「何だ、ここは……」
 ルエラは、霧の漂う薄闇の中に倒れていた。身を起こし、困惑顔で辺りを見回す。
 ジェラルドの姿はなかった。それどころか、アリーやディン達の姿も見当たらない。石の屋根と木の壁で出来た建物が並んでいた通りは、イバラと霧の他には何もない空間と化していた。
「アリー! ディン! いるのか!?」
 張り上げた声は、霧に吸い込まれるように消え行く。
 返答は、無い。
 ここがラウ国なのだろうか。ルエラは転移させられてしまったのだろうか。
 思案し、いや、とルエラは首を振る。屋根の上で見た魔法陣は、赤色に光っていた。転移魔法ならば、魔法反応は青色だ。
「すると、ここはいったい……」
「どなたですの?」
 凛とした高い声に、振り返った。
 辺りを覆うイバラ。ぼんやりと漂う霧。その中から姿を現したのは、鮮やかな青色の髪を持つ少女だった。
 ルエラは息をのむ。
「あなたは……!」

 ルエラが消えた。目の前で起こった事象に、アリーは大きく動揺していた。
 屋根の上に立つのは、長い茶髪を風になびかせた魔法使いの青年だけ。ジェラルドは口元に笑みを湛え、魔法陣の上の鏡を拾い上げる。
「ルエラ!? お前、ルエラに何を……!」
 通りの中でも一際高い建物を振り仰ぐアリーを、蔓が襲った。地面へと突き倒したアリーを、蔓は組み伏せるように絡み付く。
「駄目よ、お嬢ちゃん。よそ見なんてしちゃあ」
「くっ……」
「アリー! ……う、わっと」
 駆け寄ろうとしたディンを、炎の渦が取り囲む。同じように気を取られたアーノルドも、アンジェラに見えない重石に押し潰されるようにして取り押さえられる。フレディはと言うと、ただただ呆然と佇み、屋根の上に立つ兄を凝視していた。
 同じだ、とアリーは思った。ルエラが王女だと、ヴィルマの娘なのだと知ったとき。アリーはショックですぐには動けなかった。フレディもまた、衝撃にその身を支配されてしまっている。
「人間ごときが魔女に抗おうなんて、身の程知らずもいいところだわ」
 レダが、呆れたようにため息をつく。それから、己が上司を振り仰いだ。
「ヴィルマ様。彼ら、どうします?」
「そうねぇ……殺しちゃってもいいけど、あの子達が言う事を聞かない時のために、奴隷として連れ帰っておくって手もあるわね」
 ヴィルマは、 炎に囲まれたディンと、地面に突っ伏したアリーを、品定めするように交互に眺める。
「人質は二人も要らないわ。腕が立ったり頭が切れる人間だと、結託されてしまう恐れもあるし。見せしめにもなるし、一人はこの場で片付けておきましょう」
 アリー達の間に、戦慄が走る。
 ディンを取り巻く炎のが、ゆらりと揺れた。
「こちらの人間はどうでしょう? 燃やし尽くしてしまいたい……」
 ウズウズとした様子でレダが言う。
「……駄目!」
 アリーは咄嗟に叫んでいた。
「ディンは、レポス国の王子なんだ! 彼が殺されたら、困る人がたくさんいる!」
「おい、アリー!」
 ディンが叫ぶ。ヴィルマ達は、顔を見合わせた。
「もしその話が事実なら、人質としての価値は彼の方が高いわね……」
