逃げ惑う市民達に阻まれ、軍部の者達は思うように進めない。パトリシアはほくそ笑み、軍部の裏手へと回る。その時、声が掛かった。
「そこまでだ!」
 パトリシアが振り返れば、ルエラがそこに立っていた。パトリシアは冷笑を浮かべる。
「ルノワール中尉の瞬間移動魔法ね……それで自分は、いいとこ取りって訳? 人使いの荒い坊やだ事……」
「彼を攻撃されては、困るからな。……パトリシア・エルズワース。お前を逮捕する」
「そう……これでも?」
 ルエラは息をのむ。パトリシアが物陰から引っ張り出したのは、ユマだったのだ。
 パトリシアは、ユマを自分の足元に投げ捨てるように突き倒す。ユマは手足を縛られ、猿轡を噛まされていた。話す事もできず、ただ、怯えた表情でルエラを見つめ返す。
「この子の細い身体だと、門の柱よりずっと容易く折れそうねぇ。友人が真っ二つに折れたら、ラランドはどんな顔をするかしら?」
 そう言って、パトリシアは微笑む。
「卑劣な……!」
「何とでも言うが良いわ。魔力を持って生まれたその時から、私の人生は決まってしまったのよ。両親には見捨てられ、ずっと孤独に生きてきた。どんなに親しい友達がいても、決して明かせない秘密を持たなきゃいけない。それがどんなに苦しい事か、あなたには解らないでしょう。
 ましてやアリーになんて、解るはずもない。あいつが来るまでは、やっと掴んだ平穏な日々を過ごしていたのよ。皆、私に惹かれて。大人になって、ようやく皆に愛されるようになったのよ。それを……! あいつさえ、アリー・ラランドさえいなければ……!!」
 一瞬の耳鳴りと共に、パトリシアの目の前に青白い光が現れた。
 瞬間移動して来たのは、アリー。現れるなり腰を低く落とし、パトリシアの右腕と襟首を掴む。一回転して彼女を自分の背に乗せ、投げ飛ばした。
 しかし、彼女も軍人だ。多少の体術は身についている。パトリシアは直ぐに立ち上がり、アリーに向けて手をかざした。アリーの上体が、後ろへ押されるようにして大きく反る。
「アリー!」
「く……あ……が……っ」
 アリーは苦しそうな呻き声を漏らす。パトリシアは微笑っていた。
「ふふ……馬鹿な娘。わざわざ、自分から殺されに来るなんてね……」
 ルエラは手をかざす。だが、それと同時に銃声が響いた。
 弾はパトリシアの肩に命中し、血しぶきを上げた。
 パトリシアは血の滲む左肩をかばうように押さえる。アリーは咳き込みながら、その場に膝をついた。
 銃を放ったのは、ティアナンだった。
「今度こそ、守ってみせます!」
 続けて銃を撃つ。
 しかし、今度はパトリシアも大人しく撃たれはしなかった。彼女は両手を自分の身体の正面に突き出す。銃弾はパトリシアの手前で止まり、そして押し切られたようにルエラ達の方へ向きを変えて飛んで行った。
 ルエラは掌を前に突き出す。水が噴出され、弾丸を包んでその場に落ちる。
 続け様に水が勢い良くパトリシアに襲い掛かる。
「ふん、これしき……」
 パトリシアはまたしても、襲い来る水を自分の手前で止める。先程と同じように押し返そうとした時、彼女の上空に影が掛かった。
 ルエラが頭上に跳躍していた。パトリシアの両手は水を止めているところ。間に合わない。
 ルエラの蹴りが、脳天に直撃する。パトリシアは気を失い、その場に倒れた。
 しんと辺りが静まり返る。終わったのだ、全て。アリーの魔女の嫌疑は晴れ、真犯人は逮捕した。ふと、アリーが立ち上がりパトリシアの傍らへと歩み寄る。その眉は垂れ下がり、唇は震えていた。
「馬鹿だよ、パティ……。僕、君の事、友達だと思っていたのに……本当に、大切な友達だったのに……」
 そして、キッと彼女を睨みつける。
「でも、許さない。ユマに手を掛ける奴は、誰であろうと絶対に許さないよ……」
 声が近づいてくる。ようやく市民の間を抜け出せた軍部の者達が、こちらへと駆けて来ていた。





