翌朝、まだ夜も明けぬ内に、一行は首都ビューダネスを後にした。白い家並みと中央にそびえる城のシルエットが平原の向こうへと遠ざかって行くのを、ルエラは汽車の窓からぼんやりと眺めていた。
始発の車両に、ルエラ達五人以外の姿はない。五人の間に会話はなく、車両の空気は重く沈んでいた。
昨晩、アリーらと再び顔を合わせるなり、ルエラは頭を下げ謝った。
「すまない。詰めが甘かった。私が、軍を呼んだばかりに……」
謝ったところで、ララ達が戻って来る訳ではない。それでも、謝らずにはいられなかった。
「やめてよ……ルエラが謝るような事じゃない。僕達に、力が足りなかったんだ。相手は国の機関。軍も一枚噛んでいた。ルエラの呼んだ応援がなければ、僕達皆、あの研究所で殺されていたかもしれない」
ルエラは、ゆっくりと頭を上げる。それでも、思い詰めた表情でうつむいたままだった。
「本当に魔女を助けようと思うなら、あんな中途半端な真似しちゃいけなかったんだ。立場も居場所も全て投げ打つつもりで、あの子達と一緒に逃げなきゃいけなかった。……僕達には、それができなかった」
アリーの声は、震えていた。
朝になり、駅で合流したアーノルドは、「残念だったね」と一言、そう、静かな声で言っただけだった。
汽車の後方から、日が昇り始める。線路の横には、川が流れている。赤く染まる水面を眺めていると、フレディが沈黙を破った。
「乗車客の少ない内に再度、今後のルートを確認したいのですが、良いですか?」
フレディは、地図を取り出しながら問う。ルエラはうなずいた。アーノルドも、フレディらの後ろの席から覗き込む。
「レポスまでは、汽車があります。ハブナへ向かうルートは三種類。一つ目は、レポスとハブナを東西に分かつ山脈を越える道。二つ目は、山脈の南側に構える小国、フゴを横断する道。そして三つ目が、僕達が行こうとしている、海路でフゴを迂回し直接ハブナに入る道」
折り畳まれた地図を広げ、指でなぞりながらフレディは話す。
北方大陸は、T字に構える大山脈に、大地を大きく三つに分かたれている。
まずは、大陸の中央を東西に走る山脈。この山脈の端が、リムの北側に位置する。ソルドや、かつてのラウ国の地は、この山脈を挟んで北側にある。さすがに東の海沿いには平原が広がっており、前回、ルエラ達がソルドへ向かう際に取ったのはその道だった。
そして東西に走る山脈の中央から、南へと伸びる山脈。レポスの西側の国境ともなるこの山脈は、北の山脈よりも厚く、人の手が入らぬ険しい道が続いていると言う。天候が変動しやすく激しい雷雨も多いこの山を、越えようと言う者はいないだろう。
レポスの西側、山脈の向こうにハブナはあった。ハブナの国土は、リムとレポスを足してようやく並ぶかどうかと言う程に広い。北方大陸の中でも、最も広大で最も豊かな大国だった。
「フゴって、これ? こんな川だらけの土地が、国なの?」
山脈の南側を、アリーは指で差す。山から流れ出た川は幾筋にも分かれ、小さな国は国土のほとんどが川となっていた。
「ああ。フゴは、ほぼ川の上にあるみたいなもんだ。国を横断しようとしたら、幾つもの船を乗り継がなきゃならない。それよりは、レポスの港からハブナまで行った方が早いからな。ハブナの首都も、中央寄りだし」
地図を見つめ、ルエラは腕を組む。
「心配なのは、ハブナに入ってからだな。山の向こうになる国とは、ほとんど関わりがない。まあ、これだけの大国なら、汽車ぐらいはあると思うが……」
「ハブナも、リムやレポスと変わらないよ。汽車もあるし、大きな街に行けば車も走っている」
そう口を挟んだのは、アーノルドだった。
「違う点と言えば、木造の建物が多い事かな。自然の豊かな国だからね。それから、服は見慣れないなら珍しく感じると思うよ」
「アーノルドさん、ハブナへ行った事があるの?」