 ヴィルマは、ちらりとアンジェラの方を見た。建物の一階から飛び出した屋根に佇むアンジェラ。その下で地面に転がるアーノルド。ヴィルマをじっと見据えるアーノルドの周りは、地面が円形に凹んでいた。アリーも身に受けた事のある、物体的魔法と言うもので上から押さえつけられているのだろう。
「……っざけんな!! アリー! てめぇ、何考えてんだ!? 自分から殺されるような真似するなんて、馬鹿か!?」
「僕よりディンの方が強い」
 地面に倒れ伏したまま、アリーは静かに言った。
「ディンは剣も使えるし、頭も切れる。ルエラ達以外に対しても人質として使えるって分かれば、そう簡単には殺される事もないだろう。僕よりも、ディンの方が生き延びる可能性がずっと高いんだ」
 ディンは武器も立場も、何も無いアリーよりも、ずっと価値のある人間だ。敵にとっても、自分達にとっても。
 アリーは顔を上げ、ディンを振り返る。その瞳は、まっすぐにディンを見据えていた。
「……ルエラや皆を頼む」
 怯えるでもない、強い意志を秘めたその瞳。ディンは言葉を失う。
 ヴィルマの口元が、三日月型に歪む。
「お友達のために自ら命を投げ出す。美しい自己犠牲だ事。それじゃあ、お望み通りあなたを殺してあげるわ。せめてもの手向けに、何か言い残した事がないか聞いてあげる」
「フン……ずいぶん優しいんだね。それじゃ、一つだけ」
 アリーは口の端を上げて笑う。そして、キッとヴィルマを睨んだ。
「お前への質問だ、ヴィルマ。もう一度聞く。どうして、僕の父さんと母さんを――クロード・ラランドとセリア・ラランドを殺した? 魔女処刑人だったからか?」
 ヴィルマの紫色の瞳が、みるみると見開かれていく。驚愕に満ちた顔で、彼女はアリーを見下ろしていた。
「あなたは……まさか……」
「アリー・ラランド。こんななりだけど、クロードとセリアの一人息子だよ」
 目の前の魔女を見据え、アリーは言い放った。
 ヴィルマの目をごまかすため、親戚達の苦肉の策としてさせられた女装。ヴィルマに捕らえられ殺される事になった今、最早、素性を隠す事に意味はない。
「そう……そうなの……やっと……やっと、復讐を果たす事が出来るのね……!」
 ヴィルマは、喜びに酔いしれていた。
「復讐だって……?」
「本当は、あなたを先に彼らの目の前で殺したかったのだけど。今となっては、仕方ないわね」
「どう言う事だ? 十年前の事件は、ラウに忠誠を示すためじゃなかったの?」
「きっかけはそうね。でも、あなたの両親……クロードとセリア、そしてティアナンは別だわ。オーフェリーを殺した彼らは、この手で始末してやりたかった……」
「ティアナン……? ティアナン中佐の事? 彼も殺そうとしたの?」
「ええ。あの人に目撃されて、護衛のプロスト少将と戦闘になってしまったから、逃してしまったけれど。でも、彼もいずれは……」
 ヴィルマの瞳の奥には、復讐の炎が燃えていた。
 ヴィルマは、肩にかかった緑色の髪をさらりと払う。
「さて……質問の答えね。あなたの両親は、私の大切な人を殺した。自分の姉にも関わらず、魔女として処刑した。これで、十分かしら?
