建物の間を吹き抜ける木枯らしが、埃っぽい土の匂いを運んで行く。大通りを離れ、入り組んだ袋小路のその奥、道の両側にはボロ布を張り合わせたようなテントが並び、そこにいる人々も擦り切れたぼろ切れだか何だか分からないような状態の服を身にまとっている。
 屋根の向こう、遥か遠くに見える城の尖塔を、女は苦々しげに見上げる。
 女がまとうのも、彼らと同じように擦り切れたマント。真冬の冷たい風が、容赦なく体温を奪って行く。
 本当ならば、自分はこんな場所にいるはずではなかったのに。古い城に居座って、若い男を食らって。誰にも命令される事なく、魔女だとバレないかとビクビクしながら人間に媚びへつらう事もなく。
 ギリ……と歯ぎしりし、そしてハッと女は振り返った。
 砲撃のように襲い来る大量の水を、女は横っ跳びに避ける。建物の陰から出て来たのは、青いコートに銀髪の少年。翡翠色の瞳が、女を正面から睨み据える。
「やっと見つけたぞ、イオ・グリアツェフ……!」
 それは、シャントーラの城で出会った魔法使いの少年だった。イオをこんな惨めな逃亡生活へと追いやった、全ての元凶。
 少年の声が合図になったかのように、四方八方の物陰から少年少女が姿を現わす。ソルドへ向かう途中、再び遭遇した時に、彼と共にいた者達だ。
「まさか、宮廷の賢者様がスラム街なんかに出向いてくれるとはね……」
「降伏しろ、イオ・グリアツェフ。貴様は包囲されている」
「はい、分かりました……なんて、私が言うと思う?」
 イオは、ルエラへと掌を突き出す。イオの足元から生えた蔓が、ルエラへと襲いかかる。蔓はルエラに届く前に、フレディの炎によって灰と化した。
 想定済みだ。相手の魔法使いの能力は、水、火、風。人間二人は、取るに足らない。
 イオは、タンと足を鳴らす。イオを取り囲むように生えた蔓は、屋根に届く高さまで伸び、絡み合い、あっと言う間に路地を埋め尽くした。蔓はうごめき、それぞれが意志を持つかのようにルエラらを攻撃する。
「くっ……こんなに遮蔽物があっては、私の風が届かない……!」
「焼き尽くします!」
「よせ! 俺達まで、火に飲まれる!」
 ディンが、剣を振るいながら叫ぶ。
「ならば、切る!」
 氷の剣山が、ザクザクと蔓を切りながら、イオへと迫る。
 切られた蔓の合間から、ルエラの姿が見えた。ルエラの隣、少し離れた場所には、アリー。武器も持たぬ、ただの人間。
 切断された蔓の一本が急激に伸び、アリーへと襲い掛かる。
 蔓が、アリーの胸を貫く。
 イオは目を見開いた。その勢いを弱める事なく眼前へと迫る氷の槍を、間一髪で避ける。
 湿った地面の上を転がり、イオは立ち上がった。ルエラはアリーを助け起こしつつ、こちらを油断なく見据えていた。
「貴様、よくも……!」
 イオは薄く笑う。
「茶番はいいわ……あなた、いったい誰なの?」
「……何を言っている?」
「この中で、一番弱そうなその娘が襲われる事なんて、想定できた事でしょう。あの距離なら、かばう事もできたはず……その坊やはね、その娘と同僚が殺されるくらいならと、自ら私に食べられようとしたような子なのよ。仲間を助けるよりも敵に止めを刺す事を優先するなんて、あり得ない」
 真一文字に結ばれていたルエラの口元が、三日月形に歪んだ。
「……お見事!」
 ルエラは立ち上がる。その背は低くなり、髪はその跳ねるような癖が収まって、肩の上ほどまで伸びる。そうしてそこに立っているのは、瞳と髪の色こそ同じものの、全く別人の少年だった。
 少年はイオを見上げ、いかにも高慢な笑みを浮かべた。
「合格、かな。いいよ、力を貸してあげよう」
 少年は、にっこりと微笑った。
「彼女達に仕返しがしたいんだろう? 他にも送り込んでみたけど、彼だけじゃちょっと心許ないからね」

「デシー少尉!」
 掛けられた声に、女は振り返る。暗い赤色の軍服を身にまとった若い兵士が、駆け寄って来た。四角い前衿が特徴的な軍服は、宮廷で王族を守る私軍の証。
 女もまた、同じ服を身にまとっていた。
「ブィックス少佐がいらしていますよ」
「あら、ありがとう」
 微笑み、戸口へと向かう。そこに待つのは、端正な顔立ちをした金髪の青年。彼もまた私軍の軍服に身を包み、軍属魔法使いである事を表す腕章をしていた。
「やあ、少尉」
「どうなさったんですか。少佐は先日の暴動鎮圧でお忙しかった分、お休みをいただいているはずでは?」
「君に会いたかったでは、理由にならないかい?」
「また、少佐はお上手なんですから」
 女は、口元に手を当てて笑う。
 ブィックスは、バツが悪そうに頬を掻いた。
「……まあ、実のところを言うと、暴動の前にブロー大尉がハブナを発ったと言う連絡が入っていてね。彼はいつも、姫様のご帰還に合わせているから。いつ姫様がお帰りになるのかと思うと、気が気じゃなくてね……」
「ふふ。少佐は本当に、姫様がお好きなんですね」
「そりゃあ、もちろん! 姫様をお守りするのが、我々第三部隊の使命だからな」
 ブィックスは、誇らしげに胸を張る。それからフッと真剣な顔つきになり、廊下の窓から城下を見下ろして言った。
「それに今の、この情勢だ。無事にお帰りになれると良いが……」
「そうですね……」
 女は神妙な面持ちでうなずき、ブィックスの隣に並んで窓の外を見下ろす。
 繊細な彫刻の施された建物の並ぶ、美麗な街。城から見下ろす景色は美しいものしかなく、人はひどく小さく見えた。


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2015.12.26

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