アリーが、目をパチクリさせてアーノルドを見上げる。
「住んでた事があるんだ。私達がこれから行こうとしている首都じゃなくて、もっと東の端の方にある小さな村だったけどね。……もう、ずっと昔の事だよ」
アーノルドはいつものニコニコ笑顔だったが、その目はどこか遠くを見つめているように思えた。
ハブナ国王女の失踪疑惑。今回の旅は、急を要するものだった。当然、宿に泊まるような暇はなく、一行は休む事なく先を急いだ。朝から晩まで汽車を乗り継ぎ、汽車の走らない地域や時間は、時に馬車、時に徒歩で次の駅のある街へと向かう。
船で海路へ迂回しハブナに入ると、しばらくは徒歩の旅だった。アーノルドの話ではハブナにも汽車はあるようだが、いかんせん国土が広い。首都から離れた辺境の地までは、線路が引けていないようだ。
金色の背の高い作物が実る間の細道を、ルエラ達はひたすら前へと進む。家屋は少なく、時折、何軒かの家が固まった集落が作物の向こうに見えるのみだった。
「謀叛があったと言うのに、随分とのどかなものだな」
「この辺りは、首都から遠いからね。汽車も通っていなくて、人の行き来も少ない。首都での出来事なんて、遥か遠い世界なんだと思うよ。それこそ、ヴィルマみたいな魔法で移動し放題の魔女が現れれば、話は別なんだろうけど」
「そうか、魔法!」
後ろで叫ぶ声が重なり、ルエラは振り返った。自らの足で進む事になり、ディンとアリーは遅れ気味になっていた。疲労に満ちていた二人の表情がパッと明るくなり、小走りにルエラ達に駆け寄る。
「こんなに長々と歩かなくても、移動魔法をつかえばすぐじゃねぇか!」
「悪いが、それは無理だ」
二人の希望を砕く事を心苦しく思いながらも、ルエラは答えた。
「私は移動魔法を使えない。フレディやアーノルドさんがどうなのかは分からないが、いずれにしてもこのメンバー全員が目的地へ魔法で移動する事は出来ない」
「なんで? 確かに青い光と音は発生するけど、別に目立つって程のものじゃあ……」
「術者自身以外の人を移動させるには、あらかじめ陣を用意する必要があるんです」
そう口添えしたのは、フレディだった。
「僕も移動魔法は使えないので、書物からの伝聞ですが。移動先と現在地の二箇所に魔法陣を用意し、陣から陣へ飛ばす必要があるそうです。陣がなくても可能ではあるようですが、不完全で、手足のみ、身体は移動したものの魂は行方不明など、リスクが高まるようです」
「そっか……僕の街であった火事は、火だったから移動出来たんだ……。あれ、でも、パティを追う時……」
「あの時は、あらかじめ広場の外に魔法陣を用意していた。魔女が逃げ出す事は、想定の範囲内だったからな」
「研究所の北軍は?」
「あれは、先にオゾンが一人で来て、魔法陣を用意したんだ。だから、我々だけで先に動かなければならなかった」
「でも、魔法使いが先に移動して魔法陣を作ればいいなら……」
「そこは、魔法使い間でのモラルの問題だな。あちらはリムだったし、悪事を取り締まるという大義名分があったが、ここは異国の地だ。勝手に進入口を築くわけにはいくまい」
「他国だろうとお構いなしにホイホイ移動魔法を使っているのは、ラウの者達ぐらいだろうね」
「うぅ……そう言うものかあ……」
アリーは肩を落として呻いた。
昼も、夜も、ルエラ達は休まず歩き続けた。時折、仮眠を含めた小休憩を挟んだが、足を止め身体を休めていると、ララ達の事が思い起こされた。
ルエラらにひどく懐いていた子供達。地下の研究所の悪行を暴き、救い出せたと思っていた子供達。
『あなたが魔女をかばってはいけません、ルエラ・リム王女』
オゾンの言葉が、胸中に蘇る。
朝靄の中、不意にルエラは立ち上がった。隣で眠っていたアリーが身じろぎする。
「うーん……もう行くのー……?」