 あなた自身に怨みは無いわ。でも、彼らの子供であるあなたを生かしておきたくない。だから、ここで死んでもらうわ」
 ヴィルマは冷たい瞳で、アリーを見下ろす。アリーは、その双眸を睨み返す。
 アリーの頬を、一筋の汗が伝った。
「さようなら、クロードとセリアの忘れ形見さん」
 ぞぞ……と蔓がアリーの身体を這うように動く。蔓は首へと伸び――そして、突如として現れた炎により、一瞬で燃え尽きた。
 アリーは即座に立ち上がり、身構える。
 レダの炎の中から、フレディが飛び出してくる。炎を抜け出すとフレディはマントを広げ、その内側にかばっていたディンを解放した。放たれた火炎に、二人は左右へと飛び退く。
 レダの炎を回避すると同時にフレディは身を捻り、アンジェラへと火炎を放つ。アンジェラは飛び退き、アーノルドも解放された。
 フレディは、その場に膝をつく。レダの炎へと自ら突っ込んだフレディは、ボロボロだった。
「フレディ! 俺達と戦うつもりか? その少年はレポスの王子だと言ったな? 俺達の親は、村の皆に、魔女は狩るべしとする国に殺されたんだぞ!」
「……お父さんやお母さんには、生きていて欲しかったよ。顔も覚えていないけれど、それでも僕の親だ。魔法使いは崇めながら、魔女は処刑の対象とするこの世界も、おかしいと思う。でも僕は、だからって村の人達を、魔法の使えない人達を憎み切る事は出来ない。村の皆の優しさが、怯えや誤魔化しからの偽物だったとしても」
 それに、とフレディはディンをちらりと見て言った。
「僕は、レポスの軍人として王子様を助けたんじゃない。彼は、僕の友達だ。アリーも、アーノルドさんも、そしてルエラ様も。僕の友人を傷付けようとするならば、例え相手が兄さんでも僕は戦う」
「フレディ、お前……」
「そうか……それが、お前の答えか」
 ジェラルドの話す声は、淡々としていた。
「残念だよ。お前はもっと、賢い弟だと思っていた」
 フレディとジェラルドの炎がぶつかり合う。追突した炎は弾け、四散した。飛んで来た火の粉に、アリー達は飛び退く。
 火の粉は、通り沿いに並ぶ建物へも飛んだ。パチパチと立ち上る煙。フレディの瞳に、恐怖の色が浮かぶ。
 ジェラルドはクツクツと笑っていた。
「こりゃあ、いい。まるでシャルザが燃えたあの日のようだな、フレディ? 俺達の再会にぴったりじゃないか」
 フレディはジェラルドに背を向け、建物の方へと駆け出す。
 三歩と進まぬ内に、炎が風に吹き消された。
「やれやれ、君達も頑張るね。私もまだ身を引くわけにはいかないようだ」
「アーノルドさん!」
 アーノルドが立ち上がり、建物へと手をかざしていた。辺りに飛んだ火の粉を、次々と吹き消していく。
「ありがとうございます……!」
「礼には及ばないよ。ただ、こちらは気にしないで……と言いたいところだけど、可能な限り気をつけてほしいかな。飛び火しないように風で消すのって、結構難しいんだ」
「――何ですって!? それは、確かなの!?」
 突如、ヴィルマが叫んだ。
 ヴィルマはアーノルドの言葉に返した訳ではなかった。虚空を見つめ、まるでそこに誰かがいるかのように一方的に話していた。
「どう言う事!? 私は、何のために――今から私も、そっちへ行くわ」
「な……っ。おい、待て!」
 アーノルドが叫ぶ。青い光がヴィルマを包む。キンと言う短く高い音。そして、ヴィルマはその場からいなくなった。
「お待ちください、ヴィルマ様!」
 後を追うようにして、アンジェラが姿を消す。
 ジェラルドは、狼狽したように辺りを見回していた。
「な……っ。レダ! 俺達は――!?」
「逃がすかよ!」
 ディンが、レダへと斬りかかる。身を引くレダの背後にアリーが回り込み、肩と腕を取り組み伏せる。
 フレディは、屋根の上に立つジェラルドへと火炎を放つ。咄嗟に避けたジェラルドの腕から、鏡が滑り落ちた。
 一瞬が、何秒もの間に感じられた。二人の少女を写した鏡が、地面へと落ちていく。アリーはレダを手放し、鏡へと駆け寄る。屋根の縁を越え、窓を越え、みるみると地面へと近付く鏡。地を蹴り、身体を前へと倒しながら目いっぱい手を伸ばす。
 ガシャンとあまりにも軽い音を立てて、鏡はアリーの指先で割れた。
 連続する耳鳴りと青い光で、ジェラルドやレダが逃げたのが分かった。しかし彼らを気にする余裕もなく、アリーは地面に散乱した鏡の破片をただただ呆然と見つめていた。


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2015.6.27

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