「世話になったな。わざわざ、駅まで見送りに来てくれなくとも良かったのに」
 ペブルの駅で汽車へと乗り込みながら、ルエラは見送りに来た二人の少女に言った。
「そんな訳に行かないよっ。何たってリンと中佐は、僕の命の恩人なんだから」
「そうよ。ありがとう、アリーの無実を証明してくれて。ティアナン中佐も、ありがとうございます」
「お役に立てて、良かったです」
 ティアナンはそう言って微笑む。
「それにしても、リンが魔法使いだったなんてね。驚いたよ。だってそんな事、一言も言わなかったから。僕達を助けた時も、魔法なんて使わなかったし……」
「あっ」と声を上げたのは、ユマだった。
「そんな事ないわ。私達を助けてくれたあの夜、床に妙な水溜りがあったじゃない? もしかして、あれって、リン?」
「ああ。君とあの男の間に、氷の壁を作っていた。まあ、必要無かったがな」
「襲撃の遭った晩の川の氾濫が、魔法だったとは……なかなかの使い手のようですね」
 ルエラは曖昧に苦笑する。
 魔法使いならば、どんなに良かった事だろう。もしもルエラが男に生まれていれば、自分は魔女ではなく魔法使いだった。男か女か、ただそれだけで、こんなにも世の中からの視線は違う。
 ティアナンは、一枚のメモをアリーに差し出した。
「私の連絡先です。何かあったら、電話してください。昼間はほとんど、軍部にいると思います。夜は、夜勤の日以外は家にいますから。ユマさんも、よろしければどうぞ」
「ありがとう、中佐!」
 アリーは目を輝かせてメモを受け取る。
「ねえ、良かったらリンも連絡先教えてよ」
「そうしたいところだが、私はほとんど家に帰らないからなあ……。家と言っても宮廷内だから、そう簡単には外から連絡が付きにくいだろうしな」
「そっかぁ……」
 肩を落とすアリーの頭に、ルエラはそっと手を乗せる。
「でもきっと、いつかどこかで会う日が来るさ」
「うんっ。そうだよね!」
「それこそ、ユマなんてその可能性はあるものな」
 ユマはころころと笑う。
「それじゃあ私、リンに会うために頑張って勉強しなくちゃね」
「あ! そうなったらユマ、僕も呼んでね。差し入れとかの名目で!」
「当然よ」
 汽笛の音が小さな駅に響き渡る。
「そろそろ発車するみたいだな」
「それでは、私はこれで失礼します」
 ティアナンはアリーとユマに手を振り、席を探しに行った。
「あ。ねえ、リン」
 アリーは小さく手招きする。ルエラはきょとんとしながらも、屈み込みアリーに顔を近づける。アリーはルエラの耳元で、そっと囁いた。
「ほんと、また会いたいな。リンって、僕の憧れの人に似てるんだ」
「え?」
 ルエラは身体を起こし、目をパチクリさせる。アリーは照れくさそうに笑っていた。
「じゃあね、リン」
 そう言って、アリーは背を向け去っていく。
「あっ、ちょっと待ってよアリー! リン、またね」
 ユマは満面の笑みでルエラに言うと、アリーの後を追って小走りに去っていった。
 ルエラは汽車の乗り口に立ったまま、去っていく二人の背中を見つめていた。
「ねえ、アリーってば! 一体何の話したの?」
「ひっみつ~!」
「えー、教えてくれたっていいじゃない」
「内緒だもんねーだ」
 目の前で扉が閉まる。ゆっくりと、汽車は動き出す。
 ルエラはトランクを引き、中へと進む。そしてすぐに、立ち止まった。
 ティアナンはまだ席に着いていなかった。コンパートメントの間の廊下で、荷物を持ったままルエラを待ち構えていた。
「ブロー大尉はどちらまで?」
「このまま西へ進もうかと思っている。中佐は、首都か?」
「ええ。次の駅で、東行きの列車に乗り換えです。その前に、大尉に尋ねたい事があったので」
「尋ねたい事?」
 ルエラは聞き返す。
「……ブロー大尉、あなたは何者なんですか?」
 ルエラの翡翠色の瞳が、わずかに見開かれる。ティアナンは真剣な瞳で、ルエラを見据えていた。
「正確においくつなのかは知りませんが、見たところアリーと同じ程度に思われます。その年で大尉は、あまりにも若過ぎる。魔法の腕を買われたのだとすれば、むしろ逆に大尉以上の実力でしょう。それ程の才の持ち主ならば名も通っているでしょうが、あなたのお名前をお聞きした事はありません。先ほど宿を出る前に首都の同僚達にも電話を掛けて回りましたが、誰も知りませんでした。
 あなたは本当に、『私軍所属のリン・ブロー大尉』なのですか? 私には、それ以上の人物に見えてなりません……」
 ルエラは軽く肩をすくめた。
「それは、ずいぶんと光栄な言葉だな」
「茶化さないでください」
「何も不思議な話ではあるまい。私は十六だが、別に最年少という訳ではない。確か隣国のレポスには、私と同じ年でもっと上の階級の者がいたはずだ。
 軍属魔法使い、私軍大尉、王女勅命特務捜査官……色々呼ばれはするが、その実態は、ただのしがない旅人さ」
 ルエラはふっと微笑を零すと、トランクを引き戸口を離れて行った。

『――お分かりかとは存じますが、どうか正体を気付かれませんように』
 出発前、駅から掛けた電話。その相手の言葉が、思い起こされる。
 ルエラの正体を知る唯一の人物。城でルエラの帰りを待つ臣下。このまま隣国へ向かおうと思っている旨を話すと、ひどく驚いた様子だった。
『またそんな急な……! こちらの書類も溜まっているんですよ。一度そちらへ向かいますから、どうか国内でお待ちください』
『悪いな、いつも』
『そう思われるのでしたら、どうかもっとご自愛ください――姫様』

 空いたコンパートメントを見つけ、中へと入る。開かれたままの窓から風が入り、ルエラの青いコートをなびかせる。
 光を受け白んだコートがなびく様は、まるで波打つ長い銀髪が風に煽られているかのようだった。

 彼女の名前は、ルエラ・リム。ここ、リム国が王女である。

 そして、かつての王妃ヴィルマの娘。その血を受け継ぐ、魔女。

 王族と言う、純白の光。
 魔女と言う、漆黒の闇。

 白と黒が混淆する存在――彼女はまさしく、灰色の王女。


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2015.1.18

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