「ああ。支度をしてくれ」
「うげ、三十分しか転がってないじゃねーか」
懐中時計を開いたディンが不平の声を上げる。
「悪いな。少なくとも、私は先を急がなければならない。お前達は後からでも良いから」
「行く行く、行きますって」
ディンはのそのそと起き上がり、身支度を始める。
コートを羽織り、少ない荷物の入ったトランクを持つルエラに、フレディが歩み寄った。
「大丈夫ですか? ルエラ様、眠っていないでしょう」
「それはお互い様だろう」
短く答え、歩を踏み出す。
「何を、そんなに焦っておられるのですか」
ルエラは怪訝げな顔をして振り返る。
「何を……って、ハブナの王女が……」
「違います。本当に急ぎの用ならば、せめてレポスまでは道を短縮出来るよう、オゾン中将の移動魔法を使わせたでしょう。リム国王は、そこまでする任務ではないと判断しているのではないですか。
休養もまともに取らず、ただ前を急いで、あなたは何をそんなに焦っているのですか。どうしてそこまで、自分に鞭打つような真似をなさるのですか」
ルエラは黙り込む。少し離れた所では、髪を梳かすアリーをディンが文句を言いつつ急かしていた。
「……オゾン中将が仰っていた事を、お気になさっているのですか。魔女は火刑にするべきだと……」
「気にするも何も、彼は当然の事を言ったに過ぎない。魔女は火刑、それが世界の理だ」
「それは――」
「行こう。話は歩きながらでも出来る」
ルエラはふいと背を向け、歩き出す。
「えっ。あっ……ディン様! アリー! ルエラ様が……」
「えっ、ちょ、待っ……」
「もう、髪なんかどうでもいいだろ! ほら、行くぞ!」
「うわああっ、何するんだよー! ぐしゃぐしゃ……」
「男が髪なんかにこだわってるんじゃねーよ」
「ディンはいいよ、元々サラサラだもん。僕やルエラみたいだと、ちゃんと梳かさなきゃこんがらがっちゃうの! ね、ルエラ!」
「私は……旅の間は、短くしているからそこまでは……」
「よしっ。アリー、お前、その髪切れ!」
「イ・ヤ・でーす!」
ディンとアリーのやり取りで、フレディの問いへの答えはうやむやになった。ルエラは口を真一文字に結び、真っ直ぐに正面を見据えて歩みを進める。
ルエラ自身も、疲労が溜まっていないと言えば嘘になる。身体は重く、脚は棒のようだ。旅に慣れたルエラでもこれなのだから、アリー達の体力はもう限界だろう。
――それでも、私は歩みを止める訳にはいかない。
ルエラは魔女だ。本来ならば、ララ達と同じく火刑に処されるべき存在。それをこうして正体を隠し生き延びているのは、ひとえにヴィルマの追跡のため。その目的を見失えば、ルエラは生きる意味を失ってしまう。
ルエラに出来る事があるならば、必要とされる事があるならば、惜しみなく力を尽くしたい。尽くさなければならない。例え、どんな目に遭おうとも。それが、ルエラが生かされている意味なのだから。
リム国北部ボレリス。地下の研究所から救出した子供達。彼女達の死は、ルエラの心に重くのしかかっていた。
「この辺りで少し休憩にしようか」
不意に、アーノルドがそう言って立ち止まった。
ルエラはキョトンとアーノルドを見上げる。まだ、歩き始めたばかりだ。
「アーノルドさん? いったい……」
「食事にでもしよう。ルエラちゃんも、少し立ち止まって話したいと思うはずだよ」
ニッコリと笑って言い、アーノルドは振り返る。ルエラ達は、その視線の先を追った。
水田に囲まれた細道。風がそよぎ、金色の稲がざああっと揺れる。
ルエラは目を見張った。
道の先に、小さな人影があった。肩で切りそろえた淡い金色の髪。薄桃色のワンピースの上に、灰色のポンチョを羽織った姿。
「お兄ちゃん! お姉ちゃん!」
ララはルエラ達に向かって大きく手を振ると、にっこりと笑った。
2015.5.30