いしちょっと入り組んでるから、部屋から出る場合には城のモンが案内するように言いつけてある。じゃーな!」
「あ、逃げた」
 そそくさとその場を立ち去ろうとしたディンは、アリーとぶつかった。パサリと、一枚のハンカチが床に落ちる。
 ――え……。
 ルエラは目を見開く。
 植物の蔓が枠のように刺繍された、白いシルクのハンカチ。
 何故、これがここに。
「ディン様。何か落とされましたわ」
 レーナがハンカチを拾い上げる。ディンは立ち止まりハンカチを見て、キョトンとした。
「いや、それ、俺のじゃないぞ。その刺繍って、リムの紋だろ? ルエラじゃ――」
「僕だ」
 レーナの手からハンカチを取ったのは、アリーだった。
「借りたんだ。十年前、暗闇の中で僕を見つけてくれた、大切な人から」
 アリーはハンカチを見つめ、短く言う。
 ルエラは愕然としていた。
 十年前、ヴィルマの凶行によって魔女への反感が強まり、ルエラは自分自身の存在意義を見失っていた。暗闇を彷徨うルエラに、生きていて良いのだと、出会えて良かったと言ってくれた小さな天使。
「まさか……お前だったのか……? 十年前に出会った、あの少女は……」
 アリーは顔を上げ、ルエラを見つめる。
 それから、少し寂しそうに微笑んだ。
「……うん。それじゃやっぱり、あの人はノエル様じゃなくて、ルエラだったんだね」


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2016.1.9

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